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白い蝶のサンバ / 森山加代子

子供へのアピール力も半端なかったですね:

白い蝶のサンバ.jpg

森山加代子さんと言うと、ちょうど我々の世代くらいから「じんじろげ」のような、
童謡なのか歌謡曲なのかよくわからないコミックソングで知られていた歌手なんですね。
「パイのパイのパイ」が30年くらいの時を経て「ロッテチョコパイ」のCMソングで
使われるようになったり。 お山のてっぺんで…なんて歌詞の曲もありましたね。
しかし曲はちょっと変でも(失礼)、森山加代子さんの歌声とキャラクターって、
どこか聴く人、見る人をやさしく包み込むような雰囲気がありますね。

そんな人が、ヒットも途絶えしばらく見ないと思ったら、1970年になるとすぐ、いきなり
♪あなたに抱かれて私は蝶になる…♪
とそれまでにはあり得なかったような早口ソングで再登場したのですから、
当時の大衆はさぞびっくりした事でしょう。

その前年に、同じコロムビアの弘田三枝子さんが「人形の家」で久々のヒットを飛ばし、
その時には曲もさる事ながら、容姿が突然美しくなった!と話題になったものですから、
恐らく森山加代子さんも同じような感じで受け止められたのではないでしょうか。
確かにファンションやメイクが派手になっていましたし(^^)。

「白い蝶のサンバ」は楽曲自体、あちこちに耳に残る仕掛けが組み込まれており、
その効果もあってか、今も時々話題になる大阪万博博覧会の開催(1970年3月15日)に
合わせるようにオリコンシングルチャートで1位に登りつめる大ヒットとなりました。


作詞は阿久悠氏で、氏にとってこの曲が初めてのオリコン1位曲となりました。
この曲は歌うのが難しいようで、阿久氏によれば「森山加代子は生でこの曲を歌う時、
必ずどこかでトチって完全に歌えた事が一度もない」と語っていました(^^;)

この曲では女性が蝶になっていますが、それより2年ほど前の大ヒット「花と蝶」(森進一)
では花が女、男が蝶となっていますよね。
阿久氏はそれを大いに意識して「自分がそれをひっくり返そう」などと考えたのでは(^^)


作曲は井上かつお氏。 氏にとってはこの曲が、大ヒットした唯一の楽曲のようです。
他には美空ひばりさんが1972年、実質最後の紅白出場となった時の曲「ある女の詩」
も書いています。

編曲は川口真氏。 川口氏は「人形の家」「浮世絵の町」「他人の関係」「別れてよかった」
等々、女性歌手がイメージチェンジした時の曲の殆どで作・編曲を担当しているのですが、
何か特別なルートでもあったのでしょうか?

残念なのは、そうしたイメチェン楽曲って後が続かないんですね、不思議なほどに。
弘田三枝子さん、内田あかりさん、、金井克子さん、小川知子さん、そして森山加代子さん、
揃いも揃って新曲を出すたびに尻すぼみになっていったのはなぜでしょう?

イメチェン歌手と言えば山本リンダさんを挙げないわけにいきませんが、
リンダさんの場合は都倉俊一氏が音楽面を仕切っていて、新曲を出すたびに
違うイメージを打ち出していたのが、ある程度人気が続いた要因だった気がします。
先述の5人に関しては、イメチェン自体に寄りかかって新曲が二番煎じに陥っていたのが
敗因だった、と言えるでしょう。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ドコドコドコドコ…ジャーン! ♪あなたに抱かれて私は蝶になる~♪…

この部分だけで多くの人は「何だ何だ、こりゃ!?」と耳を傾けたはずです。
早口歌唱は実際にはそこと歌い終わりの部分、各コーラス6小節しかないのですが、
最初に聞かされたインパクトはいつまでも残るものです。

よく聴くと、早口なだけでなく、歌全体を通して随所に演歌のようなコブシがかかっていて、
「月影のナポリ」などのストレートな歌唱とは全く異なっているのがわかります。
そのあたりは恐らく本人の意志ではなく、ディレクター、あるいはアレンジャーから
指示されたものでしょう。

後に松田聖子さんも多用する事となる跳ね上げ(音を伸ばし、その終わりで声を裏返すように
跳ね上げる歌い方)もこの曲で使われ、インパクトの要因となっていると言えますね。


オケは、サンバとは言いながらタンバリン以外のパーカッションもサンバホイッスルもなく、
むしろストレートな16ビートロックと言えるもので、
ベースがブンブンと飛ばしてスピード感を増長していますね。
でもそんな演奏はラジオではあまり聞こえないので、ヒットの要素になったとは言えないかな。
この時代、新しい曲は音源がレコードであっても、ラジオや有線放送などの、
あまり音質が良くない装置から人々の耳に届く事が圧倒的に多かったですから。

編曲では隠し味的な音を加える事が多いのですが、
この曲では左から聞こえるマリンバ、右から聞こえる電子オルガンがそれで、
オケのサウンドに独特の色をつけ、歌の雰囲気を引き立たせる役目をしていると考えられます。
ビートをしっかり刻んで全体を引き締めているのがタンバリンですね。

中央からはコルネット2本、トロンボーン1本とかなりシンプルなブラスが、
歌メロにぴったり馴染む、ハイセンスなオブリガートを演奏していますね。
その力はとても強いですよ(^^)

レコーディングはオケの全楽器同録で2チャンネルステレオのカラオケを作り、
それにボーカルをダビングすると言った手法と思われます。
なので、森山加代子さんがもし、レコーディングでも通してはうまく歌えなかったならば、
恐らく幾テイクもボーカルを録音し、その中でよく歌えた部分をつなぎ合わせる
テープ編集作業はかなり大変だったのでは、と想像します(^^;)

あ、でも実際には最初から最後まで全く問題なく歌い切る歌手はめったにいなくて、
噂によると美空ひばりさんと岩崎宏美さんくらいだそうですが(^^;)

2コーラス目の歌い終わり ♪恋の火を抱きしめて~♪ と音を伸ばす時にエコー
(正しくはリバーブ)を徐々に深くしてその響きを残すテクニックが使われていますね。
同じようなテクニックは後に「ひとりじゃないの」(天地真理)でも使われ、
欧陽菲菲さんの「雨のヨコハマ」ではリバーブではなくフィードバックエコーで
似たような、しかし全く肌触りの違う音で効果を上げている例があります。


「白い蝶のサンバ」でどうしても書いておきたいのが、転調についてです。

歌謡曲でも転調が用いられるのは珍しくはありませんが、多くの場合、
同じキーで短調から始まりサビだけ長調になるとか(「愛は傷つきやすく」「ちいさな恋」等)、
2ハーフ構成でハーフで半音上げる、と言った程度です。

しかし「白い蝶のサンバ」は、歌い出しはA♭メジャー、サビ前でFマイナーになった
かと思うとサビではFメジャーに転じ、サビが終わるとまたA♭メジャーに戻り
歌い終わる直前でFマイナーに… とコロコロ変わります。

そして調が変わる時に色々な雰囲気を残すのがまた面白いところで、
Aメロが終わりサビの ♪恋は心も~♪ に明るく変わり、それが過ぎてまた暗くなるかと
思いきや、歌い出しと同じ明るい感じのキーに移り、その時にはどこかホッとするような
空気を感じさせるんですね。
歌メロも、キーが変わっているのに無理な動きがなくスムーズなので、
全体を通してギクシャクしたものを感じさせず、最後までスッキリと楽しめる、
そんな作りなんですね。

一般的に、欧米のポピュラー楽曲にも転調は当たり前のように使われていますが、
多くの場合、一聴してもそれがわからないようなメロディー進行、コード進行が多く、
一説には転調をなるべく感じさせないのがカッコいい曲…と言われるほどなのですが、
日本の歌謡曲ではむしろ「転調させたぞ、どうだ」とも言いたげな展開が感じられる
楽曲が多い、そんな気がします。
90年代以降に日本で大ヒットした楽曲は殆どと言って良いほど露骨な転調が
これでもかと使われているのですが(特に倉木麻衣さんの初期の曲はすごかった)、
「白い蝶のサンバ」もわりと露骨な転調ながらどこか気品が感じられ、
それは当時の世の中のカラーをも反映しての事なのだろうか…
と説明不能な興味を持ってしまいます(^^)

***********************************************
追記(2019年3月6日 23時40分)

本日、森山加代子さんが亡くなられました。
私は先ほど、この記事のコメント欄に数名の方がその事を書いて下さった事で知りました。
ご病気の事など全く知らなかったので、大変驚きました。
こと我々の世代にとっては大変印象深い歌手であった事は疑いようがなく、
非常に残念です。
謹んで、ご冥福をお祈り致します。
そして、思い出とつながるような素敵な歌の数々を遺して下さった事に感謝致します。


「白い蝶のサンバ」
作詞 : 阿久悠
作曲 : 井上かつお
編曲 : 川口真
レコード会社 : コロムビア
レコード番号 : CD-48
初発売 : 1970年(昭和45年)1月25日

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卓

こんばんは!

曲紹介に書込みするのは、とても久しぶりです・・・。音楽的なセンスは持ち合わせていないので、当時の思い出を少し・・・。

「じんじろげ」「パイのパイのパイ」などは、まだ1歳で自宅にテレビも無い時代でしたから、全く記憶に残っていません。しかし、「白い蝶のサンバ」を初めて聴いた時は、インパクトのある曲調(早口も含めて)だなと思いました。この時彼女はまだ27歳か28歳ですよね?以前にも書きましたが、この時代の歌手は歌が本当に上手かったと思います。今の時代にも上手い歌手はいますが、「歌い手」というプロ意識は当時と全然レベルが違うと思います。(先週のNHKの「歌コン」で「ひだまりの詩」の某歌手の歌唱の酷かったこと・・・。)

転調で難しい曲は、明菜ちゃんの「愛撫」とか、1度しか転調はありませんが、松任谷由実さんの「真夏の夜の夢(コンサートでは、演奏がちゃんと入ります)」などありますね。あと、早口ではありませんが、ピンク・レディーの「サウスポー」の「胸の鼓動はドキドキ、目先はクラクラ・・・」の部分は振付も一緒になると、うまく口が回らなくなることがあります(笑)。

転調には関係ないのですが、ハモリのパートで唄い難いのは、小泉今日子さんの「あなたに会えてよかった」、松たか子さんの「コイシイヒト」などがあると思います。また半音上げ(下げ)が多いドリームズカムトゥルーの「決戦は金曜日」をカラオケで歌うのが難しいですね。

最後に、100歳は無理としても、まだしばらく人生が続くと思うので、「心に残る名曲」が生まれる事を切に願います。

by (2019-03-05 22:31) 

ぽぽんた

卓さん、こんばんは!

私も森山加代子さんの初期の曲は、リアルタイムで聴いた記憶は殆どありません。
ただ、母がよく「お山のてっぺんで…」などと歌っていて、後に「白い蝶のサンバ」で
森山加代子さんがカムバックした頃「この人がその歌を歌っていたのよ」と教えてくれた
のを、今もよく憶えているんです。
今の歌手と昔の歌手との違いって、音楽の作り方自体の違いから来ている気もします。
昔は曲が発売されるとテレビ、ラジオ、有線など複数のメディアから流れ、同じ時に
多くの人が耳にするのが普通だったので、どのような状態で聴かれてもちゃんと音楽、
そして歌として成り立っているのが当然だったものが、今は聴かせる相手が一人きりに
なっているんですね(その1対1が何十万、何百万も存在しているわけです)。
しかもそんな音源は今や、歌の音程や発音のタイミングなども補正され尽くしていますから、
歌手はそれほど歌唱力がなくてもそれなりに聴かせる事ができてしまうわけです。
そういう技術に頼っている限り、人前でまともな歌を歌える歌手は殆ど出てこなく
なるのは必然ですね…残念です。

中森明菜さんの楽曲は、そう言えば転調がある曲って少ないですね(^^)そのかわり
リズムやコード進行が複雑な曲が多いようなイメージがあります。
私はどうも「夜明けのスキャット」ってすごく言いにくいんです(^^;)

ハモリパートが歌いにくいのはある程度仕方ないんですね。 歌でも弦でも、
2部くらいならともかく、ちょっと凝って4部くらいのハーモニーをつけるともう大変です。
しかしよく言われるのは、そういったパートも単独で歌うと音楽的に聞こえるのが
より良い書き方との事です。
私も自分の曲で弦を4パート書くのはいつもの事ですし、コーラスでも4パートを
やった事がありますが、主旋律以外はどうしても難しくなっちゃいます(^^;)

私も時々卓さんと同じ事を考えていて、もう一度か二度は、国民が誰でも歌えるような曲が
出てきてほしい、「およげ!たいやきくん」のような特大ヒットが出るのを
もう一度でいいから見てみたい、と思います。

by ぽぽんた (2019-03-05 23:51) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんにちは。

改めて「白い蝶のサンバ」を聴き直すと、小さいときから感じてきた楽しいだけじゃない奥深い魅力を再発見できます。
転調のことが書かれてありますが、転調のメロディーラインが効果的で明るく楽しい歌に聴こえます。歌詞を読むと大人の濃厚な恋愛の風景が描かれてますけどね。だから、子供にもとっつきやすかったのかもしれません。

今回も、阿久悠先生の著書「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう」を引っ張り出しました。このようなエピソードが書かれています。
「例を見ない早口言葉の歌として一部では珍品扱いされたが、作者も歌手も珍品のつもりはなく大真面目であった。森山加代子のカムバック作品になるので、それなりの気遣い、緊張、意欲があった」
「曲先だった。曲を聴くと符割りが細か過ぎて、器楽曲だと思った。同じメロディーで音を伸ばすことも考えたが、思い切って早口言葉のまま進めた。それが良かった」
「ぼくは小ヒットが数曲だけの立場の、本職は放送作家。このヒットで作詞家になれた」
それと、他の紹介文では「発売当初からテレビやラジオで大々的なプロモーションがかけられた」とありました。

イメチェン・復活を賭けた歌での川口先生の起用は、コネもあるかもしれないし、それと音楽性を買われてだと思います。歌手の一味違う一面、ますますドラマチックな歌の世界をうまく引き出せる先生…とのスタッフの皆さんの見立てがあるのでしょう。

この年は、阿久先生と川口先生の作詞作曲コンビによる、男性歌手のイメチェンがありました。
御三家・西郷輝彦さんの「真夏のあらし」。マイルドな青春歌謡から一転、ワイルドなトム・ジョーンズ系の歌です。
最初聴いたときは、西郷さんのファンだった母といつも見てきた青春歌謡からの変わりようにびっくりしたけど、知れば知るほどこれ以降の70年代の西郷さんの歌はすごくかっこいいと思うようになりました。CD化されたアルバム「恋人たちの時間」、これがまたいいです。

早口言葉の歌、「白い蝶のサンバ」の前には何も無かったのかなと考えていたら、ちょっと先駆けでいしだあゆみさんの「喧嘩のあとでくちづけを」がありました。強いて挙げれば、かもしれませんけどね。
by もとまろ (2019-03-06 10:16) 

もとまろ

今、主人から聞いてびっくりしました。
森山加代子さんが亡くなられたそうで、安らかなる眠りをお祈りします。
by もとまろ (2019-03-06 19:55) 

卓

こんばんは。

突然の訃報にたいへん驚きました。

今回この曲を取り上げたことが、とても偶然とは思えません。

拙い内容でしたが、コメントを書くことができてよかったです。

ご冥福をお祈りいたします。


by (2019-03-06 20:47) 

ひろ

お久しぶりです。
突然の訃報にびっくりでした。

この曲は、初めてジュークボックスで何度もコインを入れて聴いた曲です。
歌謡曲で初めて好きになった曲です。
でも、何故この曲なのかは未だに分かっていません。
天地真理さんでもなく、他の方ではなく…。
ましてや、森山加代子さんの名前も覚えて無くて「白い蝶のサンバ」なんです!
その後、天地真理さんを知り、ファンになり、すぐさま、桜田淳子さんへ移って行きました(;^ω^)

大分横道に反れてしまいましたが…。

ご冥福をお祈り致します。
by ひろ (2019-03-06 21:56) 

widol

ぽぽんたさん、こんばんは。

森山加代子さんの訃報に驚きを隠せません。

ぽぽんたさんのクイズの出題時から久しぶりにヘビーローテションをしていて、このカラオケの出所も見つけて手に入れたりしていましたので余計です。テレビなどでこの曲に接する機会が増えるのかもしれません。

心より御冥福をお祈りするとともに、森山加代子さんの名曲が歌い継がれていくことも願っております。

by widol (2019-03-06 22:07) 

Massan

ぽぽんたさん、こんばんは。
まずは心より森山加代子さんのご冥福をお祈りいたします。

私はリアルタイムでこの曲を聴き、早口を真似て♪生ムギ、生ゴメ、生タマゴ~などと替え歌で遊んだものですが、この曲が発売された70年と71年との間に大きな溝があります。ちょうど学年で言えば小4と小5の間になるのですが、71年以降は積極的に歌番組を見聴きして自ら歌謡曲に接していたのに対し、70年以前は両親が見聴きしていた番組やレコードから自然に入ってきたものを聴き流していた・・という違いがあるように思います。カセットデッキを買ってもらったのが71年のことですので、たぶんそれも大きな要因だったかもしれません。
このため「白い蝶のサンバ」に限らず70年以前の曲もきちんと聴くようになったのはだいぶ大人になってからですが、この時代の曲は歌詞がなかなか大人向けですね。そんなことも知らず教室や家庭では男子も女子も歌まねしていたのですから、当時の大人はどんな顔をしていたのやら・・。
なんだかとりとめないコメントですみません。次回も楽しみにしております。
by Massan (2019-03-06 23:20) 

ゆうのすけ

私もぽぽんたさんの記事に取りあげられてその直後の訃報に
驚くばかりです。ご冥福をお祈り申し上げると共に 沢山の作品を
歌い語り継いでゆきたいと思うばかりです。
今頃 九ちゃん(坂本九さん)が 暖かく手を差し伸べて迎えてくれて
いることでしょう。合掌。
by ゆうのすけ (2019-03-07 12:00) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは!

私が物心ついた頃には、森山加代子さんは停滞期に入っていたようであまりテレビで観た
記憶がないのですが、「白い蝶のサンバ」は当時の様々な歌謡曲の中でも
すごくユニークで、仰るように歌詞の内容は大人向けで深いのに、
子供にとってはそれは問題ではなく、とにかく面白いと言う事だけで
飛びついてしまう、そんな曲だったんですね。
当時はいしだあゆみさん、弘田三枝子さんなどイメチェン流行りでしたから、
かつて一世を風靡した森山加代子さんの復帰作にもかなり力が入ったのでしょう。
阿久悠氏にとっても忘れられない作品であり歌手である事は間違いないようですね。
私が本文に書いた「一度も完全に歌えた事がない」と言うエピソードも、
森山加代子さんに特別な思い入れがあったからこその発言だと思います。

あの頃は日本ではエルヴィス・プレスリーとトム・ジョーンズが大人気でしたから、
男性歌手の新曲にそれらのイメージを利用する事は多かったんですね。
「情熱の嵐」でようやく大ヒットを出した西城秀樹さんもそうでしたし、
布施明さんの「甘い十字架」も明らかにトム・ジョーンズを意識した作りとわかります。

いしだあゆみさんの早口歌唱だったら「砂漠のような東京で」もありますね(^^)

森山加代子さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

by ぽぽんた (2019-03-07 22:55) 

ぽぽんた

卓さん、こんばんは!

私も本当に驚きました。 こんな形の偶然って、決して嬉しくないですね…。

今回は記事をアップして間もなくコメントを下さってありがとうございました。
今後もよろしくお願い致します。

by ぽぽんた (2019-03-07 22:58) 

ぽぽんた

ひろさん、こんばんは! お久しぶりです。

ジュークボックスですか! そう言われたら、私も銭湯で(我が家は私が小学4年になるまで
内風呂がなくてずっと銭湯通いでした)、そこに置いてあったジュークボックスで
誰かが「白い蝶のサンバ」を流したような記憶があります。
ジュークボックスの音ってバカでかいので、子供だった私はビビってましたが(^^;)

良かったら、これを機にまたコメントを寄せて下さいね。

by ぽぽんた (2019-03-07 23:01) 

ぽぽんた

widolさん、こんばんは!

私もこの記事を書くにあたって、本当にしばらくぶりで歌入り、カラオケと何度も聴いたので、
森山加代子さんが亡くなったと知っても全くピンと来てません。
今にもテレビで、昔よりはちょっと声量は落ちたながらも ♪あなたに抱かれて…♪ と
歌いながら登場するような気がしています。

また一人、昭和を代表する歌手がこの世を去って寂しい限りです。

by ぽぽんた (2019-03-07 23:11) 

ぽぽんた

Massanさん、こんばんは!

あ、私とちょうど1年違いますね(^^) 私は71年の暮に両親に初めてラジカセを
買ってもらって、それから積極的に聴き始めた感じだったので、
71年まではレコードは買ってもらったものの、ずっと受動的だった気がします。

本当に仰る通りで、当時は大人は子供が歌謡曲を聴く事に非常に抵抗があったようで、
それも大人になってから歌詞を読んでみたら「こりゃ子供には聴かせられない」と
思うのも無理はない…と思いますよね。
そんな感覚、今の親にはないのかな?
でもそんな『禁断の感覚」って、どこか懐かしく、ちょっと酸っぱいものですね(^^)

by ぽぽんた (2019-03-07 23:11) 

ぽぽんた

ゆうのすけさん、こんばんは!

そうですね、森山加代子さんは「白い蝶のサンバ」だけの歌手ではなくて、
1960年台前半には前後には多くのヒットを飛ばしていたんですね。
森山加代子さんっていつも笑顔だった気がします。
仰るように、今頃は同じレコード会社でライバルでもあった坂本九さんと、
昔話に花を咲かせている事でしょう。
そう思うと微笑ましく、明るい気持ちになってきます。
ありがとうございます(^^)

by ぽぽんた (2019-03-07 23:16) 

Y

2月に大腸がんだと言われて、1か月・・・。末期の状態だったんですね、きっと。白い蝶のサンバをヒット曲を集めた番組でしか知らないのですが、「歌の大辞テン」があっていたころ、ゲストの山田邦子さんが、「森山さんの歌のリズムって、”フニャフニャフニャ~”ってやわらかい感じがしますよね。」とおっしゃっていましたよ(^o^)森山さんのご冥福をお祈り致します。

by Y (2019-03-11 15:46) 

ぽぽんた

Yさん、こんばんは! お返事が大変遅れまして申し訳ありません。

森山加代子さんの歌は、デビュー当時のヒット曲を聴いても独特のリズム感があるのが
よくわかります。 だからこそ、逆に「白い蝶のサンバ」ではそれを抑えて
機械的なノリで歌わなければならないので、時にうまく乗れずに阿久悠氏が発言したような
「毎回必ずどこかでトチる」と言う事になった、そんな気がします。
近年ではその姿を目にする機会が少なかったのですが、昭和歌謡が最も華やかだった頃の、
大変貴重な歌手の一人だったと思います。
 
by ぽぽんた (2019-03-15 23:52) 

もっふん

子供心にテレビで見た森山加代子さんは既に出来上がった有名人であって、この曲がご本人にとってエポックメイキングな作品であった事など知るはずもありませんでしたが、日本中が「こんにちは~こんにちは~♪」に席巻されている中でオリコン一位を獲得した「白い蝶のサンバ」も、そうした当たり前のように供給されるヒット曲の一つとして深く記憶に残っております。

早逝された大村雅朗氏や松原正樹氏に限らず、平尾昌晃氏や西城秀樹さんと言った昭和の歌謡界を支えて来たビッグネームの訃報に接する機会が増えて来たのも、我々が子供や若者であった時代にビジネスの最先端でコンテンツを生み出してくれていた上の世代、当時オトナであったクリエーターや歌い手さん達が相応の年齢に達しつつある、即ち我々もまた年を取った事の証として仕方が無い部分もあるのでしょう。

森山加代子さんはガンと言う事で、最近の平均寿命から考えると少し早すぎる死であるかと思いますが、昭和の文化の担い手が鬼籍に入られて行く大きな流れはどうにもならないと言う現実の前に、歌えるものは歌い継いで行く事、均質なサウンドと歌詞、更に言えば歌い手の個性やオーラが希薄化する事でスケールがどんどん矮小化している現在の流行歌シーンにおいて、何か自分が守り継承して行く事が出来ないかを考えたいとの思いを新たに致しました。

森山加代子さんのご冥福をお祈りいたします。


一方、ぽぽんたさんがせっかく楽曲解析して記事を書いて下さったのに、コメント欄がお悔やみだけで終わってしまうのは勿体無いとも思いますので、少し転調について触れておきたいと思います。

Aメロの歌い出しが A♭メジャーでサビ前は Fマイナー、と言うのは五線譜上調号が変わる事のない平行調への転調ですので、これはワンフレーズの中でもちょいちょい、リスナーが聴き過ごしてしまうほど頻繁に行われるもので、私個人の中では「同じキーの中でメジャーを選ぶかマイナーを選ぶか」と言う認識になっており、「転調でございます!」と言うほどのインパクトは感じません。

先のクイズで「コード進行が単純」と書いたのは出題範囲のイチロク進行を指して言ったものですが、この部分だけ取り出して来ても「A♭メジャー → Fマイナー」とミニ転調していると解釈する事すら可能です。

この Fマイナー仮終止の意味は、サビで Fメジャーに転調するための準備と見るのが良いかと思います。記事にもあるように、明るく始まった Aメロを暗い感じで終わらせておく事がその後のメジャーへの転調を際立たせますし、Fマイナー → Fメジャーと言う進行は同主調への転調なのでリスナーにとっても「あ、ハーモニーが明るくなった」と言う事がスムーズに理解出来るものと思われます。

サビで同主調メジャーに転調した場合、最も安直にもとのキーに戻す方法は転調しているメジャーのドミナントコードから次のフレーズの頭をマイナートニックで始める方法です。

またメジャーのサブドミナントに 7th を付加して転調先のドミナントへ導いたり、サブドミナントマイナーを噛ませる事で、フレーズが終わる前に転調を予告する手法も使われます。「愛は傷つきやすく」の場合はメジャートニックで終わらせておいて、それをブリッジ部分でマイナーに陰転させる事で明確に転調した事を示しています。

この曲ではいずれの方法も採らず、転調前のメジャーのドミナントで引っ張っておいて、これは転調後が同主調のマイナートニックであれば共通のドミナントになるのですが、その辺を一切無視して「同主調の平行調のメジャートニック」で次のフレーズが始まります。

ぽぽんたさんの言われる「また暗くなるのかと思ったら明るいフレーズ」、しかも見かけ上は短三度上に上行転調している事になるので非常にテンションが上がる転調スタイルとなっています。

平行調への転調や同主調への転調は、単独であれば音楽に馴染みが薄い人でも着いて行けるのですが、「同主調の平行調」となると当時子供だった私や友人の間では転調後の正しい音程を出す事が非常に厄介であった事を思い出します。

勢い、オケ無しで歌っているとサビのキーのままサビ後を歌ってしまいがちで、これをやるとコーラスが進めば進むほどキーが下がって行って「ありゃりゃりゃ?」となったりしたのも、恥ずかしながらも酸っぱい思い出だったりします(苦笑

個人的にガンガン転調して行く楽曲の原体験は「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)ですかね。普通に口ずさんもうとするとハマる曲として。中村八大先生はこういう進行をさらっと書けてしまうあたりが、さすがジャズご出身なのだと思います。

80年代後半から流行した転調多用は、前にも書きましたがリスナーを驚かせる意味合いが強く、何の必然性も無く取り敢えず Aメロの中で一全音上げとけみたいなものが多かったように思います。

そういう「剥き出し」の転調に慣らされると、却って「オリビアを聴きながら」のようなマイルドでダルめの転調感に心が安らぐのを感じたりもします。

転調は用法用量に気を付けて用いるのがよろしいようです。
_
by もっふん (2019-03-16 20:23) 

もっふん

蛇足ですが、コメントを拝見していると1970年前後から音楽の聴き方が変わったと言う方が何名もいらっしゃるように見受けられます。早めに覚醒されたぽぽんたさんにしろ、音楽オクテだった私にしろ、この時期と言うのは大きなターニングポイントであったと思われます。

それは、歌謡曲の普及のためにナベプロが制作費を全額出資した「ザ・ヒットパレード」が'70年の3月に役目を終えて終了した事、歌謡界が充分に盛り上がって来た事を受けて'68年11月から「夜のヒットスタジオ」が放映開始されていた事にも表れています。ゴールデンタイムの放映でなくてもわざわざチャンネルを合わせて貰える歌番組が定着していた事は大きかったと思います。

また、カセットテープの規格が制定されたのが'68の事で、'70年頃にはコメントで話題にも上っていたラジカセが3万円前後と、庶民でも手の届く価格で並ぶようになった事も大きいでしょう。

時代が下りますから物価水準も異なりますが、スーパーファミコンの発売時の本体価格が¥25,000で、ソフト(1万円以上しました)や、細かい話としてスーファミは電源アダプタが別売だったので子供に一式買い与えると軽く4万仕事であった事を考えると、誕生日やクリスマス、お年玉と言ったスペシャルなプレゼントとしてラジカセも子供に買ってやれる価格に来ていたと言えます。

これにより、音楽はリビングのステレオセットの前に正座しなくても自室で好きな時に聴けるようになり、本を読みながらでも寝っ転がってでもと言う非常に生活に身近なものとなりました。

また、本格的なステレオが無くても「私的複製権」の範囲で友人からダビングして貰った音楽を聴く事が可能となり、レコード自体は子供の小遣いではそうそう買えないものであっても、それまでよりもずっと広くいろいろな楽曲に触れる事が可能になりました。勿論、ラジオのベストテン番組が聴けるだけでもそれまでとは大きな違いです。

また時を前後してフォークソングがヒットチャートの上位に現れるようになり、幼い頃にピアノの素養を付けて来なかった者たちに対してもギター弾き語りと言う関わり方が提示され、明星や平凡の付録歌本には伴奏用のコードが表記されていました。

ある音楽関係者が「古賀メロディのおかげで日本の音楽は30年遅れを取った」と言ったとか言わないとかの話も耳にしますが、それはもしかすると'70年以降に大きく変容して行く歌謡界にとって必要な「タメ」であったのかも知れません。

いずれにしてもたくさんの事柄が重なった事で、ポピュラーソングが大きく花開き爛熟して行ったと言うこの時代に偶然生まれ合わせた事は、私にとって大きな幸せであり財産であるのだと感じずにはいられません。


<前コメ補足>

イチロク進行と言うのは Key=C で言うと C(Ⅰ)→Am(Ⅵ)と言うコード進行です。今回の出題範囲もキーが違うのであれば、例えば「真夏の出来事」(平山みき)なんかが歌えてしまうでしょうし、リズムを変えれば「ルージュの伝言」(荒井由実)も冒頭がイチロク進行でハマります。リズムはぽぽんたさんも書かれている通り「サンバではない」と言う意味で普通の16ビートですから、ブラスセクションのオブリガードでピンと来れない人にはキーが分かってる方がラクですよね、と言うのが前回のコメントの趣旨でした。
_
by もっふん (2019-03-16 21:44) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんにちは!

またまた詳しい解説、特に転調についての説明をありがとうございます。
私の場合、音楽理論を詳しく勉強していない人間ならではの感覚、あるいは先天的方向音痴
(結構コレで悩んでます)ともつながるような感覚なのですが、理論的にわりと当たり前な
事であっても、曲によってそれがえらく新鮮に感じられたり、え?これって新しい!
と歓喜してしまう事がよくあるんです。 何度か行った場所でも、方向感覚が乏しいために
行くたびに新鮮に感じられる事と似てます(^^)

私が興味あるのは、理論も勿論なのですが、例えばある転調ならばそれを使いたくなった理由、
あるいはそれに至る過程、なんですね。
理論上、または理屈上こうすると良い、自然だ、と言う事でもいいですし、ピアノを適当に
弾いている時にふと「あ、この流れが面白い」と思うと言った事でもいいんです。
「白い蝶のサンバ」でも、井上かつおさんが曲を書いていた時にメロディーの流れで
自然に転調をさせたのか、それとも最初から転調ありきでメロディーを書いたのか、
と言うところ、ですね。
発注の時は制作担当者からは「何々是々こういうイメージにして下さい」くらいの
サジェスチョンしかないとすると、あとは作曲者が独断で決めるしかないわけで、
そのあたりが何だか、とても面白そうで(^^)
しかしいずれにしろ、より多くの音楽を聴いて分析する、その積み重ねが作品に反映される
ものであるのは想像がつきます。

以前、友人とカラオケに行った時にその友人が「ウスクダラ」(江利チエミ)を選曲
したんですね。 私はその曲は知らなくて、聴いていてもうド肝を抜かれました。
ちょっと「コーヒー・ルンバ」に雰囲気が似ているけどすごく新鮮で、
昔の歌謡曲ってなんて間口が広かったんだろう、こんな、日本では特殊な雰囲気な曲を
発売できる時代ってなんて面白いんだろう、と思ったんです。
その友人がそのような曲を知っていて歌える事も驚きましたが、まだまだ知らない音楽が
沢山ある、もっと面白い音楽もあるに違いない、きっと自分の曲作りにも活かせるだろう、
などと次々に考えました。
現代の音楽がどうも面白くないのは、作る側のそういった経験や知識が昔の作家と比べて
遥かに少なく、守備範囲が狭いのも一因かも知れない、と思ったりもしました。

仰るように1970年前後は、一般人の音楽に対する接し方の変革期だった気がしますね。
個人的な用途に限り許可、となった後もレコードのジャケット裏には頑なに
「このレコードからテープその他に録音することは法律で禁じられております」
と書かれていましたが(^^;)

しかし今思うと、当時の音響機器って高価でしたね。 私が買ってもらったラジカセは
現金正価が25800円だったのですが、それは今だと5、6万円くらいに相当するはずで、
小学4年の子供によくそんな高価な物を買ってくれたものだな、と両親には感謝してます。
そのラジカセから私の音楽人生(って大げさですが)が始まったのですが、
きっとその時代、同じような経験を持つ人は多かったと思います。

今は小さな機器に何千曲、何万曲と収録できますが、オーディオテープはそれと
比べると遥かに容量が少なくて不便ですよね。 曲が終わりきらないうちにテープが
終わってしまったり、録音レベルが高すぎて音が割れてしまったり…。
でも当時はそれが不便とは思わず、次にどうすれば失敗しなくて済むか、などと
色々と考えたものです。
そうやって色々と苦労して録音したヒット曲などはとても大切に思えたものですし、
それは尊い事だったんだな、とつくづく思います。
そういった経験がない人ばかりの時代になっても、音楽がただの消耗品でなく、
大切な作品と感じられるような時代が再び来る事を願ってやみません。

by ぽぽんた (2019-03-17 10:52) 

もっふん

ぽぽんたさんこんにちは。

たまたま更新日のついでと言う事もあったのでしょうがウルトラ早いお返事に驚きました。しかも通り一遍のご挨拶ではなく朝っぱらからかなりの長文を頂けたと言う事は、ぽぽんたさんの興味関心やおっしゃりたい事に触れる事が出来ていたのかな、と、敢えてスレッドの流れを無視してでも音楽的な話をさせて頂いて良かったのだと、少し安心した気持ちになれました。

私の音楽理論記事と言うのは、ギターやピアノでコードの名前は覚えたけれどもそれがどう言う繋がりで使われているのか分からない、と言うレベルの方を読者(存在しないかも知れないのですが・苦笑)として想定して、ぽぽんたさんの解析記事をより深く読み解くための副読本のようなつもりで書いています。

ぽぽんたさんのように、言語化しなくても音楽的感性が確立できている方には、まさに「釈迦に説法」である事も承知しておりますので、あくまで道具に過ぎない音楽理論については適当に読み流して頂くのが良いかとも思います。

実は長いコメントも準備していたのですが、うっかり飛ばしてしまいました。

「ウスクダラ」は元はトルコ民謡なんですね。アラブのお坊さんが出て来る「コーヒールンバ」と中近東風のサウンドが似て来る事も、海外昔話的な歌詞となる事もうなずけるところです。

昨今の楽曲が変わり映えがしない理由は、私はクリエーターの栄養不足と言うよりも、楽曲の制作システム的に売り方・使われ方が先にあるために作り方がパターン化してしまい、他に思いついたメロディがいくらあってもそれが商業ベースに乗って来ないと言う事なのではないかと思っています。

先のコメントで最近の楽曲を「均質なサウンドと歌詞」と述べるに留まらず「歌い手の個性やオーラ」も不足しているだろうと敢えて書き添えましたが、絶対的なスターやアイドルが存在しないがために、「誰が歌っても同じ」である無難な楽曲ばかりがリリースされているのが現状ではないかとの思いもあります。

歌詞が乗って歌い手が歌って初めて「作品」になるのだとしたら、歌い手として誰を想定しながら作って行けば良いのかと言うのは悩ましい問題で、既に過去の人となった昭和アイドルなどを想定する事は着想の段階では許されても、一つの楽曲としてブラッシュアップして行く過程ではより現実的な最終形を思い描いて作業しなければならないのかなとも考えたりします。

全人格の集約としての肉声に力のある歌い手さんが、本当に少なくなって来たのは憂慮すべき事態であると常日頃から思っております。
_
by もっふん (2019-03-17 23:03) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは! 相変わらずの遅レスで申し訳ありません。

いえいえ、釈迦に説法なんてとんでもないです。 以前にも書いたと思いますが、私には
理論が足りない(変な日本語ですね)ので、もっふんさんのように踏み込んだ部分にまで
きちんと文章化できる事が、そしてそのような方がこのブログに来て下さるのが、
本当にありがたいのです。
通り一遍な挨拶で済ませてしまう事が多いのはお詫び致します。 しかし私が書き出すと、
あれこれ色々な曲の例などを出して超がつくほどの長文になるのは必至なので(具体例がないと
安心できない、悪いクセです)、もっふんさんのようにわかりやすく、ちょいと笑えて(^^)、
うまくまとめて書ける才能、とても羨ましいんです。
良かったら、これからもよろしくお願い致します。

現代の音楽に面白みが欠ける原因についての見解、実に的を射ていると思います。
私には、その根底にあるのは音楽が単なる消耗品とみなされている事、
音楽が芸術などとハナから思っていない制作者が増殖してしまっている事も
あると思っています。

最近、かつての音楽界で活躍した作家やプロデューサー等に直接取材した書物が色々と
出版されていて、それぞれ興味深いものばかりですが、
それらを読んでいて、あの大ヒット曲の〇〇は実はあの歌手じゃなくて△△のために
書かれたのがボツになって彼に流れたんだよ…と言ったエピソードがやたら多いな、
と感じています。
それが良い意味なのか悪い意味なのかケースバイケースですが、ほとんど結果オーライで
済ませてしまっているのが私にはちょっと引っかかる事があります。
そこには音楽自体よりもビジネス主体の姿があるわけで、確かにビジネスですから
仕方ないとは言え、何か残念なものを感じるんです。
それが今の音楽界に悪い影響として残っているのかな…とふと思ったりします。

by ぽぽんた (2019-03-22 22:40) 

もっふん

今頃になってぽぽんたさんこんにちは。

業界裏話に出て来る楽曲の転用って、逆に考えると当時は出来上がった楽曲の価値がとても高かったので、作った曲がある歌手のイメージに合わない、もしくは売ってみたら売れなかったとしても、どっこい「勿体無いからボツにしたくない」と奔走する方がそれなりにおられたと言う事ではないでしょうか。

今ならコンペの段階で落ちた曲は制作者のストックにすら残らず完全に闇に葬られるケースも多いかと思います。そういう意味でも現在の方があからさまに音楽が消耗品であり、使い捨てどころか使ってなくても捨てられて行く時代なのでしょう。

これは音楽が単独ではビジネスとして成立し難くなっていて、企画の段階から何らかのメディアミックス的な展開を前提とした、逆に言うと音楽が「プロジェクトのパーツの一つ」でしかなくなっている事もありますが、それに加えて現在の歌い手さんの個性にバリエーションが余り無く、歌い手を変えたところでで曲の世界をガラリと変えられるほどの振れ幅が期待出来ないと言う事情も透けて見えます。

当時の「転用」の最も有名な成功例は「また逢う日まで」でしょう。オケが再録とは言えほぼ「ひとりの悲しみ」を踏襲している事は聴けば分かる事ですが、キーまで同じであるとは、悲しいかな私には分かっていませんでした。町田義人よりも尾崎紀世彦の方が上が出るようなイメージでいたので、あれだけ張り上げている(ように聴こえる)最高音がF#でしかない事には、ごく最近気付いて驚いたものです。

西城秀樹の「恋する季節」も元々ザ・カーナビーツのアイ高野さんのために作られた曲で、サビが終わるとカーナビーツの代表曲「好きさ好きさ好きさ」のキメフレーズ「♪お前のっ全ってぇ~っ」の部分をそのままエレキが弾いています。これらの例を見ると、歌詞・メロディのみならず、一度作られたオケすらもそう簡単には捨てたくないと考えるのが、当時は割と普通だったのかと思わされます。

転用ではありませんが「飛んでイスタンブール」のメロディは元々筒美先生が野口五郎の曲として作ったけれどもむしろ女性向きと判断してストックされていたものである事も知られており、このようにキーは勿論の事、当初思い描いていた世界観とは全く異なる歌詞やアレンジで世の中に出て行った楽曲と言うのも、実は我々が思っている以上に多かったのでしょう。

それは最初から結果オーライであれば良いと言う低いハードルで制作されていたと言う事ではなく、逆にメロディや歌詞を「世に出せる」と判断する基準が厳しく、作るプロセスのハードルが高かったがゆえに、出来た物については流用や転用をしてでも生かそうと言う動きに繋がっていたのだと私は思います。

現在は、歌唱力に難のある歌い手には誰でも歌える曲、と言えば聞こえは良いですが、逆に誰が歌っても同じにしかならない楽曲が充てられる一方で、なまじ少々実力のある歌い手(多くの場合は作り手でもあります)の楽曲は既存曲との差別化を意識する余りメロディやコード進行をこねくりまわし、挙句の果てには歌い手がギミックに歌わされてしまい、歌い手の個性よりも曲の個性の方が前に出て来てしまう結果、皮肉な事に「歌える人が歌えば、やっぱり誰が歌っても同じ」と言う状況に陥っているような気がします。

一つ前のぽぽんたさんのコメントにあるように「ここはこの音、このコードを使いたい!」と言う内なる欲求よりも、パクリと言われないためにどこか常道から逸脱した部分を作らなければならない、と言うような動機が優先されているのであれば、それは手段と目的が逆になってしまっているのだと言えるかも知れません。
_
by もっふん (2019-04-23 07:20) 

ぽぽんた

もっふんさん、こちらでもこんばんは!

楽曲の転用についてはケースバイケースと思いますので、私が上で書いたような意見も
当てはまる事もあれば当てはまらない事もありそうなのは想像できます。
ただ、どの曲も発注段階ではそれを歌う歌手が決まっているはずなので、その歌手には
使われなかったから他の歌手に…となると、どうも廃物利用のような感じも受けるんです。
音楽は生き物ですから、音にしなければわからない事も多々あるわけで、実際制作してみて
この歌手よりもこっちの歌手に…となる事があるのならわかるのですが、
それでもトータルで考えるとクリエイティブではないな…と思ってしまうんです。
勿論、作曲の段階で歌手が決まっておらずストック状態になっていたものが世に出ると
なった場合には、その限りではありません。

コンペはかなり昔からあったようで、ガロのマークが「学生街の喫茶店」「君の誕生日」
に続くシングルに自作の「ロマンス」がコンペで選ばれた時には本当に嬉しかった…
とコメントを残していますね。
しかし、私はいつも思うのですが、コンペで審査する側の人間は限られていますし、
その人達それぞれの好みなどがどうしても反映してしまうと思うんですね。
コンペとは競争と言う事ですが、そもそも音楽を競争させていいのか?
限られた人間(審査員)の中で競争させたところで本当にいい曲が残るのか?と、
私には疑問なんです。
今の音楽があまり盛り上がらないのは、社会の仕組み云々も確かにあるでしょうが、
その中でも旧態依然のそんなシステムが今も幅を利かせているためもあるのではないかと
(コンペは音楽に限ったものではありませんが)。
もっと自然に、どんな曲でも一度は多くの耳に触れるようになれば、
自然発生的な大ヒットも多く出てくるようになるかも知れない…と、
これは私の勝手な想像(いや、希望的観測かな)ですが(^^;)

もう一つ、今の音楽は制作段階の自由度が高すぎる、その弊害も少なからず存在する気がします。
私もアマながら少し前からDAWなるものを利用してあれこれ作っていますが、
大昔のサウンド・オン・サウンドどころか、少し前の時代によく使われたハードの
8トラック・16トラックのレコーダーと比べても、とにかく自由度が高く、
本当に何でもできるんですね。
MIDI録音ばかりでなく音声の録音にしても、録音後にピッチ補正(場合によっては変更)、
発音のタイミング補正、いくつもテイクを重ねて後でいいとこ取り(コンピング)など、
ボーカルにしてもテキトーに歌ってもあとの編集でそれなりに聴ける程度の音を作れるし、
EQやリバーブ、ディレイ、コンプレッサーなど、必要なものはすべて入っていて、
しかもそれぞれ細かいパラメータを備えて性能も素晴らしい…そんな感じです。
昔だとウン千万もする設備がないと作れなかった音が数万円で作れるようになったのは
本当にありがたいんです。 え!こんな事もできるの!?と驚く事もしばしばです。

ただそんな便利さによって、出来上がった音に生命感、躍動感、緊張感…そういったものが
どんどん失われてきている、それも確かだと思うんです。
例えばアクション映画で、一昔前はCGでも観客に『凄い」と思わせる事ができていたのが、
今では「どうせまたCGでしょ」と言われるようになった。
それがそっくり、今の音楽に当てはまってしまうように思うんです。
あまりに破綻が無さすぎるものって、人は興味を失うんですよね。
DAWだと、修正などはいくらでも出来るので、例えば歌入れにしても「後でピッチ直してね」
と歌手本人が言う事もあると聞きます。
そんな姿勢が続く限り、今後も大ヒット作品はまず登場しないでしょう。
極論すれば、DAWはデモを完璧に作るための道具で、本チャンは細かい修正などしない環境で
プロのミュージシャンとエンジニアが生音で作り上げる。
そうすればサウンドにかつてのような生気が宿り、少なくても今よりはお金を出して
音楽を買う人が多くなると思います。

ちょっと話の方向が変化しちゃってすみませんm(_ _)m

by ぽぽんた (2019-04-24 23:22) 

もっふん

ぽぽんたさん、こちらでもこんにちは。

なんだか難しい細道に迷い込んで、本来コンポーザーが背負うべきもの以上の物をご自分やご自分を取り巻く制作環境に求めると言う、非常にしんどい状況に陥っておられるようにも読めてしまいますね。

私には作り手以上にリスナーの変質の方が大きな原因であって、ともすれば制作サイドの精神論や根性論に流れてしまいがちではあるけれども、それだけで解決できる問題ではないようにも思っています。

昨年「Lemon」と言う曲で紅白に出た米津玄師さんの場合、聴いて貰えれば分かる通りぽぽんたさんの言葉に沿って言えば、いかにも「どうせまた打ち込みでしょ」な楽曲なんですよね。

しかしてこの「Lemon」、オリコンのカラオケランキングでは52週間(=丸一年)第一位の歴代新記録、CDとダウンロードで平成生まれアーチストとして初の300万セールス(平成年間の楽曲としてもサザンの「TSUNAMI」、SMAP「世界に一つだけの花」に次ぐ)、Youtube の PV は3億再生突破、と、これを大ヒットと言わずして何が大ヒットなのかと言う曲でもあるのです。昭和の時代にトリプルミリオン売れたらこれはエラい騒ぎになっていたはずです。

がしかし、中高年以上の、特に男性においては「米津玄師」と言う名前すら読めない人が大勢います(と言う事を一応過去に歌番組を持っていたダウンタウンの浜田雅功さんが言ったところネットに賛同する声が溢れたそうです)。

これはぽぽんたさんの考える「ヒット」とはどこか異なる現象ではありませんか?

彼が今年の年初からのツアーでは8都市16公演で17万人以上動員した、との話を聞いて、K-POPが日本進出を考える時の目安を思い出しました。

曰く、「10万人のコアなファンがいれば日本各地のドームで満員のコンサートが出来る」。そう、コアなファンは複数の都市をまたいで追っかけをやってくれるからです。そしてそれ以上にファン層を広げる事は労に見合わないので考えないのだそうです。米津さんの場合も「追っかけ」と言う存在を考慮するならばビジネスの規模はほぼ同じようなものだったかも知れません。

つまり、ある年齢、ある性別、SNSと紐付けされた何らかの特性などでカテゴライズされた「限られた人たち」と言うコップの中で嵐を起こすのが、現在のJ-POPシーンでヒットすると言う事になってしまっているのです。

星野源さんの「恋」は「恋ダンス」がブームになりました。AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」では職場の同僚や趣味の仲間たちが振り付けを踊った動画がたくさん Youtube にアップされましたし、音源のセールスも好調でした。ベース漫談のはなわさんが歌った「お義父さん」も人口に膾炙しました。

キワモノを避けて王道を行く人を挙げるならば、コンサートが毎度毎度オーバーヒートする X-JAPAN や B'z ですら、国民的大ヒットと呼べるような曲をどれだけ持っているでしょうか。若者の絶大な支持を得ている ONE OK ROCK は、若者以外ではどうでしょう。

器の大小はあれども、私にはいずれもコップの中の嵐に見えるのです。むしろ「コップの中=分かる人」だけがわかると言う一種の選民思想が、彼ら彼女らをあそこまで熱狂させるのではないでしょうか。

DAWの功罪はいろいろあると思いますが、作家予備軍のパイが物凄く大きくなった事、コネも設備も無くてもそこそこ完成度の高い音楽が作れてしまうようになった事で、レコード会社が「アーチストを育てる」と言う事をやめてしまった事が非常に大きいと感じられます。

その兆候は過去のヒット曲を集めたいわゆるコンピレーションアルバムであるとか、これまたそこそこ力のある誰かが歌えば売れるに決まっている過去の名作のカバーを集めたアルバムなどにレコード会社が傾倒し、新人に投資するよりも簡単に目先の売上を得る方向にビジネスの向きを変えて行った頃ですから、2000年代前半、下手をすると'90年代には既にそういう体質に変化しつつあったのかも知れません。

DAWのもう一つのインパクトは、滅茶苦茶凝った、ギミック満載の楽曲が作れてしまうようになった事にもあります。どういう事かと言うと、レコードどころかテレビでもオケでは再現できずカラオケテープを流すのが当たり前の風潮を生んだと言う事です。昭和の時代の歌番組はレコードとは異なるアレンジや楽器配分である事が暗黙の了解で、レコードのサウンドを重んじる人にとっては偽物でしかなかったわけですが、それでもあれは生身の人間が演奏していたと言う意味では「ライブ」であったのだと思います。

今はサザンクラスのアーチストでもCDの売上には期待できず、ひたすら収入源はライブ、しかもチケットではなく会場の物販頼みと言う話すら聞きます。

「テレビの前のお茶の間」が無くなった現在、多くの普遍的な大衆の心に音楽を届けるためには、工夫して越えて行かなければならないハードルがたくさんあります。

コンペが可能性の芽を潰していると思うのであればインディーズレーベルで、破綻スレスレの高度な音楽的技術の協奏をアピールするのであればライブ活動で。

しかし何よりも、最終的に楽曲をリスナーの耳に届ける役目である歌い手さんを、どうやって選んでどのように育てる(=プロデュースする)のか。

作り手の出来る事は、切れば血が出るような鮮烈な作品を作り上げる事に尽きますが、それだけでは無理、とは言わないものの、大変難しい世の中である事は間違い無いと思います。

非常に安直な事を言ってしまえば、Youtube でどれだけ再生数を稼げるかを考えるのが、陳腐なようでいて現在の王道なのかも知れません。
_
by もっふん (2019-04-30 10:00) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは! お返事が遅れてしまい申し訳ありません。

もう一つの記事に戴いたコメントを含め、満足なお返事を書く十分な時間が取れない状態
なのですが、なるべく近いうちに書かせて頂きます。

ただ一つだけ明言しておきたいのですが、私自身は全く「しんどい状態」からは程遠い、
あくまでマイペースで考え、行動していますので、ご安心下さい(^^)

by ぽぽんた (2019-05-03 23:14) 

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