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兄とベンチャーズ&洋楽

今回はこのブログの本来のテーマから外れますm(_ _)m


全くの私事で恐縮なのですが、この6月下旬、実の兄が急逝しまして…。
学年で言うと4年違いの二人兄弟でした。

私が小学4年、兄が中学2年の時(1971年)に離れと言う形で子供部屋ができまして、
と言ってもプレハブで4畳半ばかりの広さでしたが、
そこに2段ベッドと3点セットのセパレートステレオ、そして学習机2つを置き、
家にいる時は食事の時以外はその部屋で過ごす時間が多くなりました。

私は歌謡曲、そして兄は洋楽が好きだったのですが、「ぼくこれ聴きたい!」
「オレはこっちが聴きたいんだよっ!」などとケンカする事は一切なく、
同じ部屋でそれぞれが買ったレコードで一緒に音楽を聴いていたものでした。
今思うと、ちょっと不思議。

中でも、兄がその当時から亡くなるまで、ずっと大ファンだったのがザ・ベンチャーズ。
子供部屋が出来た年に父が兄をベンチャーズの来日公演に連れて行ったのがきっかけで、
それからは小遣いをもらうたびにベンチャーズのLPレコードを買っては、
何度も何度も聴いていました。

他にも当時ヒットしていた洋楽のシングルを月に1~2枚くらいのペースで買って来て、
たまにサイモンとガーファンクルなどのLPも買って来て、
それらすべて、私も一緒に聴いていたんですね。

当時聴いていたシングルは…「サマー・クリエイション」(ジョン・シェパード)、
「マミー・ブルー」(ポップ・トップス)、「名前のない馬」(アメリカ)、
「バタフライ」(ダニエル・ジェラール)、「スーパースター」(カーペンターズ)、
「恋のかけひき」(ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ)、
「悲しきジプシー」(シェール)、「シェリーに口づけ」(ミッシェル・ポルナレフ)、
「シーモンの涙」(イングランド・ダンとジョン・フォード)、
「黒い炎」(チェイス)、「メタル・グウルー」(T.レックス)、
「うつろな愛」(カーリー・サイモン)、などなど…
この他、1981年くらいまで兄が買ったシングルは、今は私がすべて所有しています。

歌謡曲が好きだった私が洋楽も好きになったのは明らかに兄の影響ですし、
ベンチャーズについてはほとんど刷り込みと言って良いほどで、
あまり知られていないアルバム曲なども記憶に焼き付けられています。
自分で作ったつもりの曲が、よく考えてみるとベンチャーズのアノ曲そっくりだった…
なんて悪影響があるほど…(-_-メ)

逆に兄の方が私が買って来るシングル盤を気に入る事も時々あって、
中でも一番印象の残っているのが「あの鐘を鳴らすのはあなた」(和田アキ子)。
2012年6月のブログ記事にもチラッと書いた事ですが、詳しくは…

私は当時アコのファンで、その曲も1972年3月の発売直後に買ったのですが、
それから間もない日曜の午前、私が町に買い物に行く時に兄が「レコード貸して」
と言うので貸すと、すぐに聴き始め、1時間くらいして帰って来るとまだ聴いていたんです。
きっと20回近く繰り返し聴いていたのでしょう。
そんな感じで、洋楽・歌謡曲問わず、気に入ると何度でも聴き入る、
音楽を作る側の人からするととても嬉しいタイプの音楽好き、でした。


歌謡曲ファンの方ならどなたもご存知と思いますが、当時、ベンチャーズは歌謡曲歌手に
多くの曲を提供していて、「ベンチャーズ歌謡」などと呼ばれていました。

中でも大ヒットしたのが「二人の銀座」(山内賢・和泉雅子)、「北国の青い空」(奥村チヨ)、
「京都の恋」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)と言ったところかな。

そこそこのヒットだったのが「さすらいのギター」(小山ルミ)、
山口百恵さんが「スター誕生!」で歌った事でも知られる「回転木馬」(牧葉ユミ)。
あまりヒットしなかったものの、個性的な楽曲・歌唱で私の記憶に強く残っているのが
「あの人はいま札幌」(李朱朗)…だったりします。

そのどれもがベンチャーズ自身も演奏していて、それが入ったレコードもいち早く、
何度も聴いたものです。
しかし、歌手が歌いやすくする都合上か、また独自の味も加える意図もあってか、
ベンチャーズのバージョンを聴くと「あれ?何だかメロディーが違うな」と、
違和感を覚える事も少なくありませんでした。

それを特に感じたのは「さすらいのギター」かな。
出だしの ♪…奪われた私♪ のメロディーが、小山ルミ版では
レ#ミソ#ドーシレドーラー
なのですが、本家ベンチャーズ版は
レ#ミソ#ドーシドシーラー
なわけです。

譜割り(メロディーへの歌詞の当てはめ方)などのためにある程度、
オリジナル(ベンチャーズ版)に較べメロディーが詰められたり間を入れたりする
のは仕方ないと思うのですが、
この曲の場合、メロディーの音階まで「変えて」しまっているわけで、
何か問題が起きたりしなかったのかな、と今も時々考えます。

それはともかく…

兄と私は性格がまるで違う事もあり、兄弟仲は決して良くはありませんでした。
特に私が千葉に移住してからは連絡を取り合う事もあまり無かったのですが、
4年前の今頃、突然ソニーのポータブルアンプとヘッドホンを送って来たんですね。
それも、私自身では手を出さないほど高級なモデルでした。
誕生日のプレゼントだったようです。

それ以後もBOSEのワイヤレスイヤホンとかOPPOのヘッドホンアンプとか、
予想もしない物を送ってきてくれました。
このブログを読んでくれたりはしていたようで、たまにメールで音楽関係の話などを
するようになっていたからか、応援の意味でプレゼントしてくれたようです
(兄は何も言わなかったので、推測ですが)。

昨年からはLINEでも連絡を取り合う(と言っても数ヶ月に一度でしたが)ようになり、
兄は子育ても終わり孫も生まれたりしたのでそろそろ仕事を離れ、
旅行や趣味などを楽しんでいくのだろうな、思っていた矢先…でした。
5年前の秋に会った時に、それが最後になるとは全く、かけらも思いませんでした。


職場の昼休みに訃報を受け、すぐに早退しました。
その日は結局何もする事ができず、部屋で兄からもらったポタアン、ヘッドホンを使い、
ベンチャーズを続けて聴いていました。

ベンチャーズはそのかなりの曲を再録音しているのですが、
私が兄に聴かされ、体に染み付いてしまったのは皆、オリジナルのバージョンです。
どれも聴き馴染みの度合いが驚くほど高く、ギター以外のパートまで憶えている曲が
ほとんどでした。
知らない間に、それが私の音楽人生の土台の大きな一部分となっていたんだなぁ…
と思い知りました。

兄はきっと、1971年以降は来日のたび1、2回は必ず足を運んでいた
ベンチャーズのコンサートに行けなくなるのをとても残念がっている事でしょう。


まだまだ、兄がいなくなった事を素直に受け止められていない私です。
亡くなってやっと、私の中で大きな存在だった事がわかるのも皮肉なものです。


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