考察・天地真理
またまたのお久しぶりです。
今はこのあたり、桜が満開です(^^)
今回は初の試みで、文体を変えて書きました。
えらそーに思えたらスミマセンm(_ _)m
(文中、すべて敬称略です)
*************************************************
ピンク・レディーやキャンディーズ、山口百恵に桜田淳子…
70年代に人気を博したこういったアイドル歌手は、なぜ今の時代でも忘れられないのだろう。
そう考えた時、その原点に最も近いのが前回採り上げた南沙織、そして天地真理ではないだろうか。
今回は天地真理について、特定の楽曲ではなく一人の歌手としてどうだったのか、
ファン目線で考察してみたい。
プロフィール的なものはネット等で調べればいくらでも出てくるので、ここでは触れない。
**************************************************
実質的に、天地真理がアイドル歌手として活躍していたのはデビュー曲「水色の恋」から、
13作目のシングル「愛のアルバム」までであろうと、筆者は思っている。
14作目の「初めての涙」は1975年夏のミュージカル「君よ知るや南の国」の演目中の曲であり、
この頃からアイドルから本格的な歌手活動に移行していったように感じられるからである。
同時に人気が急激に落ちていったのは、ファンとしては今もやるせない気持ちにさせられるが…。
ドラマ「時間ですよ」(TBS)ですでに広く知られていた天地真理のレコード歌手としてのデビューは
1971年10月1日。
すでに人気者であった事もあり、デビュー曲「水色の恋」はオリコンシングルチャート最高2位、
27週チャートインの大ヒットを記録する(チャートイン週数はこの曲が全シングル中で最長)。
国立(くにたち)音楽大学付属高校で声楽を学んでいた天地の歌唱は、この曲からほぼすべての楽曲で
ファルセット(裏声)での歌唱で一貫しており、レコード化された音源で地声で歌われているのは、
先述のミュージカルで披露された「気が合う同志」だけである。
「水色の恋」から「愛のアルバム」まで(全シングルを通してもほぼ同じ)での天地の声域は、
下のA♭(「ひとりじゃないの」等)から上のD(「愛のアルバム」等)までの1オクターブ+4度半と、
決して広い方ではない。
しかしやわらかくクセの少ない音色で、聴く者に安心感や安らぎを与える声質と言える。
声楽を学んでいたわりには声量が大きい方ではなく(実際はかなりセーブしていたものと思われるが
数年後、本来の声量が発揮される…それは後ほど)、
周期がごく短く振幅の小さい、転がるようなちりめん風のビブラートをかける歌い方が大きな特徴だった。
その声質と、楽譜をそのまま素直に歌にするような歌唱法が広く受け入れられた結果、
人気の急上昇で慌てて即席に作られたようなデビューアルバム「水色の恋/涙から明日へ」が、
デビュー翌年の1972年の2月から6月にかけてオリコンアルバムチャートの1位をほぼ独走した。
当時、人気歌手でもアルバムは10万枚も売れれば大ヒットだったが、
「水色の恋/涙から明日へ」は26.1万枚の売り上げを記録し、チャートイン週数は40週に達した。
**************************************************
例えば松田聖子だとシングル曲はほぼ全部が長調、
山口百恵や中森明菜のそれは大部分が短調と偏りがちなのだが、
天地真理のシングルA面曲は長調・短調の配分のバランスが良かった。
・長調… 水色の恋 ひとりじゃないの 虹をわたって ふたりの日曜日 恋する夏の日
空いっぱいの幸せ 恋と海とTシャツと
・短調… 若葉のささやき 恋人たちの港 想い出のセレナーデ 木枯らしの舗道
愛のアルバム
・平行調で短調→長調… ちいさな恋
「想い出のセレナーデ」以前の短調の楽曲は、メロディーには短調らしい哀愁があるものの、
歌詞の内容はほぼハッピーなのが天地らしさの一つとも言える。
それは恐らく所属事務所の意向であったのだろうが、
楽曲面から見た場合、「天地真理は明るいだけ」のイメージにシフトしてしまったのが、
人気失速の原因の一つだったと言えなくもない。
初期の「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」あたりまでは、
明るいながらもどこか哀愁を感じさせる流れも感じられる作りであるのだが
(具体的には、特に森田公一作曲ではコードに対して6度の音が随所に使われている)、
平尾昌晃作曲でオリコンで1位を穫れなかった「ふたりの日曜日」以降、
次作の「若葉のささやき」の哀愁路線後はひたすら「明るい」イメージを維持させる作りになっていった。
その「若葉のささやき」の頃から天地の歌唱法に変化が出てきた。
それまでのちりめん風ビブラートから、周期がやや長く深めのビブラートに変わってきたのだ。
同時に声量も変化し、「恋と海とTシャツ」の歌い終わりにつくハーモニーでは、どの曲の歌メロにもない
上のE♭まで達する高音と、それまでになかったような明るく力強い声が聴ける
(オリジナル・カラオケで聴くとさらによくわかる)。
天地真理のシングルA面曲のキーは
「水色の恋」E、「ちいさな恋」Am→A、「虹をわたって」B♭、「ふたりの日曜日」F、
「若葉のささやき」B♭m、「空いっぱいの幸せ」G、「恋人たちの港」Em、
「想い出のセレナーデ」E♭m、「木枯らしの舗道」B♭m、「愛のアルバム」F#m
とバラバラと言って良く、曲調のバラエティに富んでいたと言える。
しかし1972年から3年続けて、夏発売のシングルは同じ作曲家で同じキー(A♭)である
(「ひとりじゃないの」「恋する夏の日」「恋と海とTシャツと」…森田公一作曲)。
森田公一は天地の他の曲も書いているが、夏向けには何か秘策めいたものがあったのだろうか。
**************************************************
シンセサイザーがまだ一般的でなかった時代、歌謡曲においてはストリングスのサウンドが
楽曲のイメージ付けに大きな役割を担っていた。
天地真理の楽曲も例外ではなく、デビュー曲から森岡賢一郎、馬飼野俊一、竜崎孝路と言った
ストリングスのアレンジに長けた編曲家が中心になり、
天地のやわらかな声質を際立たせるようなサウンドを構築していた。
それが目立ち始めたのはシングル4作目「虹をわたって」からで、
歌とストリングスが交互に目立つような作りになっている。
ストリングスならではの「駆け上がり」と呼ばれる奏法は殆ど使われず、
あくまでも主役を天地に据えながら、音楽として楽しく聴けるように作られているのだ。
ストリングスが最も目立つのは6作目「若葉のささやき」で、
編曲の竜崎孝路はこの曲で1973年の日本レコード大賞編曲賞を受賞しているが、
筆者は個人的に、この曲のアレンジはちょっと頑張り過ぎのように聴こえてしまう。
特にサビの ♪愛は喜び それとも涙♪ の部分などはバイオリンの音が目立ち過ぎ、
ややうるさくも感じてしまうのだ。
同じ事が12作目の「木枯らしの舗道」でも言える。
この曲の編曲は当時キャンディーズも担当していた穂口雄右だが、
12弦ギターとストリングスが同時に鳴っていて少々しつこく感じる部分があったり、
2コーラス目が終わってからのハーフでストリングスが歌の邪魔をしているようだったりと、
ミキシングのバランスも含め少々残念な仕上がりである。
傑作アレンジと思えるのが7作目「恋する夏の日」と、
11作目の「想い出のセレナーデ」。
「恋する夏の日」でストリングスが主メロを演奏する部分がなくバックで流れ作りに徹しているが、
特に高音域はほぼ限界の高さの音まで用いて夏のイメージを強調していたり、
♪愛することを はじめて知った♪ ではピチカート奏法で歌メロと対位法を形成していたり、
さらに天地の曲では珍しい派手な駆け上がりを使って緊張感を煽ったりと、
適所に聴かせどころを設けたアレンジは恐らく、レコードの売り上げアップにも貢献していそうだ。
「想い出のセレナーデ」についてはこのブログでも以前書いた事だが、
ストリングスには定評のあるマントヴァーニが採り入れた事で知られる
「カスケーディング・ストリングス」のテクニックを応用した、
波が次々に押し寄せるようなサウンドを歌謡曲で聴けると言う、かなり画期的なアレンジ、楽曲である。
このアレンジは「若葉のささやき」と同じ竜崎孝路であり、
やはり特にストリングスのアレンジについて造詣の深い人物である事が伺える。
**************************************************
天地真理と聞くと弾むようなリズムの曲をイメージする人も多いのではないだろうか。
確かに「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「若葉のささやき」などは
「弾むような」シャッフルのリズムで大ヒットした楽曲だが、
「ふたりの日曜日」は16ビート、「木枯らしの舗道」はワルツ、
そのほかはややアップテンポな8ビートであるのがほとんどで、「弾むような」曲は意外と少ない。
先述のように長調の曲と短調の曲が数曲ずつある事を見ても、
ただ楽しいだけではない、万人の鑑賞に耐えうる楽曲が多い事がわかる。
**************************************************
歌謡曲でレコードが売れる要素の一つがボーカルのサウンド。
天地真理が活躍した70年代前半では、ボーカルのサウンド作りは
二重三重にしてコーラス効果を付加するか、イコライザーで音色を変えるか、
エコーやリバーブを工夫するか、またはそれらを組み合わせる事で行われていた。
天地真理は、シングルA面曲で一人二重唱が用いられている曲は「恋と海とTシャツと」だけであり、
ユニゾンで一人二重唱が使われているのは皆無である(B面ならば「風を見た人」で聴ける)。
それは、天地真理はファルセット唱法であり、地声と比べると倍音成分が少ないため、
声を二重三重にしても効果的ではないためであろう。
その代わりテープを使ったエコーとの相性は抜群で、
「ふたりの日曜日」「恋する夏の日」ではそれが成功しエコー音がボーカルの一部に、
そしてアレンジの一部となり全体のサウンドイメージ作りに貢献している。
**************************************************
天地真理は1977年に休業、1979年に復帰したが、
復帰直前にレコーディングされファンクラブ会員を対象に配布されたと言う楽曲が
「夏を忘れた海」。
この曲は元々1972年12月に発売された天地真理4枚目のアルバム(ベストアルバムを除く)である
「明日へのメロディー」に収録されていたが、
ファンの間で人気の高い1曲だった。
筆者は1973年に放送された「ひるの歌謡曲」(NHK-FM)でこの曲を知り、
「シングル以外にもこんな良い曲があったのか」と驚いたものだ。
1979年の同曲は新アレンジ(編曲:戸塚修)での披露となったが、
それ以上に目覚ましかったのは天地の歌唱。
相変わらずのファルセット唱法ではあったが、その声量は以前の数倍とも感じられる、
それが天地の本来の歌唱であるとも思えるパワフルなものと変貌していた。
歌詞の内容もあり「歌い上げる」イメージの楽曲・歌唱ではないが、
以前よりも遥かに強い芯が感じられ、それでいて情感が豊かなその声に、
初めて聴いた時には驚愕したものだ。
と言っても筆者がその新録音バージョンを初めて聴いたのは、
2006年に発売されたボックスセット「天地真理プレミアム」を購入して、だったので、
もう何を言ってもすでに過去のものであり「今頃知っても遅い」状況であったのが、
何ともつらい思いにさせられた。
もったいない…。
**************************************************
しかし、である。
あれから40年以上経った今も、冒頭に述べたように、
天地真理と言う名前とそのいくつかの楽曲は、今も確かに生きている。
若い世代にも昭和歌謡が人気がある、と言うのも、どうやら本当らしい。
他のほとんどの歌手と同じように、天地真理の楽曲も本人と当時のスタッフ、
そして作家とのチームワークの産物なのである。
自分にとって最初のアイドルだったのに…。
そんな感情・感傷を外して改めて聴いてみたら、以前とは違った音に聞こえるかも知れない。
今はこのあたり、桜が満開です(^^)
今回は初の試みで、文体を変えて書きました。
えらそーに思えたらスミマセンm(_ _)m
(文中、すべて敬称略です)
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ピンク・レディーやキャンディーズ、山口百恵に桜田淳子…
70年代に人気を博したこういったアイドル歌手は、なぜ今の時代でも忘れられないのだろう。
そう考えた時、その原点に最も近いのが前回採り上げた南沙織、そして天地真理ではないだろうか。
今回は天地真理について、特定の楽曲ではなく一人の歌手としてどうだったのか、
ファン目線で考察してみたい。
プロフィール的なものはネット等で調べればいくらでも出てくるので、ここでは触れない。
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実質的に、天地真理がアイドル歌手として活躍していたのはデビュー曲「水色の恋」から、
13作目のシングル「愛のアルバム」までであろうと、筆者は思っている。
14作目の「初めての涙」は1975年夏のミュージカル「君よ知るや南の国」の演目中の曲であり、
この頃からアイドルから本格的な歌手活動に移行していったように感じられるからである。
同時に人気が急激に落ちていったのは、ファンとしては今もやるせない気持ちにさせられるが…。
ドラマ「時間ですよ」(TBS)ですでに広く知られていた天地真理のレコード歌手としてのデビューは
1971年10月1日。
すでに人気者であった事もあり、デビュー曲「水色の恋」はオリコンシングルチャート最高2位、
27週チャートインの大ヒットを記録する(チャートイン週数はこの曲が全シングル中で最長)。
国立(くにたち)音楽大学付属高校で声楽を学んでいた天地の歌唱は、この曲からほぼすべての楽曲で
ファルセット(裏声)での歌唱で一貫しており、レコード化された音源で地声で歌われているのは、
先述のミュージカルで披露された「気が合う同志」だけである。
「水色の恋」から「愛のアルバム」まで(全シングルを通してもほぼ同じ)での天地の声域は、
下のA♭(「ひとりじゃないの」等)から上のD(「愛のアルバム」等)までの1オクターブ+4度半と、
決して広い方ではない。
しかしやわらかくクセの少ない音色で、聴く者に安心感や安らぎを与える声質と言える。
声楽を学んでいたわりには声量が大きい方ではなく(実際はかなりセーブしていたものと思われるが
数年後、本来の声量が発揮される…それは後ほど)、
周期がごく短く振幅の小さい、転がるようなちりめん風のビブラートをかける歌い方が大きな特徴だった。
その声質と、楽譜をそのまま素直に歌にするような歌唱法が広く受け入れられた結果、
人気の急上昇で慌てて即席に作られたようなデビューアルバム「水色の恋/涙から明日へ」が、
デビュー翌年の1972年の2月から6月にかけてオリコンアルバムチャートの1位をほぼ独走した。
当時、人気歌手でもアルバムは10万枚も売れれば大ヒットだったが、
「水色の恋/涙から明日へ」は26.1万枚の売り上げを記録し、チャートイン週数は40週に達した。
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例えば松田聖子だとシングル曲はほぼ全部が長調、
山口百恵や中森明菜のそれは大部分が短調と偏りがちなのだが、
天地真理のシングルA面曲は長調・短調の配分のバランスが良かった。
・長調… 水色の恋 ひとりじゃないの 虹をわたって ふたりの日曜日 恋する夏の日
空いっぱいの幸せ 恋と海とTシャツと
・短調… 若葉のささやき 恋人たちの港 想い出のセレナーデ 木枯らしの舗道
愛のアルバム
・平行調で短調→長調… ちいさな恋
「想い出のセレナーデ」以前の短調の楽曲は、メロディーには短調らしい哀愁があるものの、
歌詞の内容はほぼハッピーなのが天地らしさの一つとも言える。
それは恐らく所属事務所の意向であったのだろうが、
楽曲面から見た場合、「天地真理は明るいだけ」のイメージにシフトしてしまったのが、
人気失速の原因の一つだったと言えなくもない。
初期の「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」あたりまでは、
明るいながらもどこか哀愁を感じさせる流れも感じられる作りであるのだが
(具体的には、特に森田公一作曲ではコードに対して6度の音が随所に使われている)、
平尾昌晃作曲でオリコンで1位を穫れなかった「ふたりの日曜日」以降、
次作の「若葉のささやき」の哀愁路線後はひたすら「明るい」イメージを維持させる作りになっていった。
その「若葉のささやき」の頃から天地の歌唱法に変化が出てきた。
それまでのちりめん風ビブラートから、周期がやや長く深めのビブラートに変わってきたのだ。
同時に声量も変化し、「恋と海とTシャツ」の歌い終わりにつくハーモニーでは、どの曲の歌メロにもない
上のE♭まで達する高音と、それまでになかったような明るく力強い声が聴ける
(オリジナル・カラオケで聴くとさらによくわかる)。
天地真理のシングルA面曲のキーは
「水色の恋」E、「ちいさな恋」Am→A、「虹をわたって」B♭、「ふたりの日曜日」F、
「若葉のささやき」B♭m、「空いっぱいの幸せ」G、「恋人たちの港」Em、
「想い出のセレナーデ」E♭m、「木枯らしの舗道」B♭m、「愛のアルバム」F#m
とバラバラと言って良く、曲調のバラエティに富んでいたと言える。
しかし1972年から3年続けて、夏発売のシングルは同じ作曲家で同じキー(A♭)である
(「ひとりじゃないの」「恋する夏の日」「恋と海とTシャツと」…森田公一作曲)。
森田公一は天地の他の曲も書いているが、夏向けには何か秘策めいたものがあったのだろうか。
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シンセサイザーがまだ一般的でなかった時代、歌謡曲においてはストリングスのサウンドが
楽曲のイメージ付けに大きな役割を担っていた。
天地真理の楽曲も例外ではなく、デビュー曲から森岡賢一郎、馬飼野俊一、竜崎孝路と言った
ストリングスのアレンジに長けた編曲家が中心になり、
天地のやわらかな声質を際立たせるようなサウンドを構築していた。
それが目立ち始めたのはシングル4作目「虹をわたって」からで、
歌とストリングスが交互に目立つような作りになっている。
ストリングスならではの「駆け上がり」と呼ばれる奏法は殆ど使われず、
あくまでも主役を天地に据えながら、音楽として楽しく聴けるように作られているのだ。
ストリングスが最も目立つのは6作目「若葉のささやき」で、
編曲の竜崎孝路はこの曲で1973年の日本レコード大賞編曲賞を受賞しているが、
筆者は個人的に、この曲のアレンジはちょっと頑張り過ぎのように聴こえてしまう。
特にサビの ♪愛は喜び それとも涙♪ の部分などはバイオリンの音が目立ち過ぎ、
ややうるさくも感じてしまうのだ。
同じ事が12作目の「木枯らしの舗道」でも言える。
この曲の編曲は当時キャンディーズも担当していた穂口雄右だが、
12弦ギターとストリングスが同時に鳴っていて少々しつこく感じる部分があったり、
2コーラス目が終わってからのハーフでストリングスが歌の邪魔をしているようだったりと、
ミキシングのバランスも含め少々残念な仕上がりである。
傑作アレンジと思えるのが7作目「恋する夏の日」と、
11作目の「想い出のセレナーデ」。
「恋する夏の日」でストリングスが主メロを演奏する部分がなくバックで流れ作りに徹しているが、
特に高音域はほぼ限界の高さの音まで用いて夏のイメージを強調していたり、
♪愛することを はじめて知った♪ ではピチカート奏法で歌メロと対位法を形成していたり、
さらに天地の曲では珍しい派手な駆け上がりを使って緊張感を煽ったりと、
適所に聴かせどころを設けたアレンジは恐らく、レコードの売り上げアップにも貢献していそうだ。
「想い出のセレナーデ」についてはこのブログでも以前書いた事だが、
ストリングスには定評のあるマントヴァーニが採り入れた事で知られる
「カスケーディング・ストリングス」のテクニックを応用した、
波が次々に押し寄せるようなサウンドを歌謡曲で聴けると言う、かなり画期的なアレンジ、楽曲である。
このアレンジは「若葉のささやき」と同じ竜崎孝路であり、
やはり特にストリングスのアレンジについて造詣の深い人物である事が伺える。
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天地真理と聞くと弾むようなリズムの曲をイメージする人も多いのではないだろうか。
確かに「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「若葉のささやき」などは
「弾むような」シャッフルのリズムで大ヒットした楽曲だが、
「ふたりの日曜日」は16ビート、「木枯らしの舗道」はワルツ、
そのほかはややアップテンポな8ビートであるのがほとんどで、「弾むような」曲は意外と少ない。
先述のように長調の曲と短調の曲が数曲ずつある事を見ても、
ただ楽しいだけではない、万人の鑑賞に耐えうる楽曲が多い事がわかる。
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歌謡曲でレコードが売れる要素の一つがボーカルのサウンド。
天地真理が活躍した70年代前半では、ボーカルのサウンド作りは
二重三重にしてコーラス効果を付加するか、イコライザーで音色を変えるか、
エコーやリバーブを工夫するか、またはそれらを組み合わせる事で行われていた。
天地真理は、シングルA面曲で一人二重唱が用いられている曲は「恋と海とTシャツと」だけであり、
ユニゾンで一人二重唱が使われているのは皆無である(B面ならば「風を見た人」で聴ける)。
それは、天地真理はファルセット唱法であり、地声と比べると倍音成分が少ないため、
声を二重三重にしても効果的ではないためであろう。
その代わりテープを使ったエコーとの相性は抜群で、
「ふたりの日曜日」「恋する夏の日」ではそれが成功しエコー音がボーカルの一部に、
そしてアレンジの一部となり全体のサウンドイメージ作りに貢献している。
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天地真理は1977年に休業、1979年に復帰したが、
復帰直前にレコーディングされファンクラブ会員を対象に配布されたと言う楽曲が
「夏を忘れた海」。
この曲は元々1972年12月に発売された天地真理4枚目のアルバム(ベストアルバムを除く)である
「明日へのメロディー」に収録されていたが、
ファンの間で人気の高い1曲だった。
筆者は1973年に放送された「ひるの歌謡曲」(NHK-FM)でこの曲を知り、
「シングル以外にもこんな良い曲があったのか」と驚いたものだ。
1979年の同曲は新アレンジ(編曲:戸塚修)での披露となったが、
それ以上に目覚ましかったのは天地の歌唱。
相変わらずのファルセット唱法ではあったが、その声量は以前の数倍とも感じられる、
それが天地の本来の歌唱であるとも思えるパワフルなものと変貌していた。
歌詞の内容もあり「歌い上げる」イメージの楽曲・歌唱ではないが、
以前よりも遥かに強い芯が感じられ、それでいて情感が豊かなその声に、
初めて聴いた時には驚愕したものだ。
と言っても筆者がその新録音バージョンを初めて聴いたのは、
2006年に発売されたボックスセット「天地真理プレミアム」を購入して、だったので、
もう何を言ってもすでに過去のものであり「今頃知っても遅い」状況であったのが、
何ともつらい思いにさせられた。
もったいない…。
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しかし、である。
あれから40年以上経った今も、冒頭に述べたように、
天地真理と言う名前とそのいくつかの楽曲は、今も確かに生きている。
若い世代にも昭和歌謡が人気がある、と言うのも、どうやら本当らしい。
他のほとんどの歌手と同じように、天地真理の楽曲も本人と当時のスタッフ、
そして作家とのチームワークの産物なのである。
自分にとって最初のアイドルだったのに…。
そんな感情・感傷を外して改めて聴いてみたら、以前とは違った音に聞こえるかも知れない。
ぽぽんたさん、暫くでした。お変わりありませんでしょうか。此方は遂に中国発流行り病(つまりはコロナ)に掛かっててしまい、あれほど気を付けて居たにも関わらず一気に気力が失せてしまいました。>.<
しかも、ちゃんと病院にも行き、薬も処方して貰ってるんだけど一週間以上経つと言うのに怠さ、めまい、時々咳に苛まれてほぼ床に伏せておりまする。食欲も殆どありません。
ぽぽんたさん始め、此処に集う皆様、未だまだ油断は出来ません、それぞれにお気を付けてくださいね。
さて、天地真理ですが、偶然にも此処数日YouTubeで動画観てました!
先日「明日へのメロディ」を何となく聴いてみたくなり、LPで聴いてて、ちょっと感動してたばかりなので。
当時、「アタック真理ちゃん」か何か自身の番組でこのアルバム曲歌ってるのを少し前にYouTubeで観ました。
個人的には矢張り以前と変わらず「明るい表通り」にいちばんトキメキます。今回の視聴のキッカケは、YouTubeでオススメに出て来た、1973年1月25日にその僅か23日前に世界タイトルを取ったばかりのチャンピオンのまま自業自得とは言え、不遇の事故死を遂げた大場政夫(プロボクサー享年23歳)の動画が出て来た事でした。俺がこの人の存在とその事故死を知ったのは、1984年の深夜に聴いてたラジオ番組で、或る時制にスポットを当てて、その時期の出来事とか挙げて、その時期に流行って居た曲を何曲か流すという様なコーナーが有り、丁度1973年の1月にスポットを当てた週の放送だったんですね。「喝采」「あなたへの愛」「ふたりの日曜日」「女の子なんだもん」「カリフォルニアの青い空」「女のみち」等が掛かった様に憶えてます。特に「あなたへの愛」(沢田研二)と「カリフォルニアの青い空」(アルバート・ハモンド)、「ふたりの日曜日」はこの事故死の出来事とすっかりリンクしてしまいました。
でも、この事故死の日を調べると、知ってる限りでは「あなたにありがとう」(和田アキ子)やスタ誕初期デビューの「さすらい渡り鳥」(鷲と鷹)なんかがこの日発売日だったりします。
「ふたりの日曜日」は、自分の中でも、もしかしたらいちばん好きな天地真理ナンバーかも知れません。
あまり意識した事はありませんけど、何かの拍子、事ある毎に突然聴きたくなってしまう曲ですので。
しかし、今回、天地真理の様々な曲の歌唱動画を綺麗な映像で観るにあたり、もっと再評価されるべき人かな、と感じました。特に心を打ったのは「時間ですよ」のワンシーンで「恋はみずいろ」を白いギターで弾き語りしてた、その歌唱力でしたね。単に歌い踊るアイドルの楽曲とは完全に一線を引いてました。矢張り凄い!の一言です。
by 青大将 (2024-04-07 23:09)
ぽぽんたさん
こんにちは。
3ヶ月ぶりの更新でしたのでお元気そうで安心しました。
天地真理さんの考察、脱帽です!もうこれ以上私から何か言う必要もないですし、口を開くと「たられば」的な内容になってしまうので、控えたいと思いますが、少し今まで書いてこなかった思いを書きたいと思います。少したられば的な内容にはなってしまいますが。。
真理さんの人気のピークは1973年でした。
平凡の人気投票でダントツの1位。
その票数は86,974。2位のアグネスの2.5倍以上でした。
それが1974年になると6位にランクインはしているものの得票数はなんと8,183。1/10に以下になってしまったわけです。総投票数も減っているらしいので、単純な比較はできないものの激減したことは事実。
その理由は、レコードの売り上げの減少、山口百恵の台頭、根も歯もないスキャンダル、社会背景などいろいろだと思います。ただ、私が思うに、デビューから人気を支えていた中高生や大学生が大人になり、天地真理人気を支えることになったのが小学生以下の子どもだけということになってしまったからではないかと。
で、ふと自分のことを考えると、74年はまだ自分もその小学生の「子ども」だったわけです。真理さんの大人への歌手を拒んだのは誰もでもない、その「子ども」の自分でした。記憶の中で一番鮮明なものは、「とび出せ!真理ちゃん」の最終回で歌ったタイガースの「君だけに愛を」を見た時でした。派手な真っ赤な衣装にGSロックサウンドを歌う姿に衝撃を受けました。それはもちろん悪い意味で。
当時は家庭用のVTRも普及してない頃なので、ただ一回だけ見たこの映像や歌声がずっと頭の中に残って、学校では次の新曲だなどと言うやつもいて、それだけは嫌だと本気で思ったものです。可愛い真理ちゃんでいてほしいというのは私だけではなく、当時の子どもたちの思いだったのではないでしょうか。
3年ほど前にようやく真理ちゃんシリーズが再放送されましたが、その際に約50年ぶりに見たこの「君だけに愛を」はやっぱりダメで、それには自分でも驚きでした。人気が凋落したあとにリリースされた曲もほぼ全部好きですが、リリース曲ではないものの、子どもの頃のある意味トラウマとなって、このカバー曲だけは自分で受け入れられないのだと感じます。ですのでYouTubeでも取り上げていません。
その後、「恋と海とTシャツ」とで「恋する夏の日」を彷彿とさせるサウンドで明るい姿で戻ってきましたが、続く「想い出のセレナーデ」では、涙を浮かべて歌うフォーク調の短調の曲。楽曲の良さとその涙の姿に魅せられましたが、その後は大人の歌手としての脱皮をはかっていったことで子どもの心は完全に離れていった、ということなのかなと考えます。そして大人の人気も戻ってこなかったことで人気がなくなってしまったのでしょう。
可愛い真理ちゃんでいて、という子どもだった自分のことは、今は仕方がないこと、と思いつつ、老人の域に入った今、偉そうに「たられば」を言える立場にはないのかもしれません。ただ、当時のことをきちんとした形で伝えたいという思いは強いものがあります。なので、自分は1971年から1976年までの天地真理だけを「天地真理」として考えています。そう考えることで、歌手・天地真理をちゃんとした形で保存できるからです。
当時瞬間風速的に吹いた天地真理の絶大なる人気は、続くほかのどんな人気歌手でもかなわないものでしたし、何より天地真理という歌手は素晴らしい作品に恵まれて、その作品を歌いこなし、コンサートでも本当に素晴らしい歌唱を聴かせた偉大な歌手だったと自信をもって言えるからです。
YouTubeでアップした動画を視聴しているのはやはり当時好きだった年代がほとんどですが。10代、20代の若い人たちがゼロではないので、松田聖子、中森明菜、ピンク・レディー、山口百恵よりも前にこんなすごい人、こんな可愛い人、こんな歌がうまい人がいたんだ、と一人でも多く思ってくれたらな、と思っています。
by widol (2024-04-08 09:21)
ぽぽんたさん、ご無沙汰しています。
今、若い人たちの間で昭和歌謡が大人気とよく聞きます。テレビでもよくやっていますが、例えば、昭和のアイドルというと80年代の人たちばかりがとり上げられているような気がします。聖子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョン他82年組などです。
70年代でとり上げられるのは太田裕美さん「木綿のハンカチーフ」、ピンクレディー、キャンディーズくらいでしょうか。
私はぜひ、70年代前半の真理さん、沙織さん、麻丘めぐみさん、アグネスなどをもっととり上げてほしいなといつも思っています。
「アイドル」というジャンルを確立したのは、間違いなく真理さんだと思っています。
中学生の時、真理さんの歌を聴いて、歌っている姿を見るだけでうれしくなったものです。
人気が落ちてきてからの「初めての涙」「さよならこんにちわ」なども好きでした。特に76年の「矢車草」が大のお気に入りで、真理さんの歌声、そしてトランペットのイントロや間奏がたまらなく好きでした。岩谷時子さんの詩だとさっき知りました。
もう半世紀も前のことですが、ほんとにもっと評価されていいなあと思っています。
by ゴロちゃん (2024-04-08 17:52)
青大将さん、こんにちは! お久しぶりです。
コロナですか…。 今もたまに感染の話を聞きますが、なかなか完全に消えませんね。
中国発であるのは間違いないのですから、全世界に賠償してもらいたいです。
注意していても罹ってしまうなんて、手の打ちようがないですし。
青大将さんの早い回復を願っています。 くれぐれも無理なさらないようして下さい。
「明日へのメロディー」は天地真理さんの、全曲オリジナルで構成された初めてのアルバムですね。
前作「虹をわたって」まではカバー曲が多くて、いかにも忙しいスケジュールをぬって制作された
感がありましたが、全作オリジナルとなるときっと、スタッフや真理さんの意気込みも違って
いたのでしょう。 ジャケットの写真も際立って素敵ですし(^^)
私が「サウンドインナウ」のカラオケコーナーを録音し始めたのも1973年1月でした。
その頃を思い出すと、一番に頭に浮かぶのが当時飼っていた犬と近くを散歩する光景です。
当時はもう熱心に毎週土曜は午後1時からFM東京を聴いていたので、挙げて下さった曲は
ほぼ全部、私の思い出の背景になっています。
鷲と鷹!懐かしい!男性二人組と言うのはスタ誕の歴史でも唯一ではないかな?
その頃って日本人も保守的でなくなってきて、どのような歌手が登場しても受け入れる、
そして良ければ応援すると言った空気が確立してきていた気がします。
私も当時「ふたりの日曜日」は大好きで、実はカラオケで歌って録音したカセット
(当然変声前です)を今も持っています(^^;)
近くのデパートで60円で買ったモノクロのプロマイドを、母に買ってもらった額に入れて
机の上に飾っていたほどの、天地真理さんのファンでした。
当時は「天地真理は歌がヘタ」と言う人が多かったんですよね。
確かにテレビでは結構、声が嗄れていた事が多かったので(疲れていたのでしょう)、
そう思った人が多かったのかも。
しかしレコードで聴くと、今も実に唯一無二の歌手であったのがわかります。
今の若い人にも、もっと聴いてもらいたいですね。
by ぽぽんた (2024-04-09 13:10)
widolさん、こんにちは! 読んで下さってありがとうございます。
うーん、お気持ちが本当に、よくわかります。
私も真理さんがデビューした頃には小学4年で、その翌年には夢中になっていました。
真理さんのレコードで初めて買ったのは「ちいさな恋」だったかな。
その後「虹をわたって」が入ったコンパクト盤を買ってもらいました。
当時のコンパクト盤って、シングル盤と値段は大きくは変わらないのに、
二つ折りの厚紙ジャケットに入っていた上に4曲も聴けたので、大好きでした。
ピンク・レディーもそうなのですが、天地真理さんもデビュー時は決して子供向けの歌手、
ではなかったんですよね。
「時間ですよ」の視聴層は高校生以上の大人が大半だったでしょうし、記事に書いたような
アルバムが長く売れたと言うのも、やはり当時のLPレコードは1800円から2000円と高価
でしたから(今の貨幣価値だと4000円くらいでしょうか)、
購買層はほぼ大人だっただろうと思います。
それが、特に1973年になった頃から子供にも人気が出てきて、やがて「真理ちゃん自転車」
を初めとする子供向けキャラクター商品が登場してきました。
子供に人気が出ても歌、特に歌詞が子供向けにならなかったのはピンク・レディーと
違うところですね。
ただイメージ的に、子供からの人気を意識するとどうしても明るい方向に行きますし、
そうなると大人のファンからすると物足りなくなっていき、離れてしまう。
そして子供もすぐ成長してやっぱり、離れてしまう。
それが、例に挙げて下さった平凡の人気投票に如実に顕れてしまった…
のではないでしょうか。
そうですね、当時の自分を考えるとやはり、いつも同じで明るい真理さんが好きでした。
これ、自分の身内に対してもそうなのですが、子供の頃って例えば、好きな人の
髪型がちょっと変わっただけでもかなりショックを受けて「前の方が良かったのに」
と悲しくなったりする事、ありますよね。
ましてやいきなりメイクが濃く大人っぽくなったりするともっとショックだったり。
何となく、それまでとは違う人のように感じてしまうんですね。
それと年明け効果、かな。
それまで大人気だった芸能人が年をまたぐといきなり人気が落ちるのは、
もう何人も見てきた気がします。
残念な事に、1974年の天地真理さんにはそれも当てはまってしまったようです。
天地真理さんの楽曲を作っていたのは、正式に音楽を学び世に出てすでに実績のあった、
超一流の作家ばかりです。
そんな懐の深い作家による楽曲を丁寧な歌唱で音源化した作品を、
今の若い人にもぜひ、もっと聴いてもらいたいものですね。
by ぽぽんた (2024-04-09 13:11)
ゴロちゃん、こんにちは!またまたお久しぶり、してしまいました(^^;)
そうそう、そうなんですよ! テレビで採り上げられる昭和歌謡って、
観ていると80年代ばかりなんですよね。
そして70年代の歌手が出てきても、いつも同じ曲ばかりで。
若い人から見たら、昔の歌手ってヒット曲がみんな1曲しかなかったのか?
って思われても仕方ない感じです。
そうなってしまうのは、今テレビ番組を作る人が皆若くて当時を知らないから、
なのでしょう。
しかし今はテレビよりもYouTubeなどのネット動画の時代なので、
関心さえ惹く事が出来れば、70年代、60年代の歌手の楽曲ももっと聴いたり広めたり
してくれるだろう、と思います。
天地真理さんの動画もYouTubeなどで多数観る事が出来ますが、
特に1973年あたりまでの映像では今も輝いてますよね。
当時の芸能人だけが持つ孤高感もしっかりあるので「スター感」も凄いですし。
もしかしたらすでにお持ちかも知れませんが、ゴロちゃんにはぜひアルバム
「小さな人生」を聴いて頂きたいです。
気に入って下さる曲、満載!と自信を持って言えます(^^)
そうですね、もう50年以上前なんですね、あの頃って。
音楽は当時の自分に戻してくれる…それを実感する今日この頃です。
by ぽぽんた (2024-04-09 13:11)
天地真理さん、最初に自転車が発売されたアイドルですね!
あ、あの姉の同級生のお母様のお話の続きですが、ぽぽんたさんには「どこへ行っても、自分の入ったところが一番いいんだよ!」って、励ましてくれる方は同級生のお母様でいらっしゃいましたでしょうか?
by Y (2024-04-22 15:20)