SSブログ

弘田三枝子さんの旅立ちに向けて

皆さま、ご無沙汰してます!

最近気づいたのですが、このブログ(ほかもそうかも知れませんが)って、
1ヶ月以上更新しないと広告が表示されるんですね。
それは非常に不愉快ですし、葉月は私の誕生月でもありますので、今日から再び更新を始めます(^^)

今後は、これまでのような楽曲解説(これって少々おこがましいとは思うのですが、
他に適切な単語が見当たらないので…)だけでなく、
特に歌謡曲の楽曲やサウンドについて私が気づいた事、そして皆さまにお知らせしたい事なども、
思いついたら書くというようにしていくつもりです。
なのでこれまでのような1週おきの日曜に…とかでなく、不定期な更新になると思いますが、
良かったら今後もお付き合い下さい。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ロダンの肖像.jpg
(私が最も好きなジャケット写真です)

先月(2020年7月)21日、歌手の弘田三枝子さんが心不全で亡くなりました。

今の若い年代の方々はあまり知らないと思いますが、我々の年代あたりまでは弘田三枝子と言えば
歌手の中でもビッグネームの一人であり、
歌声・楽曲は勿論、そのキャラクターや話題性などを含め一流と言える存在でした。

弘田三枝子さんは、レコード歌手としてのキャリアは東芝レコードから始まりました。
当時東芝のディレクターだった草野浩二氏によると、弘田三枝子さんと初めて顔を合わせたのが
1961年夏との事で、私が生まれたちょうどその頃だったんですね(^^)

しかし東芝には3年ほど在籍した後、コロムビアレコードに移ります。
東芝で弘田三枝子さんが抜けた穴を埋める存在となったのが奥村チヨさんでした。

コロムビアレコードでは、まず紅白出場曲となった「恋のクンビア」を経由し1967年(昭和42年)に
「渚のうわさ」を大ヒットさせました。
この曲は作曲家の筒美京平氏にとって初めてのヒット曲だそうで、
今から15年ほど前にBSフジで放送された「THE HIT SONG MAKERS」の筒美京平篇で、
弘田三枝子さんがこの曲をジャズっぽいアレンジで歌う場面がありました。

その後「枯葉のうわさ」「涙のドライヴ」「渚の天使」「可愛い嘘」とシングルを出しますが
ヒットと言える成績は残せず、「可愛い嘘」発売から約10ヶ月後の1969年7月にいよいよ
「人形の家」で(今で言う)センセーショナルなカムバックを果たします。

「人形の家」とそのあたりについてはこのブログでも以前に書いたので詳細はそちらに譲りますが、
その前のシングル4曲は今聴いてみても、どれも出来が良くて驚きます。
筒美京平氏が自身の、当時のサウンド志向をそのまま採り入れました…と感じられるものがあり、
技術的にも、例えばボーカルにディレイをかけて二重唱っぽくしたサウンドで話題になった
「涙の太陽」(安西マリア)よりも数年早く同じ効果を作り出していたり、
またそれ以外でもボーカルをかなりいじくり回したサウンドは大変楽しいもので、
未体験の方はぜひ、ご一聴をお勧めします。

でもあれですね、「涙のドライヴ」はメロディーやサウンドはともかく、歌詞が…。
アイデアそのまま流用!って形で、1972年に小林麻美さんのデビュー曲「初恋のメロディー」で
別歌詞になっているんですよね。
「涙のドライヴ」がヒットしなかったからとリサイクルしたのでしょうが、相当、ヒドイ。
商業音楽のいやらしさが表れた好例でしょう。
因みに両曲とも作詞:橋本淳、作・編曲:筒美京平のコンビです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

私は、レコードやCDを買い集めたりするほどではありませんが、弘田三枝子さんの大ファンです。

物心つく前に「アスパラ」や「レナウン」などのテレビコマーシャルでその歌声が脳に刻まれ、
間もなくテレビアニメ「ジャングル大帝」のテーマ曲「レオのうた」がそれに追い打ちをかけ、
小学校に上がったと思ったら♪…ハナタに~ヒノチを~…♪と国籍不明な発音でノックアウトされ
…と言った感じで、否が応でも忘れられない存在になっていたワケです(^^)

弘田三枝子さんは第一に、声質が実に素晴らしいと思うんですね。
女優の南田洋子さんに通じる気がするのですが、「鼻にかかっている」とはまた違う、
「ハスキー」とも何か違う、低音傾向で落ち着きのある、
メロディーがなくても十分過ぎる説得力を感じさせる声、なんですね。

そして第二は、歌唱力。
私はこの年齢になっても、いまだに「歌唱力がある」とはどういう事なのか明確にはわからず、
一般論的に「声量があって、リズムにしっかり乗れて、音程が安定していて…」
くらいしか言えないのですが、弘田三枝子さんはそんなものは簡単にクリアしていて、
その上で聴く人に歌の内容をドラマティックに感じさせる(想像させる)何かがあるんです。

歌唱に関しては、弘田三枝子さんは二物も三物も持っていた。 明らかに天才でした。


さて、弘田三枝子さんと言うとこの話題を避ける事ができないのですが、美容整形です。

私が子供だった頃は、顔の整形手術はタブー中のタブーで、せっかく親からもらった顔を
人工的に変えるなんてとんでもない!と言った倫理観が明確に存在していました。

なので、弘田三枝子さんがあの容姿で「人形の家」を引っさげカムバックした時、
以前と「あまりに変貌したその姿」を、真偽など関係なくとにかく一方的に「整形した!!」
と報道すれば大衆はそんな「禁断の」話題に飛びつく、とマスコミは考えたのでしょう。
洋の東西を問わず、今も昔も、マスコミなんてそんなものです。 進歩がないですね。

弘田三枝子さんが当時、本当に美容整形をしたかどうか、それは私もわかりません。
ただ、それ以前から弘田三枝子さんはかなりグラマーだっただけで顔は美形でした。
実際、「人形の家」以前のシングル盤、例えば先述の「可愛い嘘」や「涙のドライヴ」などの
ジャケット写真を見ても、「人形の家」以後とそう大きな違いがないんですよね。
なので、当時は実は弘田三枝子さんは整形手術は受けておらず、
かなり大幅な減量と先進的なメイクであのルックスを作り上げた…と私は思っています。

何でも当時はつけまつげを2段に重ねてつけていたそうで、
メイクしていないと誰も弘田三枝子と気づいてくれなかったらしいです(^^;)

さらに、歌手にとって空気(息)の通り道は大変重要ですから、
例えば隆鼻術を受ければ必然的にそれが変わり、声質に影響を与える…と想像できます。
ひと声で誰もがその人とわかる、その声が変わるかも知れないリスクを、
当時すでに一流シンガーだった弘田三枝子さんが冒すだろうか? とも思うんですね。

ただ、写真を見る限り、中年以後については恐らくそうだろうな…とは思います。
中毒かどうかはわかりませんが、確かに徐々に不自然な表情になっていった、
それはわかります。
しかし現実には手術以上に、加齢の影響の方が大きかったのではないかな。

弘田三枝子さんのカムバック成功の影響かどうかはさだかでないのですが、
当時(1970年前後)の女性歌手は競うようにケバいメイクになっていったものです。
ちあきなおみ、黛ジュン、奥村チヨ、小川知子、和田アキ子、由紀さおり…
その皆がつけまつげ、細眉、ブルーのアイシャドウ、きついアイライン…
私の亡き父が「キャバレーのホステスみたいだ」などと言ってましたっけ
(って書くと今の時代だと「差別だ」なんて言われちゃうんだろうなぁ)。

でも私個人は、当時のそんな女性歌手のメイクは何だか、好きです。
多分にノスタルジー、だと思いますが(^^;)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「レオのうた」のサビ ♪いどむ夢 しあわせの国…♪ が流れてくると、
気持ちが一気に幼少の頃に戻ります。

確かに、それこそノスタルジーである事も否定できません。
しかし、これは私だけなのかも知れませんが、
リアルタイムでは聴いた事がなかった「涙のドライヴ」「渚のうわさ」「恋のクンビア」なども、
CDで聴いていると心の奥から湧き上がるような感動を覚えるんです。
私はそれこそが音楽の力であり、それを伝導する歌手のパワーだと思うんですね。

ここ10年くらいで体がすっかり小さくなり声量も落ちていた弘田三枝子さんでしたが、
歌手活動にはまだまだ意欲的だったとの事。

今の時代、73歳で亡くなるとはちょっと早すぎた気がします。
しかし遺された膨大な音源は永遠に残りますから、
私は今後もふとした時にCDを手に取り、聴き入る事でしょう。

弘田三枝子さんのご冥福をお祈り致します。


nice!(1)  コメント(18) 
共通テーマ:音楽

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。