西城秀樹さん…
今回は楽曲解説からは離れてしまいますが…
この5月16日、もう少しで17日になろうとしていた時、西城秀樹さんは逝去しました。
17日の昼、ニュースを映していた食堂のテレビにその報せがテロップで出た時、
私は目を疑いました。
確かにここ数ヶ月、テレビなどでその姿を見る事が殆どなかったのは認識していましたが、
まさか、亡くなるなんて…
ここ数年、たまにテレビで見かけるたび、まだ良くなっていないな…と思いつつも、
いつかはきっと、若い頃と同じとまではいかなくても、「病気?そういえばしていましたね」
とケロッとした顔で以前のようにハツラツと歌う姿に戻るものと、心の中で信じていました。
実際、2003年に一度目の脳梗塞を患った時には、ほどなくして元通りの秀樹さんに戻っていました。
それが私の頭にあったんですね。
しかし二度目はそうはいかなかった。
このブログでも報告しましたが、2014年8月29日、千葉県文化会館での「同窓会コンサート」に
西城秀樹さんも出演し、私は初めて西城秀樹さんを生で見ました。
体の動きが緩慢ながら声はしっかり出ていましたが、私が気になったのは目力(めぢから)でした。
その前後のテレビ出演の映像でも感じた事ですが、どこか達観したように、勢いがまるでない。
「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」を聴きながら、そんな事ばかり気になっていました。
63歳、か…。 私が子供の頃は、60歳と聞くともう人生も終わりそうな年齢に思えたものですが、
現代では、自分は80歳だ、90歳だと聞かされてもそれが信じられないほど、
健康で若く見える人が多いですよね。
そんな時代なので、やはり63歳で死去は早過ぎる、もったいない…とは確かに思います。
西城秀樹さんの著書「ありのままに」の第1章に「子どもが成人するまで生きていたい」との
見出しがあるんですね。
西城さんのお子さん方の年齢を思うと、それが叶わなかったのが本人にとってどれほど無念か、
しかし実はそうなる事を心のどこかで悟っていたのか…と、
子供のいない私の胸にもグッと迫るものがあるんです。
個人的な事で恐縮ですが、私が生まれたのは父が47歳の時で、
奇しくも西城秀樹さんが父親になった年齢と同じなんです。
父ではなく祖父でも不思議でない年齢なんですね。
「年を取ってからの子は可愛い」とよく言われますが、私の父もまさにそうだったようで、
私が21歳の時に亡くなりましたが、本当に可愛がってもらったとの思いを今も持ち続けています。
西城秀樹さんは肉体が早く滅んでしまった分、
魂が若い頃のようにエネルギッシュに家族を守り抜くのではないか、そんな気もしています。
*****************************************
このブログらしい話題も少々…(^^)
西城秀樹さんは著書では「四枚目のシングルまでは全く売れなかった」と書いていますが
(芸能人の本ですから、実際に書いているのは別のライターなのでしょう)、
私はデビュー曲の「恋する季節」はテレビで初めて観てから好きでしたし、
「恋の約束」はちょっと思い出せませんが「チャンスは一度」はレコードは買わなかったものの
1コーラス目はソラで歌えるほど憶えていましたし、
「青春に賭けよう」は歌詞からして大好きでしたから、テレビ出演がデビュー直後から多く、
私もそれを観て歌を知っていたのでしょう。
オリコンを調べてもデビュー曲から4曲目までの最高位は42位・18位・20位・16位でしたから、
全く売れていなかったわけでなく、徐々に人気が上がっていたのが実際のところでしょう。
そして5曲目の「情熱の嵐」がオリコン6位を記録するヒットとなり、
その後の快進撃は読者の皆さんもよくご存じと思います。
1993年に発売されたベスト盤「History of Hideki Saijo~Best of Best」のブックレットに
本人インタビューが掲載されています。 重要なポイントを挙げると:
・デビュー曲「恋する季節」は元々はアイ高野さんの曲として用意されていた。
・「薔薇の鎖」で披露されたマイクスタンドを使ったアクションはジェイムス・ブラウン、
ロッド・スチュワートのパフォーマンスがヒントだった。
・「ジャガー」の間奏に入る台詞は、できれば入れたくなかった。
・「炎」は「ジャガー」の大人版と解釈している。
・「ラスト・シーン」は自ら「やりたい」と望んだ曲だった。
などなど、興味深いエピソードが次々に語られています。
歌手としての西城秀樹さんは、
・声域が広い(地声で下のBから上のAまで、2オクターブ近く)。
・リズム感と音程が抜群に良く、アクションが激しくても歌声に影響がない。
・声量が豊か。
・発音が明瞭で歌詞がハッキリと聴き取れる。
・わずかにハスキーで、切なさを持つ声質。
…と、歌手としての資質をすべて備えているため、様々な音楽に対応できたんですね。
****************************************
西城秀樹さんの逝去は歌謡曲ファンとして、音楽ファンとして、大変残念ですが、
これまでに残された音源を楽しむ事が何よりの供養になると思います。
先週末からAmazonのCD売り上げランキングで西城秀樹さんのベスト盤が何種類か同時に上位に入り、
特に1995年までの全シングルA面を網羅した「GOLDEN☆BESTデラックス」(3枚組)は
今現在も1位を続けています。
このような時だからとは言え、すべてのジャンルを含めた中で3枚組アルバムが1位になるのは、
西城秀樹さんの音楽そのものが深く愛されている証明ではないでしょうか。
私はそのアルバムは持っていませんが、今後、例えばシングルA・B面すべてを網羅し
オリジナル・カラオケも付いた豪華ベスト、あるいはオリジナル・アルバム復刻等、
何らかの企画が持ち上がると思いますので、それを楽しみに待ちたいと思います。
(妄想で終わりませんように…。)
***************************************
追記
西城秀樹さん著の「ありのままに」ですが、内容はとても良いものの、
あちこちに誤植や誤記があるのは困ったものです。
「四枚目のシングルまでは全く売れなかった」については先述しましたが、
その後で「『恋する季節』『ちぎれた愛』『傷だらけのローラ』とヒット作が続き」と
矛盾した表現が出て来たり、
何より一番×なのは、西城秀樹さんの本名である木本龍雄の「木本」が「本木」と
なっているのが複数箇所にある事なんです。
ファンであればすぐに気づく事ですし、それで興ざめしてしまう読者もいるはずです。
西城秀樹さんを知る事のできる良書なのですから、校正と誤記修正を再度行って
再版するべきです。
***************************************
歌謡界最高峰の男性歌手・西城秀樹さんの冥福を祈り致します。
この5月16日、もう少しで17日になろうとしていた時、西城秀樹さんは逝去しました。
17日の昼、ニュースを映していた食堂のテレビにその報せがテロップで出た時、
私は目を疑いました。
確かにここ数ヶ月、テレビなどでその姿を見る事が殆どなかったのは認識していましたが、
まさか、亡くなるなんて…
ここ数年、たまにテレビで見かけるたび、まだ良くなっていないな…と思いつつも、
いつかはきっと、若い頃と同じとまではいかなくても、「病気?そういえばしていましたね」
とケロッとした顔で以前のようにハツラツと歌う姿に戻るものと、心の中で信じていました。
実際、2003年に一度目の脳梗塞を患った時には、ほどなくして元通りの秀樹さんに戻っていました。
それが私の頭にあったんですね。
しかし二度目はそうはいかなかった。
このブログでも報告しましたが、2014年8月29日、千葉県文化会館での「同窓会コンサート」に
西城秀樹さんも出演し、私は初めて西城秀樹さんを生で見ました。
体の動きが緩慢ながら声はしっかり出ていましたが、私が気になったのは目力(めぢから)でした。
その前後のテレビ出演の映像でも感じた事ですが、どこか達観したように、勢いがまるでない。
「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」を聴きながら、そんな事ばかり気になっていました。
63歳、か…。 私が子供の頃は、60歳と聞くともう人生も終わりそうな年齢に思えたものですが、
現代では、自分は80歳だ、90歳だと聞かされてもそれが信じられないほど、
健康で若く見える人が多いですよね。
そんな時代なので、やはり63歳で死去は早過ぎる、もったいない…とは確かに思います。
西城秀樹さんの著書「ありのままに」の第1章に「子どもが成人するまで生きていたい」との
見出しがあるんですね。
西城さんのお子さん方の年齢を思うと、それが叶わなかったのが本人にとってどれほど無念か、
しかし実はそうなる事を心のどこかで悟っていたのか…と、
子供のいない私の胸にもグッと迫るものがあるんです。
個人的な事で恐縮ですが、私が生まれたのは父が47歳の時で、
奇しくも西城秀樹さんが父親になった年齢と同じなんです。
父ではなく祖父でも不思議でない年齢なんですね。
「年を取ってからの子は可愛い」とよく言われますが、私の父もまさにそうだったようで、
私が21歳の時に亡くなりましたが、本当に可愛がってもらったとの思いを今も持ち続けています。
西城秀樹さんは肉体が早く滅んでしまった分、
魂が若い頃のようにエネルギッシュに家族を守り抜くのではないか、そんな気もしています。
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このブログらしい話題も少々…(^^)
西城秀樹さんは著書では「四枚目のシングルまでは全く売れなかった」と書いていますが
(芸能人の本ですから、実際に書いているのは別のライターなのでしょう)、
私はデビュー曲の「恋する季節」はテレビで初めて観てから好きでしたし、
「恋の約束」はちょっと思い出せませんが「チャンスは一度」はレコードは買わなかったものの
1コーラス目はソラで歌えるほど憶えていましたし、
「青春に賭けよう」は歌詞からして大好きでしたから、テレビ出演がデビュー直後から多く、
私もそれを観て歌を知っていたのでしょう。
オリコンを調べてもデビュー曲から4曲目までの最高位は42位・18位・20位・16位でしたから、
全く売れていなかったわけでなく、徐々に人気が上がっていたのが実際のところでしょう。
そして5曲目の「情熱の嵐」がオリコン6位を記録するヒットとなり、
その後の快進撃は読者の皆さんもよくご存じと思います。
1993年に発売されたベスト盤「History of Hideki Saijo~Best of Best」のブックレットに
本人インタビューが掲載されています。 重要なポイントを挙げると:
・デビュー曲「恋する季節」は元々はアイ高野さんの曲として用意されていた。
・「薔薇の鎖」で披露されたマイクスタンドを使ったアクションはジェイムス・ブラウン、
ロッド・スチュワートのパフォーマンスがヒントだった。
・「ジャガー」の間奏に入る台詞は、できれば入れたくなかった。
・「炎」は「ジャガー」の大人版と解釈している。
・「ラスト・シーン」は自ら「やりたい」と望んだ曲だった。
などなど、興味深いエピソードが次々に語られています。
歌手としての西城秀樹さんは、
・声域が広い(地声で下のBから上のAまで、2オクターブ近く)。
・リズム感と音程が抜群に良く、アクションが激しくても歌声に影響がない。
・声量が豊か。
・発音が明瞭で歌詞がハッキリと聴き取れる。
・わずかにハスキーで、切なさを持つ声質。
…と、歌手としての資質をすべて備えているため、様々な音楽に対応できたんですね。
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西城秀樹さんの逝去は歌謡曲ファンとして、音楽ファンとして、大変残念ですが、
これまでに残された音源を楽しむ事が何よりの供養になると思います。
先週末からAmazonのCD売り上げランキングで西城秀樹さんのベスト盤が何種類か同時に上位に入り、
特に1995年までの全シングルA面を網羅した「GOLDEN☆BESTデラックス」(3枚組)は
今現在も1位を続けています。
このような時だからとは言え、すべてのジャンルを含めた中で3枚組アルバムが1位になるのは、
西城秀樹さんの音楽そのものが深く愛されている証明ではないでしょうか。
私はそのアルバムは持っていませんが、今後、例えばシングルA・B面すべてを網羅し
オリジナル・カラオケも付いた豪華ベスト、あるいはオリジナル・アルバム復刻等、
何らかの企画が持ち上がると思いますので、それを楽しみに待ちたいと思います。
(妄想で終わりませんように…。)
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追記
西城秀樹さん著の「ありのままに」ですが、内容はとても良いものの、
あちこちに誤植や誤記があるのは困ったものです。
「四枚目のシングルまでは全く売れなかった」については先述しましたが、
その後で「『恋する季節』『ちぎれた愛』『傷だらけのローラ』とヒット作が続き」と
矛盾した表現が出て来たり、
何より一番×なのは、西城秀樹さんの本名である木本龍雄の「木本」が「本木」と
なっているのが複数箇所にある事なんです。
ファンであればすぐに気づく事ですし、それで興ざめしてしまう読者もいるはずです。
西城秀樹さんを知る事のできる良書なのですから、校正と誤記修正を再度行って
再版するべきです。
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歌謡界最高峰の男性歌手・西城秀樹さんの冥福を祈り致します。
いわば通夜の席ですから、ここで何を語っても軽く感じてしまう事をお許し下さい。
西城さんが亡くなられた16日は不肖私もっふんの誕生日でもありました。時として自分が病気である事を言い訳に使いながら、ただただ漫然と歳を重ねる私のような輩がいる一方で、常人の何倍ものエネルギーを燃やしながら生きて来て、遂には燃やしきれないまま、世間に惜しまれながらこの世を去る運命の人もおられる。
例年は考えもしなかった事ですが、歳を取ると言う事は、やはり命の行き止まりに向かって駒を進める事なのであると言う事実を眼前に突き付けられ、翌日のニュースで訃報に接した瞬間から誕生日のお祭り気分も消し飛んでしまいました。
生殺与奪の神様は本当に不公平できまぐれで、世の中に必要な人を容赦なく連れて行ってしまう事もあれば、何も生まない私のような人間を生かしてみたりもします。
ことしは多くの有名人の訃報に接しましたが、今回ほど「また自分が生き残ってしまったのか」と感じた事はありません。
しかし、生かされている人間にも、きっと生かされる理由があるのでしょう。
勿論、いまだに無理の効く体でこそありませんが、私に出来る事を可能な限りすべきであると言うのが、今後を生かされる上での私に課せられた使命なのだと思います。
何が出来るか、それはまだ分かりませんが、人生が後半戦に入ってもなお、出来る事を見出し増やしていく事は、実は誰であっても必要な事なのかも知れません。
ここ数日、ネット動画で元気だった頃の西城さんの姿をたくさん見て来ましたが、今日あたりは「ラストシーン」を聴いた後で「ブルー・スカイ・ブルー」を聴いています。
「ブルー~」のコーダに差し掛かったところから聴く事の出来る教会音楽のようなバロック調の弦と、祝福し包み込むような女声コーラスの中、秀樹さんの歌声がフェードアウトしてゆくアウトロがとても切ないです。
もう届く事の無い思いであっても、それを捨てずに生きてゆく事は出来るのだと、今は信じたいです。
_
by もっふん (2018-05-21 10:34)
ぽぽんたさん、こんばんわ。
西城秀樹さんが脳梗塞を二度発症されたことは知っていましたが、だからと言ってこのご年齢で亡くなることなど想像していなかっただけに驚きました。私の印象でも「四枚目のシングルまでは全く売れなかった」ということはなく、少なくとも二曲目の「恋の約束」ではテレビに出れば「♪君は泣いたね(ヒデキ!) ぼくの口づけ(ヒデキ!)」と大きな掛け声がかかり、「なぜに~」のところではファンが絶叫するという一連の流れを妙に印象深く覚えておりますので、早くもこのあたりからガッチリとファンの心をわし掴みしていたような気がします。西城秀樹さんの曲の真骨頂はやはり激しいアクションとシャウトなのでしょうが、「ブルースカイブルー」のようにしみじみ聴けば味がある曲も難なく歌える歌唱力はすばらしいの一語に尽きます。私は「GOLDEN☆BESTデラックス」を持っていますので、これを聴きながら西城秀樹さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
by Massan (2018-05-21 22:45)
もっふんさん、こんばんは!
一休和尚の言葉に「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」がありますが、
その真意はともかく、人間もどの生物も、生まれた以上は必ず死ぬわけで、
大切なのは生の長さではなく、充実して生きたか、または充実させる努力をして生きたか、
ではないでしょうか。
…とまぁ、私も説教できるような立場ではありませんが(^^;)
今頃、窮屈だった肉体から解放されて元の健康な秀樹さんに戻っているでしょう。
そして良い一生だったと満足しているはずです。
そして私も、人生はいつ終わるかわからないのだから、充実させて楽しまなくては!
と改めて思っています(^^)
by ぽぽんた (2018-05-23 00:14)
Massanさん、こんばんは!
確かに驚きましたね。 もう一度、元気に歌う姿を見たかった…と、
きっと多くの人が思っている事と思います。
西城秀樹さんが発表してきた楽曲は非常に幅広く、またどのような曲も
表情豊かに、魅力的にしてしまう素晴らしい歌唱力がありましたね。
私はその「ゴールデン☆ベストデラックス」は購入を控えて、
本文に書いたような、新たな企画のアルバムを楽しみに待つ事にしました(^^)
by ぽぽんた (2018-05-23 00:20)
ぽぽんたさん、こんばんは。
先週、職場で「西城秀樹が亡くなったって。」と仕事仲間から聞いた時、「えっ・・・」と言ったきり後の言葉が続きませんでした。
心にぽっかり穴があいたような喪失感でした。
秀樹さん、五郎さん、ひろみさんは、私の世代にとってはまさに青春そのもの。男性アイドルのはしりでした。私は3人とも大ファンでした。といっても同時期ではなく時期がずれていましたが。
まずは秀樹さん。「恋の約束」にしびれて、レコードを買ってもらって聴きまくりました。Massanさんが書かれているように、♪きには泣いたね(ヒデキ!)ぼくのくちづけ(ヒデキ!)♪のところ、そしてサビの部分の黄色い歓声、よ~く憶えています。「ロッテ歌のアルバム」なんかで観たような記憶です。
その年の11月にひろみさんの「小さな体験」が出た時には、その歌がすごく気に入り、ひろみさんに移っていました。
2年後に出た「傷だらけのローラ」で、ドラマチックなサウンドと歌詞と歌い方にまた心をわしづかみにされたような感じでした。
レコードが擦り切れそうなくらい聴きました。「私もローラになりたい。」なんて思ったりして・・・
今日は久しぶりに「ローラ」を車の中で聴きまくりました。44年も前の歌ですが、やっぱり最高です。スポーツ新聞かなにかで、「秀樹さんはローラを再び歌いたいために、リハビリを週5回にふやして励んでいた。」という記事を読みました。そんな記事を読むと胸が痛みます。
私も2013年9月に「同窓会コンサート」で生の秀樹さんを観ました。この時は「若き獅子たち」「ブルースカイブルー」そして「ヤングマン」を聴くことができました。私は目力までは気づきませんでしたが、歌は力強かったなあと感じました。(こんなにしっかりと歌えるとは思っていなかったという思いがあったからかもしれません。)「歌うことがリハビリ」と言っているのを何かで聞きました。素晴らしい人だったなあと思います。
秀樹さんととても仲のよかった五郎さんの気持ちを思うと、また胸が痛みます。
秀樹さんの歌をいろいろ聴いてみたいと思います。秀樹さんのご冥福をお祈り致します。
by ゴロちゃん (2018-05-25 21:14)
残念ですね。自分は「激しい恋」からの秀樹さんを記憶しています。「激しい恋」「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」「ブーメランストリート」に代表されるような暴走エモーショナル歌謡(今命名)が秀樹さん唯一無二のものだったと思う。西城秀樹がなぜそれを成し得たか?僕は"抜群の運動神経の良さ"と"無意識過剰性"だと考えます。以降、大人のラブソング路線にもいい曲はたくさんありましたね。ただ自分のモストフェイバリットは「薔薇の鎖」です。あらためてご冥福をお祈りいたします。
by JP (2018-05-26 05:59)
ぽぽんたさん、こんにちは。
人はいつか死を迎えるとはいえ、やはり衝撃は隠せません。
秀樹さんの曲が若い人にも知ってもらえる機会となったのかもしれませんが、やはりこんな時では無いと歌も流れなくなってきてしまいました。
私は女性アイドル、女性アーティストが主に好きなので秀樹さんの大ファンではありませんでしたが、秀樹さんは私の好きなアイドルのそばにいつもいました。そしていい曲がたくさんありました。
私は、おそらくあまり選ばれないような曲が好きですね。
一番好きなのは「君よ抱かれて熱くなれ」。一番秀樹らしさが出ている名曲だと思っています。次が「若き獅子たち」。そして「この愛のときめき」。2曲とも雄大な曲でこのような歌も歌えるんだと、感心しました。秀樹さんご自身も好きだという「ラスト・シーン」も好きです。
多くの人の心にずっと残ることを祈っています。そしてご冥福をお祈り致します。
by widol (2018-05-26 14:52)
ゴロちゃん、こんばんは!
私もその訃報はショックでした。 もしかすると、11年前の今日(5月27日)に
ZARDの坂井泉水さんが亡くなったと聞いた時以上、かも知れません。
私は小学生高学年の頃は女性アイドル歌手ばかり聴いていたのですが、
「ちぎれた愛」の回に書いた事ですが、1年下の男の子が放送部に入って来て
「今度のヒデキの曲って声が二つ入っているんですよ!」と聞かされてから
急に興味が湧いたりした事が、今では懐かしい思い出です。
新御三家は当時、歌番組やCMで毎日のように観ていました。
私は郷ひろみさんだとやはりゴロちゃんと同じで「小さな体験」、
野口五郎さんの曲では「君が美しすぎて」が「よくわからないけど、
カッコいいな」と思っていました(^^)
結局、新御三家の音楽は全部好きだったわけで…当時は認めたくなかったのですが(^^;)
私は実は、今日記事をアップする「炎」と、「YOUNG MAN」の後に
水谷公生さんが急いで作らされたと言う「ホップ・ステップ・ジャンプ」が
なぜか好きで(^^;)
野口五郎さんの弔辞、泣けますね…。 同じ芸能界にそれほどの親友ができたのは、
双方にとってきっとすごく幸福な事だと思います。
by ぽぽんた (2018-05-27 18:58)
JPさん、こんばんは!
そうですね、確かに秀樹さんを思い出す時にまず先頭に来るのは絶叫系の楽曲ですしね。
「無意識過剰性」とは私にはちょっとわかりませんが、いつも全力で歌っていた
秀樹さんの姿は何年経っても忘れる事がありません。
あれほど本気の歌手は他にいなかった、と言う事かも知れませんね。
by ぽぽんた (2018-05-27 19:01)
widolさん、こんばんは!
昔の基準では、63歳だと他界しても決して不思議ではなかったはずですが、
今の時代ではやはり早世と感じてしまいますね。
ここ数年、テレビでその姿を見るたびに段々と悪化しているようで心配だったのですが、
それでもきっといつかは以前のように元気に歌えるようになる、
と信じていた、と言うか思い込んでいましたので、訃報にはびっくりした、
と言うよりも色々な思いが一度に来て、落胆したと言うのが最も正直な表現です。
私はずっと前から、カラオケでは大抵「恋する季節」を歌っています。
それは秀樹さんの病状とは全然関係なくて単に好きだったからなのですが、
音域が1オクターブしかないので歌いやすい、というのも理由かな(^^;)
今もAmazonでは、3枚組ベストが2位の売り上げとなっています。
もしかしたら多くの若い人も、YouTubeなどで興味を持って聴こうとしている
のではないでしょうか。 そうだと嬉しいですね(^^)
by ぽぽんた (2018-05-27 19:08)
ぽぽんたさん、おはようございます。
『炎』のコメントから間があいてしまいました。
まさに新御三家と共に育った世代、彼らは私の青春でした。
三人とも大好きで、特に秀樹さんは最初にハマったので、ちびまる子ちゃんじゃないですけど小学生の頃はゾッコンでした(//∇//)
『情熱の嵐』からヒットしたイメージは私にもなく、それまでの楽曲は今でも1コーラスは歌詞を見ずに歌えるくらい記憶にあるので、テレビラジオでよく耳にしていたはずです。
秀樹さんは私の中でどんどん進化していきました。
第1進化期(あくまでも個人的な見解です)が『ちぎれた愛』。
抑揚のある声と歌い回し・表情と動き・衣装すべてに、男性の色気を子供ながらに初めて感じました。まさに“食い入るように観る”(笑)。
『激しい恋』『傷だらけのローラ』もこの時期で、とにかく画面に惹きつけられるという感じでした。
第2期は『君よ抱かれて熱くなれ』。
脱アイドル的(?)楽曲にまずしびれ、それを表現豊かに聴かせる秀樹さんを観て二度しびれました。
『若き獅子たち』も同様にスケールが大きい曲でした。秀樹さん本人がご自分のバラード曲で一番気に入っていた(特に歌詞が)そうですね。
ただただカッコいいと思っていた秀樹さんを見る目が大きく変わった時です。
第3期は『ブーツをぬいで朝食を』。
音楽的な細かいことはわかりませんが、決して派手ではないのに…ないからこそ?か、秀樹さんの歌唱によってとてもムーディーで華があって、秀樹さんの世界が広がったと感じた曲でした。
イントロでライターに火をつけるパフォーマンスが話題になりましたね。たしか小学生がマネをしてカーテンに火が燃え移った事件があって、その演出はなくなったんですよね。
当時の『紅白歌のベストテン』観覧で、ライターの火を間近に見られたのは貴重な体験でした。
続く『あなたと愛のために』『炎』含め、この頃の曲が大好きです。
歌謡曲全盛期の時代に、何年もの間人気を保ち、シングルレコードやアルバム売上もベスト10ランキングも男性歌手部門では1位2位を争う位置に居続けたこと、素晴らし過ぎるくらい素晴らしいことです。
今の歌謡界は、秀樹さんのこうした実績があってのもの。
秀樹さんが亡くなられて2週間…毎晩秀樹さんの曲を聴いて偲んでいます。
『炎』の記事のコメントにも書きましたが、こんなにも歌の上手い人だったのかと今更ながら胸打たれています。
同じ時代に生きてこられてよかったです。
心よりご冥福を申し上げます。
by ぼたもち (2018-06-02 09:08)
ぼたもちさん、こんばんは! お返事が遅れて申し訳ありません。
私の場合はまず「恋する季節」が好きになったのが初めてで、その後、
明星か平凡の歌本で「青春に賭けよう」を見て、子供心に何だか健康的な感じがして
好きになった事、そしてFMのベスト10番組で毎週のようにかかった
「情熱の嵐」につながっていきます。
その頃は本当に歌番組が多くて、秀樹さんも常連だったので、
♪君が望むなら♪「ヒデキ~!」と凄い歓声だったのはよく憶えています。
でもそれ以上に、あのアクションがいつも本気なのが、小6の子供にとっては
かなり衝撃的でした。 そんな歌手はそれまでいませんでした。
「白い教会」のあたりになるとちょっと印象が薄くて、次にこれは!と思ったのは
「ブーメラン・ストリート」でしょうか。
その後はまたダーッと凄い勢いでしたね。
1980年の「愛の園」はいきなり静かな曲になりましたが、当時は
「これは実績のある歌手だからできる休憩のような曲だな」なんて
思っていました。
「YOUNG MAN」については、当時高校3年になったばかりの頃で、
クラスで結構話題になったんです。 「なぜゲイのグループの曲をヒデキが!?」
と言った感じで、それがあのようなヒットになったのには本当に驚きでした。
私は実は、「YOUNG MAN」は楽しい曲だけどあまり好きな部類ではなくて、
むしろその次の「ホップ・ステップ・ジャンプ」の方が好きでした。
サウンドも面白かったですし(^^)
「涙と友情」もヒデキさんならではの曲と言う感じでしたね。
「エンドレス・サマー」はブラスをフィーチャーしたフュージョンかロックのような、
今聴いてもとてもカッコいい曲で大好きなのですが、なぜかベスト盤では
組み込まれない事が多いんですよね。
少し遡りますが「ブーツをぬいで朝食を」は、仰るようなライターを使った
パフォーマンスばかり目立ってしまった感じでしたが、曲自体は初めて
大人を感じさせるもので、これって確か1978年最初の曲だったかな?
年が変わってイメージチェンジしたのかな、と思ったものでした。
…と言った感じに、書き出すとキリがないほど、ヒデキさんの曲は
私の人生のあちらこちらにしみこんでいます。
私にとっても、一生忘れられない歌手です。
by ぽぽんた (2018-06-04 23:55)
ぽぽんたさん、こんばんは! ちょっとご無沙汰してしまいました。
そしてぽぽんたさん、お誕生日おめでとうございます。ぽぽんたさんにとってこの1年がいい年になりますように・・・
先日の「思い出のメロディー」の秀樹さんコーナー。中学高校大学と新御三家に夢中だった私にとっては、ほんとに感動ものでした。バックに映し出された若いころの五郎さんと秀樹さんの写真を見て、当時のこと、故郷のこと、実家の家族のことなどが心に浮かびました。五郎さんの歌う「ブルースカイブルー」、途中、秀樹さんの声も入りとても素敵でした。
この歌は40年前の8月25日、ちょうど今頃の季節に発売になりました。まだまだ暑いとはいえ(特に今年は。)、今頃のちょっと秋めいて高く感じる空を見ていると、秀樹さんの♪振り向けば~目に染みる空の青さ思う♪という歌声が聴こえてきそうです。
実は当時はこの歌、いい歌だなとは思っていたのですが、素直に「好き」とは言えなかったのです。この前の年、1977年の時には新御三家の3人は人気はあったものの、曲がヒットチャートの上位に入ることはあまりなくなってきたのです。ピンク・レディーとかキャンディーズとか百恵ちゃんなんかが上位をにぎわしていて、話題性も大きかったので。
翌1978年から、秀樹さんは「ブーツをぬいで朝食を」でちょっとイメージが変わってきて、同時にそこからまたヒットチャートの上位をにぎわすようになってきました。ひろみさんも「林檎殺人事件」なんかで話題になっていたし・・・
でも、当時私が好きだった五郎さんの曲は上位とまではいかなかったんですね。五郎さんが過小評価されているようで、なんか悔しくてね。だから「ブルースカイブルー」は曲はいいと思っても素直に好きになれなかったわけです。わかります?このファン心理。「グッド・ラック」が久々に上位に入ったときはうれしかったです。
でも、今は「ブルースカイブルー」、大好きです。
それから、ぽぽんたさんが好きとおっしゃる「ホップ・ステップ・ジャンプ」ですが、私も大好きです。やっぱり私も「YOUNG MAN」よりも好きでした。とっても元気になれる歌ですね。この頃は「ホップ・ステップ・ジャンプ」と桜田淳子さんの「Miss kiss」、石野真子さんの「プリティ・プリティ」などがとても気に入っていて、カセットに録音したものを聴きながら元気な気持ちになっていたものです。
秀樹さんの歌のことを書こうとするときりがないのですが、また、まだ記事になっていない歌のことの感想なども入れたいと思います。
「キミのコロッケ」聴かせていただきました。楽しくほのぼのとした歌ですね。そして初めて聴くぽぽんたさんの声。ちょっと想像してた声とは違いました。(「どんな声だと思ったの?」ときかれるとうまくは答えられないのですが・・・)とても温かい声でした。
しばらくお休みされるとのことですが、過去の記事にもまた拙い感想などを入れていきますので、またおしゃべりできたらと思います。
by ゴロちゃん (2018-08-22 23:06)
私、ずっと勘違いしてたようです。ブログは8月いっぱいか9月の初めくらいまでは書くけれど、それ以降はしばらくお休みします、ということだと思っていました。改めて記事を読んでみましたが、8月いっぱいくらいはお休みです、ということなのですね。
いずれにしろ、再開を楽しみにしています。
by ゴロちゃん (2018-08-22 23:36)
ゴロちゃん、こんばんは!
ありがとうございます。 誕生日を憶えていて下さって嬉しいです!
私も「思い出のメロディー」のそのコーナーを観ました。
やはり野口五郎さんしか出来ない歌唱で、私も目が潤んでしまいました。
五郎さんはやはり緊張していたり、色々な感情に支配されていたのでしょうか、声の伸びが
普段通りではない感じはしましたが、それがかえって人間っぽくて良かったと思います。
五郎さんのファンだったゴロちゃんが「ブルースカイ・ブルー」に対して素直な気持ちに
なれなかったとの事、やはりファン心理の究極的なものですよね。
今思うとこの曲がヒットしていた頃は歌謡曲が本当に賑わっていていて、作る側も歌う側も
みんなで大きな世界を作り上げていた気がします。
そうですねぇ、五郎さんは過小評価されていたと言うより、歌い方が独特なので、好き嫌いが
分かれてしまっていたと言うのが実際のところではないでしょうか。
それは美空ひばりさんにも言える事ですが、確かに上手いのはわかる、いい曲なのもわかる、
でも好きになれない…と言う人が少なからず存在した、と言う事だと思うんです。
西城秀樹さんも歌唱は独特だと思うのですが、表現の仕方、発散の仕方が開放的で、
それが嫌いと言う人は多くなかった…とも思うんですね。
また、その当時は野口五郎さんはアイドル歌手からミュージシャン志向になっていた
(翌年の「真夏の夜の夢」でギターを持って歌ったり、海外録音でのアルバム制作を積極的に
行っていた事からもわかりますよね)ので、それで離れてしまったファンもいたかも知れません。
秀樹さんはそういった傾向が見えなかった(実際には様々な試みをしていたようですが)ので、
アイドル的な人気を保つ事ができていた…と言う事ではないかな。
私の曲を聴いて下さってありがとうございます。 自分の声を使うのはどうかな、と思った
のですが、やってみたら面白かったです。
楽曲を気に入って下さると嬉しいです(^^)
ぜひまた、コメントをお待ちしています!
by ぽぽんた (2018-08-22 23:48)
ぽぽんたさん、お返事ありがとうございました。
五郎さんに対する分析、その通りだと思います。全体的に秀樹さんの楽曲のほうがバラエティーに富んでいて魅力があると私も思います。五郎さんの楽曲はファンの私から見てもおもしろくないものがありました。例えば、「哀しみが終るとき」「夕立の後で」「美しい愛のかけら」と同じような歌が続いたり、1978年で言えば「泣き上手」とか「送春曲」なんかはいまいちだったり・・・当時も思っていたのですが、「今度の歌、あんまりいいと思わないけど、私はファンだから応援しなくちゃ。」というファン心理が働き、レコードを買っていたものです。平尾先生の「愛よ甦れ」とか「グッド・ラック」は明るく新鮮な感じでとても好きでした。
ぽぽんたさんが仰るように1978年の「L・A通信」という海外録音盤も私にはいいと思えず、ラジオから録音しただけでレコードも買いませんでした。(1曲だけ「指」という歌は大好きで、どきどきしながら何回も聴きました。)
心の中でそう感じていても、ファン心理が働き、それを客観的に声に出して言うことができなかったものです。
五郎さんは62才の今も若々しくて声もよく出ています。しかも不自然な若々しさでなく、いい年の取り方をしているなと感じます。やっぱり素敵です。
秀樹さんについての記事なのに、五郎さんの事ばかり書いてしまいました。
by ゴロちゃん (2018-08-24 22:38)
ゴロちゃん、こんにちは!
歌唱の魅力と言う意味では、西城秀樹さんと野口五郎さんは正反対のような気がします。
その二人が仲が良かったのも、そのような明確な違いをお互いに認め合っていたから、
と言う部分もあったのではないでしょうか。
なので正直に言うと、「思い出のメロディー」で野口五郎さんは「ブルースカイ・ブルー」
を歌いましたが、やはり楽曲的には合ってなかったように思います。
しかしあの歌唱は秀樹さんへの送辞であり敬意の表現と思うので、
それで良かったんだと思いますし、合ってない云々は野口五郎さんが一番承知だったと思います。
私は好きな曲は何と言っても「女になって出直せよ」です(^^)
すでにミュージシャン志向になっていた頃の曲ですが、とにかく完璧にカッコいいです。
「グッド・ラック」もとてもいいのですが、2番の歌詞の「男は心にオーデコロンをつけちゃいけない」
の部分がどうも陳腐に感じられて、ちょっと外された気分になってしまうんです。
他の部分はすごくいいだけに勿体無いと思ってしまうんです。
五郎さんは今も、アイドル時代の曲でもキーを下げずに歌っていますね。
プライドが感じられて、とても好きです。
by ぽぽんた (2018-08-26 12:32)