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北風よ / 岸本加世子

タイトルに反して発売は夏でした:

北風よ ジャケ.jpg

チャートアクション等

「北風よ」は岸本加世子さんの歌手デビュー曲で、TBSテレビ水曜劇場「ムー」の劇中歌として
1977年7月に発売されました。
オリコンシングルチャートで最高位が38位、同100位内には11週ランクインして4.7万枚の売り上げと、
ヒットとは言えない成績に終わった曲ですが、音楽としての内容が素晴らしく、
ぜひもう一度聴き直してみて頂きたいと思い選曲しました。


作家について

作詞・作曲は「空に星があるように」(1966年)のヒットで知られる荒木一郎氏。
1979年には、パルに楽曲提供した「夜明けのマイウェイ」もヒット(オリコン最高18位)しました。
私と同世代くらいまでの方ならば、荒木氏の母親で女優の荒木道子さんもご存知と思います(^^)

編曲は、このブログでも何かと話題になる「花嫁」(はしだのりひことクライマックス)などの
壮大なサウンドで知られる青木望氏が担当しています。


歌詞について

全体的にドラマ用と言うよりは岸本加世子さんのプロモーション用として作られたのは明らかで、
「はやく大人になれと…」「私は今16と伝えてほしいの」等、
本人の当時の年齢とその世代特有のイメージが大切にされています。
歌手本人とのつながりがやや希薄だった「赤い風船」(浅田美代子、1973年)の歌詞とは
対照的とも言えるでしょう。


構成等について

1コーラスあたり歌メロはA、サビ、A'の3部で出来ており、
楽曲全体が比較的珍しい3コーラスとなっています。

キーはFメジャー(ヘ長調)で、歌メロ部には平行調であるDマイナーへの一時的な移行も無く、
当然のように他調への転調もありません。
コード進行はフォークソングに近い、極めて単純なものです。

イントロや間奏、コーダでのコード進行もほぼ歌メロ部の流れをそのまま受けていますが、
F→E♭(-5)→D7 の流れが大変美しく、歌メロ部に優しく導かれます。


歌メロについて

この曲のお薦めポイントは何と言っても歌メロのユニークさ、美しさです。
まずは楽譜を(前回の記事に掲載したものよりも丁寧に作ってます(^^)):
北風よscore.jpg
コード進行がフォークソングのように単純だと書きましたが、
フォークソングだと付けられたコードの構成音から逸脱する音はあまり使われないんですね。
かつてフォークソングは、ギターでコードを鳴らして適当に歌えば誰でもそれなりに聞こえる、
と言われたのはそのあたりにも原因があります。

例えば「戦争を知らない子供たち」では、歌メロを最初からたどってみると、
♪(C)ドシラソ(Em)シシラ#シ(F)ラソファミ(G7)ソソラソ♪(戦争が終わって ぼくらは生まれた)
♪(G7)ソラシ(C)ド ミレド(Am)ラ ラ(F)ファファミファラ(G7)ソ ソラシ♪…
(大人になって 歩き始める 平和…)

と言った具合に、それぞれのコードを鳴らせば自然に流れ出てくる音階で作られている曲が
フォークソングには多く、面白味はともかく、耳にはスッと入ってくるんですね。

しかし「北風よ」では、コードの構成音を意識的によけるような音が随所で使われているんです。
上記のようなフォークソングでも、メロディーの流れ上、そのような音が出てくる事はありますが、
「北風よ」ではその「よけている」音が特に多く、それが流れの良さとメロディーのインパクト
にもつながっています。

具体的には
1.♪北風に肩をすぼめながら あなたは…♪ でのG音
2.♪あなたは振り返り♪ では、コードがC7に対してF音とD音
3.♪はやく大人になれと♪ での「れ」で、コードがB♭に対するA音
などが挙げられます。

1は2小節分を一気に歌って次への流れを作り出す上で必要な音使いであったと思われます。

2ではコードがC7で、それに対するF音は通常はsus4として使われる音であり、
かつD音はC7の構成音には無い音なので、F音ではなくG音、D音ではなくC音を使うのが普通であり、
それらがことごとく無視されているのですが、不思議と自然なメロディーに聞こえます。

3の音使いはまさに感性がそう作らせたとしか思えないもので、
通例だと「なれ」の部分はドシファミではなくソファとなるはずです。
作者の、その「ドシファミ」の音選びによって、歌詞の主人公がどこか頼りない気持ちである事が
繊細に表現されている…と、私は感じます。
…実はそんな理由ではなく、単に岸本加世子さんが声域的にその「ソ」を出せなかっただけかも(^^ゞ


メロディーへの歌詞の割り当て(譜割り)がユニークであるのもポイントです。
宇多田ヒカルさんの「Automatic」で、な・なかいめのベ・ルで受話器を…となっているのが面白い、
と話題になっていた事がありますが、
「Automatic」より21年余り前に発売されたこの「北風よ」でも、類似の譜割りが随所にあります。

わ・らいかけたあのひ わたしはもうこ・どもじゃないの あ・いすることのかなしみも
きたかぜよそ・らをか・けめぐり つ・たえてほしいの
…と、1コーラス目だけでもこんな具合ですし、それ以後もそのような箇所がいくつもあります。

見方を変えるとやや歌詞を無理にはめ込んでいるようにも感じられるのですが、
そういった作りが後に、まず90年代のビーイング系の楽曲などに引き継がれたようです。
そのあたりも、同じ水曜劇場の劇中歌だった「赤い風船」と比較すると面白いと思います。

もう1点。
サビの ♪わたしはもうこともじゃないの♪ と ♪ふれあうゆびにかよいあう♪ の、
似て非なるメロディーに注目しましょう。
臨時記号#の多用も含め、このサビは美しくインパクトの強いメロディーで作られています。


…と色々と書いてきましたが、私はこの曲を聴いただけでそのような判断ができたわけではないんです。

長い間楽器と親しんでいると、聞いた事はあるが弾いた事がない曲であっても、
試してみると勘(手クセと言っても良いと思います)だけで意外と弾けてしまうもので、
それは日常的に楽器を演奏する方ならば同意してもらえるかと思います。

しかしそれも曲によりけりで、その通りあっさりと弾けてしまう曲もあれば、
なぜかつっかえつっかえでどうにか…となる曲もあるんです。

そういう曲は、思わぬ箇所で他の曲では見られない音使いがされている事が多く、
要は経験や手クセだけでは、最初は弾き通せないと言う事なんですね。

私にとっては「北風よ」もそのような1曲でした。
なぜだろう?と分析してみて、上記のような点を見つけ、理解したわけです。

そして、何より大切なのは、分析してみると仕掛けが多いと判るメロディーなのに、
自分で弾いてみるまでそれに気づかず「良い曲だ」と自然に頭の中に取り込んでいた事、なんです。
それは、これは完全に私見ですが、理屈でこねくり回して作ったわけでなく、
感性の赴くまま、浮かんだメロディーを素直に表現したものだから、ではないかと。
勿論その正否は作者本人のみぞ知るわけですが(^^ゞ

全体にバロック音楽のような上品さを持ちながらも親しみやすい、素晴らしい歌メロと思います。


サウンドについて

ストリングスの使い方のためか、全体のサウンドが浅田美代子さんの「ひとりっ子甘えっ子」に
似ている印象があります(そちらは筒美京平氏のアレンジですが)。

私は「北風よ」を聴いていると、どこか広い空間で強めの風に吹かれているような、
そんなイメージを持つのですが、如何ですか?

A'に入り ♪私は今…♪ で2拍ほど、そこで終わるかのように楽器が一斉に休むのが、
最初に聴いた時に「え?」と思わせる、変わったアクセントとなっていますね。

イントロはストリングスがバックにキーボードのメロディーで始まり、
ハーモニカの深く爽やかな音色に引き継がれます。

右チャンネルから絶えず聴こえてくるピアノの即興的なコード演奏と、
バイオリンからチェロまでフルに使ったストリングスが全体のカラーを作っています。
左のアコースティックギターのアルペジオ、右のエレキギターのカッティングがコード感を補強し、
時折右から鉄琴が彩りを…と、
この曲ならではのユニークな点などは特にないものの、
堅実で豊かさ・優しさ・広がりを感じさせるアレンジ、音作りです。


このオリジナル・バージョンで聴ける岸本加世子さんの歌唱は声が幼く不安定で、
楽譜通りに音程をコントロールできていない箇所があったり、
サビなどで一人二重唱になる部分では歌声が如実にズレていたりしますが、
上で説明したように元々難易度の高い歌メロであり、
それを頑張って歌う健気さを買って欲しい、と言った意図も感じられ、
総合的・結果的に楽曲の良さがよく伝わる仕上がりになっていると思います。


付記

「北風よ」には、荒木一郎さんのセルフカバーが存在します。
メロディーが全体に後ろにずらし気味にしてあったり、
サビの ♪私はもう…♪ と続く ♪触れ合う指に…♪ のメロディーが同一となっていたり
(岸本加世子ver.ではそうなっていない事を上記で指摘してあります)、
♪私は今16と♪ を ♪私は今18と♪ に変更してあったりと数々の相違点はありますが、
オケを含めた全体の仕上がりで良さを感じる岸本加世子ver.に対して、
荒木一郎ver.は歌詞とメロディーの良さがストレートに伝わってくる作品に感じます。
YouTubeにアップされていますので、ご一聴をお勧めします(^^)


「北風よ」
作詞 : 荒木一郎
作曲 : 荒木一郎
編曲 : 青木望
レコード会社 : キャニオン(NAVレーベル)
レコード番号 : N-17
初発売 : 1977年7月10日

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もとまろ

ぽぽんたさん、こんばんは。

今回はクイズが全然わからず、答え合わせを楽しみにしていました。
で、「北風よ」は二十歳前後に聴いたことがあり、「ムー」もタクロウとカネタのオバケの歌で知っていました。実際の歌は記憶の中より軽やかで爽やかな歌でした。NHKの朝ドラの歌だとばかり思っていたけど、高校生のぽぽんたさんには視聴習慣は根付かないですよね。

カラオケの音が軽やかで、加世子さんの声がかわいくて。人に歴史あり、だなぁと思います。
それと、メロディーの音選びと譜割りのお話がありますが、今の感覚に慣れすぎて最初はユニークさに気付きませんでした。
何度も聴いていると、確かに当時は曲のつくりは、特にアイドルの歌はこうじゃなかったなと、なんだかわかるような気がしました。
頑張って歌う加世子さんもすごいし、歌に関わったスタッフさんたちもすごかったなぁと思います。その熱量が、後年綾小路さゆりに「それなりに…」と言う写真屋の加世子さんにつながったりして。

荒木一郎さんの歌には、作者本人だからこそのしみじみとした良さがありました。あの歌詞をよく書けたなぁと、大人になりたい女の子の気持ちの表現が強気に前に出たり立ち止まって北風に託したり、すごいなぁと思います。 

それと、カラオケ音源があるんですね。スタッフさんたちにも歌の持ち味が忘れられず残っていたのでしょうか。
by もとまろ (2018-05-07 23:07) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは!

そうですねぇ、高校生の頃は朝ドラは学校が休みでないと観られませんでしたし(^^;)
「ムー」は本当に大好きで毎週観ていました。 今のドラマは…と、
比較しても年寄りの冷や水にしかならないので止めておきますね。

昔の歌は、多分今より遥かに譜割りやアクセントなどについて、
シビアに考えて作られていたと思います。
何より、歌詞がきちんと伝わる事が大切にされていたから、なのですが、
時にはリズム重視で歌詞のあらぬ所にアクセントがついても、それはそれで
個性として受け入れられる大らかさも徐々に出てきたのが「北風よ」の頃
かも知れません。 ニューミュージックはもっと顕著かな。

私も今回、初めて荒木一郎さんの歌で聴きましたが、やはり作者ならではの良さを
十分に感じられますね。 まるで別の曲のように聞こえます。

この曲のカラオケは、ポニー・キャニオンから2004年に発売された
「ぼくらのオリジナル・カラオケ 70・80年代アイドル編」に
収められています。

by ぽぽんた (2018-05-08 23:52) 

もっふん

コメントが大変遅くなりました。

私はこの時期にはもうドラマを見ていなかった事もあり、今回の記事で初めて譜面と音源に接しましたので、限りなく「第一印象」に過ぎないとお断りした上で何点か書いてみたいと思います。

★イントロ★

ぽぽんたさんが「F→E♭(-5)→D7」と解釈された部分、E♭(-5) と言うのは滅多な事で遭遇するコード(VII♭-5)ではないので、たぶん「Am7-5(どうしても C 音が聴こえないのであれば omit 3rd でしょうが、いずれも C 音を含む F と D7 の間を繋ぐ和音ですから「あるもの」と考えても差し支えないと思います)」で、前後の F と D7 を生かした下降形を作るためにルートを on E♭としたのではないかと思われます。音型としては「Cm6 on E♭」でも同じなのですが、

 Am7-5(on E♭) > D7 > G7 > C7 > F

とドミナントモーションを連続させる意図で用いられていると考えられるので、私としては「Am7-5 である」と解釈した方がエレガントなのではないかと思います。

まあ、IIIm7-5 も調性感が曖昧になる(このケースでは Gm への転調を予期させます)事からそれほど登場頻度が高いコードでは無いのですが、III7 よりマイルドに、VIm からよりは毅然としたニュアンスで VI7 を導く場合に用いられるケースが多いかと思います。

★めっちゃ細かい話★

「歌メロについて」の「3」の部分、たぶん♭が一個違う変ロ長調と混乱されたのだと思いますが、「シドレ」で説明されているところは「ミファソ」が適切かと思います。

ついでに楽譜の方で、28小節目と32小節目のコードネーム(F)が落ちちゃってるみたいです。お手すきの時にでも加筆しておかれるとよろしいかと。

★得物によって変わる手クセ★

ぽぽんたさんの言われる「なんとなくこう来たら次はこう」と言うのは、実はキーボード奏者だけの話ではなくてボーカルも含めたあらゆる楽器に多かれ少なかれ存在するように思います。

リードギタリストの「手クセ」と呼ばれるものは、むしろその人の個性として「あって当たり前」の部分もあるのですが、実はサイドギターやフォークギターのストロークプレイにも少なからず存在するんですね。

ギターで伴奏する場合、1コードの中でポジションを大きく変える事が難しいので、使える音域はほぼ2オクターブ、音数は最大6。低音弦にベースを担当させると大くの場合に1~2本は綺麗に響く押さえ方が出来ないのでミュートしてしまうとなると、本当に少ない音数でハーモニーを作る事になります。

アンサンブルの中にいる時は気にならないのですが、ギター一本で伴奏する時は多少オーバー気味にコードチェンジして「特徴的な音が変わる」事を表現して行かないとプッシュ感が出ないと言う事態に直面します。

で。

この曲の「メロ譜のみ」が手元にあって(オリジナルのオケを知らずに)エイヤで伴奏するとなったら、こんなことになっていたのではないでしょうか。

 きた(F)かぜにか(Am7)たをす(Dm)ぼめなが(F)ら
 あな(Gm7)たはふ(Gm7/C)りかえ(F)り(Gm7・C7)はや(F)く~

★メロディが代理コードを想起させる★

上記のようなハーモナイズをしてしまうと確かに歌い易くはなるのですが、良くも悪くも当たり前の音使いで面白みに欠けてしまうきらいがあります。

ここで注目したいところは Am7(IIIm) も Dm(VIm)もコードの機能としてはトニックであり、F(I)の代理として用いる事が出来る、逆に言うとこれらのコードの構成音は F(I)のテンションノートとして用いても不自然になりにくいと言うところです。

ここでは、メロディ自体がそれぞれの代理コードをを特徴づける音を持っている事で、ぽぽんたさんが「1」として解説された通り「北風に肩をすぼめながら」の伴奏部分を一気に F 一発で済ませてしまうと言う、非常にシンプルでオシャレな作りを実現出来ているのだと思います。

ぽぽんたさんの解説「2」の C7 の部分も同様に、出だしとなる(あな)「たは、ふ」(りかえり)の部分で普通であればソを充てるところに 7th の音であるファ(実音 B♭音)を持って来る事で代理コードである「B♭/C」や「Gm7/C」の風味を加えてあるので C7 上での「ドシラ」(実音 F・E・D)と言うフレーズの正当性を高めています。

※と言うか、ピアノのリフを聴いているとこの部分は Gm7/C(=C7sus4 add 9th)になっているような気が・・・。自信はありませんが、およそどのようなテンションでも受け付けるドミナントコードにおいても sus4 の音が唯一と言って良いアボイド・ノートである事に変わりはありませんので。

★実は考え方が逆だったかも★

恥ずかしながら荒木一郎氏については余り知識が無く、音楽的に物心が付いた頃には「空に星があるように」(1966)が有名な「昔の」シンガーソングライターであり、後のフォーク系ライターよりもモダンな、私の感覚ではレトロポップな、漠然と弾厚作(加山雄三氏の作曲家名義)やロカビリーと同じ系列に属する方だと思っておりました。

検索してみたらモダンジャズから音楽に入って来られた方だったんですね。

モダンジャズにおいては「原曲」と言う物は存在こそするものの、様々なテンションノートの付加やリハーモナイズによってコードやフレーズの解釈を独自に拡張して行くところに醍醐味があります。喩えとしてこれまた猛烈に乱暴な事を言うと、原曲に「C7」(ドミソシ♭)とだけ書かれたコードに(9, #11, 13)をテンションを付与して「ドミソシ♭レファ#ラ」とし、「レファ#ラ」の部分だけ取り出して演奏すると(※)、これはもはやコードとしては D を弾いている事になると言う感じです。このようなコードをアッパー・ストラクチャ・トライアドと呼んで「D△/C7」(スラッシュの部分は水平に表記)みたいな書き方をしますが、日本で目にするようになったのはフュージョンが流行した頃からかと思います。

※実際にはベースがドを弾き、中声部(鍵盤楽器であれば左手)で最低限ミとシ♭を弾く事で本来のコードの響きを担保するのがお約束ではあります。

「原曲」の中には4小節8小節延々とワンコードで書かれたものもあり、そうした部分も細かくコードを細分化し(一番の基本は II-V ですが)瞬間的に転調させたりしながら(普通の音楽の感覚で言うとスケールアウトしているようなフレーズが飛び出して来ます)「自分の演奏」を作って行く事になります。

そうした音楽的ルーツを持つ荒木氏であれば「取り敢えず F のワンコードで2小節書くけれど脳内では F>Am7>Dm7>F」と言うお作法でメロディが書かれた可能性も充分にあり得るかと思います。

★本当に「感性が作らせた」のか★

ぽぽんたさん解説「3」の「大人になれ~と~」の「なれ~」の部分のお話です。
個人的には、サビでもファ(原文ド)止まりなので「岸本さんがソ(原文レ)を出せなかった」に一票ですが(笑

えーとですね。

確かにコードが B♭なのに B♭音よりも A 音の音価の方が大きい事には「え?」と思うかも知れませんが、ひとつには IV の maj 7th 音は I のそれよりも安易に用いられる傾向が、漠然とですがあると思います。

大事な事は「2つ目の音の方が音価が大きい」ことによって、「ソファ~」であれば「ソ」が、「ファミ~」であれば「ファ」が導音扱いになって、メロディの背骨は2番目の音の方であるように聴こえてしまう事です。

何を言いたいかと言うと、この部分を「ソファ~」で歌うと「ん、ファ~レ~」と言う流れが耳に残ってしまうのですが、続くサビの繰り返しは「ファファ~レ」で始まっているので、たぶんここでリスナーは激しい既視感に襲われると思うんですね。「なんだ、A メロと同じじゃん」と。

コードが同じで部分的な譜割も似ているサビをサビとして立たせるためには、A メロのこの部分はどうしても「ファミ~」でなければならなかった、と言う「必然の選択」であったと私は思うのです。いやまあ、作りながらそれを察知するのが感性だと言われればそうなんですが。

★と言うことで★

ぽぽんたさんの言われる通り、この単純なコード進行でフォークソングのようにいちいち構成音を気にしながら「常識的に」作曲していたら、たぶんそれは「アルプスの少女ハイジ」モドキにしかならなかったであろうと思われます。いやまあ、ハイジが悪いわけではないですが、この小洒落た雰囲気は逆立ちしても出せなかったでしょう。

荒木氏が偉いのか、ジャズが凄いのか分かりませんが、敬服するしかありません。

ぽぽんたさんのクラシック的素養と言い、日頃から周囲には敬服してばかりの私なのでした(苦笑
_
by もっふん (2018-05-12 15:38) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは!

今回も詳細な解説をありがとうございます。 参考にさせて頂き、
もう一度この曲に向き合ってみたいと思います。
「めっちゃ細かい話」、ご指摘の通りです。 さっき、確認して気づきました。
なぜ勘違いしたんだろう…お恥ずかしい限りです。

頂いたコメント全体を通して、できたら目の前にキーボードを置いて鳴らしながら
あれこれ論議したところでありまして、それに値する曲だとも思っています。
私も正直なところ、この曲が作られた背景や作家のバックグラウンドなどについて、
調べ上げて書いたものではなく、曲自体の印象で書いているものなので、
不備や思い違いなどがあると思います。 ご了承下さい。

いつも何かとお世話になり、ありがとうございます。
さっき記事に上げた新曲もぜひご一聴下さい(^^)

by ぽぽんた (2018-05-13 23:42) 

師子乃

初めまして。

聞いたことありませんが、いい曲なんだなと思わせていただけました。
by 師子乃 (2020-06-28 09:22) 

ぽぽんた

獅子乃さん、初めまして! コメントをありがとうございます。

このブログの記事がきっかけでこの曲を知って頂けたのなら、大変幸せです。
これからもよろしくお願い致します。

by ぽぽんた (2020-06-29 23:55) 

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