SSブログ

日立サウンド・イン・ナウ! 制作者インタビュー

前回お知らせした通り、今回は特別プログラムです(^^)


我々が学生時代に親しんでいたFM東京(当時)の人気音楽番組「サウンド・イン・ナウ!」。
私のブログを訪れて下さる方々の多くはその番組の名物「カラオケ・コーナー」がきっかけで
カラオケなるものを知り、それ以後は土曜の午後が楽しみだった事でしょう。

その番組で、まさにそのコーナーを担当していた元スタッフの方と、
このブログを通じて知り合い、番組の制作の様子やスタッフにしか知り得ない裏事情など、
長い時間にわたってお話を伺う事ができました。
私にとっては、遠すぎて実感すら湧かない夢が現実に起きたような喜びでした。

その方とは「SeiichiKawakamiこと河上晴一」氏です。
現在は放送業界からは離れておられますが、すぎやまこういち氏を初めかつての制作担当の方々とは
現在も親交が続いているそうです。

また「サウンド・イン・ナウ!」での仕事の傍ら、当時大人気だった隔週音楽雑誌「FMレコパル」で
録音旅行の企画でモデルをされた経験もお持ちです。
その画像もインタビュー記事の後に付けますね。


それではインタビューです!
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ぽぽんた(以下、ぽぽ):私のブログにアクセスして下さった経緯を教えて下さい。

河上氏(以下、S.K):昨年の8月から9月にかけて、ある目的で「カラオケ」「すぎやまこういち」で
   インターネット検索をかけ、調査をしていました。
   その時にぽぽんたさんのブログを見つけたのですが、読んでみると特にコメント欄での
   意見交換が活発で、興味を惹かれたんですね。

   その中に色々な推測や疑問も書かれていて、制作を担当していた私からすると
   「自分ならそれに答えてあげられるのに」と思う事柄が多々ありました。
   で、もしブログの読者同士でオフ会などが開かれる事があるのなら、
   自分も参加して皆さんに解説をしたいな、と考えるようになったのです。

ぽぽ:オフ会については私も以前からやってみたいと考えているのですが、
   読者の皆さんは日本各地にお住まいので、集まるのがなかなか難しいだろうな…
   と二の足を踏んで来ました。
   今も、皆さんからのご希望や、うまく機会が合えばぜひ開催したいと考えています。
   その時にはぜひ参加して下さい。

S.K :勿論です。

ぽぽ:そして何度かやりとりがありこうして対面が叶ったわけですが、
   今回は私がかねてから疑問に思っていた事を中心に解説して頂ければと思います。

S.K :わかりました。 私からも、「サウンド・イン・ナウ!」に関わった一人として
   皆さんに伝えたいメッセージがありますので、ぜひ最後まで読んでもらえればと思います。

ぽぽ:よろしくお願い致します。

        河上氏4.jpg
             河上氏
****************************************

ぽぽ:「サウンド・イン・ナウ!」に関わったいきさつを教えて下さい。

S.K :「サウンド・イン・ナウ!」が始まったのは昭和46年4月で、私も当初はリスナーの一人でした。
   番組の名物だった生中継の「サウンド・イン・スポット」もすでにあって、
   私は東京都区内に住んでいたので、中継が行われていた有楽町のローディー・プラザに
   毎回遊びに行っていたんですね。
   そして番組名物のクイズに参加して、3回優勝したんです。
   当時私は高校生でしたが、歌謡曲が好きでよく聴いていたので、
   テープを倍速にされようと逆回転にされようと、私にとってはどの問題も超簡単でした。

   でも3回も優勝してしまうと「これでは荒らしだと思われるな」と気になり出して、
   そこにいたスタッフに「この番組が大好きなんです!スタッフになりたいんです!」
   と直談判したのです。
   「なら虎ノ門のFM東京の番組担当者のところへ…」と言われ、
   その時から2週連続で通って担当の人に熱弁を奮い、やっとスタッフにしてもらいました。
   「来週の土曜の朝、収録を見に来なさい」と言われ、以後だんだん作業をすることになりました。
   当時のヒット曲で言うと、天地真理の「水色の恋」の頃は自宅のラジオで番組を聴いていて、
   「ちいさな恋」の頃にはスタッフとして少しずつ番組制作に参加…と言った早い展開でした。
   最初はアルバイトでしたが、間もなく高校を卒業しましたので、フリーランスとして
   ストーンウェル株式会社(*1)に雇用され、大学に通いながらスタッフとして番組制作に
   携わる事になったのです。 学生でも採用されるゆるい時代で助かりました。

   当時のFM東京の音楽番組は自局での制作ではなく、
   外部の会社が番組制作をすることが普通でした。
   「サウンド・イン・ナウ!」はまさに、そんな外注制作の番組でした。

   「サウンド・イン・ナウ!」では洋楽と邦楽を扱っていましたが、私は邦楽担当で、
   「カラオケ・コーナー」も私の担当でした。

        young days.jpg
       「サウンド・イン・ナウ!」スタッフ時代

ぽぽ:「サウンド・イン・ナウ!」は生放送だったんですか?

S.K :いいえ、生中継の「サウンド・イン・スポット」のコーナー以外は全部収録でした。

ぽぽ:番組はどのように作られていたのですか?

S.K :毎週土曜の朝10時頃から午後1時頃まで、翌週土曜の午後3時から放送する分を収録していました。

   まず台本(進行表)が放送作家の羽柴秀彦氏から事前に届けられ、そこにすぎやまこういち氏と
   堀内美紀さん(歌手)がおいでになって、その台本に沿って喋りをするのですが、
   台本には例えば「ビートルズ特集」とそれで採り上げたい楽曲名などが書かれていて、
   それについてすぎやまこういち先生がアドリブで話すんです。

   ごくまれに、例えばすぎやま先生が忙しくて次週に来られない時など、
   2回分の収録を行う事もありましたが、その場合はお二人のコメントだけを収録していました。
   その場はあっという間に終了するのですが、後の曲入れと編集が大変でしたね。

   「サウンド・イン・ナウ!」は2時間、正確には番組終了後に「羽田フライトインフォメーション」
   が入るため1時間55分の尺だったので、最初の30分、中継の30分を挟んで洋楽コーナーで30分、
   そして「カラオケ・コーナー」を含む残り25分、と3本のテープを作り、
   それをFM東京の番組編成スタッフに渡して翌週土曜に放送、となります。

   収録は当初は日本短波放送のスタジオを借りて行う事が多く、昭和49年に西新宿の
   国際通信センタービルにFM東京が移転してからは、そこのスタジオで行われました。

ぽぽ:番組には、他にどのような人が関わっていたのですか?

S.K ::まず洋楽を担当するチーフディレクター、邦楽を担当する私、ミキサーは及川公生氏(*2)。
   すぎやま先生と堀内美紀さんを含めてもたった5人で制作していたんです。

   ではここで、先ほど説明した3本のテープの内容、そして番組の進行を3枚の表にまとめた
   ものをご覧下さい(サムネイル上クリックで大きく見られます):

     SOUNDinNOW_1.pngSOUNDinNOW_2.pngSOUNDinNOW_3.png

   図に「7インチテープ 19cm/s」などと書かれたものがありますが、
   それは放送に使われたテープを巻いたリールの大きさ、そしてテープ速度を意味しています。
   その例だと、7インチ(7号、直径が約17cm)のリールに巻かれたテープを
   毎秒19cmの速度で走らせ使用している、と言う意味です。
   尚、テープはスコッチの#206と言う型番で、7インチだと30分の録音ができます。

   また図をご覧になると分かると思いますが、FM東京で作成したテープは10インチリール
   (10号、直径が約26cm)の2トラック38cm/sでそのまま放送されますが、
   その他の地方局では、FM東京で作成したテープを2トラック19cm/sでコピーした
   7インチリールのテープが使われていたので、音質的には地方局はやや不利でした(*3)。

ぽぽ:午後1時に収録終了したとの事ですが、その後は?

S.K :すぎやま先生と堀内美紀さんはすぐにお帰りになります。
   その後、我々スタッフは録音スタジオから放送スタジオに移動し、午後3時からの本番に備えます。
   先ほども言ったようにテープはFM東京のスタッフに渡し、そちらで時間通りに放送しますので、
   私達は生中継の「サウンド・イン・スポット」でゲストの生歌用のカラオケを流したり、
   クイズで使うテープの操作などを行っていました。

        record player.jpg

ぽぽ:私のブログに戴いたコメントに「『サウンド・イン・スポット』では、ゲスト歌手の音声の音質が
   悪い回があった」と知らせて下さった方がいたのですが、それは本当ですか?

S.K :「サウンド・イン・スポット」では中継先にマイクロ波の業務用回線を利用する機材を持ち込み、
   使用していました。 その回線は他の用途でも使用されていますから、我々が使用出来る
   チャンネルは限られていて、それが質の良いチャンネルと悪いチャンネルの場合があるんです。
   良質のチャンネルを使用できる場合は音質も良いのですが、良くないチャンネルしか
   使えなかった時には、歌手や司会者の声の音質が悪い、となるわけで、
   実際にそういう事はありました。

ぽぽ:音質が悪かったのは歌声や司会者の声だけで、流れるカラオケなどは音質は良かったと思います。
   それはなぜですか?

S.K :カラオケやクイズで使う音はFM東京の局から直接放送できますので、歌手はその放送と同時に
   マイクロ波で送られてくるカラオケを聴きながら歌い、今度は歌手の声をマイクロ波で局に送り、
   局でカラオケと歌をミックスしていたのです。
   なので、カラオケの音質はいいのに歌手の声の音質が悪い、などと言う事があったんですね。
   現在と違って当時はすべてアナログ機材ですから、そのようなやり方でもオケと歌手の声に
   時間的なズレが生じるなどと言う問題ありませんでした。

****************************************

ぽぽ:ここからは「カラオケ・コーナー」について質問したいと思います。
   まず選曲ですが、曲目は誰が、どのように決めていたのですか?

S.K : 私がほとんど決めていました。 
   番組の人気が上がるにつれてリクエストはがきも沢山来るようになりましたので、
   それを十分考慮した上で、最終的にはその時点での、世間のヒットに合わせて決めていたのです。

ぽぽ:曲目が決まってから放送にいたるまでのプロセスを教えて下さい。

S.K :曲目が決まると、私がレコード会社に電話で「×××(歌手名)の○○○(曲名)のカラオケを
   ××月○○日放送の番組で使いたいので、用意して下さい」と連絡を入れます。
   そして、先方から指定された日時にレコード会社までそのテープを受け取りに行ったり、
   または郵送で送られて来たりします。
   現在だと色々な書類を書かされたりハンコをもらったりと面倒なプロセスが多いと思いますが、
   当時は手順がシンプルで、今思うと大らかなものでした。

   ただその代わり、先方とのやりとりでは色々とあって…それはまた後で(笑)

ぽぽ:渡されるのはテープとの事ですが、それはどのような形態のものですか?

S.K :ほとんどの場合、5インチ(5号…直径が約12㎝)のリールで、2トラック・19cm/sの
   ステレオかモノラル、またはフルトラック(*4)・19cm/sのモノラルです。

ぽぽ:5インチですか!? それは意外です。 業務用ですから最低でも7インチかと思いました。

S.K :それはちゃんと説明しましょう。
   カラオケは元々、歌手が地方の興行(ショーやキャンペーン等)で使う為に作られていたんです。
   当時の歌手は、マネージャーがレコード会社からカラオケテープをもらって、
   それを興行先で使っていたわけですね。
   1970年代だと興行先の設備が古い場合が多く、7インチリールを使えるテープ装置も少なかった
   のですが、5インチだとどこでも問題なく使えたんです。
   またテープ速度が38cm/sでなく19cm/sなのも、どこの装置でも使えるようにするためでした。
   そういう目的で作られたテープを分けてもらい「サウンド・イン・ナウ!」で使っていたんです。

   「カラオケ・コーナー」でかかるカラオケがステレオでなくモノラルだった回が度々あった事は、
   皆さんはよくご存知と思いますが、その理由も興行と関係しています。
   興行先、例えば××会館とか△△デパートなど、人が多く集まる場所で音声を流す時、
   ステレオでは左チャンネルと右チャンネルとで出てくる音に違いがあるために、
   聴くポイントが変わると音も変わる、即ちその場所の全員に同じ音を提供できなくなるので、
   モノラルの方が都合が良いんです。
   興行ではなくテレビ局やラジオ局で使われる場合もあるので、レコード会社では
   モノラルにミックスしたカラオケとステレオミックスのカラオケテープを用意してあって、
   歌手のマネージャーはそれを両方受け取り、仕事先で使い分けていたのです。
   つまり、カラオケは元来、歌手の営業のために作られていた、と言う事です。

   「サウンド・イン・ナウ!」では、レコード会社から受け取ったテープを
   そのまま使うしかないので、時々モノミックスの事があり、それを仕方なくかけていました。

   実はその「仕方なく」がミソでして… レコード会社が作っていたカラオケテープは、
   ステレオとモノラル、それぞれ1種類しかない、と言うわけではないんですよ。

ぽぽ:はい? ミックスが何種類もある、と言う事ですか?

S.K :ミックスを行うのは勿論、それを作ったエンジニアなのですが、本チャンが出来るまでに
   いくつかパターンの違うミックスを行ったりして、中には明らかに失敗している、
   例えばある楽器を出し忘れているとか消し忘れているとか、エコーを掛け損ねているとか、
   そんなものもあるわけです。

   当時のレコード会社は居丈高な存在でしたから、私のような若造(当時は20歳前後でした)が
   テープを受け取りに行くと、放送でカラオケを流す事に非協力的な応対だったりするんです。
   「これで我慢しておいて下さい」と、そのような「いまいち」ミックスのテープを
   提供してくれたりするわけですね。
   例えばぽぽんたさんのブログで話題になった「アルプスの少女」(麻丘めぐみ)のカラオケでは、
   冒頭に薄くカウントが聞こえたり、サビでボーカルがちょろっと出たりしていますが、
   あれは明らかにそのような「いまいち」ミックスです。
   本当はステレオのものもあるのに、モノラルのものを渡されたりしたのも同じ理由です。

   そんな状況は実はすぎやま先生や他の制作スタッフも知っていました。
   言い換えると、そんな状況でも結局テープをもらう事が出来ていたのは、
   ひとえにすぎやま先生のご威光があったからです。
   しかしレコード会社に何度も通っているうちに担当の人達と打ち解けてきたりすると、
   良いテープを渡してくれるようになったりしたんですよ。

   すぎやま先生は例えば、テープの状態や音質がどうのとかは気にせず、
   とにかく「もらったものをかけてみよう」と言ったスタンスで、それは何よりも
   「カラオケをリスナーに聴いてもらうのが大切」との事だったんですね。

   ただ、これはすぎやま先生や他の音楽家の方が仰っていた事ですが、
   ステレオよりもモノの方が、音楽的なバランスの点で好ましいそうですよ。
   編曲で譜面を書く時には、例えばこの楽器は左、これは右…などと、
   音の定位まで考えているわけではないから、と言う事らしいです。

        tape machine.jpg

ぽぽ:すぎやま氏はカラオケの曲目や内容について話されたりしていましたか?

S.K :すぎやま先生と堀内さんがお喋りをするスタジオと調整室とは隔てられていますし、
   カラオケが流れている時にはそれぞれ雑談などしていて、カラオケそのものは
   あまり聴いていないですし、流れている曲について話している事も少なかったですね。

   また、すぎやま先生はカラオケをかける曲について毎回こだわっていたわけではなく、
   知らない曲だった場合は、歌入りに続く解説の時に「レコード会社が…」「オケが…」等々、
   解説が簡単になっていましたね(笑)

   ただ、一つよく憶えているのが先ほども話題にした「アルプスの少女」の回での事です。
   エンディングでストリングスが大変な速さで演奏されるのを耳にしたすぎやま先生は、
   急に雑談をやめて調整室にいる我々にトークバックで
   「これは凄いね! 日本のバイオリン(演奏)もここまで来たね!
   こんな速いフレーズなのに全然ずれていない!」と感激して話しかけてこられたんです。
   私も大好きな録音技術、大好きなビクターオーケストラの演奏なので、
   内心「やった!」と思いました。
   何気ない歌謡曲なのになぜこんなに凄い演奏なのでしょうね…。 

ぽぽ:私はその回は兄に録音を頼んで自分は塾に行っていたので知らなかったのですが、
   多分カラオケが流れた後にもすぎやま氏が同じような事を話されたようで、
   それを憶えていて私のブログのコメントに書いて下さった方がおられます。
   きっととても印象的だったのでしょうね。

S.K :そうですか! 皆さん、真剣に聴いて下さっていたんですね。
   ただ私はと言うと、その回の事はよく憶えていたのですが、他にはすぎやま先生が
   どのようなお話をしていたかなど、ほとんど憶えていないんです。
   次にしなければならない仕事の事で、いつも頭がいっぱいだったんですね。

ぽぽ:私がよく記憶している事として、「学生街の喫茶店」(ガロ)があります。
   この曲はすぎやま氏の作曲ですが、レコーディングが同録(*5)で行われたために
   カラオケが無い、と言う事でした。
   それでもリクエストが絶えないので、オリジナルテープ(多分4、あるいは8トラックの
   マルチトラックでしょう)のボーカル部分を消して新たにミックスしたとの事で、
   無事にカラオケが放送されたんですね。 その事については何か憶えておられますか?

S.K :いいえ、残念ながら憶えていないんです。 すぎやま先生が「『学生街…』の間奏の
   イングリッシュホルンは書き譜ではなくてアドリブなんだよ」と仰っていたのは
   憶えているのですが。

ぽぽ:もう一つ、りりィさんの「私は泣いています」の回では、FM誌にはその曲名が出ていたのに、
   放送当日になって「この曲は同録のためカラオケがないので、変更します」となった事がある…
   と、これもブログの読者の方が知らせて下さった事なのですが、
   それについてはどうでしょう?

S.K :う~ん、そんな話、あったかなぁ…。りりィさんは音楽スタイルにこだわるタイプの歌手なので、
   カラオケが無いのではなくて、カラオケが放送されるのを嫌がったのかも知れませんね。
   正直なところ、よく憶えていません。

ぽぽ:そうですか、残念です。
   その他にも、例えば当時の放送テープが残っていたり、ご自身で録音して保存などは?

S.K :一切無いです。 こうしてお話していると次々に当時の事を思い出しますが、
   資料関係は何も残っていませんし、記憶だけが頼りと言った感じです。

****************************************

ぽぽ:少し話が戻りますが、レコード会社から受け取ったテープの内容について教えて下さい。

S.K :5インチのテープなので、19cm/sだと15分収録可能である中に、カラオケが1曲分入っています。
   レコード会社によって、特にCBSソニーでは、シングルAB面で2曲入っている事が殆んどでした。
   それもやはり興行での使用が目的と思いますが、
   テープを作成する側からすると、コピー元のテープがその状態で入っているために、
   特に何も考えずそのままコピーして渡してくれたのだろうと思います。
   尚、残念ながら、「サウンド・イン・ナウ!」でB面曲のカラオケを放送した事はありません。

ぽぽ:興行やテレビ・ラジオ出演で使うには、例えば太田裕美さんの「赤いハイヒール」
   のようにイントロが無い曲だと、歌い出しのタイミングをとったり、キーを確認するのが
   難しいと思いますが…。

S.K :実は、レコード会社から渡されるテープには大抵、曲が開始する前にカウント音が
   入っているのですが、放送ではカットします。
   また「花嫁」(はしだのりひことクライマックス)のようにフェイドアウトで終わる曲では、
   テープではフェイドアウトしていなくて最後にプッツリとあっけなく終わる状態で
   入っている事もありました。
   なので、そのようなテープが歌手の興行先で使用される場合、そこの音響担当者が曲の最後で
   フェイドアウトさせていたわけですね。
   「サウンド・イン・ナウ!」で使う時も、そのような音源の場合は最後まで流さず、
   適当なタイミングでフェイドアウトさせていました。

        Mixing console.jpg

ぽぽ:「カラオケ・コーナー」では毎週1曲のカラオケが流されていましたが、
   ごくたまに2曲だった事がありました。 それは?

S.K :それはFMの聴取率調査を意識しての対策ですね(笑)
   聴取率調査は毎月1回行われるのですが、「カラオケ・コーナー」効果が大きく、
   FM東京の番組中で「サウンド・イン・ナウ!」の聴取率は常にトップでした。
   2位は「ステレオ歌謡バラエティ」だったかな。
   で、その調査のために聴取率を稼ぎたいと思った時には洋楽のコーナーで
   「ビートルズ特集」をやったり、またはカラオケを多くするなどしていたわけです。

ぽぽ:当時FMの番組表を載せた雑誌が出ていましたが(週刊FM、FM fan、FMレコパル)、
   時々「カラオケ・コーナー」に曲目が書かれていない事がありましたが?

S.K :FM誌には遅くても放送の1週間前に曲目を知らせておかないと紙面に載せてもらえないのですが、
   選曲に時間が掛かってしまいどうしても間に合わない事があったんですね。
   それは実際にかけたいテープが無かったり、もうすぐヒットが終わりそうな曲のテープしか
   無かったりする、そんな場合です。 やはり旬の曲をかけたいじゃないですか。
   時々、一度放送した曲を再び使った事もありましたが、あれもリクエスト等は関係なく、
   単純に他にかけたい曲が無かったからです。

   リスナーが若い年代中心とわかっていたので、なるべく演歌をかけない方針だった事も、
   時々曲が枯渇する理由の一つでした。 当時は演歌のヒット曲がとても多かったですから。

****************************************

ぽぽ:「サウンド・イン・ナウ!」、そしてその中の「カラオケ・コーナー」は、
   すぎやまこういち氏の発案で始まったのですか?

S.K :そうだったと記憶しています。
   それでは、私がぽぽんたさんのブログを通じて最も発信して欲しかった事をお話しますね。

   カラオケとは元々音楽業界、放送業界の用語で、業界では古くから知られた言葉でした。
   そのカラオケに初めてスポットライトを当てて、その存在と名称を世間に知らしめたのは、
   紛れもなくすぎやまこういち先生であり、その媒体が「サウンド・イン・ナウ!」だったのです。
   先生の発案と番組が無ければ、もしかしたら後に誰かが採り上げたかも知れませんが、
   現在、これほどカラオケと言う言葉が一般化する事は無かっただろうと思います。

   なので、「サウンド・イン・ナウ!」はカラオケありきの番組であり、
   カラオケの放送が目的の番組であったと言っても良いのです。

   では、すぎやま先生がなぜカラオケを広めたかったのかをお話しましょう。

   歌謡曲などは、歌詞があり、メロディーがあり、その伴奏、そして歌手がいる、
   その4つを主として成り立っています。
   歌うのは歌手、歌詞を書くのは作詞家、メロディーを作るのは作曲家ですね。
   そして伴奏、つまりバックの音を作る編曲家がいるわけですが、
   その編曲について、世間の認知度があまりに低かったのです。

   しかし実際の作業では、最も手間がかかり、高度な知識と技術が要求されるのが編曲なんですね。
   リズム楽器群やストリングス、管楽器などすべての楽器の楽譜を作り、それを一流の演奏家に
   演奏してもらい、必要に応じて手直しなどもして、歌の伴奏を作り上げる作業であり、
   皆さんがレコードを聴いた時にその曲の印象を決定づける、大変重要な仕事です。

   そんな大切な仕事なのに、当時、編曲は買い取りと言って、1曲仕上げて×万円の報酬をもらう
   と言った制度になっていて、作詞や作曲、歌唱のように印税が適用されていなかったのです。
   そのため、数百万枚売り上げるような大ヒット曲となっても、
   作詞家や作曲家、歌手には売り上げ枚数に応じた報酬(印税)が入るのに、
   編曲家にはそれがなく、伴奏を仕上げた時に得た報酬でおしまいだったんですね。
   すぎやま先生はそれに理不尽さを感じていて、編曲にも印税が適用されるようにしたかった。
   そのためにはまず、世間に編曲とはどのような仕事かを知ってもらい、
   編曲家の地位を上げようと考えられたのです。
   それで、すぎやま先生がまず行ったのがアレンジャー協会の設立でした。
   そして「サウンド・イン・ナウ!」の開始につながるのです。

   カラオケはまさにその編曲そのものだから、とにかくリスナーにそれを聴いてもらおう。
   でもいきなりカラオケだけ流してもワケわからないだろうから、
   まず通常の歌入りをかけ、その曲についての解説をはさんでその曲のカラオケを流す。
   その一連の流れが、すぎやま先生が考えられた「カラオケ認知」の作戦だったのです。

   それは成功し、リスナーからは「カラオケって何ですか?」「そんなものがあったんだ!」
   「あの曲のカラオケを聴きたい!」などと大きな反響が来るようになりました。

ぽぽ:1970年代初めの頃は、若者が洋楽を通じてどんどんサウンド志向になっていった時代ですから、
   歌謡曲のカラオケのサウンドにも大きな興味が持たれたのでしょうね。

S.K :それと、聴き慣れたヒット曲なのに歌だけがない、それが新鮮に感じられたのかも知れませんね。

ぽぽ:私は当時小学生でしたが、「カラオケ」と言う言葉自体がとても新鮮でした。

S.K :そして「サウンド・イン・ナウ!」の人気が上がり、「カラオケ」が浸透してきたのを見計らい、
   別コーナーでは同じ曲が何通りかに編曲された例を採り上げ、
   「同じ曲でも編曲によってこんなに変わる」と示すなどして、
   編曲の重要性を徐々に知らしめていったのです。

   ただ、すぎやま先生はどんな時も、「編曲が…」「アレンジが…」などと言った解説は
   ほとんどしませんでした。

ぽぽ:それは、リスナーが自然に、自ら理解していく事を望んでおられたのではないでしょうか。

S.K :そうかも知れませんね。 
   そのように段階を踏んで、すぎやま先生は編曲の重要性を知らしめる事と、
   編曲家の地位の向上に努めてこられたのです。
   これを読んで下さっている皆さんに、それをぜひ理解して頂きたいと思います。

ぽぽ:よくわかりました。 すぎやま氏のそのようなアイディアとご尽力で、
   現在ではカラオケは日本のみならず、世界中で通用する言葉になったわけですね。
   ところでこれまでお話して下さった事はこれまで、どこにも発表された事がなかったようですが、
   今回、この記事によって多くの人が知る可能性があります。 それは大丈夫ですか?

S.K :先日、音楽関係者の集まりですぎやま先生にお会いした時に、
   「『サウンド・イン・ナウ!』での先生の、カラオケへのご意向を発表してもいいですか?」
   と伺うと「どんどん発表して下さい」とのお返事でしたので、大丈夫です。

   むしろ、より多くの人に知って頂きたいと思います。

ぽぽ:本日は長い時間、どうもありがとうございました。


注釈)

*1 ストーンウェル株式会社…石井好子音楽事務所の系列会社で、当時はラジオ番組等の
 外注を請け負っていた。

*2 及川公生氏…現在では主にジャズ界で活躍する、世界的に著名なレコーディングミキサーの一人。
 オーディオ評論家としても活動しており、「FMレコパル」(小学館)でレギュラー記事だった
 「リスニングルーム訪問」でもお馴染みだった。

*3 当時のFM放送では、生放送以外ではどの番組でもほぼ同様のプロセスで放送されていた。

*4 フルトラック…テープ録音では、2トラック2チャンネルだとテープ上に2本の記録帯(トラック)、
 4トラック2チャンネルだとテープ上に4本の記録帯が作られるのに対し、
 フルトラックとはテープの全幅をモノの録音に使う方式。 
 当然ながら片道しか使えないが、走行方向を逆にすれば当然の事ながら逆転再生となるので、
 「サウンド・イン・スポット」のクイズではそれを利用していた(2トラック2チャンネルも同様)。

*5 同録…同時録音。 通常、オケと歌を同時に録音する事。 その場で全部ミックスした状態で
 2チャンネルステレオとして録音するのが普通なので、カラオケは無い。
 しかしマルチトラック録音でオケと歌を別々に録音してあった場合には、ミックスの時に
 歌だけを消音すればそれがカラオケとなる。 文中の「学生街の喫茶店」はその一例と思われる。

****************************************

インタビュー記事には載せませんでしたが、当時のFM東京で放送されていた歌謡番組についての
エピソードをひとつ…。

土曜午後1時から、番組名を変えながらも歌謡ベスト10番組が長年続いていました
(今も同じ時間に同様の番組が入っていますね)。
ポップスベスト10(洋楽)では「今週の第×位は…」と曲名だけを発表し、
音楽が流れない事がありましたが、
歌謡曲ベスト10では全曲放送されていたのはご存知かと思います。

しかし放送時間の関係で1コーラス分だけとか、
3コーラスまである曲の2コーラス目をカット…なんて曲もありましたよね。
私はあれはFM局で編集していたものとばかり思っていました。
恐らく読者の皆さんもそうではないでしょうか。

ところが実は、それはレコード会社で編集されていたもので、
しかもFM局にはその編集ver.がレコード(シングル盤)で届けられていたそうなのです。
「レコード会社内以外では楽曲の中身を勝手に編集してはいけない」と言うルールがあり、
自由なのは曲の途中や終わりに必要に応じてフェイドアウトする事くらい、だったそうです。

私は当時のベスト10番組を録音したテープを今もいくつか持っていますが、
技術の問題か、編集箇所があからさまに判ってしまう曲ってあるんですよね(^^)
1973年10月に放送された「十五夜の君」(小柳ルミ子)の編集ver.を河上氏にお聞かせすると
「これはひどいですねぇ」と驚いておられました。

河上氏はテープ編集の達人でもあるのですが、
そのあたりのお話はまた、いつか機会があれば、と言う事でm(__)m


最後に、1975年夏にFMレコパルに掲載された特別企画記事「ミニSL・EL 北陸の旅」
のスキャン画像です(サムネイル上クリックで大きく見られます):

FMReco-1.jpgFMReco-2.jpgFMReco-3.jpgFMReco-4.jpgFMReco-5.jpgFMReco-6.jpgFMReco-7.jpgFMReco-8.jpgFMReco-9.jpg

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

改めまして、気さくに、そして長時間楽しいお話を聞かせて下さった
河上氏に心からお礼を申し上げます。


*次回は3月11日に更新予定です。

nice!(3)  コメント(27) 
共通テーマ:音楽

nice! 3

コメント 27

卓

ぽぽんたさん、こんにちは!

オリジナル放送から少なくとも40年は経っている番組の裏話を知ることができて、本当に感激です。まさかこのような対談が実現するとは・・・。

こうして読ませて頂くと、私も当時聴いた放送内容をすべて記憶しているわけでは無いのですが、「う~ん。そうだったのか。」などと納得することができました。

番組放送当時、某新聞社のテレビ投書欄に、「歌手が番組で使用するカラオケは、どのようにして手に入れるのですか?また、そのカラオケは一般の視聴者も手に入れることができまか?」の質問をこのテレビ投書欄に葉書で投稿したのも懐かしい思い出ですね。回答はありませんでしたが。

参考までに、歌手名を忘れてしまいましたが、演歌歌手が新曲キャンペーンで地元のボウリング場に大会のゲストで出演された時に、歌唱の際に5インチのモノラルテープレコーダーを使用していました。そこでアクシデントがあり、最初に歌入りのテープを使ってしまい、1度目は本人の一人ユニゾン(?)、テープをかけ替えて2度目にカラオケで歌唱となりました。テープのかけ替えはマネージャーさんがやっていましたね・・・。

私がカラオケオタク(歌うのではなく聴くだけ、そして当時「オタク」という言葉はありませんでした)になったのは、ポール・モーリア、レーモン・ルフェーブル、フランク・プルーセルの影響があったのかもしれません。今思うと、彼らは同じ楽曲をそれぞれの「編曲」で個性を出していたのではないかと・・・。

最後に、「オフ会」の開催を楽しみにしています。また、これからもこのブログを自分のペースで更新して下さい。こちらのブログも楽しみにしています。




by (2018-02-26 13:40) 

ぽぽんた

卓さん、こんばんは!

私にとっても、土曜の午後にオーディオ装置の前で「サウンド・イン・ナウ!」を聴いていた
時代を思い起こすと、その番組を作っていた人と直接お話ができるなんて事はもう、
奇跡と言っていいような出来事でした。 インターネットのおかげですね。

そのような投書をされた事があったのですか。 私は確か小学6年の時だと思いますが、
FM東京の「サウンド・イン・ナウ!」宛てにカラオケのリクエストをした事があります。
その当時からすると古い曲だったからか、全く引っ掛かりませんでしたが(^^;)
きっと、このブログを読んで下さっている多くの方にもそんな経験がおありかも
知れませんね。

昔だとそのような間違い、トラブル(テープ関係)は多かったのでは、と思います。
オープンリールだとカセットと違って、操作一つとってもわからない人は本当にわからない
と思いますし、慣れていてもテープ自体に曲名が書いてあるわけではないので、
リールが変わると内容がわからなくなりますし…。
5号のテープは私も数本持っていますが、持ちやすくて使いやすいので結構、好きでした。
子供の頃は7号リールがとても大きく感じたものです。

そうですね、70年代はそういったイージーリスニングのオーケストラが競うように
ヒット曲などを独自のアレンジを施してレコードを作っていましたね。
私は昔は聴きやすさでポール・モーリア楽団が好きでしたが、大人になって
ヘンリー・マンシーニの良さがわかるようになりました。

オフ会、やりたいですね! そろそろ皆さんと顔合わせしてもいい気がしますし、
その時は河上氏がここの記事に書き切れなかった事をお話して下さると思います。
今後も楽しく、このブログを続けますので、どうか応援して下さい!

by ぽぽんた (2018-02-26 23:35) 

ゆうのすけ

今回は いつも以上にじっくり記事を拝見させていただきました。
今回のこの対談は スゴイことですよね。
私はリアルタイムではラジオを聴くには子供過ぎて 番組の存在は
ぽぽんたさんのこのブログで知ったのですが それでもこのような番組が存在されていて リスナーであったぽぽんたさんが 番組のスタッフさんと時を超えた出会いが出来たってのは 私も記事を読んでいる時点で(私のことのように)感動して 鳥肌が立つくらいぞくぞくとしてしまいました。^^☆
後でもう一度じっくりゆっくり対談記事を拝見させていただきます。今の感動を忘れないうちにコメントをとり急ぎに!^^♫~

by ゆうのすけ (2018-02-27 00:12) 

ゆうのすけ

追記:全てを改めて拝見し直して 私も過去の番組放送音源(コメント等入り放送音源)があるのなら聴いてみたいなと思ってしまいました。もうちょっと本格的に流行歌の世界を知りえる年齢であったら。。。なんて悔やまれちゃいます。(私が流行歌に興味を持ち 右も左も知らない子供ながら にわかレコードコレクターになり始めたのは 1975~6年の「木綿のハンカチーフ」太田裕美 が売り切れで買えなかったので「ファンタジー」岩崎宏美をお年玉で買った頃からなのです。オリジナルカラオケというものを知ったのは もっと後で ピンク・レディーのカラオケLPを買った頃ですので1978年頃でしょうかね。(ガイドメロ入りでしたが。)^^;
今回はいろんな事を知りましたが 中でも一番気を引いたのは 聞いたことはあったのですが ①編曲に印税が無く買い取りだということと②「レコード会社内以外では楽曲の中身を勝手に編集してはいけない」と言うルールがあるという事。②に対しては FM東京のベストテン番組で フルコーラスでなく1コーラスと終わりの部分が繋がっていたりしたのを エア・チェックしていて なんかすごいかも!なんて私もまねるきっかけになったことだったんですね。今はデッキもないし不可能なんですが 何度も聴いてリズムを身体でカウントしながらオリジナルテープを作ったりしたものでした。太田裕美さんの「恋人たちの100の偽り」が上手く編集出来ないのが悔しくて。「木綿~」も1~4とコーラスごとに編曲が微妙に違っていて!^^;何の曲だか忘れちゃいましたが 1コーラスとその後オリカラをくっつけたりとかもしましたっけ。今じゃクラブDJのミックスなんか当たり前の時代になりましたが。(ひゃ~脱線!また長くなっちゃいました。)
大事なこと忘れていた!パッケージメディアが売れなくなってきている今こそ オリジナルとカップリングや アーティストごとの括りなど 各メーカーが所有している オリカラ音源を”もっと”発売して欲しいということです。オンデマンドでも良いんです。シングルCDが 何百万枚と売れた時代あの成功は カラオケブームの追い風と アナログ盤では叶わなかった オリカラが歌入りと共に収録されたことにあるのですものね。宝の持ち腐れは勿体ないです。私はそう思うのです。(いつもの如く支離滅裂なコメントになっちゃってごめんなさい!^^;)
おまけ:最近は『LIBRA(+10)』鹿取洋子のオリカラ(「ゴーイン・バック~」は1コーラス入りなので残念ですが。)と「恋の綱わたり」中村晃子(テイチク音源)にハマっちゃっているのでした。☆彡
おまけ②:ちょっと他のWEB記事で気になったのですが カラオケのコーナー名が ”マイナスワンのコーナー”だとしたならば 私が長年なんで マイナスワンという名称なのかと気になっていた 中島みゆきさんのアルバム『おかえりなさい』(LP)に付属していたマイナスワン・レコード「追いかけてヨコハマ/あばよ」とりまきバンド の(オリジナル・カラオケ)シングルの意味が判りそうです。^^カラオケと呼ばずにマイナスワンと呼ばれていたことがあったのですね。^^
by ゆうのすけ (2018-02-27 05:41) 

Massan

ぽぽんたさん、こんばんわ。
いやー、どのようなコメントをつけたら良いかわからないくらい読みごたえがありました。私にとっては知らなかったことのオンパレードです。「カラオケ」という言葉じたいは中学生の頃から知っていましたし、家の近くのレコード店に来られた歌手の方が伴奏だけのテープをバックに歌っているのを見てカラオケテープの用途もわかっていました。ただ、私はカラオケテープそのものが何種類もあるとか、実際のレコードとミキシングが異なるとか、明らかな失敗作を平気でラジオ局に渡す・・なんて想像したことが無く、あくまでもカラオケテープと実際のレコードは一体のものだとばかり思っていました。いくつになっても新たな発見ってあるんですね。
ところで「ミニSL・EL 北陸の旅」の画像は私にとって垂涎モノです。鉄道ファンの中には「録り鉄」と呼ばれる方々もおり、特にSLブームの頃は鉄道雑誌にも録音方法の細かい解説記事が掲載されていました。私は「撮り」も「録り」もからきしですが、当時は音楽関係の専門雑誌にも鉄道に関する記事が掲載されていたんですね。これも新たな発見です。
それでは。次回も楽しみにしています。
by Massan (2018-02-27 21:16) 

ぽぽんた

ゆうのすけさん、こんばんは!

ありがとうございます。 私は今回の事で、「ザ・シークレット」ではないですが、
心から願っている事は現実化する、と言う事を実感した思いです。
時間は掛かりましたが、自分にとっては最高の形で、知りたかった事を知る事が出来ました。

「木綿のハンカチーフ」が売り切れだったのですか!当時は「およげ!たいやきくん」が
大ヒットしていた頃ですから、それが売り切れだったというのは聞いた事がありましたが、
「木綿のハンカチーフ」もきっとすごい勢いで売れていたんですね。 何だか嬉しくなります。
あ、そのピンク・レディーのカラオケLP、多分私が持っているものと同じと思います。
「UFO」なんて、ガイドメロディーとは言えない大音量でシンセが入っているやつ、ですよね。

私も今回河上氏から伺ったお話は、ほとんどが全く知らなかった事でした。
どんな職場でもその現場でしか知り得ない事って色々とあるものですが、
今回はまさにそれで、まるで入った事もないはずのスタジオで収録の様子を見ているような
臨場感を感じながらお話を聞いていた、そんな感じです。
私もFMの歌謡番組を聴いていて、1コーラスに編集してあったりするのが「カッコいい!」
と思ったクチでして、オープンリールでテープを切り刻んでつないで…とやっていました。
あれって、テープ速度が遅いと編集箇所がすぐバレちゃうんですよ。
時々カセットでもポーズボタンでやっていました。 時々すごくうまくいく事があって、
そんな時はそのテープを何度も聴いていました(^^)

カラオケをもっと発売してほしいと言うご意見は全く同感です。
これまで全く陽の目を見た事のない音源も山のようにあるはずですから、
ケチケチせずにどんと出してほしいものです。
やり方によっては、意外と大きなマーケットになったりして(^^)

マイナス・ワンは楽器の練習用に作られたもので、これはカラオケと言う言葉が知られる
前からあったはずです。
ただオリジナル・カラオケとは違って、例えばビートルズの曲を全く別のミュージシャンが
演奏し、通常ミックスとギター抜きミックスなどを続けて入れてあったりするレコードが
主流だったように思います。
CDシングルが出てからは、カラオケの事を「ヴォーカルレス・バージョン」
「レス・ボーカル」など、レーベルによって呼び方が違ったりしていましたね。
外国曲では、例えばマドンナのアルバムに入っていたカラオケなど、どれもほぼ例外なく
「INSTRUMENTAL」と表記されていました。
個人的には、70年代の洋楽のカラオケも欲しいんです。 しかし欧米では当時、
カラオケを作る習慣が無かったので、オリジナルマルチを引っ張り出してミックスし直す
しかないものが殆どで、実現は難しいかも知れません。

by ぽぽんた (2018-02-27 23:58) 

ぽぽんた

Massanさん、こんばんは!

楽しんで頂けて何よりです(^^) 本当に、実際に現場で作っていた人にしか
わからない事って沢山あるものだな、と私も実感しました。
色々なミックスがあったりするのも、やはり当事者にしかわからない事情、
なんですよね。
あれから40年以上経過して、今だから話して頂けた、と言うのも大きい
かも知れません。
でも現代だと、例えば不完全なミックスの音源など、会社の威信に関わるから
外には出せない!って事になる気がしますし、そういう意味では、伺ったお話から
時代を感じ取る事もできますね。

Massanさんは鉄道がお好きなんですね。 昭和50年頃だと、その3年くらい前
から生録音ブームが起きていて、音楽之友社の「録音のすべて」なる雑誌などにも
鉄道や飛行機、お祭りなどの現実音の録音の指南記事がよく掲載されていました。
このブログで以前、すぎやまこういち氏とミキサーの行方洋一氏の対談を載せましたが、
その中でもSLの録音について触れらていますので、もし未読でしたらどうぞ:
http://orikarapoponta.blog.so-net.ne.jp/2013-07-13

by ぽぽんた (2018-02-28 00:12) 

もっふん

すごく興味深い記事なのにコメントするのはそこかよ、的な話ですが、正直ヘビーな内容にお腹が一杯で上手く消化出来ていないのでご容赦を。

>ゆうのすけさん

「マイナスワン」は必ずしも「カラオケ」と同義語ではなくて、たとえばベース抜きとかドラム抜き(主にパート練習用ですね)のようにボーカルに限らず「あるパートだけを抜いたミックス」を総じてマイナスワンと呼びます。

バンドなんかをやっていると、ギタリストは必ずと言って良いほどギターのマイナスワンテープを欲しがったものです(特にソロのフレーズを自分で考えて貰う時には何かが入っているととても邪魔ですので)。

私も仕事が終わった後、会社のサークル室にこもって、リットー社の「リズム&ドラム マガジン」の付録 CD に収録されていたドラムのマイナスワン音源を流しながら無手勝流のドラムを叩きまくってストレスを発散していた時期がありました(他の楽器はステージでも任された事がありますが、ドラムだけは練習にドラマーが来れない時の代打専門でしたから)。

まあでも、最初に需要が発生したのはボーカルのマイナスワンでしょうから、その時点ではその後のカラオケと同義語であったと思います。


オフ会は・・・たぶん東京と福岡の開催は決まりだと思うので(などとテキトーな事を)、最終的にぽぽんたさんが日本全国何か所を巡る事になるのか、今から楽しみにしていますよ(爆
_
by もっふん (2018-02-28 03:14) 

もっふん

あれー、ちゃんとリロードしてからコメントしたのに、3時間も前にぽぽんたさんの書かれた内容と丸被りでしたね(^o^;

お目汚し失礼しました>ALL m(_ _)m
_
by もっふん (2018-02-28 03:18) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは!

いえいえ、もっふんさんのご説明の方がわかりやすくて適切です。
ありがとうございます。

え!?私、オフ会ツアー、ですか(^^;) ちょっと、やってみたい(*^_^*)

by ぽぽんた (2018-03-01 00:31) 

きゅーぴー

ぽぽんたさん。
私がFMを雑誌を購入しつつ、「サウンド イン ナウ!」を本格的に聞き始めたのはいつだったかなと考えていたのですが、恐らく中学3年生くらいからだったように思います。そして「カラオケ」の存在を知ったきっかけは、当然この番組でした。ぽぽんたさんに比べれば、いささかオクテだったのでしょうか。それにしても今回の記事は大変興味深く拝読しました。

ぽぽんたさんの40年の思い入れには遠く及びませんが、以前にも投稿したように、番組聴取の10年少し後に、仕事でアンケートはがきに「すぎやまこういち、作曲家」の名前を見て、勝手な再会を勝手に喜んだものでした。遠近両用バリラックスメガネのアンケートはがきでした。

どうでもいい話をもう一つ。
コメント内の話題でピンクレディのカラオケの話がありましたが、1年ほど前に学校関係の集りが盛岡であった時に、ゲストの都倉俊一さんがジョークで「UFO踊れる人いますか?」と問いかけて、笑いを誘っていました。その後の関係者パーティーで、複数の女性が「カラオケで振り付きで歌いますよ」と、都倉さんに話しかけていたのを聞いていました。でも実際にカラオケLPがあったのですね!その事実にびっくりでした。

また、関連した話題があればお願いします。
楽しみにしています。

オフ会、東京開催ですと約600kmの移動ですが、寄る年波に打ち勝って出席したいものです。





by きゅーぴー (2018-03-02 18:00) 

nuko222

ぽぽんたさん、こんばんは。
その当時にオペレートされていた河上さんのインタビューということで、写真や図解を含めリスナーとして聞いていた時の記憶が甦る内容でとても興味深い回じゃないかと思います。

当方がその番組を聞き始めたのは、多分75~6年頃だと思うのですが、エアーチェックして保存しているカラオケはそれほど多くないので、ぽぽんたさんの記事で紹介されると新鮮な感覚があります。
以前、書き込みで言ったかと思いますが「サウンド・イン・ナウ」でオリジナル・カラオケを毎週聞かせてくれたことが当方の音楽業界への就職した要因になっているので、感謝しかありません。

就職後はオリジナル・カラオケの編集なども行う環境で、テレビ用の1.5コーラス(ワン・ハーフ)や2コーラスなども編集していました。

覚えているうちにその手順を書いておきますと、1分30秒とか2分といったテレビ放送に適した時間に近いサイズに仕上げる事が重要で、マスターテープからコピーしたテープ(マスターテープは15IPS/S、コピーは7.5IPS)で、試しに編集してその曲の担当ディレクターにカセットテープにコピーしたものを聞いてもらってOK/NGの判断してもらって、俗に言う「テレビサイズ」が確定していました。
(尺重視なのでイントロや間奏も縮めたりしますし、あちこち編集のやり直しをしているので、スプライシングテープだらけになっている)

同時に歌入りで同じ編集ポイントのものを作るのですが、こちらの方が歌のかぶりがあって難しかったと覚えています。
ですから、キッチリと拍頭での編集は難しくて若干前後させて調整する事もありました。

歌入りはナゼ必要かと言うと、TV番組で事前に映像のアングルやスイッチングを決めるのに歌との関係をみるのに歌入りじゃないとTV局側の演出者や技術者が感じを掴めないからです。

こういった編集はテープ速度15IPS(38Cm/s)の方が細かく聞こえて簡単そうに見えますが、実作業では7.5IPS(19Cm/s)の方が大きくテープを動かさなくて済むのでポイントを掴みやすかったです。

テープに編集箇所の印をつけるものとして「ダーマトグラフ」(通商:デルマと呼ぶ)という柔らかい色鉛筆を使いますが、70年代の録音関係の情報誌には黄色とされていましたが、実際は白色が標準的に使用されてました。

こうして、編集ポイントが決まれば、正式に編集して、それをさらにコピーしてつなぎ目のないものにします。(それも7.5IPS)
これがTVサイズの完成で、いつでも依頼があったらこれからコピーしていました。(編集された親テープをコピーマスターと言います。当方の勤務していた事業所ではこのコピーマスターにノイズリダクションのエンコードはされていませんでした。ドルビーなしでもクオリティーはテレコの調整で担保されています)

これが、5インチのリールに巻かれて送り出されて行きます。
箱は各社まちまちで、本来5インチで販売されているオープンリールテープの箱を使ったものやオリジナルの箱にテープシート(アーティスト名、曲名、演奏時間、カラオケ/歌入り、サイズ、フェードアウトの要/不要、テープ速度、ステレオ/モノ、イコライザータイプ(NAB/NAB-J)などを付けて配布していました。

本来、使用後は回収するのが前提ですが実際には渡しっぱなしで多分のちに配布先で不燃ゴミになったものがほとんどだと思います。
(局の駐車場の片隅に山積みされたオープンリールテープを見たことが30年くらい前にあります)誰かに持ち出されたものもあるかも?

長々とすみませんでした。
返答不要です。次回を楽しみにしています。

by nuko222 (2018-03-03 04:02) 

ぽぽんた

きゅーぴーさん、こんにちは!

読んで下さってありがとうございます。 きゅーぴーさんは私より年長と思いますが、
カラオケを知った時期は恐らく同じくらいかも知れませんね(^^)

私は学校関係が芸能人や音楽家等と重なる事項を一切持っていないので、
そのようなエピソードを伺うともう、羨ましくて仕方ありません。
私の兄でさえ、中学の時にあの「赤い鳥」が学校にやってきて演奏した、と言う
思い出を持っているのになぁ、と言う感じで(^^;)
私もピンク・レディーのカラオケLPは発売された頃に速攻で買いました。
中に土居甫さん監修の振り付け解説が入っていたのですが、その写真がピンクの二人でなく
違うモデルだったのでちょっとガッカリしたりして(完全に余談ですね(^^ゞ)。

私の気持ちの中では、↑でもっふんさんが書いておられるように日本のあちこちで
オフ会を開きたいなどと考えてしまうのですが…どこかの企業がスポンサーに
なってくれないかな(無茶、ですね(^^ゞ)。

by ぽぽんた (2018-03-04 10:20) 

ぽぽんた

nuko222さん、こんにちは! 返信不要とのことですが、少々…。

現場の貴重なお話、ありがとうございます! 作業自体が目に浮かぶようです。
今はPCのディスプレイ上でやってしまう事を、昔は全部手作業でやっていたわけで、
サラッと書いておられますが、きっと作業は細心の注意で進めていたのだろうな、
と思います。

河上氏と対談していて最も驚いた事の一つが、放送用に録音したテープはコピーはせずに
マスターのまま鋏を入れていた、と言う事なんです。
コピーするには時間も掛かるし、音質劣化も伴うから…と言った理由もあるのでしょうが、
マスターだと編集に失敗したら大変ですよね。
今ならPC上でならコピーを作るのも簡単、編集もいくらでもやり直しができる、その上
タイミング的にもレベル的にも極めて正確なものができる…と環境的には素晴らしいですが、
その代わりに緊張感など、失われている事もありそうですね。

「サウンド・イン・ナウ!」で使う5インチリールのテープ用に、CBSソニーだけは
専用の箱があったそうです。 業界では5インチは意外とスタンダードだったんですね。

また色々と教えて下さい!

by ぽぽんた (2018-03-04 10:39) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんにちは。
貴重なお話ありがとうございました。
あ、オフ会は次男坊の離乳ができてから参加させていただきたいです。できれば我が県にて(汗)

当時のFMラジオ局の番組のつくり方、いろいろ手が込んで大変だったんだなぁと思いました。デジタル化してる今なら、もっと簡単に、毎回できるだけ質を合わせて放送できていたのでしょう。
それと、当時の歌番組が生バンド生演奏が多かったので、歌手はいろんなバンドの演奏に合わせ、テンポ早くてもついて行き、日々テレビで歌っていたわけで。ではレコード・シングル盤の音、つまりこの歌の原点、音はどうなっているのか。そのカラオケを楽しめるのは、昭和の時代に聴くことが、驚きと感動が大きかったんだろうなと思いました。
ニューブリードとかスィングビーバーズとかゲイスターズなどのバンドの皆さんが、歌番組で演奏する原点の音ですからね…どうしてもこのフレーズが省かれたとか、雑だったとか、すごく音が大きかったとか、たくさんあって、それが歌番組の映像を見る楽しさではありますね。

いろいろな楽器、メロディー、演奏技術が次々に生み出されて、編曲家の先生方のやりがいは、当時はすごく大きかったんだろうなと。
すぎやまこういち先生が現場で編曲家のやりがいを痛感され、編曲家の地位向上のためにこの番組を盛り上げ尽力された、とよくわかりました。
by もとまろ (2018-03-04 18:13) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは!

こちらこそ、読んで下さってありがとうございます。
オフ会はいつになるかわかりませんが、このブログも9年も続けているので
そろそろいいかな、って感じでしょうか。 時期が来たら皆さんに相談したいと思います(^^)

ラジオ番組の制作で今と昔とで大きく違うのは、きっと昔はとにかく時間に追われていた
と言う事では、と思います。 今だとデジタル技術で、例えば不自然にならない
程度に音楽にしろ会話にしろ時間を伸び縮みさせるのは簡単ですし、
音源のコピーも演奏の実時間掛かるわけでなくほんの数秒しか掛かりません。
その分、色々と細かい凝った事はいくらでもできますが、時間に追われる事で
生じる緊張感、緊迫感のようなものはどうしてもなくなりますよね。
それは今の音楽自体にも言える事で、配信やCDよりもライブの方が人気がある
と言うのもそのあたりに原因はありそうです。

歌番組では大抵ブラス中心の生バンド演奏でしたね。 レコードはそれぞれ
全くアレンジや音が違うのに、歌番組では複数の歌手の伴奏を一つのバンドが行うのですから、
きっと良い事悪い事、色々あったと思います。
岩崎宏美さんがデビューして間もない頃、あの頃は自分の歌のテンポをバンドマスターに
自分で伝えに行くのが普通だったそうで、それに慣れていなかった宏美さんは
自分が知らせたテンポでいざ本番に演奏されたら速くて大変だった…
と語っていますが、それってある意味いじめに近いものがありますねぇ(^^;)

どうしても我々は歌を聴く時は歌手とメロディーに神経が行ってしまいますし、
編曲はまるで部屋のように、なくては困るが普段はその存在をあまり意識しない…
と言ったものだと思うので、説明されてもよくわからない…と言う人もきっと多い
かも知れません。
しかし音楽制作の現場ではその重要性がよく知られていたはずなので、
作詞家や作曲家と待遇が違っていたのは不可解ではありますね…。
記事をよく読んで理解して下さってありがとうございます。

by ぽぽんた (2018-03-05 23:45) 

ひろ

お久しぶりです<m(__)m>
貴重なお話ありがとうございます。

っと、言っても「サウンド・イン・ナウ!」って番組は記憶にないんです…。
ただ、カラオケが流れる短い番組があった…位なんです。
その時はピンク・レディーのS・O・Sと太田裕美さんのしあわせ未満の2曲(放送日時は別)をカセットに録音してたことだけ覚えてます。…そのテープは何処へ?(>_<)

そう言えば、ピンク・レディーのS・O・Sに関して…カラオケLPメロ入りはモールス信号無し、のちに発売されたシングルBOXのカラオケは2タイプ…一体、どれだけあるのか?

で、カセットに録音してたS・O・Sはモールス信号無しでメロ無しのオリジナルカラオケでした。何処へ…(>_<)

好きで編集してた1コーラスや、TVサイズや、1コーラス歌入り2コーラスからカラオケなんてみなさんやってるんですね(^_^;)

オフ会参加してみたいです(^_^;)いつに日にか…。
by ひろ (2018-03-07 21:25) 

ぽぽんた

ひろさん、こんばんは! お久しぶりです(^^)/

私もその2曲のカラオケは同じカセットテープに録音してあります。
私はしっかり持ってますよ(^^)

ピンク・レディーのカラオケLPに入っていたのは、その「サウンド・イン・ナウ」で
放送されたバージョン(モールス無し、良く聴くと間奏をダビングしたものを
イントロに使っている)にガイドメロディーを足したものなんですよ。
シングルBoxの方はモールスが長いものと短いものが入っていますね。
カラオケが何バージョンもあると言うのは確かなようですね。

私もやっていた楽曲編集…皆さんもやっていたとは、あの頃は思っていませんでした。

オフ会、ぜひ!…って、いつになるか、今は全くわかりませんが(^^;)

by ぽぽんた (2018-03-09 00:27) 

卓

こんにちは!

今さらですが、この「S・O・S」のカラオケ(サウンド・イン・ナウで使用された)について追記させてください。(私もこの放送を録音しました。)

この記事で、番組で放送されるカラオケは、レコード会社から提供されたものとありましたが、この音源は、1番の歌詞の終わりの部分(間奏部分)からイントロにつなぎ直ししてありますが、ブラスのセッションが左右チャンネルのかけ合いになる部分での編集だと思うのですが、よく聴いてみるとほんのわずかですが、テンポがずれているのが分るんですね・・・。もちろん、この音源を使用した「歌って踊れる・・・」も同様です。FM放送用として特別に提供された音源(編集部分がズレている)でしたら納得ですが、「歌って踊れる・・・」の商品にまで使用されたのは、歌入りより安価だったとはいえ、今だ納得できずにいます。もちろん、大きなガイドメロディはそれ以前の問題ですが・・・。

追記の追記でもう少し・・・。
確か「ペッパー警部」のカラオケを放送した際も、すぎやま氏はこのカラオケ制作に携わったスタジオミュージシャン(日本の)のテクニックを絶賛するコメントをされていたと思います。


by (2018-03-10 16:24) 

もっふん

今さらな今さらで、しかも聞きかじりの話なのですが。

「S.O.S」のイントロのモールス信号(ピピピ、ピーピーピー、ピピピ)と言うのは正真正銘世界共通の「SOS信号」なので、これが四六時中電波で流されると、軍・警察関係はもちろんアマチュア無線家なども巻き込んで大混乱する(狼が来たぞ!と同じ)と言う理由で「電波に乗せるものはモールス抜き」と言う自主規制がかかったのだ、と、当時聞きました。

この説の真偽は分かりませんが、1938年にオーソン・ウェルズが、H.G.ウェルズのSF小説「宇宙戦争」をラジオ番組化した際に、その迫真のニュースシーンを真に受けた全米のリスナーが「本当に火星人が攻めて来た」とパニックを起こしたと言う話はもはや伝説となっていますから、本曲においてもあながちあり得ない話ではなかったのではないかと思います。

しかし、卓さんが言われるように、テンポのずれた、記事中の言葉で言うなら「イマイチテイク」がそのまま商用利用されてしまうと言うのは、真面目に考えるならば「あってはいけないレベル」のルーズな仕事ではありますが、歌謡曲が「たかが」大衆文化であった時代の大らかさを物語っているようにも感じられます。

演歌の世界で言えば、歌舞伎町の流しのお兄さんの演奏なんてグダグダだったはずなのですが、それでも歌が歌われる事、それを聴く人がいると言う事そのものに意味があった時代だったのだと言えば良いでしょうか。

ネット動画を含めて、どこで聴いても同じ演奏でなけらばならないと言う、現在の聴かれ方・歌われ方は、本来「生き物」であるはずの歌から大切なものを奪ってしまっているようにも思ったりもするのです。

そんなものは年寄りの懐古趣味だと言われれば返す言葉も無いんですけどね(苦笑
_
by もっふん (2018-03-11 06:10) 

ぽぽんた

卓さん、もっふんさん、こんばんは!

う~ん、ビクターですねぇ(^^;) 過去にこのブログで書いた事がありますが、
ことカラオケ音源の扱い方についてはレコード会社各社の考えがあるようで、
ビクターは音源が発見できなかった、発見できても「いまいち」ミックスだけ、などと言う事が
かなり多く、それは音源制作段階から何らかの問題があったと言う事かも知れません。
10年ほど前に一斉に発売され好評だった桜田淳子さんや岩崎宏美さんの旧譜復刻CDに収録された
楽曲でもマスターテープが見つからなくてレコードからの録音があったりして、
例えばピンク・レディーのカラオケLPにそのような状態のバージョンが使われているのは、
制作担当者が安直に引っ張り出してきた音源がたまたまそれだった…と言った感じに思えます。
過去に数回話題にした「アルプスの少女」のカラオケは、復刻CDではサビの♪だめよ あの人に…♪
の部分が別の部分からコピペされて消されていますが、その音源も前回の河上氏のインタビューに
あるように「いまいちミックス」であり、CD復刻にあたってマスターテープを調べたら
カラオケはそのミックスしかなかったから仕方なくパッチを当てた事に間違いなく、
かと思えば「白い部屋」はセルフハモリありver.となしver.がしっかりCDに収録されていたり、
やはりそういった事についてはビクターは言葉は悪いですがずさん、に思えます。

「ペッパー警部」の回でもそのようなコメントがあったんですね。
あの曲ですぎやま氏が称賛したとするとドラムスについて、かと思います。 
私はドラムスは全然演奏できないのですが、演奏する人からするとかなり超人的なテクニックが
使われているようです(でしたよね、もっふんさん!)

以前テレビで飯田久彦氏が「『SOS』にモールスを入れてそれが問題になったのは確信犯だった」
と言う事を話していました。 「ペッパー警部」はいきなり大ヒットだったわけでなく、
最初の2ヶ月以上あまり話題にならなかったので、
起爆剤のような感じでそのような「SOS」を作った、と言った事だったと思います。
当時、放送局ばかりでなくレコード会社でも、放送でそのようなモールスを乗せれば
問題になりそうな事は絶対わかっていたはずだと思いますし、
話題になりさえすればすぐに規制する、と最初から決めていたのではないでしょうか。

河上氏がこのコメントを読んで下さったようで、その当時の事を知らせて下さいました。
レコード発売前に局に届いたサンプル盤はモールス入りだったそうです。
そしてレコード発売時にやはり「モールスはダメ」となったそうで、
局にはその告知とモールスなし盤が届き、モールス入りは廃棄されたようです。
そのタイミングを考えてみると「放送事故にならぬうちに」と言った作戦が伺え、
やはり飯田久彦氏の発言が最も事実に近いかも知れません。
でも…新譜ってラジオでは発売前から放送されるのが普通ですから、
モールス入りが実際に電波に乗ってしまってクレームなどがあったかも、ですね(^^;)

少し話が戻りますが、昔は今と違って、もっふんさんが仰るような「たかが歌謡曲…」
と言ったようなゆるい感じ、私は何となく理解できるんです。
私が子供だった頃は、歌謡曲は「流行歌」であり、数ヶ月でどこかに消えてなくなるもの、
と言った感じで、「音楽」と言う言葉が高尚であった事を含め、どこか大衆は歌謡曲を
卑下していたのも確かなんですね。 私の両親もそうでした。
当時、例えば「ブルー・ライト・ヨコハマ」が50年後も生き残っているだろう、なんてきっと、
誰も思っていなかったでしょう。
だからと言っては変ですが、レコード会社によってはそんな音楽のマスターテープなどは、
きちんと長期保存しようと考えていなかったとしても不思議ではないかも、です。

近年のレコード復活、これはごく一部の人だけかと思っていたら、意外とワールドワイドな
事象のようですね。
音楽の復権と言う意味で、私はちょっと期待しています(^^)

by ぽぽんた (2018-03-13 01:02) 

卓

こんにちは!

S・O・Sの話題をもう一つ・・・。

この曲の発売日の数週間前であったと思いますが、ピンク・レディーのお二人が、当時フジテレビで放送されていた「スター千一夜」に出演し、番組の終了間際にモールス信号入りの「S・O・S」のイントロが流れて番組が終わったのを覚えています(歌唱はなし)。司会者(関口さん?)がモールス信号を聞いて、「早く逃げないと?」または「早く救助しないと?」と話されていたと思います。その後しばらく(数回)は、モールス信号入りの音源を放送していました。また、芸能週刊誌に、「ピンク・レディー」が「S・O・S!」(モールス信号入りのイントロを使うことができなくて)の記事も掲載されていたと思います。




by (2018-03-13 15:07) 

ひろ

こんばんは。

また、モールスの件…。

最初はモールスは危険、だからモールスの暗号を「S・O・S」じゃなく、「ピ・ン・ク・レ・デ・ィ・ー」と、してあると聞きました。
ホントかどうか分かりませんが…。
by ひろ (2018-03-13 22:56) 

ぽぽんた

卓さん、ひろさん、こんばんは!

「SOS」は色々と波紋を広げていたんですねぇ(^^;)
今の世の中だとさしずめ「炎上」だったかも知れません。
何だか当時の方が、社会自体が大人だったような気がしますね。
今の世の中ってすぐ寄ってたかって騒ぎ出す、幼稚園のようです。

もし「ピンクレディー」とモールスで打とうとすると、日本語でも9種類の信号が必要
なので、さすがにそれだと長すぎてもたつきそうな気が(^^;)

今も、もし「SOS」をラジオなどで使おうとするとモールスはやはりカットされるのでしょうか?

by ぽぽんた (2018-03-14 23:49) 

もっふん

アルファベットのモールス信号については

 http://jr7ibw.com/CW/sign.html

などで一目瞭然のように「ピピピ、ピーピーピー、ピピピ」はモロに「SOS」でして、関係局・当事者以外が発信する事は国際的に禁止されています。

モールスの音が確認できる動画は、ちょっとアレですがこういうのもあります。

 https://www.youtube.com/watch?v=4AbpAL7h-To

こりゃ、確かに「確信犯」だったんでしょうね。


>ぽぽんたさん

過去にお話しした事があるとすれば「星空のディスタンス」(THE ALFEE)のイントロを叩ければドラマーとして一人前、と言う話じゃなかったかと思います。

歌い出しの直前に入る、フュージョン系ドラマーの第一人者と呼んでも良いスティーヴ・ガッドが得意としたバスドラムを含めた高速タイコ回しのフレーズを含め、フィルインの全てが一朝一夕には修得出来ないテクニック満載で「叩いてみた」が Youtube ネタになるほどです。

プロの演奏動画:

 https://www.youtube.com/watch?v=HDTAomf7-LU

アマチュアの「叩いてみた」動画:

 https://www.youtube.com/watch?v=crl3bOSVNUo

しょ、小学校卒業記念演奏って、コレは~!:

 https://www.youtube.com/watch?v=yvhwpDBpaDs


「ペッパー警部」のドラムについて特筆すべき点は、あの早いテンポでありながらほぼ最初から最後まで8分音符でキックを踏みっぱなしなのですが、当時はまだ両足の使えるツインペダルが一般的ではありませんでしたから、技術もさることながら体力的にかなりの「超人性」を要求されたかと思います。聴いているだけでも右足がつりそうです(笑

もし「キミも好きなパートで参加して良いよ」と言われたら、「ペッパー警部」ならベースを選ぶかなあ。出だしこそ簡単そうに聴こえますが、実は途中で結構リズムを崩しながらフレージングしているので、弾いていてなかなか楽しそうです。

え?本当は前で踊りたいんだろうって?それは言わぬがナントカです(爆
_
by もっふん (2018-03-15 06:21) 

伊勢生まれの下総人

Sound in now、そしてカラオケコーナー、懐かしいですね。
ここでは、プロが使う本物(?)のカラオケを流して、その曲名を当てるクイズがありました。わたしが記憶に残っているのは、最初にパンパパパパーとイントロが流れ、続いてンタタタ、ンタタタとリズム。答えは「恋人もいないのに」です。こんなのそのままカラオケルームで流しても誰も歌える人はいない。(笑)
当時、日立はパディスコ1000というラジカセの宣伝をしていたように記憶しています。
私は会社で宣伝課に配属された時に、セミナーを受講する機会に恵まれ、その中でコマーシャルソングの歌詞を作る課題が与えられました。講師は当時「学生街の喫茶店」がヒットして有名になっていた、すぎやまこういち先生。提出した答案を見て「sound in my life」は字余りになるとの講評。そんなことはありませんと反論したら、講師席に出てきて歌ってみろとのお言葉。
先生と並んで聴講生全員の前で歌うハメに。
無事歌い上げたら、先生「あ、行けたネエ」の一言で無罪放免(笑)。45年も前の懐かしい思い出です。

by 伊勢生まれの下総人 (2018-08-13 02:45) 

ぽぽんた

伊勢生まれの下総人さん、初めまして! コメントをありがとうございます。

凄い経験をお持ちですね!
すぎやまこういち氏が講師となって一緒にCMソングを考えられた、
と言う事と思いますが、
そのような経験が出来るのは本当に限られた方たちですので
(ご当人の方々が望む・望まないはまた別ですが(^^;))、実に貴重な事と思います。
「恋人もいないのに」の頃と言うと1971年ですから、「サウンドインナウ」
が始まったばかりの頃ですね。
Sound in my life は英語らしくSoundとinをくっつければ1音分減るので、
それでうまくメロディーにはまった、と言う事でしょうか。
楽しいお話をありがとうございました。
今後もこのブログ、よろしくお願い致します。

by ぽぽんた (2018-08-14 18:36) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。