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雪あかりの町 / 小柳ルミ子

皆さま、あけましておめでとうございます。
今年もこのブログをよろしくお願い致します。

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新年第1回目は、このブログで当然、一度は書いた事があっただろう…
と私自身が勘違いしていた曲でもありまして(^^;)

雪あかりの町ジャケ.jpg

チャートアクション

「雪あかりの町」は小柳ルミ子さんの3枚目のシングルとして1972年(昭和47年)1月発売、
オリコンシングルチャートで最高5位(同年3月6日付)、同100位内に15週ランクインし、
23.9万枚の売り上げを記録しました。

「わたしの城下町」と続く「お祭りの夜」が一時期同時にトップ10入りするほどの大ヒットの後、
次に「瀬戸の花嫁」が再び国民的ヒットを博すまでのつなぎようなイメージがあるのか、
小柳ルミ子さんの初期のシングルで「雪あかりの町」は今一つ地味な印象が拭えませんが、
北国にテーマを求めたこの曲は、当時を生きた日本人ならば、聴けば誰でもしみじみと
聴き入りそうな情緒が豊かに詰め込まれている、そんな1曲です。

一つ残念なのが、冬の終わりがそろそろ見えて来そうな1月下旬に発売された事です。
ラジオなどでは1月初旬にはもう流れていましたが、その頃に発売されていれば、
もう少し売り上げが伸びていたのではないでしょうか。


作家について

作詞は、それまでの安井かずみ氏に代わり後に「瀬戸の花嫁」を生み出す事になる山上路夫氏です。

作曲は前作に引き続き平尾昌晃氏。
編曲は初期の小柳ルミ子さんの楽曲の殆んどを担当していた森岡賢一郎氏です。


歌詞について

前作「お祭りの夜」で登場した「遠くに行ったあの人」を、
生まれ育った北国から思慕する女性の気持ちを表現した歌詞となっています。

前2曲の大ヒットを作詞した安井かずみ氏から山上路夫氏へのスイッチの理由は不明ですが、
歌詞の内容の設定はブロダクションの意向で引き継がれたものと考えられます。

冒頭から北国以外ではその名称すら知られていないような防寒布、角巻が登場。
その後「ポストの雪を指ではらって…」「今日も上りの汽車がゆく」と、
映画を観ているような情景が次々に展開します。

ハーフ部の「雪崩の音が…もうじき響くわ」のくだりは、
雪崩が恐ろしい現象のように思えてしまう私にとって、
その穏やかな描写がとても新鮮に感じられたものです。


歌メロについて

出だしのメロディーは「わたしの城下町」のそれと酷似しており、
その後の展開もやはり同曲と似ているのは否定できず、
それで二番煎じにように思われてしまいがちなのが、
大ヒットとならなかった原因の一つでしょう。

しかし音楽的には、例えば歌メロの音域がそれまでより低音方向に1音(正しくは全音)
広がった事で(AからGへ)、より深みのある表現がされているように感じられます。

そしてこの曲の歌メロ全体では、音域が下のGから上のE♭までの1オクターブと増5度。
歌謡曲、それも女性歌手の楽曲としては大変広いと言って良いと思います。

♪…雪あかりの町♪ と来て ♪ポストの…♪ に移る時は実に音が9度もジャンプしており、
それも全く危なげなく歌う小柳ルミ子さんの技術は素晴らしいものがあります。

1コーラスを全体的に見ると、サビでは高めの音程、その前後では低めの音程が多用され、
そこは全体的に上下の激しい動きを見せていた「わたしの城下町」とは少々違う、
整理されたメロディー展開と言えます。


編曲とサウンドについて

全体の構成は「わたしの城下町」と同じ、2ハーフです。

キーは Gマイナー(ト短調)で、他調にわたる転調はありませんし、
平行調のドミナント(基本となるドミソの和音)であるB♭に寄り道する部分もなく、
全体にマイナー調の雰囲気を強く打ち出した作りです。


初期の小柳ルミ子さんの楽曲におけるサウンドは、12弦ギター、ハープシコード、
ストリングス、そしてハープと、弦楽器を中心に作られています
(ハープシコードは鍵盤楽器ですが、鍵盤で弦をひっかくようにして音を出しています)。


曲が始まると、ザザザザ…と鳴るストリングスに続き鈴の音が聴こえ、
吹雪の中を走る馬ぞりが目に浮かぶようです。

やがて12弦ギターによるイントロメロディーが演奏されます。
低い音域なので、ベースとかぶっている感じがしますね。

続くストリングスにはフルートがユニゾンで演奏されています。


小柳ルミ子さんの初期の楽曲では、これは以前にも述べた事ですが、
歌にまとわりつくようなオブリガート(歌メロに続けて演奏されるメロディー)が特徴的です。

「わたしの城下町」では ♪格子戸を♪(ミミド)♪くぐり抜け♪ (ファファレ)…と、
ハープシコードと12弦ギターで演奏されている部分の事ですね。

「雪あかりの町」ではやはり、同じように12弦ギターやストリングス、そしてフルートと、
次々にオブリガートが演奏されています。

今回は主メロディー、歌詞、そしてオブリガートを2段譜にして作成しましたので、
この曲をレコードやCDなどをお持ちの方は、この譜面を参照しながら聴いてみて下さい
(表記は1コーラス分のみ):
雪あかりの町score.jpg

森岡賢一郎氏は特にストリングスの編曲が素晴らしい事は以前から言われていますが、
「雪あかりの町」でも歌メロを邪魔しないように配慮しつつ、
クラシック音楽でよく見られる対位法を使うと言った主張もみせ、
この曲になくてはならない、重要なサウンドを作っています。

それが最も表れているのがBメロの ♪ポストの雪を…♪ の部分です。
ここは歌メロが下降する部分にストリングスは上昇するフレーズがあてられていて、
まるでボーカルとストリングスが2部コーラスを行っているかのようです。
その部分も、上の楽譜でチェックして下さいね。

そして、コード感を補強する意味でストリングスが最も重要な役目をしているのが、
続く ♪あなたに今日も…♪の部分なんですね。

そこの部分で使われているコード進行は Gm→ E♭7→D7 なのですが、
ここは単に Gm→ Cm→D7 でも全く違和感はありませんし、むしろそれが普通です。

しかしそこをあえて、平行調の長調側のサブドミナント(ドミナントトニックの
ドミソに対しドファラで構成される和音)の E♭を用い、
それだけでは単に響きが明るくなるだけとなるところに、
7thの音をストリングスで補助的に入れる事で、明るい響きのはずなのに、
逆に哀愁感が立つような雰囲気が醸し出されているんです。

そのコード進行は元々ロックンロールのものであり、後に「危い土曜日」(キャンディーズ)や
UFO(ピンク・レディー)など、主にリズムが立った楽曲で使われていますが、
「雪あかりの町」のような叙情的な楽曲でそれを採り入れ、効果的に独特の哀愁感を
出している事に、当時の歌謡曲の奥深さの一端を感ぜずにはいられません。
作曲した平尾昌晃氏自身がロカビリー歌手であった事も背景にあるかも知れませんね。

ただ「雪あかりの町」も、サビ(Bメロ)ではオケのリズムが16ビートロックなんですね。
穏やかさ、大人しさの中に躍動感を内包させるそのような手法は、
1970年代初期から洋楽でも盛んになっていました。

では ♪ポストの雪を…今日も手紙を書くのよ♪ の部分のストリングスの動き、
そしてオケのリズムをオリジナルカラオケで確認しましょう:


さらに、森岡氏や筒美京平氏のストリングス・アレンジでよく使われているのが、
音を伸ばす時に弓を小刻みに動かしてザザザザ…と弾く、先に触れたトレモロ奏法で、
まるで何かが押し寄せてくるような、ゾクゾクとさせるような音です。
「雪あかりの町」ではまずイントロでストリングスがフェイド・インする部分、
そしてCメロ ♪見知らぬ町へ…♪ の部分でその奏法が聞かれます。


コーダ(エンディング)もコード進行が工夫され、何となく続編があるような
終わり方となっているのも聴きどころの一つです。


「雪あかりの町」で使われている楽器とその定位は:

左: ビブラフォン アコースティックギター ドラムス フルート

中央: ストリングス ベースギター 12弦ギター ハープシコード

右: ハープ 鈴 エレキギター 鉄琴

・左のアコギ、右のエレキギターはそれぞれ違うパターンでコードストロークをしています。
・ストリングスは中央よりやや左にバイオリン、やや右にビオラとチェロが配置されています。
・ハープシコードは2回めの間奏(ハーフ前)だけで確認できます。


カラオケはマルチトラックではなく、
全楽器を同時に演奏させ、2チャンネルステレオとしてテープに録音しているようです。
歌入りでは歌の部分でオケ全体の音量が少し下げられているために、そう推測できます。


付記

デビュー曲が大ヒットしてしまうとその後が続かない事がよくありますが、
小柳ルミ子さんは2曲目以降もヒット曲を出し続けました。
それはきっと、「この歌手のこの声、この歌い方なら、もっと聴きたい」と思わせるものが、
小柳ルミ子さんにはあったと言う事なのでしょう。

当時の歌謡界では、楽しいだけではまずダメ。
どこか同情を感じるようなようなキャラクター、明るく見えてもどこか陰がある…
そんな歌手やタレントが人気を博していました。

小柳ルミ子さんの場合は、日本的な外見がまずあって、歌を聴くととんでもなくうまい。
そしてその声は伸びやかなのに、高音になると泣いているような切なさがある。
日本人の好みにピッタリと合っていたわけですね。

それが遺憾なく発揮されているのが、「お祭りの夜」の終わり ♪まだ信じられない私…♪、
そして「雪あかりの町」の2コーラス目のサビ ♪このまま汽車に乗ってゆきたい…♪
だと、私は思っています。

更に挙げるなら、「わたしの城下町」のB面「木彫りの人形」かな。
当時小学4年だった私は、その曲を初めて聴いた時に不覚にも泣いてしまいました。
今も、聴くと切なくなるんですよ。

だから、と言うか、誠に勝手ではあるのですが、小柳ルミ子さんには、
ダンスバリバリのパフォーマーではなく、
叙情的な歌の似合う日本的な歌手でいてほしかったんですね。
そう思っているファンの人って、意外と多いのではないでしょうか。


「雪あかりの町」
作詞 : 山上路夫
作曲 : 平尾昌晃
編曲 : 森岡賢一郎
レコード会社 : ワーナーパイオニア(リプリーズ)
レコード番号 : L-1070R
初発売 : 1972年1月25日


*次回は1月21日に更新します。

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widol

ぽぽんたさん、あけましておめでとうございます。
本年も楽しいブログをよろしくお願いいたします。

新年最初は小柳ルミ子さんからですね。
確かにこの曲は瀬戸の花嫁の前の曲で地味な印象ですし、わたしの城下町の二番煎じ的な曲でもありますね。歌そのものはルミ子さんの魅力を端的に引き出しているとは思いますが。

当時のルミ子さんの歌唱の確かさは素晴らしいものがありました。ルミ子さんの好きなところはあの地声からファルセットに移る部分のなんとも言えない心地よさです。地声からファルセットへの魅力的な声の人が自分は好きなようです。太田裕美さんももちろんですし。

また、ルミ子さんの魅力はぽぽんたさんがおっしゃるように日本情緒溢れる歌ですね。自分が好きなのは、「漁火恋唄」「恋の雪別れ」「桜前線」「花車」「逢いたくて北国へ」などで、いずれもそのような要素があるようです。ルミ子さんの曲は定期的に聴きたくなるんです。疲れた時が多いように感じます。癒される声の一人なのだと思っています。

by widol (2018-01-07 23:07) 

もとまろ

ぽぽんたさん、明けましておめでとうございます。
皆さん、本年もどうぞよろしくお願いします。

新年初回は知っている歌で嬉しいです。
まさにルミ子さんの世界そのものの歌ですね。

メロディーは「わたしの城下町」に似てますが、歌詞の女性像はこの歌が可愛らしい感じがします。
角巻を身に着けて、手紙をしたため、自分が一人っ子で遠くに住めないのを気にして、春を楽しみに待つ。
この、春を待つ気持ちで歌が終わっているところがいいなぁと思います。

発売時期のお話がありましたが、次の「瀬戸の花嫁」が4月10日発売とあるので、「雪あかりの町」は推す時期が2ヶ月半しかなかったんですね。
昨年読ませていただいた、渡辺真知子さんの2年目の「年明け効果」を思い出しました。
ルミ子さんの新人賞レース参加曲「わたしの城下町」次の「お祭りの夜」の盛り上がりをお正月まで伸ばそうとしたのかな?「瀬戸の花嫁」は、平尾先生が生前、誕生秘話を繰り返しお話しされた会心の作になったので、早く届けようと4月に発売して、ビッグヒットにつながった…と。
本当に、つなぎみたいな歌に見えます。
そういえば、天地真理さんが歌手デビューして上り調子の時期でもありますね。

今ではサッカーマニアになっているルミ子さんですが、私は野球と相撲なら大好きだけど、サッカーは興味ないので、熱弁をふるわれてもついていけなくて残念です。
今だと、高校サッカーはお好きなのかしら?
by もとまろ (2018-01-08 09:30) 

Massan

ぽぽんたさん、あけましておめでとうございます。
小柳ルミ子さんの初期の楽曲と言えば「ディスカバージャパン路線」と呼ばれるくらい地方色があり、かつ季節感も強く漂わせた楽曲が続きましたね。私もこうした一連のディスカバージャパン路線の楽曲は今も大好きですが、それ以上にオジさんになった今の私には、当時の小柳ルミ子さんの容貌や歌声に惹かれる当時の「大人」の心情がよくわかります。。。特にぽぽんたさんがご指摘されている、泣いているように切ない高音は、その良さがわかるようになったのもずいぶん大人になってからのことでした。東京で生まれ育った私も「角巻」ってどんなものか知りませんでしたし、「雪崩」というのは極めて恐ろしいものというイメージを持っていたので軽く歌い流すような歌詞に妙な違和感を感じたものです。当時はまだ小学生でしたから、自分の知らない雪国の暮らしの一端を垣間見たような気になったことをよく覚えています。(・・というか、思い出しました。)
この楽曲が発売された昭和47年1月だと、だいぶ少なくなったとは言えSLはまだ北国の多くで目にすることが出来た時代です。そうした時代ですからなおさらこの楽曲に歌われる「上りの汽車」が、白銀の雪山を背景に黒い煙を吐きながら走る光景と、その汽車を眺めつつ都会の「あの人」を想う女性の姿が目に浮かぶようです。やはり小柳ルミ子さんの初期の楽曲にはSLが似合いますね。ご指摘のとおり、こうした日本的なテイストをどこで取り戻していただければ良かった・・と私も思います。
それでは。今年もよろしくお願いいたします。
by Massan (2018-01-08 19:22) 

ぽぽんた

widolさん、あけましておめでとうございます。

やはりこの曲はあまり知られていない感じもしますね。 私も当時、テレビなどで
あまり聴いた記憶がないので、1975年の正月にベスト盤「昨日・今日・明日」で
久しぶりに聴いた時に、とても新鮮で大好きになってしまいました。

通常、ファルセットはどうしても声量(音量、かな)が下がるので、地声との違いが
ハッキリ出てしまって場合によってはわざとらしさが感じられるものなのですが、
小柳ルミ子さんの歌唱はそのどちらも声量が変わらないのが凄いところです。
声楽をきちんと勉強し訓練したから、なのかも知れませんね。
そして、いまだに地声なのか裏声なのかわからないのがアグネス・チャンさん
だったりします(^^;)

まさに仰る通りで、小柳ルミ子さんの声、特に初期の歌声は何ともまろやかで、
聴いていて温かみが感じられますね。
なので「お久しぶりね」を聴いた時、この人って意外と声がハスキーなんだ、
と思った記憶があります。

今年もよろしくお願い致します!

by ぽぽんた (2018-01-09 18:34) 

ぽぽんた

もとまろさん、あけましておめでとうございます。

そうですね!この曲は「花咲く春が待ち遠しい私」と、それまで暗く沈んでいた
ような気持ちに一筋の光が見えるような一節で終わるのが嬉しくなりますね。
その「ホッと」感が、次の「瀬戸の花嫁」への布石となったのかも知れませんね。

発売日については私もあれこれ考えてみました。 仰るように「雪あかりの町」
から「瀬戸の花嫁」までは2ヶ月半しかないのは、「わたしの城下町」「お祭りの夜」の
Wヒットの勢いを削ぎたくなかったのかな、と思います。
なので、これは本文に書いた事ですが、新曲を大切にしようとするならば1月25日でなく
それこそ元日にでも発売すれば、歌の持つ雰囲気が季節にピッタリとあって
更なるヒットになったのでは…と、これはあくまでも結果論ですが(^^;)。

私も実はサッカーはあまり観ない、よく知らない…方なのですが、サッカーの解説で
小柳ルミ子さんの几帳面さ、聡明さが発揮されるならば、それはそれでファンとしては
嬉しいものがあります(^^)

今年もよろしくお願い致します!

by ぽぽんた (2018-01-09 18:34) 

ぽぽんた

Massanさん、あけましておめでとうございます。

おっと、その視点から来られましたか(*^_^*) 当時の小柳ルミ子さんは20才前だった
のに、とても大人びていましたよね。 当時の大人の男性が小柳ルミ子さんのファンに
なるのは確かに、自然だった気がします。
それを踏まえると、私が本文で書いたような「泣いているような高い声」が、
当時の男性には私が想像する以上に魅力的だったのかも知れません。

歌い出しがいきなり「角巻で…」なので、小5だった私にはそれが何の事だかわからず、
1月だった事もあって「伊達巻の種類かな?」などと思っていたものです。
でも伊達巻で顔を隠して歩いたらかえって目立ちそうです(^^;)
母に尋ねてようやくその実体がわかりましたが(母は九州人ですが)。
しかし今思うと、流行歌でそういった単語を初めて聞き、調べてみてそれが何か
わかると、世界が広がる感じがしたものですし、流行歌には日本の色々な面を見せてくれる
絵巻物だったんですね。

この曲がヒットした頃には、奥村チヨさんの「終着駅」も大ヒットしていました。
そのプロモーション映像にはやはりSLが登場していて、当時の曲は意識的に、
無くなりつつあるSLを生かして日本らしい風景を織り込むのが、一つの作風
だったのかも知れません。
「雪あかりの町」に出てくる「汽車」は、やはりSLに違いないですね(^^)

今年もよろしくお願い致します!

by ぽぽんた (2018-01-09 18:34) 

シノピー

ぽぽんたさん、こんにちは。ご無沙汰しております。
そして、改めて今年もどうぞよろしくお願いします。

今日はルミ子さんの初期作品の中の一番好きな曲「雪明かりの町」ですが、仰る通り、歌メロ自体にデビュー曲「わたしの城下町」の姉妹分といっていいほど、サビ前の出だしの頭がそれと酷似しているにも関わらず、演歌調のメロディーもなかなかだと思います。

昨年はご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。
歌詞の件なんですが、注意点などのアドバイスがございましたならば、改めて改訂いたしますのでよろしくお願いいたします。

by シノピー (2018-01-19 00:44) 

ぽぽんた

シノピーさん、こんばんは! こちらこそ、今年もよろしくお願い致します。

私は、「ひと雨くれば」など夏の曲も好きですが、小柳ルミ子さんの神髄は
ひょっとしたらこうした冬の曲では、と思っています。
恐らく生来と思われる、どこか切なさを感じさせる歌声とキャラクターが、
冬の曲に合う気がするんですね。

私は何も迷惑だなんて思っていないんですよ。 皆さんにはそれぞれ主張が
ありますから、それがぶつかる事もある、と言う事ですよね。
私は正直なところ、歌詞の良し悪しを評価する能力に乏しいので、今後も
ご自分なりの感性を大切になさって下さい。

by ぽぽんた (2018-01-20 23:04) 

シノピー

ぽぽんたさん、こんばんは。
返信ありがとうございました。
こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。

「ルミ子さんの曲について」

初期作品は自分にして好意を馳せていますが、以降の大人を意識した正統派歌謡路線に転向した中・後期作品もいくつか好意される曲がございます。しかしながら、特徴的なボーカルに相まって、明るい声質のボーカルをもつ曲、切なさ・暗い声質のボーカルの曲と分けます。

初期作品 1971年~1974年

雪あかりの町 
東京わらべ歌 「京のにわか雨のB面曲」
春のおとずれ 
恋にゆれて
十六夜の君
笹舟
漁火挽歌   
わたしの春一番
ある晴れた日に
ひとり囃子

中・後期作品 1975年~1986年

冬の駅
ひと雨くれば
花車
ひとり歩き
来夢来人
お久しぶりね
今さらジロー

中・後期作品は、結局的にウィキで記されている通り、大人を意識させた正統派路線の歌謡曲を歌うシンガーとして転向、大半が切なさのあるボーカルで歌う暗い、切ないシングル作品が多いうえで、明るい曲があまり見当たらないと思われるのは自分だけでしょうか?

現在もルミ子さんは3人娘の中で唯一、意欲的に歌手、もしくは女優として活躍されていますが、昨年にデビュー45周年を迎えたばかりでもあり、このブログでもその企画を取り上げてほしいものです。

「星明り・月明りの記事のコメントについて」

それは本当に安心しました。
何しろ、「楽しみにしています」というお言葉から作った歌詞をコメント返信とともに搭載いたしました。その歌詞がこれなんです。

日本語詞対訳

私は今、悩んでいます
辛いことだけど、悩んでいます

学園に私は帰りたくて
学園に帰りたくて
先生、それに友達・・・
早く、学園に戻りたくて ★

楽しいこと、嬉しいこと 
よくあった
そんな思い出は心に寄せ
残したい

★ 繰り返し

先生はこう言いました
「待っています」と

友達はこう言いました
「一緒に遊びましょう」と

誰もが記憶を失うのは
この世にはいない
誰もが世界を救うのは
あなたでしかいない

学園は楽しいところ
私は学園が大好きで
先生、それに友達・・・
学園に私は帰りたくて
私は学園に戻りたくて・・・

英詩

I am suffering now.
It is painful but I am suffering

I want to go back to the school
I want to return to the school
Teacher, and a friend ...
Early, and I want to go back to school ★

Fun things, happy things
Well there.
Such memories are borne in mind
I would like to retain

★ Repeat

The teacher said,
"I am waiting"

My friend said that
"Let's play together"

Everyone loses memory
It is not in this world
Everyone saves the world
I only have you

Gakuen is a fun place
I love the school
Teacher, and a friend ...
I want to go back to the school
I want to go back to the school ...

この歌詞は自ら学生時代の時に作った詞なんですが、愛唱歌「とうき山に火は落ちて」をリメイクカバーして作成いたしました。

リメイクカバーさせたのは

自ら徳島県南出身在住、故郷は海陽町宍喰船津で地元の5時のBGM時報が愛唱歌「とおき山に火は落ちて」であった。

詞にあたっては、

小生時代から成人式を迎えるまで、休みの時に実家に帰省していた。
帰省期間が10日ほど長かったこともあり、実家曰く、学園「センター」とは趣の違う居心地と雰囲気さにつれ、当時、祖父母とも、犬猿仲「天敵関係」でもあり、その厳しさに耐えてきたとして、センター「学園」に戻りたい、帰りたいという恋しさの思いを。

しかしながら、この展開はジョン・デンバー「オリビア・ニュートン・ジョン」の「カントリーロード~故郷へ帰りたい~」のようですが、ぽぽんたさん曰く、故郷の思いをもしも詞・曲にするとしたならば、どんな曲に仕上がりますか?

あ、そういえばシンシア「南沙織さん」も故郷をテーマにした曲がありますが、「ふるさとのように」がそれでしょう。

by シノピー (2018-01-23 16:26) 

もっふん

★ぶっちゃけ「城下町」のサビを伸ばしただけなんですが~★

ワンフレーズに一つ二つの音符が違う程度で、歌の抑揚に至っては全くと断言できるほど同一である A メロに加えて、サビの頭は Ⅱm6(毎度の俺ルールですが、短調の楽曲でもメジャートニックをⅠとして表記します)の 6th から始まって、サビの最後の2小節から後もまた「雪あかり」のカラオケで「城下町」が歌えてしまう。

これ、今とは言わず'70年代であっても、もう3年も後だったらボツだったと思います。

でありながらも 72年の時点で堂々とリリース出来たと言う事実は、当時は現在からは計り知れないほど言葉の力、即ち、詞の描き出す世界とその語り部である歌手の力量がリスナーから重視されていた事を物語る証左であると言えます。

つまり、いくらメロディが似ていようが、歌(言葉)が訴えて来るものや目を閉じて想起出来る情景が違うのであれば、それは別の曲として認められたと言う事です。

'80年代後半くらいからのリスナーは余り歌詞を聴かなくなった、と言うと言い過ぎですが、詞が描き出す情感も景色も全く違うのに、ちょっとメロディが似ているだけで騙されたような気分になったり「パクリだ!」と騒いでみたりと言う風潮が、その後の歌謡曲や J-POP の聴かれ方となって行きました。

そのような中で、基本3和音で済むほどメロディが陳腐であっても、歌詞と、歌手の技術で聴かせてしまう事に特化したジャンルを「演歌」と呼ぶのかも知れません。

以前、「Wikipedia には『演歌歌手』と記載されているが、リアルタイムで小柳ルミ子を演歌歌手だと思った事はなかった」と書きましたが、いま改めて聴くと、この楽曲構成(歌唱も含めて)と言うのは、やはり演歌であったのだと感じさせられます。

作詞家の秋元康も、90年代のある時点を以て「もはや歌詞の価値は地に落ちた」と感じたがゆえにプロデュース業に軸足を移して行ったのだとどこかで語っていました。

翻って本曲が発売された当時は、山上路夫が新しくつけた歌詞の世界を小柳ルミ子の歌唱力をもって絶唱するのであれば、一枚のシングルとしてリリースされヒットするだけの資格が充分にあった、と言う事であると言えます。

★コード的な事 -サビ-★

※「ドミソ」はトニックであって、ドミナントは「ソシレ」なので直しておいて下さいね>ぽぽんたさん

ぽぽんたさんが記事中で指摘されているサビの Ⅳ(7) → Ⅲ7 と言う部分こそが、本曲で唯一平尾先生が新たに創作された部分と言いたいくらいなのですが、他の部分が基本3コード一辺倒である事が、この部分を非常にドラマティックに聴かせる要因にもなっていますので、たぶんそれが計算であったと言う事にしておきましょう(笑)。

サビ2小節目の E♭はメジャーのサブドミナントですが、ぶっちゃけ陰鬱な Ⅲ7 の前に少し明るさをちらつかせる事で「持ち上げてから落とす」役割を果たしているに過ぎません。ぽぽんたさんが解説されているように、メジャーコードを見せる事で明るさを与える事を、この曲では一切やっていません。

サビ後半の E♭7 にはいくつか意味があると思われます。

1.ここを Cm で書いてしまうと( ↓ )同じ進行の繰り返しになって退屈である。

  |Gm Gm|Cm D7|Gm Cm|D7 D7|

  最も安直な回避策としては Am7-5 を充てるのが定石かと思います。

2.E♭7 は構成音に G 音と D♭(=C#)音を含んでおり D7 に対するドミナント 7th である A7 の代理(裏コード)となる事から、コード進行に説得力や推進力を持たせることが出来る。

3.ぽぽんたさんが「明るい響きのはずなのに逆に哀愁感が立つような雰囲気」と書かれた通り、E♭7 の 7th である D♭ の音は Gm の平行調である B♭ における minor 3rd に当たるため「B♭ → B♭m」と短調に転調しているような錯覚を起こさせる。
  これはいわゆるブルーノートと同じ原理で、メジャースケールであれば 3rd、5th、7th を下げる(ブルーノートの場合は四分の一音程度ですが)ところを、マイナースケールでは 3rd と 7th が最初から半音下がっているので、5th(本曲で使われる G マイナースケールでは D の音)を下げる事でブルーなニュアンスを表現できる事になります。

 ♪ ゲッ、ゲッ、ゲッゲ ゲ~の「ゲ~~~ッ」 ← この音ですね(笑

  本当はイカンのですが「 G 音と D♭(=C#)音」にこだわらずに、メロディと矛盾しない適当な dim コードを持って来てもなんとなくサマになってしまう所でもあります(dim や aug は非常に不安定な響きなので後ろにどんなコードが来ても落ち着いた感じがしてしまうのです)。

★コード的な事 -エンディング-★

の、最後の最後のコード。

ぽぽんたさんは「D/G」と解釈されたようですが、私の感覚では普通に「それなりの」終止感があるので、前作「お祭りの夜」と同じく「Gm9」、もし絶対に F# の音が聴こえていて無視できないとしても「Gm maj9」と解釈しておくのが穏当じゃないかと思います。

終止感があるか無いかも含めて個人の主観ですが、直前のハープと弦の上行フレーズの最後がメロディックマイナー(E♮、F#)になっているので、この部分で D7 を感じておいて最後は「トニック+テンション」で締める方が気持ち良いのではないかと感じた次第です。

★歌唱法的な事★

「歌メロの音域がそれまでより低音方向に1音広がった」、と同時に、最高音は「お祭りの夜」と同じく「城下町」に対して半音下がっていますので、音域のスパンを拡げる必要があったと言うわけでは無さそうです。

これは、歌の殆どの部分をファルセットで歌う小柳さんの「地声の部分を敢えて使いたかった」という意図によるものと思われ、地声とファルセットを混在させる事で曲にメリハリを付けるとともに前二作とは異なるニュアンスを求めたものかと想像されます。

高音側と言うのは訓練次第で発音域を伸ばせる余地があって、宝塚でしっかり鍛えられた小柳さんであれば上限の一全音が変わるくらいは表現する上での問題は殆ど無かったと思いますが、低音と言うのは殆ど伸ばせないと思った方が良く、出来る事は「物理的になんとか出ているレベルの声」の音量と音程を安定させて「歌唱に使える声」へと変える努力くらいしかありません。そしてそれですら非常に困難な事である事は言うまでも無いでしょう。

本曲でも、他の部分では情感たっぷりにコブシを回しながら歌っている小柳さんが、最低音パートに差し掛かると緊張して一つ一つの音を正しい高さに置きに行っている様子が感じられます。たぶん慣れるまでは歌っていて腹筋がパンパンになるくらい大変な作業であったのではないかと思われます。

本曲を歌う上で難しいところは中音域にもありまして、「~歩くのよ 吹雪がやんだ~」や「~今日も 手紙を~」の部分は「他の音運びでも充分成立してしまう」と言う一種の曖昧さがあるので、小柳さんの歌唱も「一歩間違えたらコケる」と言った雰囲気が伝わって来る非常に慎重なものとなっています。

メロディをたどるだけであれば決して難解な楽曲ではありませんが、小柳さんの歌唱力が無ければ商業音楽として成立しなかったであろうとも思います。

★制作スタッフの事★

以前にリンクを貼りましたが、この頃を平尾氏が振り返ったエッセイを読むと、むしろ最初の二曲に安井かずみ氏を起用した事の方がイレギュラーであったように読み取れます。

 https://goo.gl/V6E16Z
 https://goo.gl/tFxris

(エッセイでも「お祭り」のあといきなり「瀬戸の花嫁」の話題になっているあたりが本曲に対する制作スタンスを暗示しているようで寂しいですが・苦笑)

幼かりしぽぽんたさんが涙したと言う「木彫りの人形」は「城下町」の B 面で山上氏の作詞です。「お祭り」の B 面「ゆうぐれの里」も山上氏。平尾氏と山上氏は小柳ルミ子以前からの仕事仲間ですから、ずっと三人で繋がりながら制作を進めて来たのでしょう。逆に「雪あかり」B 面の「ある晴れた日に」は安井氏が作詞していますしね。

ぽぽんた説によれば「雪あかり」は「お祭り」のその後を歌ったアンサーソングと考えられるとの事で、私もその意見に全面的に同意しますが、最終的にはこの一年半後に安井かずみ氏がアンサーのアンサーとして「恋の雪別れ」を書いたのではないかなあ、と考えてみたりもします。

上記のエッセイを読むと、当時の曲作りが「新しい物を生み出すためには唯一無二の状況を必要とした」、悪く言えば「かなりの部分が行き当たりばったり」であり、それがまた人間臭さとして作品に魅力を与えているのだとも思います。

本曲に関して言えば、既に大御所であった山上路夫氏にしては説明過剰だったり足りなかったり、何かと苦労されている形跡が多々見られる事から、曲先で作られたのだろうと推測します。

★オケのフレーズが16ビートである事を考える事★

「これはバリバリの8ビート」「サビから16ビート」、とか、私自身も何気なく書いてしまったりするのですが、最近になってようやく、全ての4ビート系音楽には

 Feel bar(小節の区切りを感じる)
 Feel two (一小節を二拍で感じる)
 Feel four (一小節を四拍で感じる)
 Feel eight (一小節を8分音符で感じる)
 Feel 16 (※後述)

と言う異なる刻みの「フィール」がレイヤーのように同時に存在して重なり合っていると解釈するのが正しいのではないかと言う境地に至りました。その中でどれが一番その楽曲を支配しているのか、と言う問題であり、時には序列が決められない楽曲もあるのだと。

16ビートを「後述」としたのは、私は 16 ビートと言うのは一小節をキャベツの千切り状態(これ以上細かく刻んでも意味が無いと言うイメージ)にしたノリ方であって、8分音符のオモテで乗ってもウラで乗っても自由である事に「意味がある」時に初めて「これって 16 ビートだね」と言って良いように思うのです。

楽器が 16分音符のフレーズを演奏していれば 16 ビート、と言ってしまうと、祭り太鼓の「ドン、ドン、ドンガラカッカ」と言うのは 16 ビートシャッフルになってしまいます。カントリーミュージックなどは明らかに Feel 2 ですが、バンジョーやらアコースティックギターやらの伴奏はせわしなく 16分音符のバッキングを弾いています。

おおよその目安としては、その曲を演じながら、聴きながら、どういうリズムで体が動くのか、もっと端的に言うとどういう手拍子がフィットするかと言うのがヒントになるのかも知れません。

本曲の場合、2拍4拍のスネアが抜けているせいもあって、宴会で酔っ払ったオッサンなら A メロは1拍3拍で手拍子を入れるのではないでしょうか。これは典型的な「Feel 2」であり、多くの演歌はこの「Feel 2」に分類されると思われます。

サビに入って一小節に4拍叩けるかどうか、が、一つの分かれ目だと思いますが、ここで4つ打ちしていても Feel 4 である場合と、「もうこれ以上は忙しいからキャベツを4つの塊にまとめてしまう」と言う Feel 16 のケースが考えられますので、明確に「こうだ」と判断するのはなかなか一筋縄では行きそうにありません。

もう一つ、16分音符でリズムを刻む音楽は'60年代には既に存在しましたが、大衆が「16 ビート」と言う言葉を口にし始めたのは、今は懐かしディスコミュージックの時代からです。ですので、私の中には「踊れなければ(ダンサブルでなければ)16 ビートを標榜するのはちょっと…」と言う思いもあったりします。

まあ、そんな事を言っている私にも、「ドラムのハイハットが 16分を刻んでいたら 16 ビート」と思っていた時期があったのですが(苦笑

出来上がってる曲にどういうレッテルを貼っても自由だとは思いますが、自分でリズムを作る時にはこの辺の感覚を整理しておかないと、出来上がってみて「ありゃりゃ?」と言う事になりそうなので、いまちょっと真面目に考えているところです。

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by もっふん (2018-01-26 02:26) 

ぽぽんた

シノピーさん、こんばんは! お返事が遅くなり申し訳ありません。

で…ごめんなさい。 何度も読み返したのですが、正直に言うと、何について、
どうお返事すればいいのかが皆目わかりません。
いくつか話題が入っていますが、どれも完結せずに複雑に入り組んでいて、
何を仰りたいのかが見えてこないんです。
大変申し訳ありませんが、もう少し整理して書いて頂くと嬉しいです。
返事になっていなくてすみません。

by ぽぽんた (2018-01-29 23:14) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは! お返事が遅くなり申し訳ありません。

まず最初にお詫びを…中盤の「ドミナント」と書いてしまったのは、完全に私のミスです。
頭の中で「トニック」と言っているのに口では「ドミナント」と言っている…
とは言い訳ですが、実際そんな感じです。 お恥ずかしい! 今後注意しますm(__)m

かつての渡辺プロ(だけではなかったと思いますが)はとにかく二匹目のどぜうが好きで、
ある歌手で1曲大ヒットが出ると必ずと言って良いほど次、あるいはその次に大ヒット曲と
似たような作りの曲を出していましたね。
ひょっとして大ヒットの余勢を利用して、新曲をそのヒット曲と勘違いさせて売るのが目的では?
と勘ぐってしまいたくなるほどです。

しかしこの「雪あかりの町」に関しては、私自身が好きな曲である事が大きいと思いますが、
音楽的に「わたしの城下町」と似ていても、私には全く別の曲に聞こえます。
私も記事に「出だしからしてそっくり」などと書きましたが、実を言うとそれに気づいたのは
この曲の記事を書こうと思って聴き直した時なんです。
発売から46年も経っているのに…お恥ずかしいお話です。
それはきっと、歌唱やアレンジを含めた作品の完成度の問題ではないかな、と。
この曲の3年後に発売された「黄昏の街」が誰が聴いても「冬の駅」の二番煎じとわかって
しまうのとは対照的に、「雪あかりの町」は独り立ちした曲に思えるんですね。

音楽的な事を詳しく解説して下さってありがとうございます。
いつもの事ながら私が気づかなかった事も多く、勉強させて頂いてます。

リンクを書いて下さったページは私も読んでいましたが、それだけを読むと何となく、
「雪あかりの町」はつなぎに過ぎなかったのか、と感じてしまいますね。
「瀬戸の花嫁」が出来たのが「お祭りの夜」を歌っている頃だとしたら、確かに
「雪あかりの町」はつなぎに過ぎない曲として発売された事になりますが
(山口百恵さんの「横須賀ストーリー」は「愛に走って」の前には出来ていたらしいので、
そうなると「愛に走って」は完全にツナギって事になりますねぇ)、
そうでなければ「雪あかりの町」はそれまでの大ヒットのストッパーになってはならない、
大切な曲だったわけで、それなりの愛情をもって作られた…と私は信じたいんです。

終始のコードについては私も表記に迷ったのですが、こういった雰囲気の曲に
ジャズのようなコード表記ってなんだかちぐはぐだな、と思ったんですね。
仰るようにF#の音を無視するとこのイメージがすごく薄くなるので、
ならコード感を確実に表現できる D/G でいいや、と思ったわけです(B♭音は無視しちゃって
いますが…)。
もっふんさんが仰る通り、Gmmaj9 が最も適切である事は認めます。
ご指摘、感謝致します。

by ぽぽんた (2018-01-29 23:15) 

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