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ブルー・シャトウ / ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

40代後半以降で知らない人はまずいない!!と言い切れる名曲ですね(^^)

ブルーシャトウ.jpg

これまで採り上げてきた中で最古の楽曲でもあります。
オリコン(=(株)オリジナルコンフィデンス)が音楽メディアの売り上げ集計を
開始したのは1968年1月からなので、
「ブルー・シャトウ」は発売がその前年であり、大きなヒットであった
のにもかかわらずオリコンでのチャート成績は最高14位、100位内に8週で
4.5万枚の売り上げとなっています。


私に近い年代だと、この曲は替え歌で覚えた人の方が多いのではないかな(^^;)
♪森とんかつ 泉にんにく かこんにゃく まれてんぷら
静かにんじん 眠ルンペン…♪
…ってな感じで、なぜだか1語ずつ食べ物がくっついてましたね(^^;)

因みに「ルンペン」だけは食べ物ではなく、今で言う「ホームレス」の意味です。

この替え歌も、地域や世代によって微妙に差異があるようなので、もしも
他にご存知の方がおられましたら知らせて下さいね(^_^)v


そのような変形があったとは言え、当時の子供から大人まで誰もが知っている
ヒット曲となり、レコードの売り上げは100万枚を優に超えていたそうです。


ブルー・コメッツと言えば、長髪で派手な衣装が主流だったGSの中でこざっぱり
したルックスであったために、当時のNHKに出演できた唯一のGSグループであった
という事も有名な話ですね。

視聴者に媚びてユルユルになってしまった現在のNHKよりも、
「堅い」と言われても厳しいスタンスを保持していた当時のNHKの方が
私には魅力的に思えます。


画像ではわかりにくいと思いますが、ジャケット写真の右隅に
CBSソニーのレコードでお馴染みだったマークが印刷されています。

これはアメリカのCBS(=Columbia Broadcasting System)レコードの
日本での発売元が当時はコロムビアレコードで、理由は定かでないのですが
同社では一部の邦楽についてもそのレーベル名を使用していたからなんですね。

1968年にCBSレコードとソニーが合資しCBSソニーを設立したため、それ以後は
そのマークはコロムビアレコードから離れる事になったんです。


ブルー・コメッツのメンバーである井上忠夫(後の井上大輔)氏による
親しみやすいメロディーはもとより、森岡賢一郎氏による重厚なサウンドが
ヒットの大きな要因だったと思います。

バンドの雰囲気を前面に出しつつ、ストリングスをやや強引に乗せ、
メンバーによるコーラスと共にハーモニーを重視させているんですね。
カラオケには残念ながらコーラスは入っていませんが(^^;)

メロディーの方も、♪ブルーブルー…シャトウ♪の「シャ」が
コードがF#7でのDである言ったような、耳に残る音選びをしている
事が何箇所かあります。

♪しずかに眠る…♪の「ず」が、コードがF#7でのBである事もその
一つで、これは次にくるコードであるEmを予告しているとも
解釈できるんですね。

下のBから上のF#までという、一般の男性にとって歌いやすい
音域でメロディーが作られている事も大きなポイントですね(^^)


「ブルー・シャトウ」というタイトルですが、「ブルー」は英語なのに
「シャトウ」はフランス語なんですね。
外国人から見ると、「青いキャッスル」「ブルーのお城」のように
ちぐはぐな言葉に見えるかも知れませんね(^^;)


「ブルー・シャトウ」
作詞 : 橋本淳
作曲 : 井上忠夫
編曲 : 森岡賢一郎
レコード会社 : コロムビア
初発売 : 1967年3月10日

お断り)いつもは日曜と水曜に更新しているのですが、今回は水曜(昨日)に
急用ができたため一日遅れとなりましたm(_ _)m

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ゆうのすけ

^^私より10日誕生(発売)が 早い大ヒット曲ですね!
GS全盛期ですもんね!あの美空ひばりさんも「真赤な太陽」「むらさきの夜明けで」。。。!
GS一大ブームの中で、耳をひくひく動かしていた赤子のせいか、重みのあるレンジの広い うるさめのサウンドって 身体に焼きついちゃってるみたいです!^^にゃはは
by ゆうのすけ (2010-07-29 21:39) 

ぽぽんた

ゆうのすけさん、こんばんは!

そうですね、1967年から2年間ほどはGS全盛だったようです。 私も小さかった
ので正直ハッキリとは憶えていないのですが、私の親がとにかく長髪嫌いで
テレビもGSなどは一切見せてもらえなかったんですよ(T_T)

それでも「ブルー・シャトウ」やタイガースの「モナリザの微笑」、桂小金治さんが
司会をしていた「アフタヌーン・ショー」によく出演していたパープル・シャドウズの
「小さなスナック」などはいつの間にか憶えてました。
たまにその頃の曲を聴くと途端に記憶がよみがえります(^^)

by ぽぽんた (2010-07-29 23:03) 

カラオケ・クーポンまん

はじめまして。

ブルーシャトウいいですね。
なんとなく共感したので書かせていただきました。

by カラオケ・クーポンまん (2010-07-30 22:51) 

ぽぽんた

カラオケ・クーポンまんさん、初めまして!

ご訪問、ありがとうございます(^^)
よろしかったらまたコメントをお寄せ下さい!

by ぽぽんた (2010-07-30 23:27) 

なかやま

ぽぽんたさん、こんばんは!
ブルーシャトウだったのですね。私、今の今までブルーシャドウと思っていました(笑)。ブルーコメッツは正統派なグループサウンズという感じで、当時のNHKに唯一出演が許されていたグループと記憶しています。井上忠夫さんがフルートをおなかの辺りで両手にもってリズミカルに唄う姿がとても印象的でした。ところで、私の育った埼玉では、かーこんにゃく、まれてんぷら のところが、まれてんどん でしたよ(笑)
by なかやま (2010-08-01 22:11) 

ぽぽんた

なかやまさん、こんばんは!

私は「ブルー・シャトー」だと思ってました(^^;)
井上さんのフルートはこのカラオケでも聴けますね。 作曲・アレンジ・歌と非常に
有能なミュージシャンだったのに残念な亡くなり方でした。

あ、やっぱり違いましたか(^^) う~ん、てんどんは聞いた事がなかったです(^^;)
今思うとすごく子供らしい替え歌ですよね。 しかし子供に歌わせるというのは
曲としてすごいパワーだと思います(^^)

by ぽぽんた (2010-08-01 22:42) 

大朝

 グループ・サウンズと言えば、大抵はブルー・コメッツのこの曲から紹介されます。それだけ印象の良い曲なのでしょう。
 私の中学校の音楽の先生の中にもブルー・コメッツのファンになった人が出てきて、弱起(じゃっき)の曲の「弱起」という言葉をジャッキー吉川さんと関連付けて覚えたら、と言い出す始末でした。
 替え歌ですが、「ルンペン」の後、「ボローボロー、ボローシャツ」という汚らしい歌詞で歌っていた人(当時は 子)もいました。
by 大朝 (2010-08-01 23:47) 

ぽぽんた

大朝さん、こんばんは!

本当にこの曲は印象の強い曲でしたね。 ブルコメはアイドル的なGSとは違って
しっかり演奏できるグループでしたし(^^)

いきなり「弱起」と音楽用語が出てきて驚きました(^^;) 確かに「ブルー…」は
弱起ですね。 今、GSの曲をあれこれ思い出しているのですが、GSの曲って
歌謡曲に較べて弱起の曲が多くないですか?? 対照的にGSと同じ頃にヒット
した女性歌手の曲、例えば「天使の誘惑」や「虹色の湖」、「恋の奴隷」などは
強起なんですね(^^;)

そのような替え歌を歌っていた子がいたのですか! 残念ながら全く記憶に
ないんです(T_T) 「ブルー…」は本当に影響力が大きかったんですね。

by ぽぽんた (2010-08-03 00:07) 

直樹

ブルーコメッツの楽曲は現在では三原綱木さんが同窓会コンサートやGSカーニバル等で当時の曲を歌唱されていますね。メンバーの井上忠夫(大輔)さんがリードヴォーカルでしたが既に物故されて残念ですね。1960年代後半から1970年代にかけてGSの王者として大活躍されていましたね。
全盛期に 1,NHK紅白歌合戦に出演.2,日本レコード大賞の受賞.
3,美空ひばりさんとの共演歌唱.と華麗な活躍が記憶に御座います。
by 直樹 (2010-08-04 00:25) 

uncle bear

ぼくが初めて小遣いで買ったレコードはブルコメの「北国の二人」でした。 本当は「帰ってきたヨッパライ」が欲しかったのに品切れで・・・。(^^;)
そんなことはどうでもいいですね。 私はもろにGSかぶれでした。 小学生でしたけどね。 最初は親にもウケがいいブルコメでしたが、そのうち長髪族のグループ、とくにザ・タイガースにはまりました。
ところで、いくらなんでもこの曲は「サウンド・イン・ナウ」ではないでしょう? 出所はどこなんでしょう・・・。 古い曲、もっと期待していいのかなぁ。(^^)
by uncle bear (2010-08-19 22:58) 

ぽぽんた

uncle bearさん、こんばんは!

「北国の二人」はオリコンが正式にチャートを作り始める前に実験で調査が行われた
時の第1位だったそうです。 「帰ってきたヨッパライ」が品切れだったという状況、
すごくよくわかります(^^)

私の家は両親が流行歌嫌い&長髪嫌いだったのでGSは全くテレビでもラジオでも
ましてやレコードなどで接触する機会は皆無だったのですが、なぜかタイガースの
「モナリザの微笑」「シーサイド・バウンド」「花の首飾り」などは知っていました。

「ブルー・シャトウ」のカラオケは「サウンド・イン・ナウ」からではありません(^^;)
古い曲、楽しみにして下さい(^^)

by ぽぽんた (2010-08-20 00:17) 

阿久秀&筒木享平

60年代後半の曲も取り入れていただき、幅広い選曲ありがとうございます。「ブルー・シャトウ」は日本の歌謡史に残る名曲中の名曲だと思いますが、作曲者の井上忠夫(大輔)さんは、洋楽的な曲を作ろうとしたのに、歌謡曲的になってしまったと思っていらっしゃったようです。洋楽的なものをめざしてようやく納得できた作品が「ランナウェイ」だったと新聞に書いていたのを覚えています。レコード大賞の受賞者で、とても、幸福そうに見えましたが、いろいろ苦悩されていたのですね。

この年代のミュージシャンは、ラジオから流れてくる洋楽を必死でコピーされた方が多いようです。アメリカの音楽やドラマが放送され、多くの人がアメリカに憧れていた時代だったと思います。そのせいか、リーダーの芸名が「ジャッキー」という、今日では考えられない洋風の名前がついています。

私が特に心に残っているのは、井上大輔さんが、ガンダムの主題歌を歌われていたのをテレビで見たときです。歌手として新境地を開いていく姿は、衝撃的でした。井上大輔さんは、一つひとつの仕事を本当に丁寧にされていましたね。
by 阿久秀&筒木享平 (2010-09-14 00:19) 

ぽぽんた

阿久秀&筒木享平さん、こんばんは! お久しぶりです(^^)

井上大輔さんはソロシンガーとしても活動していましたし、作曲家として素晴らしい
作品を沢山残されていますよね。 「歌謡曲的」のお話は私も以前、何かで読んだ
事がありますが、「ランナウェイ」よりもずっと前の「恋のダイヤル6700」も、小学生
だった私には十分洋楽っぽい曲でした。

確かに「日本人なのになぜ?」と思うような名前を名乗っていたミュージシャンは
多かったですね。 時代背景の一つの特徴と思うととてもうなずけます。

以前、シブがき隊の「100%…SOかもね!」を井上さんがご自分で歌った事があり、
その時に「かもねかもね」を「Come on in, come on in」と英語にしていたのが
印象的でした。

私は色々と資料を眺めるのが大好きなのですが、井上さんの作品がいろんな
ところに登場するんです。 「これもそうなんだ」と思える曲、沢山あります。
あのようなお別れは本当に残念です。

by ぽぽんた (2010-09-14 23:50) 

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