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処女航海 / 優雅

このあたりでアジア歌手日本進出は打ち止めでしたね:

処女航海ジャケ.jpg

「処女航海」は、台湾で尤雅の名ですでにスターだった優雅(ゆうや)さんの、
日本でのデビューシングルとして1974年3月に発売され、
オリコンシングルチャートでは24位止まりでしたが、同100位内には20週もとどまり、
10.4万枚の売り上げだったので、一応ヒットしたと言えるでしょう。

このブログでは3年前、優雅さんの2枚めのシングル「胸さわぎ」について書いていますので、
そちらも参照して下さい:
https://orikarapoponta.blog.ss-blog.jp/2017-06-04

「処女航海」は「初航」として台湾でも発売されているようで、
YouTubeで鑑賞できます。

作詞:有馬三恵子、作・編曲:筒美京平と、
南沙織さんのシングルやアルバム曲を一手に引き受けていたコンビの作品で、
当時は南沙織さんのプロジェクトもまだまだ健在でした。

ただ、前年の「色づく街」をピークに南沙織さんのパワーが落ちてきていたのも確かで、
「処女航海」と同日に発売されたシングル「バラのかげり」もそれまでに比べると凡庸な仕上がりで、
チャート関係にもまさにかげりが差していた頃だったんですね。
「処女航海」を改めて聴いてみると、プロデューサーの酒井政利氏を含め、
制作意欲のベクトルが南沙織さんから優雅さんに傾いていたような気がしてきます。

ただ、優雅さんをデビューさせるのあたり南沙織さんの実績がベースになっていたのも確かで、
優雅さんのファーストアルバム「処女航海~はじめまして優雅です」には、南沙織さんのヒット曲
「ともだち」「純潔」が選曲され、それぞれ筒美京平氏自身が再アレンジしています。

そのアルバムには他にも「燃える渚」(小川みき)、「真夏の出来事」(平山三紀)、
「私は忘れない」(岡崎友紀)、「夜汽車よ故郷へ」(つなき&みどり)と言った
筒美京平作品が収録され、それぞれ筒美氏が再アレンジを行なっているんですね。
カバー曲は大抵は別の編曲家がアレンジ(多くの場合ほぼコピーと言って良いようなアレンジ)
するのが普通なので、筒美氏が優雅さんの楽曲制作にかなり力を入れていた事がわかります。

それらカバー楽曲を聴いてみると、「私は忘れない」以外はほ原曲通りに近いアレンジですが、
歌部分の構成を短くしたり、シンセサイザーで新味を加えたりと、
もしかしたら「原曲の時も本当はこんなサウンドにしたかったんだよねぇ」
と筒美氏が言いそうな、カバーにしては出来すぎのような仕上がりに感じられます。


「処女航海」は、全体としては
1.構成は2コーラス、エンディングは最後のフレーズの繰り返し&フェイドアウト
2.キーはC#マイナーで転調はなし
3.歌メロは16ビートだがオケは8ビートがベースになっている

転調はないのですが、C#マイナーの平行調であるEメジャーと調が行ったり来たりする
ので、情景がクッキリしすぎず、リスナーはむしろ想像力をかきたてられるのでしょう。

歌メロは16分音符を多用して言葉を詰め込んでいるように感じられますが、
シンコペーションが最小限に抑えられている事、
メロディーと歌詞の組み合わせに無理が感じられない事で、歌詞を聞き取るのが容易です。

また優雅さんの歌唱はリズム感が確かで、オケに歌がきれいに乗っていますし、
欧陽菲菲さんのように発音が曖昧な部分が殆どない(皆無ではないですが)事、
鼻濁音もしっかり発音してきちんと言葉として聞き取れる分、
聴いていてどこか安心感を覚えます。

ただ ♪だめなのよおー とめなひでへー♪♪いひーつかはーは…ははーるかはーにあいしあうために♪
と聴こえるのは、この曲より5年前にヒットした和田アキ子さんの「どしゃ降りの雨の中で」の
♪とてもかなしひひわはー あなたとわかーれへてへー♪ に似てやや、やり過ぎ感が(^^;)


歌謡曲の典型的な構成は、1コーラスあたり A→A'→B→C あるいは A→A'→B→A" が多く、
AやB、Cがそれぞれ4小節から8小節の長さのものが多いのですが、
「処女航海」は A→A'→B→C→D→D'→E→E' と細かく、C以外は2小節(Cは3小節)。
かなり珍しい作りと言えます。

そしてAからEまでそれぞれが全部別物で、それぞれ覚えやすい旋律になっているんですね。

ただ、1コーラスに詰め込みすぎた感じは確かにあって、聴き終わって印象に残っているのが
最後の ♪いつかはめぐりあいましょう…♪ の部分だけだったりする人も、
結構いたのではないかな。


歌詞は有馬三恵子氏らしい、感覚的な表現が際立つ「青い波止場」「潮風にまみれた」など、
一度聴くと歌詞を覚えないまでもそのイメージが心に残る、そんな力を感じます。
この曲の歌詞は、優雅さんが台湾から日本にやってくる時の状況や心理に演出を加えて
完成させたもの、と言うものなのでしょうか。

各コーラスの最後、またエンディングで何度か繰り返されながらフェイドアウトする
「はるかに愛しあうために」は、特に有馬氏らしい表現に思えます。

と言うのも、有馬三恵子氏が南沙織さんに書いた歌詞には「はるか」がよく出てくるんです。
それもA面曲でなくB面曲ばかりなのですが、
・はるか愛の心…(「島の伝説」…「17才」C/W)
・はるかな海から…(「いつか逢う人」…「ともだち」C/W)
・はるかに行きたい…(「昨日の街から」…「傷つく世代」C/W)
…と、ちょっと記憶から引き出すだけで3曲もあるので、アルバムなどにはまだあるかも。

南沙織さんはデビュー時は「遠い」沖縄からやってきた、と言ったイメージだったので、
同じように神秘性のようなものを打ち出す目的で、
優雅さんにもデビューにあたり「処女航海」の歌詞に「はるかに」が意識的に使われた、
のではないでしょうか。

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曲が始まると「これってアドリブ? まさか練習?」と思えるようなドラムスのソロから始まるのが、
何度聴いても新鮮ですね。

全体に音数の少ない、シンプルで意識的に厚みを排したような音作りで、
間奏やエンディングではブラスとドラムスの絡みに異国情緒を感じるのが、私にはとても不思議です。

例えば横浜や長崎のご当地ソングだと、さり気なく電子オルガンが入ってくるとそれだけで、
キリスト教の教会や外人墓地などが目に浮かぶ効果ってありますよね。

しかし「処女航海」ではそんなイカニモ的な楽器音などを使わず、
他の多くの楽曲とほぼ同じ音色のブラスとドラムス、そしてギターで異国情緒と言うか、
外国の船が出入りする港のような雰囲気を醸し出しているんです。
筒美京平氏の懐の深さを垣間見るような気がします。

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当時、私は毎月のようにシングル盤を買い漁る中学生でしたが、
いざ買う時にかなり重視したのが演奏時間でした。
今思うと、同じ金額なら演奏時間が長い方が得じゃん…と言うプアな理由でしたが(^^;)

なので、今も当時の曲は演奏時間までキッチリと憶えているものが多くて、
「恋する夏の日」2分59秒、「ひと夏の経験」2分36秒、「ひまわりの小径」3分ちょうど…
と言った感じに、かなり正確に憶えています。

この時代では、3分を超えると長い方で、多くは2分30秒から3分ちょうどまでくらいが多分、
最も多かったんですね。

今回の「処女航海」もレコードジャケットに表記されているのは2分36秒で、
当時としては普通だったのですが、エンディングが同じフレーズの繰り返しだったので、
当時の感覚で言う「お得感」に乏しかったんですよね(^^;)

そんな価値観でレコードを買っていた人って、もしかしたら意外と多かったりして(^^)

ただ、レコードによって演奏の終わりにエコーが残っているものやフェイドアウトしていくものなど、
どこを終わりと判断するかが結構難しかった事、
市販のレコードプレーヤーは回転数が不正確な製品が多かった事(多くの場合速めになっていて、
同じ曲をラジオで聴くよりも半音くらい高く聴こえるような製品もザラでした)などで、
かなり不確かな購入基準ではありました。


「処女航海」
作詞 : 有馬三恵子
作曲 : 筒美京平
編曲 : 筒美京平
レコード会社 : CBSソニー
レコード番号 : SOLB-119
初発売 : 1974年(昭和49年)3月21日

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もっふん

ぽぽんたさんこんにちは

リリース当時は主旋律しか聴いていなかった私ですが、改めて聴き直してみるとおっしゃる通り「これだ」と言う仕掛けも無いのに異国情緒が漂って来るのは確かに不思議ですね。

まあそもそも歌詞にのっけから登場する波止場自体が半分国外であるような舞台でもあるのですが、波止場に付き物なのが船員相手にちょっとしたバンド演奏などを聴かせる安い酒場、と言う発想は少々テンプレ過ぎるかもと思いつつ論を進めます。

イントロの、フレーズ密度がさほどでもない割に長尺なドラムソロはどのようなリバーブ処理がなされているのか分かりませんが、私にはスタジオほどデッドではなく天井もさほど高くない20~30人も入ると一杯になってしまうようなルーム感と聴こえました。ひょっとすると他の楽器ではこの感じが出せないので長々とドラムに、敢えて長めの音価をまじえながら演奏させたのかも知れません。

そう、ちょうど安酒場の広さですね。この辺りはエンジニアを経験された方のご意見も是非伺いたいところでもあります。

そこにアップライトっぽい音のピアノと、無造作にアンプで歪ませただけのような良い意味で「下品な」エレキギターが被って来ると、台湾と言うよりもフィリピン辺りで米兵相手に商売している酒場の雰囲気が舞い降りて来る気がします。

甲斐バンドの「翼あるもの」ほどではありませんがギターやブラス、ベースのフレーズはどこかしら「ドンブラコッコ」と言う波のリズムを感じさせ、この時点で既にリスナーは旅券もスーツケースも持たされた感覚になってしまいます。

曲の後半に現れる木管(フルート?)はビブラートもトリルも抑えた悪く言えば棒吹きで、ケーナやオカリナのようなエスニックな表現とも感じられます。

途中、決意と不安の相克を表すかのようなトレモロ奏法を混じえるストリングスもサビに入ると大きなスケール感で演奏され、あたかも遮るものの無い海上を進んで行くよ言うなイメージです。

間奏においてその中を同じ音型を繰り返しながらもじわじわと上行して来るブラスセクションはこの旅が希望もしくは期待に満ちたものである事を物語っているようでもあります。

生まれた国を後にして、挑戦するために来日した優雅さんのデビュー曲としてふさわしいものとなるように、非常に良く考えられたアレンジであると改めて感心させられました。

まあこのあたりは聴く人が十人いれば十通りの感じ方があるのかも知れませんが。

しばらくはギターの「ケッココケッココ、ンケッコデーレー」と言うリフが耳に残ってしまいそうな気がします。
_
by もっふん (2020-11-18 03:20) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんにちは! このところいつも返信が遅くて申し訳ありません。

そうですね、仰るようにこの雰囲気は欧米の船着き場とかではなくて、アジアですね。
そういった情緒というか感じ方って、ある程度昔の映画などを観た事がないとピンと来ない事かも知れません。
それが作家からすると正しいか否かは別問題ですが。

仰るように優雅さんの、それまである程度のキャリアを積んでいた人の「冒険」とも感じられる、よく考えられた音作りですが、私は個人的には、全体の音が筒美氏のアレンジにしては薄い、あっという間に終わってしまう印象を当時から持っていました。

1974年って、また「今思うと」ですが、前年の石油ショックの影響が色濃く残っていてすごく不況感が強かったんですよね。
それがサウンドにも表れているような気がしています。
メロディーや歌詞はインパクトが強いのに、売り上げで良い成績を残せなかったのはそのあたりにも原因がありそうな…と言うか、筒美氏が乗り気で制作したようには感じられないんですよね。
何だかワクワクさせるものがないと言うか、「17才」(南沙織)が登場した時のような、誰が聴いても「これは新しいね」と思わせるものが「処女航海」には欠けている気がします。

しかしこの曲、他にも色々と例があるように優雅さんの本国で中国語でカバーされているようですが、そのあたりの市場の仕組みも興味深いところです。

by ぽぽんた (2020-11-22 14:40) 

もっふん

ぽぽんたさん、お返事有難うございます

確かに言われてみれば薄さのようなものは感じますね。

私の耳では分かりませんが弦セクションも最小編成と言われる6-4-2-2か、下手をすればそれよりも人数を削っているかも知れません。本来の筒美氏であればもっと絢爛たるストリングスアレンジを望まれたのではないかとも思いますし、不況に伴って制作費が厳しく限定されたのでは、とまで言うのは考え過ぎでしょうか。

ブラスセクションも互いの音が溶け切るほどの厚みが感じられず、ぽぽんたさんであれば何が何本とお分かりになりそうな気がします。

さらに例えば素人でも思いつく事ですが、東南アジア感を出すのであれば8ビートを刻んでいる右chに相対させる形で左chにコンガやアゴゴなどのラテン楽器を置いても良かったでしょう。かなりベタな手法ですがアクセントとしてビブラスラップなどを配しても似合う曲調であったと思います。

ただ、エレキギターが良い意味でのチープ感を全開にして全体の雰囲気作りをしている事を考えると、当然当時もそのような選択肢はあったけれども敢えて(予算と関係無く)シンプルな構成を目指して採用しなかったのではないかとも思えます。波止場の酒場や船のラウンジでは豪華な編成を組めませんからね。

勿論ぽぽんたさんが指摘された通り、当時の世情そのものが過剰に明るく豪華なものを求めていないと言う判断があったのかも知れません。

台湾では既に大スターだった事を考えれば、中国語カバーはたぶん最初から契約の中に入っていたのでしょう。向こうの音楽嗜好性事情が日本と微妙に違っていたとしたなら、国内版とアレンジを変えるのか妥協して共通で使える譜面にするのかと言った「大人の事情」も透けて見えるような気がします。

いずれにしても歌謡曲と言うのはその時代を映す鏡のような存在であった事を改めて強く感じさせられました。
_
by もっふん (2020-11-23 00:17) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは! また圧倒的に遅くなってしまい申し訳ありません。

石油ショック後で、子供心に結構ショックだったのが、2つ折りが普通だった
LPレコードのジャケットが、新譜ではそうでなくなっていた(その形態の単語が
思いつかないのですが(^^;))事でした。
見開きできるからアルバムだと思っていたので、これじゃシングルレコードと
大して変わらない、などと思えたものです。
2枚組などでは2つ折りでしたが、内側に直接歌詞が書かれているだけだったり。

それもこれもやはりコスト削減のためだったわけで、同時に音楽を制作する現場でも、
もっふんさんが仰るように制作費の削減を強いられたのかも知れません。

「処女航海」の音作りに関しては、制作費のためかどうかはわかりませんが、
薄い音となった事でかえって雰囲気が出ているのが面白いところで、
これも筒美氏の計算によるものなのでしょうか。

欧陽菲菲さんの「雨の御堂筋」も中国語バージョンがあるようですし、
あの時代はゴールデン・ハーフも含め、うまく日本語を使えない事がかえって
セールスポイントになっていましたから、歌手側からするとかえって母国語ver.の方が、
本領を発揮できていたのかも知れませんね(^^)

でも洋楽の方は、石油ショックなど関係ないような豪華なサウンドのヒット曲が
多かった気がします。

by ぽぽんた (2020-11-29 23:41) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんにちは。

優雅さんのことをあまり書けませんが、読ませていただいていたら周りの歌手のいろいろを思い出しました。
同じ時期に、テレサ・テンさんも「今夜かしら明日かしら」で、リンリン・ランランも「恋のインディアン人形」(4月でしたね)で日本デビュー、どちらも筒美先生作曲なんですね。
リンリン・ランランは中華の味が少しします。この一曲でのインパクトという意味で、筒美先生のすごさを感じます。編曲も筒美先生だったんですね。
テレサのは中華の味を全面に出してないですね。歌の持ち味そのもので勝負したかった意気込みが伝わります。アイドル路線も良かったけど、演歌歌謡曲の「空港」がどうしても聴きごたえがあるんですよね。
優雅さんは、インパクト勝負には見えないし、やっぱり日本では活動1年間だけなのは惜しいです。
これだけアジア系女性歌手が登場すると、確かに食傷気味になる人もいるだろうなと分かります。しかし、一気に引き受けた筒美先生もすごいです。歌い方にそれぞれ個性があるから、書いてレコーディングして仕上げる過程は楽しかっただろうなと思います…が、先生はそう思う余裕もなかったかな。

それと、製作意欲のベクトルのお話も興味深いです。
シンシアは翌年に「人恋しくて」でレコード大賞歌唱賞、ご本人によると3年間かけて引退に持って行ったそうでその初年にあたります。この昭和49年あたりから、腐らず冷静に引退準備を考えていたのかなと思うと賢いなぁ。「夏の感情」を紅白で歌う姿はますますイキイキしてました。

それと、「一曲が3分を超えると長い」とありますが、昭和49年の歌で4分以上かかる歌は、ジュリーの「追憶」グレープの「精霊流し」森進一さんの「襟裳岬」、だいたいに男性歌手の歌が長いように思います。テレビでどう使ってもらうかを意識すると、短い方がカットされなくて済むし良いですよね。
それとフェイドアウトで終わると、歌終わりのメロディーをバンドが自由に演奏できて、レコードとの違和感を減らせるという利点があると思います。きちんと終わる歌でも、かなり違うメロディーで締めてましたからね。
by もとまろ (2020-12-01 17:30) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは! お返事が遅れ申し訳ありません
(最近こればかり…本当に申し訳ありません)。

当時小学生~中学生だった私は、欧陽菲菲さんとアグネス・チャンさんが大成功したから
ゾロゾロと似たような出身の歌手がやって来た、と思ってました(^^;)。

今でこそ、そういった歌手のそれぞれの良さなどもわかりますし、
テレサ・テンさんのように日本人歌手に引けをとらない歌手がいた事も認められるのですが、
当時の大衆には実際には、たどたどしい日本語で歌うのがいじらしく、
大人が子供をみるような視線で受け入れられていたと思うんですね。

なので、結局今も記憶されるのは、楽曲そのものが本当に良かった、
それを歌った歌手に限られていると思います。

そういう意味では、優雅さんは筒美京平氏がポスト南沙織として
育てようとしていたのかな、と素直に思えるのですが、
楽曲を聴いていると何か足りない感じが付きまとうんです。
もしかすると、南沙織さんほどハッキリとしたイメージを打ち出さないまま
デビューしたからかも知れません。

南沙織さんについては、デビューして一年経たないうちに引退宣言し、
それは撤回したもののずっと尾を引いていたんだな、と思うと、
ファンとしてはあまり良い気分はしないものです。
1978年に引退した時には「復学のため」と言っていたように思いますが、
実際にはさっさと結婚して家庭に収まってしまい、う~ん…何だかなぁ…と思っていました(^^;)

演奏時間は、今思うと1973年頃から3分超えが普通になって、間もなく4分超えも
多くなってきましたが、それは恐らく後にニューミュージック」と呼ばれる、
自作自演の歌手が増えてきた事が理由の一つでしょう。
仰るように男性歌手の曲って長いものが多かった気がしますね。
「追憶」はニューミュージック系ではなく洋楽に近い作りで、
そういった音楽も長くなる傾向があったように思います。

でも3分にも満たない曲を出していた歌手も、テレビでフルコーラス歌っているシーン
って殆ど観なかった気がします。

by ぽぽんた (2020-12-06 17:15) 

ぼたもち

コメント時期を逸して申し訳ないです。

子供の頃から歌謡曲大好きでしたが、優雅さんの記憶が本当にないんですよね・・どうしてでしょうね。

以前CS放送で、筒美京平先生の曲が連続して流れる番組がありました。

筒美氏は70年代前半、鍵盤楽器クラビネットを好んでアレンジに使用していたそうですね。
主にリズムを重視したソウル系ポップスに使われ、郷ひろみさんの『君は特別』他、岩崎宏美さん『ロマンス』、優雅さん『処女航海』『胸さわぎ』などで使用、と紹介されていました。
筒美作品紹介の場で取り上げられるほどの作品なんですね。

これだけお伝えしようと思って(⌒-⌒; )
内容がなくてすみません。読み流してくださいね。
by ぼたもち (2020-12-30 01:15) 

ぽぽんた

ぼたもちさん、こんにちは!

いえいえ、このブログのコメント欄に期限とかはありませんので(^^)

そうですね、優雅さんは頻繁にテレビに出ていた期間が短かったからでは、
と思います。
私も「処女航海」を歌唱しているのは憶えていましたが、次の「胸さわぎ」は
1998年に筒美京平氏のディスコ作品ばかり集めたコンピCDを買うまで、
聴いた記憶が一切ありませんでした。

クラビネットは当時スティービー・ワンダーが「迷信」で歌いながら演奏していた
のが大きな影響力があり、それが筒美氏の作品にも反映したのだろうと
私は考えています。
変わった音でカッコよく目立つのですが、演奏次第ではクサくダサく聞こえる、
怖い楽器でもあります(^^;)

筒美京平氏は初期の作品ではチェンバロ(ハープシコード)を多用しているので、
そのあたりもぜひチェックなさってみて下さいね。
何でも、ポール・モーリアが大好きでその影響だ、との事です。

by ぽぽんた (2020-12-31 13:55) 

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