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筒美京平氏…。

今回は曲解説ではなく随想に終わりそうですが…。

ご存知のように、先週月曜の10月12日、作曲家の筒美京平氏が7日に亡くなった事が報道されました。
私はたまたまネットのニュースでそれを知って「えっ…」と、
その時誰とも話してはいませんでしたが絶句状態になりました。

心のどこかで、そのような日が近い将来に訪れる予感はありましたが、
いざそれが現実になるとやはり、色々な思いが交錯し、結局の感情は悲しい、その一語でした。
恐らく、筒美京平氏はこれまでで最も、その訃報の衝撃が大きかった作曲家でしょう。
それは一にも二にも、筒美氏が残した楽曲数が膨大であり、その中の何百にも上る数の楽曲が、
膨大な数の日本人の心に残っているからでしょう。

筒美氏はかつてテレビ番組で「昔の曲でもいい、自分が作った曲を誰かが口ずさんでいるのを見るのが
最高の幸せ」と語っていましたが、
それはもう、日本全国、どこにでもそのような人だらけですよ、きっと。

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筒美京平氏は、多くの音楽家が夢見がちな「海外進出」には全く興味がなかったように思います。
色々なインタビュー記事がありますが、それらには大抵「XX云々は日本人が好きな〇〇だから」
と語っていて、ひたすら日本人から好まれる、日本ではヒットする、
そういったエッセンスを常に模索していたんですね。

かつては行きつけのレコード店で、最新の輸入レコードを一度に何十枚も買い、
聴き漁っては日本人が好みそうなフレーズやサウンドを探していたそうです。

それも、一枚のレコードを最初から最後まで通して聴くのではなくて、
各曲の頭だけを次々に聴いては飛ばし、聴いては飛ばし…が多かったそうで、
イントロを聴いただけでその曲の全体像を把握する能力があったのか、
あるいはイントロの重要性を熟知していてそのアイディアを得るのが最優先だったか、
どちらかでしょう。

私はこれまで、筒美氏の楽曲の記事を書かせて頂くたびにいつも
「6thのついたコードを多用している」と書いてきました。
それは正確に言うと、基本的な和音であるI・IV・VのうちのIやIV、即ち1曲のメロディーの中で
主題となる部分や盛り上げにかかる部分の和音に6thを付けると言う意味なのですが、
その操作もやはり、日本人が好む哀愁感をそれとなく感じさせるためと言って良いと思います。

以前にも説明したかも知れませんが、例えばコードがC6ならば構成音はド・ミ・ソ・ラとなり、
それはCの構成音のド・ミ・ソ、そしてその平行調であるAmの構成音ラ・ド・ミを合体させた事と
同じになり、結果明るい響きとさみしげな響きの両方を持つ事になるんですね。

筒美氏の作品に限らず、歌謡曲には6thの音がかなりの頻度で使われているんですよ
(極端な例で言うと「銭形平次」(舟木一夫)でもさりげなく、でも効果的に入ってます)。

因みに6thの使い方については、都倉俊一氏の楽曲、特にピンク・レディーに提供した作品でも
大きな効果を発揮しています(目立つのは「カルメン'77」、「乾杯お嬢さん」あたりかな)。

しかし筒美氏の場合は勿論それだけに頼るわけでなく、
当時の最新の洋楽が持っていた「売れ線」を的確に判断し、採り入れる事で、
常に新鮮な歌謡曲を世に送り出していたんですね。

面白いのは、これってひょっとしたらアメリカの音楽家の方が筒美氏の作風をパクったのか!?
などと思える例もあって、
1974年前半頃に日本で(正確には「日本だけで」)大ヒットしたソウルポップスである、
スリー・ディグリーズの「荒野のならず者(Dirty O'l Man)」では、
6thをこれでもかと多用したコードバッキングが聴かれます。

その翌年にスリー・ディグリーズは筒美氏作曲の「にがい涙」を発売しヒットしましたが、
そこにはそういった音楽的なつながりがあるのかも知れませんね。

そんなスリー・ディグリーズのコーラスサウンドを参考に都倉俊一氏がプロデュースしたのが、
「スター誕生」からデビューしながらも不発に終わった3人を集めて結成したコーラス・グループ、
ギャルだったのではないかと私は思っております、因みにですが。

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筒美京平氏が最も多くのヒットを送り出したのは1970年代でしたが、
特に1971年から1975年にかけて、その作品の多さは驚異的です。
当時は作曲だけでなく自身の作品のアレンジも行なっていたので、
今考えると、寝る時間はあったのかな?と思ってしまうほどです。
きっと全盛期の小室哲哉さん並、もしかしたらそれ以上かも知れません。

その中でも1972年は毎月のように、オリコンのベスト10には必ず筒美作品が入っていましたが、
そんな中でも、堺正章さんのアルバム「サウンド・ナウ!」では12曲全ての作・編曲を行なっています。

またまた因みにですが、当時、筒美氏はサウンド・ナウ・オーケストラを結成し、南沙織さん等の
レコードでそのクレジットが見られ、「サウンド・ナウ」なる言葉へのこだわりが感じられますが、
それは当時の筒美氏の、楽曲制作に対するポリシーを示していたような…と言えばこじつけ、かな。

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筒美京平氏の作品で最も好きな曲は?
と質問すれば、きっと百人百様となると思います。

私は、1曲だけ挙げなさいともし言われたら、迷わず「潮風のメロディ」(南沙織)です。
音楽的にどうの、もそうですが、明るいのに得も言われぬ哀愁感、そのバランスでしょうか。
中学校に上がる前(今から46年前!)、私は記念にと思ってDJまがいのテープを作ったのですが、
その中でも変声期前の声で「何だかすごく思い出がある」とか言ってこの曲を紹介してます(^^;)

後はもう、絞りきれないほど好きな曲があります。
キリがないのでやめておきますが、良かったら皆さんの「筒美京平ベストワン」を教えて下さい(^^)

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2005年にBSフジで放送されていた「HIT SONG MAKERS ~栄光のJ-POP伝説~」。
その第1回が筒美京平氏の特集でしたが、今回、それが特別編成で放送されます。

2020年10月24日(土) 12:00~13:55

元は2回に分けて放送されたのですが、今回は1回にまとめてあるみたいですね。
これは必見! 私もずっと再放送を望んでいた番組です。

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私が初めて「筒美京平」なる名前を強く記憶に残したのは、小学6年の夏(1973年)、
「わたしの彼は左きき」(麻丘めぐみ)のシングルを買った時でした。

なぜか、その名前を見て、当時ミュージシャン等では普通だった長髪・サングラスではなく、
ネクタイを締めてキチッとした身なりのサラリーマンのような姿をイメージしていました。

実際には1971年のレコード大賞でご本人が画面に登場した事もあったのですが、
そんな事は全く知らずに浮かんでいたそのイメージ…結構、正しかったんですね。

超個人的な事で、不謹慎と言われるかも知れないのですが、
筒美氏が亡くなった10月7日が、やはり音楽好きだった私の父の命日と同じであったのが、
誇りに思えたりしています。

きっと私は、この世にいる間はずっと、筒美作品に親しみ続けるでしょう。
恐らく、日本には私と同じように思っている人が何百万人もいると思います。
筒美京平さん、素晴らしい音楽経験をさせて下さって、ありがとうございました。


筒美京平氏のご冥福を、心よりお祈り致します。


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もとまろ

ぽぽんたさん、こんにちは。

先に、私にも思い出深い「ロマンス」で筒美京平先生のお話をちょっと書かせていただきましたが、特定の歌手に限らない感謝のコメントがたくさんありましたね。先生にいろんな歌手がお世話になり、同時期の作曲家の皆様は刺激になり、組んだ作詞家の皆様はいい歌を作った満足感があり、後進の作詞作曲家の皆様は勉強になり…平成にもいろんな名曲を残され長年ご活躍されたことで、ファンにも芸能界にもたくさん良い楽しい思い出を下さったのがよくわかります。

先生は、もともとレコード会社で洋楽のディレクターのお仕事をされていたので、各曲の頭だけを次々に聴いては飛ばし、聴いては飛ばし…の聴き方はさすがディレクターだなぁと思います。
よくわかりませんが、宣伝効果みたいなことを考えておられたのでしょうか。テレビやラジオで、どんなメロディーがファンでもない人々を惹きつけられるか…というインパクトを考えておられたように思います。で、日本にないものはどんどん採り入れようと。

ぽぽんたさんにお尋ねしたいんですが、80年代突入あたりから先生は編曲を他の先生に任せるようになりますが、どうしてでしょうか?先生が編曲もなされた歌が、スッキリしていておしゃれな感じがします。

ぽぽんたさんのお父様と先生の命日が同じ日…ということで考えましたが、自分も家族も同じ誕生日の有名人はよく覚えていてちょっと嬉しくなることもありますが、祖父母の命日までは調べなくて、家にいると日にちの記憶がかなり曖昧になります。この6年半、父と同じ命日の有名人までは意識しませんでした。
ずっとたくさん聴いて思い出を重ねてきた筒美先生の命日だから、これは忘れられない、何だかありがたい…というぽぽんたさんのお気持ちは、すごくわかる気がします。

筒美京平先生ベストワンは、フォーリーブスの「夏のふれあい」です。
発売された昭和47年の紅白でも歌われました。
先生が作曲も編曲もされています。フォーリーブスへの数少ない楽曲提供の中の一つで、ソウルミュージックのかっこよさと、なぜか和の勇ましさ、恋愛よりも男女が一対一の試合か対局(それも柔剣道・空手・囲碁・将棋)をする光景、会場に向かいズシズシと勇ましく歩く男性の姿が浮かぶ不思議な歌です。紅白では空手みたいな動きも見られます。今思えば、「二人で幸せになろうね」よりも「この恋から自分はどう生きるか」みたいな歌に聴こえます。フォーリーブスの中でも大好きな歌です。ちなみに作詞は(諸説ありますが一応)公ちゃんです。

自分のリアルタイムでの思い出の歌は、五郎さんの「19:00の街」です。
当時、幼稚園年長児だった私は、この歌で7時ではない時刻の表し方を覚えました。たぶんカックラキンを見ながら、「お母さん、19:00って何時?」と聞いたんだろうな。子供が生まれてから、ますます思い出深くなっている歌です。長男はこのようなことを一切聞いてきませんけどね。

筒美京平先生には、たくさんの歌と思い出を残してくださったことに改めて感謝し、心地良い音楽が常に鳴り響く中いつまでも安らかでありますように、お祈り申し上げます。
by もとまろ (2020-10-18 16:44) 

ゆうのすけ

偉大なるコンポーザーの旅立ちに言葉がありません。
先ほどまで 明日更新の記事を書いていたんですが ぽぽんたさん
同様に随想にしかならなくて 今回ほど記事をまとめるのに悩んだ
ことは今までにそうなかったと思います。
毎回1~2曲くらいの 今日の一曲としてピックアップしているの
ですが その選曲さえままならず。あえて一曲を選出しましたが・・・。煮え切らずで。。。☆~☽
私が生まれる一年前に 藤 浩一(子門真人)さんのシングルで作曲家デビューされて 私が筒美京平という作曲家を知らずに 数々のヒット曲が いつもどこかで耳を過り生活の一部になっていました。初めて親にねだって買ったレコード「粋なうわさ/愛のひととき」ヒデとロザンナや 初めてお年玉を持って ひとりで近所のレコード屋さんに行って買ったレコード「ファンタジー」岩崎宏美(ほんとは「木綿のハンカチーフ」太田裕美を買いたかったけれど売り切れていた。)が筒美作品だったと知るのはかなり後なんですよね。半世紀以上にわたって 歌謡曲の礎を築いた多くの作品は 単なる流行歌じゃなくて文化遺産に昇華しましたよね。ここ数年 年を重ねるうちに私の歴史に影響を与えてくださった多くの方が旅立つに連れて 時の流れの大きさに驚くばかりです。
上手くまとめようがないのは当たり前ですよね。今はその功績と残された作品をこれからもさらに愛してゆきたいと思うばかりです。
なにか呼ばれるものがあったのか 筒美京平さんが旅立たれたという情報を聞く一日前に CD屋(一番近くにあるのでTOWER RECORD某店舗)で筒美京平さんのオリジナルを手に取ったんですが いつか買おうと棚に戻したものを 2日後に手に入れたのでした。
(1976年『HIT MACHINE~筒美京平の世界』TOWER RECORD)合掌。
(やはり今も考えていましたが この一曲って選べないです。でも私の中では 平山三紀さんの一連の作品がぐるぐると・・・。)
by ゆうのすけ (2020-10-18 17:37) 

ゴロちゃん

ぽぽんたさん、こんばんは。
筒美先生の訃報を聞いてから1週間たちますが、まだ喪失感でいっぱいです。
前の記事のコメントのところで、JPさんが「筒美作品について80年代のことを語る人が増えてきた」といったことを書かれていました。たしかにネットを見ていると、80年代のアイドルの歌の数々が素晴らしかったといった声がたくさん見られました。私にとっては、自分が多感な時期を過ごしていたということもあってか、やっぱり70年代の楽曲が最高です。曲もさることながら、先生の編曲が素晴らしかったです。イントロでもう心をわしづかみにされることがどれほど多かったか。「また逢う日まで」「わたしの彼は左きき」「恋の弱み」「甘い生活」「真夏の出来事」・・・もうきりがありません。イントロの出だしだけを聴いていてもいいくらい大好きです。ベストワンは決められません。
15日に、車で往復3時間半ほどのところに出かける用がありました。私の車で聴けるたくさんの歌の中から、筒美作品だけを選んで聴きながら車を走らせました。50曲ほど聴きました。久しぶりに聴いた歌もあったけど、京平先生、やっぱり最高でした!

by ゴロちゃん (2020-10-18 20:02) 

ゴロちゃん

イントロ最高の歌「魅せられて」を書くのを忘れてました。
昨日、BSプレミアム「カバーズ」で筒美京平作品集をやっていました。(2年前の再放送でしたが。)誰が歌ってもやはりいいです。五郎さんの「女になって出直せよ」をカバーした方(名前を忘れてしまいました)がとてもよくて、改めてこの歌を聴いてみようという気になりました。
by ゴロちゃん (2020-10-18 20:17) 

みやちゃん

ぽぽんたさん、久しぶりにコメント致します。

先週の月曜日、会社の3時休みにスマホを見ると、筒美京平氏死去のニュースが・・・
あの日は脱力感、虚無感でその後の仕事がまったく手につきませんでした。。

私の筒美作品との出会いといえば、なんといっても「ブルー・ライト・ヨコハマ」で、当時小学1年になったばかりの頃、親にねだってレコードを買ってもらったのが最初です。
今思うとなんともマセた子どもでしたが、当時は子どもながら、「恋の季節」やら、「夜明けのスキャット」やら「花の首飾り」などのマイナー調歌謡曲が大好きで、「ブルー・ライト・ヨコハマ」も、詩の内容などまったくわからなかったのですが、ただただ哀愁を帯びたメロディが好きでしたね。
その後、サザエさんがらみの2枚のシングルを買ってもらったり、姉が熱狂的な郷ひろみさんのファンであったり、知らず知らずのうちに筒美メロディに親しんでいたのですが、まだ70年代は筒美京平という作家を意識して聞くことはなかったです。

筒美京平という名前を意識して聞くようになったきっかけは、1981年に、当時レコード屋さんにで売っていたオリコンWeeklyというタブロイド紙に、筒美京平作曲家生活15周年ということで、それまでにチャートインした全作品がリストアップされているのを見て、すごいなぁと感動したことからです。
それ以降、筒美京平氏の作品をエアチェックしたり、レコードを買ったりして、筒美京平氏の作品を年代順に並べたカセットテープを作ったりして楽しんでいましたが、当時は○○さんの新曲は筒美京平氏の作曲!、というだけで期待値が跳ね上がり、ワクワクしたものです。

筒美京平ファンにとって、ベストワンは?という質問が一番の難問で、順位はつけられないというのが本音ですが、とりあえずオールタイムだと「真夏の出来事」かなぁ。。
と、このコメントを書いている時に、ラジオで「たそがれマイ・ラブ」がかかって思わず聞き入ってしまったのですが、こちらがベストワンかな。。
まあ、結論は、一曲には絞れない、ですね(笑)

「HIT SONG MAKERS ~栄光のJ-POP伝説~」は私にとって初めて動く筒美京平氏を見た番組だったので再放送はうれしいですね。
あとNHK BSで放送された「稀代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」も出来れば再放送してほしい番組です。

それにしてもつくづくリアルタイムで筒美作品を聴けて幸せだったと思います。
これからも自分が死ぬまで筒美作品を聞き続けることでしょう。
筒美氏には、常に私たちをワクワクさせてもらいありがとうございましたと伝えたいです。


by みやちゃん (2020-10-18 22:57) 

widol

ぽぽんたさん、こんにちは。

筒美さんの訃報は私にとっても非常にショックでした。太田裕美さんのショックぶりもツイートで十分伝わってきますのでなおさらです。
最初はあれこれ思いをかなり長文で書いたのですが、まとまらず全部消しました。

「木綿のハンカチーフ」「九月の雨」「ドール」「恋愛遊戯」「ブルー・ライト・ヨコハマ」「誰も知らない」「明日の愛」「美しきチャレンジャー」「想い出通り」「よろしく哀愁」「針葉樹」「ときめき」「赤い風船」「ひとり歩き」「リップスティック」「セクシー・バス・ストップ」「私たち」「センチメンタル」「ファンタジー」「シンデレラ・ハネムーン」「日曜日はストレンジャー」「恋の風車」「あの場所から」「モンテカルロで乾杯」「東京ららばい」「薔薇と海賊」「サードレディー」「野生の風」「オリエンタル・ムーン」「青い地平線」「エスカレーション」「刹那の夏」「センチメンタル・ジャーニー」「真っ赤な女の子」「半分少女」「北風のキャロル」「卒業」「WAKU WAKUさせて」「Temptation」「Sosotte」「どうする?」「抱きしめてTONIGHT」「スニーカーぶるーす」「ヨコハマ・チーク」「君だけに」「魅せられて」「」「」「」「」「」・・・・・・・・・・・大ヒットにはつながらずに残念な思いをしましたが、天地真理さんに残した「さよならこんにちわ」そして名曲中の名曲「レイン・ステイション」。全部好きです。

70年代、80年代と少年期、青春期と筒美っ子だったこと今はただ感謝です。そしてそんな時代にリアルタイムに接することができたことは本当に幸せでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。そしてもう一度「ありがとうございました」。

ベストワンはもちろん
「木綿のハンカチーフ」
です。
by widol (2020-10-19 08:27) 

TJR10

ぽぽんたさん、こんにちは。ご無沙汰しております。以前、麻丘めぐみの楽曲でコメントを書いたことのある者です。

昨年、千家さんが、そして今年は、筒美さんが逝去されるとは。

ベストワンは「芽ばえ」です。
麻丘めぐみさんには楽曲を40曲くらい提供されていると思いますが、最初の一年間に大量のアルバム曲が出ており、本当に驚きです。
アルバム曲のベストは、「海辺の白い家」(さわやか)、「愛の迷い子」(あこがれ)、「春がいっぱい」(めぐみの休日)・・・その他たくさん。
どれも良い曲なので、(未来に生きる人も含めて)誰もが聴けるといいなと思っていたのですが、
昨年、「mora qualitas」をお試ししたとき、ほぼ楽曲があったようなので、うれしく思いました。

追悼番組の情報ありがとうございます。
ところで、2011年5月29日、NHK BSで放送された「希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」はご覧になりましたか?
だいぶお年を召した印象でしたが、ご本人が出演されている貴重な映像でした。
by TJR10 (2020-10-19 21:06) 

sjghd

こんばんは。

筒美京平さんの訃報は、すごく残念で、哀しいです。

国民栄誉賞は、作曲家として、古賀政男さん、服部良一さん、吉田正さん、遠藤実さんがもらっていますが、
作曲家として日本一の売り上げの筒美京平さんが、もらえそうもないのも、残念で、哀しいです。
作曲家の国民栄誉賞は、偏っている感じがします。

さて、筒美京平さんのベストワン候補は、下記ですが、

「ひとり歩き」桜田淳子
「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみ
「赤い風船」浅田美代子
「しあわせの一番星」浅田美代子
「芽ばえ」麻丘めぐみ
「木綿のハンカチーフ」太田裕美
「センチメンタル」岩崎宏美

この中から
べストワンは、浅田美代子さんの「赤い風船」です。

by sjghd (2020-10-20 20:46) 

White Autumn

こんばんは。
筒美京平さんの訃報に接して、久しぶりにこのブログのことを思い出しました。
スマートフォンのニュース速報を見て、目を疑いました。
今年は芸能界で不幸が続くとは思っていましたが、まさか筒美さんまで…。
悲しくて、言葉になりません。

ぽぽんたさんの6thコードの解説を拝見して、日本人は「明るさの裏に隠れた哀感」が本当に好きな民族と、思いを新たにしました。
これはポピュラー音楽だけに限らないのかもしれませんね。
文学や絵画、写真など他の芸術やスポーツ、お料理の「隠し味」に至るまで(?)多分他の国の人にはあまり顕著に見られない感性のように思えます。

太田裕美さんのツイートやブログ記事から垣間見られる近況も、胸に迫るものがありました。
筒美京平さんが素敵な曲を生み出していく時代に生きてこられたことは、私にもたらされた幸運のひとつでした。心より感謝を申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


「筒美京平ベストワン」

堺正章さん「さらば恋人」です。北山修さん作詞集のLPレコードで知りました。北山さんが主に提供している、フォーク・クルセダーズ系の人たちが作った曲とは明らかに一線を画していて、プロフェッショナルとはこういうことと実感しました。堺さんの“泣き”の声質を最大限に活かしたメロディーですね。

加えて、夏に弘田三枝子さんの訃報があった際に「渚のうわさ」を聴いて、久しぶりに心が揺さぶられる思いを体験しました。おおらかなメロディーと楽器の使い方、弘田さんの力強い歌声に、作曲家・筒美京平の原点を感じました。最初のヒット曲と言われている「バラ色の雲」よりも先に発売されていたということも、私にとっては新鮮なエピソードでした。

筒美さんご自身が編曲したヒット曲は「魅せられて」までで、以後はアレンジを外注…という説が定着しかけていますが、太田裕美さんはデビューの時から萩田光雄さんが主に編曲を担当されていました。野口五郎さんの初期のヒット曲も高田弘さん編曲になっています。分業体制が定着するまでは、外注するか自分でアレンジするか、何か基準があったのかな?と思います。

私もまた、筒美作品といえば60年代から70年代の曲をまず思い出します。80年代以降はシンガーソングライターを意識しすぎているようなところがあって、失礼ながらややしんどい感じもいたします。
by White Autumn (2020-10-20 21:56) 

ゆうのすけ

ぽぽんたさ~ん コメントありがとうございました。
改めて記事を拝見させていただいて 大事なところチェックし忘れてました。^^
>「HIT SONG MAKERS ~栄光のJ-POP伝説~」 BSフジ 録画予約しました。見忘れるところでした。♬~
。。。その後 日に一度は 自身のブログをチェックするのに筒美京平さんのことを思い出して いろんな曲が巡るんですが しばらくぐるぐるしていた 平山三紀(現在は みき)さんの「パーフェクト・サマー・タイム」や「マンダリン・パレス」「いつか何処かで」がやや影を潜めて どうも私にとっての一曲は やはりヒデとロザンナ「愛のひととき」に落ち着きそうな予感が漂い始めました。他の多数の作品も相変わらずキラキラ輝いているのですが。ステレオの前でこの作品の不思議な魅力にとりつかれた私の三つ子の魂が大きな影響を及ぼしているのかもしれません。☆彡(ちなみに私は兄弟はいますが三つ子ではありません。^^;)
by ゆうのすけ (2020-10-21 01:06) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは! お返事が遅くなり、もうしわけありません。

筒美氏は何よりも「曲をヒットさせること」が最優先だったと語っているほどですから、
仰るようにイントロのインパクトを宣伝に転化するセンスを養っていたのかな、と思います。
実際には気に入った曲はとことん聴いていた事と思いますし、
特に70年代は「カーペンターズのように一つのジャンルとなりうる音楽がリアルタイムで
出てきたので、一ファンとして、一プロフェッショナルとしてとてもよく聴きました」
と語っています(「作家で聴く音楽」第二回より)。
私は中学生の頃から音楽はカーペンターズが何よりも好きだったので、個人的にも
その言葉はとても嬉しいものでした(^^)

筒美氏の命日が私の父と同じと知った時、因縁めいたもの…はさすがに感じませんでしたが、
どこか自分ともつながりがあるように思う事ができるようになったんですね。
私は正直、祖父母以前は名前も誕生日も知らないので供養のしようがないのですが、
毎年、父と母の命日はとても大切にしています。

ある評論家か音楽家(誰かは失念しましたが)が言っていましたが、
筒美氏が作曲した曲は自身が編曲したものが最も曲の良さを生かしている…と、
私もそう思います。
それは編曲の技術があれば至極当然の事と思いますし、もっとそういった作り方を続けて
ほしかったと思うのですが、それをしなくなったのは、忙しくなりすぎたからと言うのが
最大の理由のようです。
なので、他者に編曲を依頼する時にも任せきりではなく、自身と同じような仕事をしてくれる
人である事が絶対条件だったようで、細かい注文も随分多かったそうです。
編曲家側も、筒美氏の曲を担当する時には「筒美氏の手足のようだった」と語っている人が
何人かいます(萩田光雄氏もそうだったかな)。

「夏のふれあい」、私はかなり懐かしいです。
フォーリーブスは、オリコン関係はあまり大した記録はないのですが、
当時はテレビで見る限りは大人気でした。
でも何だか、当時(小学4年でした)はなぜだか反発を感じてたなぁ(なぜだろう?)。

自身は殆ど表舞台に出ずにひたすら良質な音楽だけを世に送ってきた筒美氏でしたね。
私も、色々な思い出を残してもらった事に感謝しています。

by ぽぽんた (2020-10-22 18:19) 

ぽぽんた

ゆうのすけさん、こんばんは! お返事が遅れて申し訳ありません。

筒美氏の作品って音楽的に実に幅が広いですし、例えば都倉俊一氏のような作家自身の色を
感じさせる事も殆どないので、え、この曲も筒美さん?これも?って事が多くて、
「好きな筒美作品は?」と訊かれたら絶対に迷いますよね。
私の場合も、小学から中学にかけてはお小遣いの都合上シングルばかり買っていましたが、
買ってきてクレジットを見ると「作曲・編曲 筒美京平」と書かれたものが半分以上で、
「わたしの彼は左きき」を買った時にようやくその事に気づいて「この人、凄い」
と意識し始めたんです。
上の本文に筒美氏について「キチッとしたサラリーマン風の人を想像した」と書きましたが、
それはきっと、音楽が折り目正しいものに感じていたからかな、と思います。
それは明らかに、その音楽に反映していると今も感じています。
特に日本人は、かも知れないのですが、最終的に人の記憶の奥深くまで残る音楽は、
どこかキチッとしているものだと思うんですね。
筒美氏はそんな音楽を量産したわけで、まさに文化遺産です。

それにしても「木綿のハンカチーフ」を買いに行ったら売り切れだった、と言うエピソードは
とてもリアルですね! その一文で、私には当時の雰囲気が一気に蘇りました。
私の行きつけだったレコード店は国鉄原町田駅の真ん前にあった「町田楽器」なのですが、
そこでシングル盤をパタパタと、ああでもないこうでもないと選んでいた頃…です(^^)

あ、私の番宣、お役に立ったようで良かったです(^^)

「愛のひととき」、私は聴いた事がなかったのでAmazon Music Unlimitedで聴きました。
これって、日本人の作風とは思えないですね。 完璧なボサノバで、
こういった音楽も当時、外でよく耳にしていた気がします。
「真夜中のボサノバ」もそうですが、こういった音楽を世に出す事自体が素晴らしいですし、
ヒデロザにそれを提供した筒美氏のセンスも、本当に凄いと思います。
私は当時三つ子ではなく小学2年生くらいでしたが、病気がちで病院ばかり行っていて、
その途中、町中を通ると色々な音楽が聞こえてきていたんです。
そんな時代とも合致しているから筒美氏の音楽が印象深い、のもあるかも知れません。

by ぽぽんた (2020-10-22 18:19) 

ぽぽんた

ゴロちゃん、こんばんは! お返事が遅れて申し訳ありません。

何なんでしょうね… ここしばらくヒット曲が途絶えていたのに、この世を去られてしまうと
これほど大きな喪失感がなかなか消えてくれないのは…。

やはり世代的なものでしょうが、私もやはり、80年代よりも70年代ですね。
今の人からすると、80年代は懐メロ、70年代は超懐メロ、それ以前は古典…だったりして(^^;)
迎合するわけではないのですが、私も筒美氏の作品はアレンジまでふくめてナンボ、
と部分があって、今も好んで聴くのは自身でアレンジまで手掛けた作品ばかりなんです。
自分でアレンジまで行うと、どうしても全体のサウンドが自分好みに偏ってしまう事が多いのですが、
当時は筒美氏に限らず、例えば鈴木邦彦氏や川口真氏等、自身でアレンジまで行う人の
作品もそういった偏りが感じられず、幅広い音楽を感じられる人が多かったと思うんです。
その中で筒美氏は、その作品数や音楽の幅も特別に抜きん出ていた、と言う感じでしょうか。
もう一つ重要な点は、筒美氏の音楽って、飽きないですよね。
それがなぜなのか、もしかしたら私にとって死ぬまで課題かも知れません。

「魅せられて」と「女になって出直せよ」は同じ年の曲でした。
「女になって…」は船山先生のアレンジも凄い、カッコいい曲ですね!
筒美氏の訃報を知った時、すぐに船山先生にメッセージを打ったのですが、すぐに返信して下さり
「今、京平先生は凄く楽になられたと思います」と…。
筒美氏に近い方ならではの温かい、そして深い言葉に心を打たれました。

by ぽぽんた (2020-10-22 18:20) 

ぽぽんた

みやちゃんさん、こんばんは! お久しぶりです(^^)

もう10日も経ってしまったんですね…。 私も本当に、もしかしたら芸能関係の訃報で
最も驚き、最大のショックでした。

「ブルー・ライト・ヨコハマ」は私も印象的、と言うか当時は生活の一部と言っていいほどの
影響力のある1曲でした(私についてだけではないと思います)。
この曲に限らないのですが、筒美氏の曲は、1曲の中に印象的なフレーズが必ず2か所はあって、
場合によってはそれらが別の曲と無意識に思ってしまっている事がある気がするんです。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」も、最初の♪街のあかりが…♪がまず頭に残り、
中盤の♪歩いても歩いても…♪も必ず頭に残りますよね。
1曲においしい部分が複数あると、レコードで聴くと何だか得した気分になってしまいます。
私は、それが筒美氏の曲がヒットした理由の一つではと思っています。

みやちゃんさんのように、作家の名前だけで音楽への期待値が上がると言う事は実に
凄い事で、もしかしたらうんと昔、レコードなどが発明される前、19世紀の前半あたりかな、
例えば「ベートーベンが新作を発表」と広報されると、音楽の内容も知らないのに
その名前だけで聴衆を集められた、そんなパワーに近いものを筒美氏は持っていた、
と言う事ですよね、きっと。 同じような人はきっと、日本中におられると思います。

「真夏の出来事」、いいですね(^^)
私にとってこの曲は、小学4年の時に、二段ベッドで私が下、兄が上で寝ていて、
兄が一晩中かけていたラジオのディスクジョッキー番組で夜明け頃に流れてきて、
まどろみの中で聴いていた曲、そしてそれらしいシーンが頭に浮かんできていた1曲で、
当時、全く同じ状況でもう一つ印象に残っているのが「さらば恋人」だったりします。
なのでそれらを耳にすると、一瞬のうちに気持ちが小学4年当時に戻ります。

「HIT SONG MAKERS ~栄光のJ-POP伝説~」は私は思いっ切り見逃していて、
数年後にそれが放送されていた事を知って悔しい思いをしたんです。
確かDVDも市販されたのではなかったかな?
NHKの「稀代のヒットメーカー」も凄い番組でしたね。 この番組は、確かあまり時間が
経たないうちに一度再放送された気がします。
今回も、そして出来れば未放送部分も加えて再編成され放送されるといいですね。

私も全く同感で、リアルタイムで筒美作品を楽しんでこられた事、
それが幸せであり、幸運だったと心から思います。

by ぽぽんた (2020-10-22 18:20) 

ぽぽんた

widolさん、こんばんは!

やはり太田裕美さんのように、直接作品を書いてもらったり指導されたりした方々にとって、
筒美氏の訃報は何より恐れていた事だったと思います。
widolさんも、筒美氏の作品には抑えきれないほどの思いがあるのではないでしょうか。

お好みの曲、年代的にも音楽的にも幅が広いですね(^^)
シングルにならなかった曲にも、良い曲が沢山あるのでもっと困ってしまいますね。
一時期、アイドル歌手がデビューするとそのファーストアルバムにはカバー曲が多く
収録されたものですが、70年代前半だと「夢でいいから」や「恋はそよ風」、
「ふたたび愛を」などは最も多くカバーされていたのではないでしょうか。
「レイン・ステーション」は以前は知る人ぞ知ると言ったタイプの曲でしたが、
筒美京平ブームがあって一気に知られた感じでした。

「木綿のハンカチーフ」は筒美ファン、裕美ファンだけに留まらず、日本全国的に
愛されている曲のトップに位置する名曲と思います。
私も、最も感性の鋭い時代に筒美氏の音楽をリアルタイムに体験できて、
本当に幸せだったと思い感謝しています。

by ぽぽんた (2020-10-22 18:21) 

もっふん

こんにちは。

一週間書いては消し書いては消し、でしたが、どうしても上手くまとまりません。
仕方が無いので私にとって筒美作品とは何だったのか振り返ってみる事にします。

大前提として子供の頃の私にとって歌謡曲と言うのは大人のものでした。店頭に並んでいるチョコレートを食べて美味しいとは思う物の、誰かがレシピを考えて誰かがパッケージをデザインして実際の工場では誰かが私の与り知らぬ原料から与り知らぬ装置で製造しているなんて事を全く気にしないのと同じくらい、楽曲がどうやって作られたのかについては関心が無く、それはどこかの大きな会社の偉い人がやっているのかも知れないけれど、自分に出来る事は「このチョコレートは美味しい」と感想を漏らす事くらいしか出来なかったと言う事です。

当時音楽が入って来るのはテレビラジオに限定されていましたし、単音のメロディを覚える事すら覚束なかった私にとってビッグバンドやオーケストラが数十人がかりで音を重ねて作り上げるオーケストレーションなどは理解の遥か外で、プロ野球のピッチャーが当たり前のように難しい変化球をストライクゾーンに投げ込んで来るのを「それはそういうものだ」として受け止めるしか無かったのと同じように感じていました。

それはたぶんガロのような商業フォークに続いて吉田拓郎が私小説的フォークで台頭してくるまで続いたと思います。かぐやひめ、井上陽水などが3コードに毛が生えた程度の楽曲でヒットチャートに顔を出すようになって、私はギターを始めるとともに初めて「音楽を作る」と言う事に思いが到達しました。

つまりこの時点まで「筒美京平」の名前を意識した事は無く、後から振り返ってみればあれも筒美氏これも筒美氏と驚く事になるのですが、それらは全て後付けの話ですから私の自分史にインパクトを与えたものとして語るのはここでは避けておきます。

ギターを覚えると明星や平凡の付録の歌本の楽譜でフォーク以外の殊にアイドルソングなどの伴奏が出来るようになりますし、使われているコードやメロディとの絡みなども少しずつ覚えて行くことになります。

そして私が筒美氏の名前を意識する事になった一番の理由は「この人の曲はコードが難しくて演奏しずらい」と言う事でした。フォーク歌謡の分野では詞がしっかりしていれば曲自体は3コードでも充分でしたし、他の作曲者のポップス楽曲もカポタストを付けて移調してみれば殆どダイアトニックコードしか使われておらずテンションの指定も滅多に見る事が無かったのです。私が曲を書く時にほとんど詞先であるのはこの時代に染みついた習い性でもあります。

思い返せばこのブログに初めてお邪魔したきっかけも「未来」(岩崎宏美)のコード進行って普通じゃないよね、と言うことでしたから、筒美氏のおかげで、私的ベスト1楽曲との絡みで言えば「未来」のおかげで、私は今ここにこうしていますし、長年諦めていた音楽活動を再開するきっかけをくれたのだと言う事も出来ます。

また完全にフォーク少年だった私がポップス系のいわゆる「売れ線」として初めて書いた曲は「よろしく哀愁」と「わるい誘惑」に強くインスパイアされた(パクりとも言います)曲で、自分自身の演奏する分野がフォークバンドからニューミュージック系バンドへと変遷して行っても、並行して「時のアイドルに歌って欲しいようなポップス」を書いてしまう習慣が付いたきっかけもまた、筒美作品であったわけです。蛇足ですが「よろしく哀愁」は「ドラマティック・レイン」と並んで私がこれまでカラオケで最も歌った曲であろうかと思います。

この頃になると私の友人には筒美京平信者と言っても差し支えの無い人間が増え始め(ちなみに当時の学校内はキャンディーズファンかそれ以外かで二分されていましたが私は後者でした)、彼らの薫陶によって私も太田裕美や岩崎宏美のアルバムを耳にタコが出来るほど聴かされる事になりました。

以前にも書いたと思いますが、私には新曲としてラジオで聞いた瞬間に鳥肌が立った曲が三曲ありまして、時系列順に「どうにもとまらない」(山本リンダ)「青い果実」(山口百恵)「二重唱ーデュエットー」(岩崎宏美)なのですが、都倉作品二作がもたらした衝撃の8割9割がプロデュースや企画のなせるわざであったのに対して、「二重唱」は聴いた瞬間に「自分が歌謡曲に求めているものが全て入っている!」と言う純粋に楽曲の質に対する感動でした。

フォークギターをエレキに持ち替えて初めてバンドで学園祭デビューした時のセトリにも、松本隆氏がヤケクソの思いで作詞されたと伝え聞く「セクシャルバイオレットNo.1」が入っており、歌に入って二小節目Amの次にBm7が配されている事を耳コピでみつけた時は随分と驚いたのを覚えています。

筒美氏は膨大な数の作品を残されているので、私一人の過去を振り返った時に折々に氏の作品が何らか影響を与えて来たのは単なる確率の問題であったかも知れず、そういう意味では私は筒美教の信者を名乗るにはふさわしくないのかも知れません。

ですが、今現在ループトラックに立脚したヒップホップやEDMが幅を利かせているとは言え、大衆音楽を語る上で筒美京平が必修科目である事は間違い無いと思います。卒業と言うのは学べる全てを学んだ事を意味しませんし、ましてや師を凌駕するという意味でもなく、与えられた知識の中から自分の指向性や能力に見合った道を見出して一歩踏み出す事だと思うのですが、そういう目で見てもなお筒美京平を卒業する事は至難の業であると思われます。

とりとめのない話に終始してしまいましたが、最後に私的ベスト1。

岩崎宏美のアルバム「飛行船」のコンセプトナンバーでもあり筒美氏がご自身で編曲された「愛の飛行船」を挙げておきます。ボーカルをも楽器の一つとして扱うかのような壮大なオーケストレーションと、これでもかと見せつけられる音楽的アイデアの豊富さに、ここまで出来る下地があってこそ、初めてアイドルポップが書けるのかと打ちのめされた一曲です。

筒美氏は鬼籍に入られましたが氏は大量の「教科書」を残して行かれました。
今の私にできる事は今更のようにそれらを読み返す事しかありませんが、1リスナーとしては氏の楽曲を歌い継ぎつつも、これから何らか作ってやろうと言う人間としては果たして先に書いた「卒業」が出来るのかどうかが問われて来るのでしょう。

何しろ氏は不世出の大天才ですから決して簡単な事ではありませんが、人々に現実を突きつけるだけのような楽曲がチャートを賑わせている昨今、もう一度「夢を売る曲」にトライして欲しいと、そう思われているような気がしてならないのでした。
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by もっふん (2020-10-23 12:19) 

ぽぽんた

TJR10さん、こんばんは! お久しぶりです(^^)

筒美氏は麻丘めぐみさんにも多く楽曲を提供していますね。
「芽ばえ」は、翌年の「赤い風船」と同じように、童謡のようなわかりやすいメロディーですね。
麻丘さんは地声での声域がかなり広いので、筒美氏も作曲しやすかったのではと思います。
「芽ばえ」から「アルプスの少女」あたりまでは高音域を多用して、独特の「泣き声」を
多用していましたが、「ときめき」「白い部屋」「悲しみのシーズン」では低音域も
聴かせるメロディーラインになっていって、麻丘さんにとっても歌いやすく、また大人っぽい
表現ができるようになって嬉しかったのではないでしょうか。

私は時々雑多なアルバムをランダム選曲で聴く事があって、この前「さよならのブルース」
が出てきたんですね。
これは平山三紀さんのカバーですが、声があまりに大人っぽいので「これは麻丘めぐみさんの
後期のものかな」と、その時はやり過ごしたのですが、後でデビューアルバムに入っている
事に気づいて驚いた事があります。 何だかベテランのような味もありますよね。
岩崎宏美さんに対してもそうでしたが、麻丘めぐみさんについても、筒美氏はいつかは
低音を生かせる曲を書こうと思っていたのかも知れませんね。

「稀代のヒットメーカー」はしっかり観ました! もう9年も前なんですね。
恐らくインタビューのシーンなど、編集でかなりカットされていると思うので、
編成し直してまた放送して欲しいな、と思っています(^^)

by ぽぽんた (2020-10-23 23:20) 

ぽぽんた

sighdさん、こんばんは! お久しぶりです!

そうですね、日本人全体に最も影響を与えた作曲家は、戦後は間違いなく筒美氏と思いますので、
国民栄誉賞には十分値しますよね。
でもどうかな、筒美氏が存命の時にその授与が決定したとしても、筒美氏はもしかしたら
辞退したかも知れない、そんな気もします。

「赤い風船」ですね! 私も本当に好きで、生まれて初めて、自分の小遣いで買ったLPレコードが
浅田美代子さんのファーストアルバム「赤い風船」でした。
もう何回も何回も聴きましたが、やはり筒美氏作曲の5曲「赤い風船」「愛のキューピッド」
「愛の花咲かせるために」「恋はそよ風」「夢でいいから」には特別な思い入れがあります。

セカンドシングルの「ひとりっ子甘えっ子」は「赤い風船」の姉妹曲のような感じですが、
私はこの曲のストリングスアレンジとボーカルのハモリアレンジが大好きです。
凄く気合の入ったアレンジなので、また聴いてみて下さいね。

「ひとり歩き」は、森田公一氏作曲の楽曲が多かった当時の桜田淳子さんのシングルで
やはり、独特の異彩を放っていますね。 わざと歌うのが難しい曲を提供したような
気さえしてきます。

by ぽぽんた (2020-10-23 23:21) 

ぽぽんた

White Autumnさん、こんばんは!

今年は本当に、有名人の訃報が多いですね… コロナなんて余計なもののせいもありますが。
このブログとはあまり関係ないですが、三浦春馬さん、芦名星さん、竹内結子と言った、
まだこれからと言う人達が自死した事が何ともやるせない気持ちにさせます。

日本人が哀愁を感じさせるものを好むのは、島国だからとか色々と理由をつけたがる
人もいますが、私は逆にそういう感覚を持って生まれる人の国が日本なのでは、とも思います。
内面を重視する事もそれに共通しているかも知れません。
それが近年、外から色々な人種が入ってきて乱れてきているのが、私はとても心配です。

「さらば恋人」は、今思うと本当にヒットした曲だったなぁ、と思います。
当時、テレビは勿論、町中や銭湯などでもよく耳にした気がするんです。
翌年にヒットした洋楽「カリフォルニアの青い空」のイントロやサビのメロディーが、
この「さらば恋人」のAメロに似ているのは興味深い事象です(^^)

「渚のうわさ」は、どこか、いしだあゆみさんの「太陽は泣いている」と共通する、
筒美氏自身が本来持つメロディーラインなのでは、と私は思います。
それを特に感じるのが、Aメロの ♪…とっても淋しくて♪ のメロディーです。
ストリングス主導のアレンジも、ここからすでに始まっているんですね。
ただこの曲を聴くとどうも、ハープの人、何だかやけっぱちで演奏している…
なんて感じてしまうんですよね(^^;) 実際、演奏していて指がかなり痛いと思います。

編曲を別の人に頼むようになったのは、やはり忙しくて手が足りなくなってきたのが
最大の理由と思います。 そして歌手の特性に合わせて人選している事も確かでしょう。
仰るように1979年の「魅せられて」が自身でアレンジを手掛けた最後のシングルと
言われていますが、実際には翌年春の「女優」(岩崎宏美)など、
全くやめてしまったわけではなかったようです。

私も筒美氏は基本的に70年代メインと思っていますが、80年代も時々大ヒットがあり、
それらの曲を聴くと筒美氏らしいメロディーや組み立て方は健在だったと思うんですね。
しかしそれは、萩田光雄氏、船山基紀氏、武部聡志氏と言った、筒美氏が全幅の信頼を
おけるアレンジャーが存在していたからこそだったのでしょう。

by ぽぽんた (2020-10-23 23:22) 

taka

ぽぽんたさん、こんばんは。
本当にご無沙汰しております。
筆無精で申し訳ありません。

たくさんの方たちがコメントをおくられていますが、
改めて筒美先生の訃報に接し、本当にショックです。
だいぶのお歳でしたし、体調不調とのことでいつかはと
覚悟はしていたのですが… ほんとうに残念です(>_<)

 私は南沙織さんのファンで彼女の楽曲を通じて筒美先生の名前を知りました。それ以来、素敵な曲や印象に残る曲の殆どが筒美作品と知ってのめり込んで行きました。
 
GSではビレッジシンガーズ、オックス、
太田裕美さん、岩崎宏美さん、麻丘めぐみさん、早見優さん…
アイドル好きもあってファンになっていきました(^^;
野口五郎さん、郷ひろみさんの曲も好きです。

 私事ですが、昨年の夏、このブログで話が出てずっと気になっていた山口県の富海の海岸に行ってきました。
 思っていたより大きな入江で広くて、きれいな海岸で…
感慨深かったです。


 特に印象深い曲は、たくさんありますが、
いしだあゆみさんの「さすらいの天使」です。
軽い歌い出しから、大きく広がっていく感じがいいです。
なぜか岩崎宏美さんの「想い出の樹の下で」にイメージがつながる気がします。

他の方々も述べられていますが、本当に歌謡曲、Jーpopに大きな進歩をもたらされたと思います。

改めて筒美先生のご冥福を心からお祈りいたします。

ポポンタさん元気でブログ続けて下さいね。
by taka (2020-10-24 05:18) 

マコジ

コメントが遅くなってしまって申し訳ありません。

京平先生イントロを聴き漁ってたんですねぇ、すごく納得です!
僕もレストランではオードブル命、音楽もイントロ命。
僕の京平先生ベストワンは岩崎宏美の「キャンパス・ガール」です。
ドマイナーな曲ですけど同じヒロリンファンのぽぽんたさんなら良くご存知ですよね?
この曲3分ちょっとの短い曲なんですが、イントロの長さがほぼ1分もあります(笑)。
これを聴くと世界一幸せな人になれます。今もなってきました(^^)

京平先生も今頃あちらで幸せに暮らしていらっしゃることでしょう。
by マコジ (2020-10-24 10:39) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは! またお返事が大変遅れて申し訳ありません。

「愛の飛行船」とは、またマニアックに近い選曲ですね。 アルバム「飛行船」の中でも、
最も力の入った楽曲であるのはわかります。 全体のイメージは、恐らく筒美氏が大好き
だと語っていたポール・モーリアの作風に似ている気がします。

私が筒美氏について最も偉大だったと思うのは、音楽的にどんなに高度であっても難解には
走らなかった、常に日本のリスナーが好むスタイルを重視していた事だと思っています。
楽器を自分で弾いたり、作曲や編曲をやったりする人ほど、筒美氏の曲をコピーしてみて
びっくりと言う経験があると思いますが、その「実は高度」である事が、いつまでもヒットを
出し続けた最大の要因でしょう。

私は筒美氏は天才と言うよりも、センスが長けていた努力の人だと思っています。
編曲と言う意味だけでなく、音楽を世界中から採り入れて歌謡曲にアウトプットするまで、
その工程が筒美氏にとってのアレンジだったと思うんです。
でもそれは筒美氏一人が悪戦苦闘したのではなく、プロデューサー、作詞家、演奏家、歌手など、
音楽制作に関わる人材に恵まれていたのも、決して見逃せない事だと思います。
勿論、優秀な人材を確保できていたのも、筒美氏の才能だったのでしょうが。

最近音楽関係の仕事をさせてもらったのですが、今の時代でも「夢を売る曲」の価値は
決して衰えていない事は改めて感じました。 まだまだ、いけますよ(^^)

by ぽぽんた (2020-10-29 23:43) 

ぽぽんた

takaさん、こんばんは! お久しぶりです(^^) お返事が大変遅くなって申し訳ありません。

そうですね、私もある程度覚悟と言うか、近年、音楽関係者の訃報が続いていたので、
そういう日も来るのかな…と漠然と思っていたら現実になってしまって、
いざそうなってみるとやはりショックは大きいものですね。

私も、多分原点は南沙織さん、です。 今でも本当によく聴いています。
昔、レコードを買うといつも「作曲・編曲 筒美京平」と書いてあったのを不思議に思って
いましたが、そういう人って日本中にいたんですね、きっと。

有馬三恵子さんが「17才」の歌詞の舞台だと語っていた場所に行かれたんですね(^^)
その曲がヒットした頃私は小学4年でしたが、曲全体から思い切り海の景色を感じていた
ものです。 本当に良い歌詞、良い歌って、子供にもわかるものなのですね。

「さすらいの天使」とはまた、渋い!
筒美氏はいしだあゆみさんにも数多く書いていますが、特大ヒットだった「ブルー・ライト・
ヨコハマ」のイメージをずっと引っ張ったりせず、徐々に大人っぽい雰囲気に成長させて
いったのはやはり、流石ですよね。

もし筒美氏が存在していなかったら、特に70年代の音楽は我々が記憶しているほど
豊かではなかったのは間違いないですね。 素晴らしい作曲家でした。
これからもずっと聴き継いでいきたいものですね。

by ぽぽんた (2020-10-29 23:53) 

ぽぽんた

マコジさん、こんばんは! またお返事が遅くなり、申し訳ありません。

イントロは本当に大事ですよね。 しかし船山基紀氏によると、イントロにこだわるのは
日本人だけ、だそうなんですね。 確かに洋楽ってイントロよりもサビ命、って感じかな。
「キャンパス・ガール」ですか! 勿論知ってますよ! アルバム「ファンタジー」、
一体何度聴いたかな…。 アルバムでは、その曲紹介を糸居五郎さんは「キャンパス・ギャル」
って言ってますよね(^^)
同じアルバムの「愛よおやすみ」は、静かな「キャンパス…」とは対称的ですが、
その曲調の違いが大好きだったりします(^^;)

そうですね、きっと筒美氏は今頃天国で、ご自分のお仕事に満足しておられる事でしょう。

by ぽぽんた (2020-10-30 00:04) 

ぼたもち

ぽぽんたさん、こんばんは。
コメントの時期を逸して申し訳ありません。

筒美京平さんの訃報は、仕事帰りの電車の中でスマホを開いて知りました。
ぽぼんたさんと同じく、一人でしたが絶句状態となり、我に返った時にはマスク下の口が開いたままでした。

この日が訪れることはどこかで覚悟していたけれど、現実を受け入れるには悲しすぎて、自分でも驚くほど長い間引きずっていました。
10日ほど前からやっとやっと復活したので٩( 'ω' )و、今頃ですが少しだけ思い出話を。


昔の歌番組は、曲タイトルと一緒に作詞・作曲・編曲者が画面に表示されました。
それによって「またこの人だ!」と、子供だった私は筒美京平さんの名を知ることになります。
きっかけは南沙織さんでした。それと麻丘めぐみさんかな。

ぽぽんたさんのベストワン『潮風のメロディ」は、南国の少女が歌うにピッタリの爽やかなイントロで、私も引き込まれた1曲です。
4曲目の『純潔』は躍動感あり、続く『哀愁のページ』『早春の港』はミディアムテンポ、『傷つく世代』はロック調、『色づく街』はしっとりと…

新曲が出る度に、どれも同じ人物の作品であることに子供ながらに驚かされたものでした。
筒美先生の凄さは、“筒美節がないこと”だと思います。

実はこの先まだ続いたのですが、長すぎたので割愛します(^_^;)

最後に、「私の筒美京平ベストワン」は決めづらいのですが、強いて挙げるなら『飛んでイスタンブール』(庄野真代)でしょうか。
あのエキゾチックな音色、誰もがイスタンブールに興味を抱いたと思います。大好きな曲、名曲です。
by ぼたもち (2020-11-03 23:18) 

ぼたもち

『飛んでイスタンブール』は、編曲が筒美先生ではなかったですね。失念していました。
ベストワンの対象外だったらすみません。
by ぼたもち (2020-11-04 07:42) 

ぽぽんた

ぼたもちさん、こんばんは! 今回もお返事が大変遅くなり、申し訳ありません。
そしてここのところそのような事が続いている事を、読者の皆さまにお詫び致します。

これまでで、筒美京平氏ほどその逝去が惜しまれている作曲家はいないかも知れませんね。
ぼたもちさんも、そして私もそうですが、あ、これいいな!と思う曲は気づくといつも
筒美氏作曲だった…と言う人は日本中に想像以上に多く存在していそうですね。

南沙織さんや麻丘めぐみさんは、平山三紀さんや郷ひろみさん等とは違って変わった声
と言うわけでなく、声質はほぼ中庸ながら発声が個性的なんですよね。
筒美氏はそういった歌手には次々に作風を変えて冒険させているように感じます。
リスナーが「え?」と思うような声ではないという事は、どんな曲でもそれなりに
合ってしまう、とも言えるんですね。 なので筒美氏は単に売れ筋を狙うのだけでなく、
自身の本来の作風を投影させる事もしていたのではないでしょうか。
それを特に感じるのはやはり「潮風のメロディ」で、「17才」でもろリン・アンダーソンの
「ローズ・ガーデン」のイメージをそっくり拝借したから、次の作品にはもっと素直な、
しかしコード進行などは筒美氏が元々お好きだったジャズの理論を採り入れたりした、
と思えるんです(とは言っても「潮風のメロディ」も、同じ年にヒットした洋楽
「サマー・クリエイション」(ジョン・シェパード)をちょっとパクってますが)。

「飛んでイスタンブール」は船山基紀氏のアレンジですが、恐らく筒美氏から色々な
オーダーがあって出来上がっているはずですので、ベストワンとするのに全く問題ない
と思います(^^)
この曲は元々野口五郎さん向けだったそうですが、我々には庄野真代さんの声で
記憶に残っているので、五郎さんが歌っているのを想像しても今ひとつピンと来ない
ですね…。 そういった例は他にも沢山あるようです。

by ぽぽんた (2020-11-14 23:12) 

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