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弘田三枝子さんの旅立ちに向けて

皆さま、ご無沙汰してます!

最近気づいたのですが、このブログ(ほかもそうかも知れませんが)って、
1ヶ月以上更新しないと広告が表示されるんですね。
それは非常に不愉快ですし、葉月は私の誕生月でもありますので、今日から再び更新を始めます(^^)

今後は、これまでのような楽曲解説(これって少々おこがましいとは思うのですが、
他に適切な単語が見当たらないので…)だけでなく、
特に歌謡曲の楽曲やサウンドについて私が気づいた事、そして皆さまにお知らせしたい事なども、
思いついたら書くというようにしていくつもりです。
なのでこれまでのような1週おきの日曜に…とかでなく、不定期な更新になると思いますが、
良かったら今後もお付き合い下さい。

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ロダンの肖像.jpg
(私が最も好きなジャケット写真です)

先月(2020年7月)21日、歌手の弘田三枝子さんが心不全で亡くなりました。

今の若い年代の方々はあまり知らないと思いますが、我々の年代あたりまでは弘田三枝子と言えば
歌手の中でもビッグネームの一人であり、
歌声・楽曲は勿論、そのキャラクターや話題性などを含め一流と言える存在でした。

弘田三枝子さんは、レコード歌手としてのキャリアは東芝レコードから始まりました。
当時東芝のディレクターだった草野浩二氏によると、弘田三枝子さんと初めて顔を合わせたのが
1961年夏との事で、私が生まれたちょうどその頃だったんですね(^^)

しかし東芝には3年ほど在籍した後、コロムビアレコードに移ります。
東芝で弘田三枝子さんが抜けた穴を埋める存在となったのが奥村チヨさんでした。

コロムビアレコードでは、まず紅白出場曲となった「恋のクンビア」を経由し1967年(昭和42年)に
「渚のうわさ」を大ヒットさせました。
この曲は作曲家の筒美京平氏にとって初めてのヒット曲だそうで、
今から15年ほど前にBSフジで放送された「THE HIT SONG MAKERS」の筒美京平篇で、
弘田三枝子さんがこの曲をジャズっぽいアレンジで歌う場面がありました。

その後「枯葉のうわさ」「涙のドライヴ」「渚の天使」「可愛い嘘」とシングルを出しますが
ヒットと言える成績は残せず、「可愛い嘘」発売から約10ヶ月後の1969年7月にいよいよ
「人形の家」で(今で言う)センセーショナルなカムバックを果たします。

「人形の家」とそのあたりについてはこのブログでも以前に書いたので詳細はそちらに譲りますが、
その前のシングル4曲は今聴いてみても、どれも出来が良くて驚きます。
筒美京平氏が自身の、当時のサウンド志向をそのまま採り入れました…と感じられるものがあり、
技術的にも、例えばボーカルにディレイをかけて二重唱っぽくしたサウンドで話題になった
「涙の太陽」(安西マリア)よりも数年早く同じ効果を作り出していたり、
またそれ以外でもボーカルをかなりいじくり回したサウンドは大変楽しいもので、
未体験の方はぜひ、ご一聴をお勧めします。

でもあれですね、「涙のドライヴ」はメロディーやサウンドはともかく、歌詞が…。
アイデアそのまま流用!って形で、1972年に小林麻美さんのデビュー曲「初恋のメロディー」で
別歌詞になっているんですよね。
「涙のドライヴ」がヒットしなかったからとリサイクルしたのでしょうが、相当、ヒドイ。
商業音楽のいやらしさが表れた好例でしょう。
因みに両曲とも作詞:橋本淳、作・編曲:筒美京平のコンビです。

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私は、レコードやCDを買い集めたりするほどではありませんが、弘田三枝子さんの大ファンです。

物心つく前に「アスパラ」や「レナウン」などのテレビコマーシャルでその歌声が脳に刻まれ、
間もなくテレビアニメ「ジャングル大帝」のテーマ曲「レオのうた」がそれに追い打ちをかけ、
小学校に上がったと思ったら♪…ハナタに~ヒノチを~…♪と国籍不明な発音でノックアウトされ
…と言った感じで、否が応でも忘れられない存在になっていたワケです(^^)

弘田三枝子さんは第一に、声質が実に素晴らしいと思うんですね。
女優の南田洋子さんに通じる気がするのですが、「鼻にかかっている」とはまた違う、
「ハスキー」とも何か違う、低音傾向で落ち着きのある、
メロディーがなくても十分過ぎる説得力を感じさせる声、なんですね。

そして第二は、歌唱力。
私はこの年齢になっても、いまだに「歌唱力がある」とはどういう事なのか明確にはわからず、
一般論的に「声量があって、リズムにしっかり乗れて、音程が安定していて…」
くらいしか言えないのですが、弘田三枝子さんはそんなものは簡単にクリアしていて、
その上で聴く人に歌の内容をドラマティックに感じさせる(想像させる)何かがあるんです。

歌唱に関しては、弘田三枝子さんは二物も三物も持っていた。 明らかに天才でした。


さて、弘田三枝子さんと言うとこの話題を避ける事ができないのですが、美容整形です。

私が子供だった頃は、顔の整形手術はタブー中のタブーで、せっかく親からもらった顔を
人工的に変えるなんてとんでもない!と言った倫理観が明確に存在していました。

なので、弘田三枝子さんがあの容姿で「人形の家」を引っさげカムバックした時、
以前と「あまりに変貌したその姿」を、真偽など関係なくとにかく一方的に「整形した!!」
と報道すれば大衆はそんな「禁断の」話題に飛びつく、とマスコミは考えたのでしょう。
洋の東西を問わず、今も昔も、マスコミなんてそんなものです。 進歩がないですね。

弘田三枝子さんが当時、本当に美容整形をしたかどうか、それは私もわかりません。
ただ、それ以前から弘田三枝子さんはかなりグラマーだっただけで顔は美形でした。
実際、「人形の家」以前のシングル盤、例えば先述の「可愛い嘘」や「涙のドライヴ」などの
ジャケット写真を見ても、「人形の家」以後とそう大きな違いがないんですよね。
なので、当時は実は弘田三枝子さんは整形手術は受けておらず、
かなり大幅な減量と先進的なメイクであのルックスを作り上げた…と私は思っています。

何でも当時はつけまつげを2段に重ねてつけていたそうで、
メイクしていないと誰も弘田三枝子と気づいてくれなかったらしいです(^^;)

さらに、歌手にとって空気(息)の通り道は大変重要ですから、
例えば隆鼻術を受ければ必然的にそれが変わり、声質に影響を与える…と想像できます。
ひと声で誰もがその人とわかる、その声が変わるかも知れないリスクを、
当時すでに一流シンガーだった弘田三枝子さんが冒すだろうか? とも思うんですね。

ただ、写真を見る限り、中年以後については恐らくそうだろうな…とは思います。
中毒かどうかはわかりませんが、確かに徐々に不自然な表情になっていった、
それはわかります。
しかし現実には手術以上に、加齢の影響の方が大きかったのではないかな。

弘田三枝子さんのカムバック成功の影響かどうかはさだかでないのですが、
当時(1970年前後)の女性歌手は競うようにケバいメイクになっていったものです。
ちあきなおみ、黛ジュン、奥村チヨ、小川知子、和田アキ子、由紀さおり…
その皆がつけまつげ、細眉、ブルーのアイシャドウ、きついアイライン…
私の亡き父が「キャバレーのホステスみたいだ」などと言ってましたっけ
(って書くと今の時代だと「差別だ」なんて言われちゃうんだろうなぁ)。

でも私個人は、当時のそんな女性歌手のメイクは何だか、好きです。
多分にノスタルジー、だと思いますが(^^;)

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「レオのうた」のサビ ♪いどむ夢 しあわせの国…♪ が流れてくると、
気持ちが一気に幼少の頃に戻ります。

確かに、それこそノスタルジーである事も否定できません。
しかし、これは私だけなのかも知れませんが、
リアルタイムでは聴いた事がなかった「涙のドライヴ」「渚のうわさ」「恋のクンビア」なども、
CDで聴いていると心の奥から湧き上がるような感動を覚えるんです。
私はそれこそが音楽の力であり、それを伝導する歌手のパワーだと思うんですね。

ここ10年くらいで体がすっかり小さくなり声量も落ちていた弘田三枝子さんでしたが、
歌手活動にはまだまだ意欲的だったとの事。

今の時代、73歳で亡くなるとはちょっと早すぎた気がします。
しかし遺された膨大な音源は永遠に残りますから、
私は今後もふとした時にCDを手に取り、聴き入る事でしょう。

弘田三枝子さんのご冥福をお祈り致します。


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ゴロちゃん

ぽぽんたさん、こんにちは。

昨日、BSテレ東で放送された弘田三枝子さんの追悼番組。先ほど録画しておいたものを観ました。
1967年に「渚のうわさ」が出た時の、今でいうプロモーションビデオの映像が流されました。「人形の家」の時の顔と大して変わらずかわいかったし、そんなに太ってもいませんでした。進行の合田道人さんは「1967年、ミコちゃん20才の時」と言っていましたが、「渚のうわさ」のジャケット写真とはちょっと雰囲気が違ったように感じました。もしかして1969年の映像なのかなとも思ってしまいました。
でも、私も、「涙のドライヴ」「可愛い嘘」のジャケットを見てみましたが、「人形の家」の頃とそれほど変わってないなと思いました。
当時の弘田さんの肉声で(当時よくあった芸能ニュースの中で。)、「同じ世界のある人から、大勢の前で、太っていることや足が太いと言ったことをかなり強烈にいじられ、みんなに笑われた。自分も一緒に笑ってはいたけれど、自分だって女の子のはしくれだから、やはりちょっと傷ついて、よし、痩せよう、と思った。」と言っているのが流れました。私はそれを聞いて、それが弘田さんの美への追求になっていったのかなと思い、心が痛みました。ダイエットはよしとしても、顔さえいじらなければ、70才過ぎた今でも、当時を知らない若い人からももっとシンガーとして高い評価が得られたのではないかと思います。歌声はもちろんのこと、語尾を跳ね上げる歌い方、ささやくような歌い方、ところどころにうなりを入れる歌い方など、こんな表現豊かに歌える人って弘田さん以外に知りません。唯一無二の存在だと思います。それを令和になった今でも大勢の人に知ってほしかったなと思います。


合田さんが弘田さんの訃報を聞いて、「私が死んだら」の歌が頭の中から離れなかったと言っていました。そして「私が死んだら」を歌っている映像も流れました。この記事の最後にあるカラオケの音源は「私が死んだら」ですよね。ドラマティックなこのメロディーがとても悲しいです。
改めて、弘田三枝子さんのご冥福をお祈りいたします。

by ゴロちゃん (2020-08-08 15:34) 

ぽぽんた

ゴロちゃん、こんにちは!

私もようやく、同じように録画しておいた弘田三枝子さん追悼番組を観ました。
ここ20年ほどの映像が最も多かったのがちょっと残念でしたが、最後のテレビ出演や
最後の肉声など、恐らくこの番組でしか観せたり聴かせたりしてくれないものを
次々に披露してくれたのがとても嬉しく思いました。
合田道人さんは何と、私と同い年なんですね。 弘田さんに歌詞まで提供されて、
何だか羨ましい限りです。

年頃の女性が多くの人の前でそのようにいじられたとは、きっと本人は我々の想像以上に
傷ついた事と思います。
元々美形の女性でしたから、ちょっと頑張ったら本当に綺麗になってしまい周囲の反応も
凄まじかったために、今度は本人がそれに毒されて行くところまで行ってしまった、
と言う事かも知れませんね。
晩年の弘田さんの顔面は、目元と口元しか動かない、まるで仮面を被っているように
なってしまって、それでもステージでは以前と同じように動き回って元気そうに見えるのが、
かえって痛々しく感じてしまいました。

「渚のうわさ」の映像は、私もレコードのジャケット写真とかなり印象が違うので
ゴロちゃんと同じ事を考えましたが、当時の芸能ニュースは新曲発表時のタイミングで
採り上げられる事が多かったと思うので、う~ん、どっちだろう?って感じです。
髪型だけなら、ジャケット写真の方がウィッグだったとも考えられるし…。
当時の映像、残されているものが他にもあればぜひ観たいものです。

仰る通り、貼り付けた音源は「私が死んだら」のオリジナルカラオケのサビ部分です。
ここの歌詞は「白い絹をまとい 白い花にだかれ ひとり眠る私だけれど
誰よりきれいと 誰よりきれいと あなたに言われたいの」と、
まるで今、弘田三枝子さんが言っているように思えたんです。

顔面については、本人はきっととても苦しんだと思うんですね。
今頃はその呪縛から放たれて、昔のようなふっくらした姿で天国で楽しく歌っている…
私はそう信じています。

by ぽぽんた (2020-08-10 14:21) 

ゴロちゃん

ぽぽんたさん、お返事ありがとうございます。
私も、「私が死んだら」の時の若くてきれいな弘田さんが棺の中で眠っている画が浮かびました。

ところでこの10日ほど、ほとんど毎日弘田さんの動画などを見ているのですが、3日ほど前に「弘田三枝子と共に」というブログを見つけました。弘田さんの大ファンの男性の方が書いているブログですが、記事だけでなく画像も満載で、「70年代の雑誌記事」「70年代の表紙(80年代も)」「グラビア」「チラシ・ポスター」など細かく分類されています。70年代の雑誌記事や表紙なんかすごいです。雑誌記事は全文読めるし(主に1969年から1971年)、当時の人気歌手のみなさんと一緒に撮った写真もたくさんあります。「明星」「平凡」など芸能ニュース満載です。よくこんなにたくさん!と驚きます。まだ全部は見てはいませんが、とてもおもしろかったので、ぜひぽぽんたさんものぞいてみてください。1970年紅白の「ロダンの肖像」の動画も少しですが流れています。
1968年の春に出た雑誌に、由美かおるさんと一緒に同じようなワンピースを着ている写真が載っていました。由美さんと並んでいるので太っているようには見えますが、お顔は「渚のうわさ」の映像と同じようでした。
お返事はけっこうですからね。
by ゴロちゃん (2020-08-10 22:39) 

ぽぽんた

ゴロちゃん、こんばんは! すみません、返信します(^^;)

すごく素敵なブログを教えて下さってありがとうございます!
弘田三枝子さんの大スターですから、こういう熱狂的なファンが存在しても不思議ではない
とは思いますが、本当に思い入れの強さが感じられる、良いブログですね。

やはり、1970年前後のミコさんは本当に綺麗ですね。
母親と一緒に写っている写真がありますが、横顔が親子そっくりで、
最初トリック写真かと思いました。
また、若き和田アキ子さんが一緒に写っている写真もあってびっくり!
しばらくは、このブログで弘田三枝子さんの素晴らしい功績を偲びたいと思います。

by ぽぽんた (2020-08-10 23:33) 

マコジ

お久しぶりです(^^
弘田三枝子さんは僕も子供の頃「レオのうた」で大ファンになりました。以前このブログにもコメントさせていただいたレオの挿入歌「たまごの赤ちゃん」が僕のベストソングです。僕はマザコンなのでスイッチが入ると滝のように泣けちゃいます。
ジャズ好きになってからはMy Funny Valentineもお気に入りです。
日本でいちばん歌が上手かったのは弘田三枝子さんだと思ってます。
なので中年以降の歌が明らかに下手になってしまった彼女を見ると、時間の残酷さを呪わずにはいられません。「顔はすっかり変わってしまったけど流石に歌は昔のままだね!」なんて称賛が似合っていた彼女だけに。おそらく彼女自身がいちばんそれを感じていたのかもしれませんね。
僕は60年代のパンパンに張った弘田三枝子さんの顔が大好きです。
by マコジ (2020-08-11 21:38) 

ぽぽんた

マコジさん、こんばんは! お久しぶりです(^^)

世代的なものが大きいのでしょうが、我々って弘田三枝子さんの声に弱いですよね(^^;)
私は幼い頃、東京のど真ん中で六畳一間の共同住宅で親子4人で暮らしていたんです。
その頃に毎週耳にしていたのが「レオのうた」だったんですね。
なのでその歌、そして弘田三枝子さんの他の曲でも、あの声が聴こえると
タイムスリップしたかのように当時の気持ちが蘇るんです。

弘田三枝子さんは体力勝負の歌唱でしたから、「人形の家」以後、歌唱よりもビジュアルに
重きを置いてしまった結果、体力が損なわれてパワーも失ったのでしょう。
中尾ミエさんも「パンチのミコだったのが、綺麗になった途端パンチがなくなった」
と言っていましたね。 返すがえすも、残念です。

ただ、近年の歌唱を聴いていると、確かにすごく衰えているのだけど、
時たまかつてのようなパワーが瞬間的に出るのを聴き取る事ができて、
やはりこの人は根っからの歌手なんだな、と思ったりします。

でも私も、健康的だったかつてのミコさんが、一番好きです。

by ぽぽんた (2020-08-12 23:39) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんばんは。

まず、ゴロちゃんが挙げてくださったブログで、弘田三枝子さんの今まで知らなかったことをいろいろ知ることができました。ありがとうございます。

訃報を聞いたときは痛々しい印象の方とばかり思っていました。でも今は、ミコさんはいろいろご苦労され乗り越え、道を切り開いた偉大な先駆者だと思っています。
米軍キャンプからずっとお母様と二人三脚で歩んで来られたんですね。戦前歌謡から道がある程度続く演歌じゃなくて洋楽のカバーを歌い、令和の今「歌姫」と言われる女性歌手の歌い方をいろいろ試して示して来られたのがよくわかりました。
でも、事務所とレコード会社の移籍、人気の空しさ、元気で明るいパンチのミコちゃんのイメージ…いろいろ壁にぶつかってきたんですね。「渚のうわさ」のときにも「可愛い嘘」あたりでも、キレイになったのでは…と雑誌に書かれていましたが、なかなか注目してもらえなかったんですね。「人形の家」は時代にマッチして強いインパクトの歌でした。これだけの歌を歌わないと、はい上がれなかったんですね。

ちょっと思いましたが、ミコさんやオールディーズの歌手たちが1960年代にカバーからオリジナル曲への移行で苦労するようになりました。その後、1970年代は外国曲のカバー曲はヒットを狙えない臨時発売になったように思います。オリコンチャートが定着し、音楽賞がますます増えていく時代ですね。
そんな中、1979年(昭和54年)、秀樹さんが「Y.M.C.A.」のあのリズムを日本に届けたいと、観客や視聴者みんなで盛り上がる歌を歌いたいと、周囲から反対されながら新曲として発表して大ヒットしたんですよね。思い出しました。
今はインターネットで世界のいろんな音楽に触れることができます。しかし、そのもっと前、世界のメロディー、リズムを(東京音楽祭はありましたが)日本に届けるのに苦労した人がたくさんいた…それを忘れてはならないと思いました。

もっとみんなにわかりやすく、ミコさんの功績を伝えられたら良いのですが…。とにかく、折に触れて聴いて忘れないでいたいです。

それにしても「初恋のメロディー」のあれはちょっとどうなんだろう。一緒だ…何箇所もある…と思いました。
あと、「私が死んだら」は思ったよりテンポが早いんですね。
by もとまろ (2020-08-13 23:28) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは!

私もゴロちゃんが知らせて下さったブログで多くの情報を得る事ができました。
とてもありがたいです(^^)

記事にも書きましたが、弘田三枝子と言えばそれだけでブランド名にできるほどの
ビックネームでしたし、実力のある真の歌手でした。

私も、弘田三枝子さんが「人形の家」で突然変身したわけではないと思っているのですが、
その曲の作曲者である川口真氏も「突然きれいになってびっくりした」とある記事で
発言しているんですね。
ファンやマスコミだけでなく、ごく近い作家などもそのように見ていたと言う事は
一応、注目すべきかも知れません。
それにしても「人形の家」のインパクトは凄かったらしくて、当時の子供はまさに
競うように歌マネをしていたのをよく憶えています。
子供に注目されると大ヒットする、と言う図式は、山本リンダ、フィンガー5、
ピンク・レディー等の例からもよくわかりますよね。

1960年前後にデビューした歌手は、その殆どがオールディーズ(と言っても当時では
新しい音楽、でしたが)のカバーでデビューしヒットを出しているんですね。
そしてその次に来るGSブームに乗るようにデビューしたのが中村晃子さん等であり、
弘田三枝子さんはそれに乗り遅れた…と言われているようです。

「ヤングマン」は私が高3になったばかりの頃の大ヒットでしたが、ビレッジ・ピープルを
知っている人が「何であんなグループの曲なんて歌うんだ」と言っていたのを憶えています。
今はLGBTなどと言う言葉も生まれ、性的マイノリティーに対する偏見が減っているよう
ですが、当時はもう、そういった人は全くの異端児として見られていたものでした。
なので、そういったグループの曲を採り上げヒットさせた西城秀樹さんは勇気があったなぁ、
と今では思います。

弘田三枝子さんの良さは、やはりデビューから1970年代に残した音源を聴けば、
きっと今の若い人にもすぐにわかると思います。
これを機に、弘田三枝子アンソロジーのような編纂を期待したいと思います。

記事ではちょっと悪口を書いてしまいましたが、「初恋のメロディー」の例は、
私は最悪だと今も思っています。 しかも新人のデビュー曲…。
私はご存知のように1970年代頃の歌謡曲が大好きでこのブログも立ち上げましたが、
一般には当時の歌謡曲はよく「粗製乱造」と言われていたものです。
「初恋のメロディー」は、残念ですがそれが表出したものと言ってもいいかも知れません。

by ぽぽんた (2020-08-16 00:11) 

ゴロちゃん

ぽぽんたさん、こんにちは!
そして、お誕生日おめでとうございます!
ぽぽんたさんにとって50代最後の一年が、充実した素晴らしい年になりますように。
私が偶然見つけたミコさんに関するブログが、ぽぽんたさんやもとまろさんに楽しんでいただけてうれしいです。
by ゴロちゃん (2020-08-22 14:17) 

ぽぽんた

ゴロちゃん、こんにちは! そして、ありがとうございます(^^)
いつも優しいお言葉とご意見・ご感想、心から感謝致します。
そうなんです、来年の今頃は赤いちゃんちゃんこ着てるのかな…
私もゴロちゃんを初め、皆さまがお元気でいて下さる事を心から願っております。

今も時々、知らせて下さった弘田三枝子さんのファンブログを見ています。
もう、画像を見るだけで本当に楽しめます。
ミコさん、今頃は元の顔に戻って、元気に歌っていると思います(^^)

今後も細々ながら続けていきますので、よろしくお願い致します。
オフ会構想も、こんな時だからこそ考えたりしています(^^)

by ぽぽんた (2020-08-22 18:11) 

ゆうのすけ

ぽぽんたさ~ん
残暑お見舞い申し上げます。PCの修理が終わって なんとかWEB環境(SSブログ)に帰ってこれました。まだ前のペースに戻るには時間がかかりそうですが またどうぞよろしくお願い申し上げます。^^☆
by ゆうのすけ (2020-08-24 01:59) 

ぽぽんた

ゆうのすけさん、こんばんは! お久しぶりです(^^)

そして残暑お見舞い申し上げます。 今年は残暑、厳しすぎですね(@_@)

PC関係はトラブルなどあると常に気になってしまうものですよね。
私も以前、1台しかPCを持っていなかった頃は、ネットがつながらなくなるだけで
何日も憂鬱になったりしたものです。
でも復帰なさったようで何よりです。

こちらこそ、これからもよろしくお願い致します!

by ぽぽんた (2020-08-26 00:08) 

青大将

こんばんは。なかなかコメントから離れがちですが、時折、また青大将活動したいと思います。
弘田三枝子の訃報、ショックでしたね。偶然なんですが、亡くなられた週の週末によく立ち寄る中古レコード店でシングル盤漁ってて、偶々見つけた弘田三枝子のシングル盤5枚の中から、「若い街角/気ンなるあいつ」「想い出の冬休み/マック ザ ナイフ」「恋と涙の17才/いつでもあなたを」と、何れも昭和30年代に発売された3枚をチョイスして入手しました。 いつぞや「人形の家」のコメントで書いた、二十代の頃中古レコード屋で入手した「REMEMBER」という同人誌での、彼女の特集記事で散々目にした掲載ジャケットの実物を実際手にした訳です。


人形の家は既に所持しており、「レオの歌」も、持ってる「ジャンク大帝・サントラ盤」に収録されてるので聴けます。 しかし、自分が産まれる前後の、弘田三枝子・パワフル全盛期のレコードには前から興味があり、今回、たった3枚とは言えど、リーズナブルな価格で入手出来た事は大変嬉しく、矢張りパンチの在る全盛期の楽曲はどれも聴き応えがあって、凄く愉しく聴いてたんです。 突然の訃報はまさにその直後で、レコード店に行った週の火曜日に既に亡くなってて、此方がレコード達を入手した時はとっくにこの世から居なくなってたなんて・・・・。

最近、妙に幼少期のノスタルジーに駆られて居た様なところがあって、デアエゴスティーニから出てるJAL旅客機コレクション・シリーズの歴代旅客機の中からDC機やYS-11機なんかの、当時近所に在った飛行場のフェンス越しに毎日見てた飛行機のミニチュアを買ってみたり(詳細に語ると、その飛行場に飛んでたのは全日空機でJALでは無かったんですが ^^;)、もしかすると、弘田三枝子も何か、その一環かも知れない部分はある気がするのですが、レコードを通してその歌唱力にヤラれて居たのは確かで、自分の中で再評価(おこがましい言い方ですが)というか、プチ・ブームの感がありました。

更に、訃報後に観漁ったYouTubeの動画でもっとヤラれておりました次第なんです。 
白黒の紅白の動画、良いですね。昭和38年の「悲しきハート」、これこそ真骨頂の様な気がしました。 
「レオのうた」で♪進ぅ〜む レーオ〜♪と畝る、というか小節が回る感じも心地良く、子供の頃よく真似しました。(一応、俺も小節が回るんです ^^;)「悲しきハート」はスタンドマイクでいきなり力強い手拍子をしながら、会場を見回し余裕で歌ってるんですね。それが何とも心地良い!格好良くさえ感じます。併せてよく響き渡る声量全開の歌唱力。小節がまた格好良さに一役買っててスカッとさえします。

それから2年後の昭和40年の紅白で歌う「恋のクンビア」、自分が産まれた年でもあるのですが、コチラも素晴らしく、しゃっくりの様なシャッフル(?)は癖が強いものの、それすらすんなり気持ち良い歌手。髪型が頂けませんが、当時の流行りだったのでしょうね。ディオンヌ・ワーウィックも当時の白黒動画観ると、何じゃ、こりゃ!っていう様な強烈なヘアスタイルしてますから。^^;

で、その「恋のクンビア」で横顔が映る時があるのですが、それを見て、何か凄く懐かしい衝動に駆られたんです。記憶の中では4歳児の時に観た「人形の家」で初めて彼女に触れた気がしてたんですが、実はそれ以前に弘田三枝子をテレビを通して知ってたんじゃないのか?という思いが強くなりました。その横顔と、「ミコちゃん」という呼び名がリンクするんです。

「恋のクンビア」も中毒性の高いナンバーですね、レコード欲しいです。(ジャケット検索したらカラーでした)

整形前の顔、俺、結構好きですよ。チャーミングという言葉がピッタリです。
中尾ミエが訃報後のインタビューで、「(当時は)目の上のたん瘤だったけど、この人には勝てない、と同時に思ってた」と語ってました。「綺麗に成ったら(持ち味だった)パンチが無くなった。「人形の家」からパワーが落ちた」みたいな事も言ってましたが、ライバルだった様な歌手達から見ても、それは歯痒かったのかな?
でも、それは楽曲に拠るもので、本人自体は声量が落ちた訳でもパワー・ダウンした訳でも無かったんじゃないでしょうか。何しろ未だ未だ若いですしね、その頃。

「渚のうわさ」について生前、本人が語ってる動画も観ました。
レコーディングには、それ迄経験した事もない長時間を要したと。作詞の橋本淳氏がとにかく、様々なパターンで歌わせて、作曲の筒美京平氏は「そうね、」と橋本氏の言う事に相槌を打ってただけで特に注文は無かったけれど、脚が痛くなるぐらいのレコーディングだったらしいです。

弘田三枝子の楽曲は全部聴いてみたいので、そのうちCD購入して聴いてみようと思います。

ところで、夏も終わりに差し掛かり、この処、運転しながら岩崎宏美「飛行船」を改めて聴きまくりです。
一昨年の年末に記事、在りましたよね?(最初、何でこの時期?と思いましたが)俺も一曲一曲感想を書きたくなりました、また近日に。 では台風も近い今宵、これ似て。(^o^)/
by 青大将 (2020-09-06 20:57) 

ぽぽんた

青大将さん、こんばんは! いつもお返事が遅く申し訳ありません。

私も弘田三枝子さんの訃報には驚きました。 70歳は超えていたものの、今の時代は
80歳を過ぎても若々しい人が、私が子供だった頃からは想像できないほど多くいますし、
弘田さんもまだまだ活動を続けてくれるものと信じて疑わなかったんです。
顔は少々不自然になっていたものの、ステージでの動きは全盛期を彷彿とさせるものが
ありましたし、ベテランなのにいつも腰が低くて可愛らしくて…。
今の情けない歌謡界に於いて輝く大先輩でいて欲しかった、そんな気もします。

そうですねぇ、私も弘田三枝子さんの歌声には多大なる郷愁を感じます。
うさぎの耳のようなアンテナが乗ったテレビで、記憶にはないもののきっと「アスパラ」
や「レナウン」などのCMソングを毎日のように耳にしていたと思いますし、
本文にも書きましたが「レオのうた」のサビを聴くと、気持ちが幼い頃に戻るような
気がしてしまいます。 弘田さんの歌声の力、そして音楽の底知れない力ですね。

私もYouTubeでいくつも動画は観ていますが、弱冠18歳前後で、あの落ち着きと歌唱の力強さは
本当に驚異的ですね。
「人形の家」であ行にhの音がくっつく唱法が広まりましたが(和田アキ子さんもそれに
影響されたのかな)、それよりずっと以前からその特徴があった事がよくわかります。
しかし、勿論それも含めてですが、弘田三枝子さんは声質が唯一無二と思うんですね。
一声聴いただけでわかるその声質は、亡くなるまで変わらなかったのが嬉しいです。

今思うと、歌だけでなく容姿にもこだわり抜いたのが、きっと歌手としてだけでなく、
芸能人としてファンを楽しませるためのこだわりだったのかも知れません。
それがちょっと行き過ぎたのが残念ですが、近年のテレビ出演番組で、
10代の頃の映像を出されても全く動じずに対応しているのを観て、
きっと信念の強い人なのだろうな、と思ったものです。

私も青大将さんと同意見で、「人形の家」や「私が死んだら」などは楽曲が以前の歌唱法を
求めていないですし、本人のパワーが落ちたわけでは決してなかったと思います。
当時のシングルのタイトルを見ると「美しかった場所」「ロダンの肖像」「バラの革命」
など、容姿のイメージを誇張するようなものばかりで、歌唱力が生かしきれず、
結局それで飽きられてしまったような感じなのが残念です。

「渚のうわさ」は、私はリアルタイムでは全然記憶にないんです。
なので大人になってから、弘田三枝子さんの、と言うよりは筒美京平氏の方の興味で
聴き始めたのですが、レコーディングは大変だったようですね。
きっと何パターンも歌って、そのテープもレコード会社に残っているのではないかな。
コロムビアにはぜひ、お蔵入りになっている音源を含め、納得のいくボックスセット
などを制作してもらいたいものです。

あ、「飛行船」ですか? 私もさっき読み返してみましたが、自分でもまあ、
よくあんな手間のかかる記事を書いたものだと感心したりして(^^;)
コメント、お待ちしてます。

by ぽぽんた (2020-09-10 18:03) 

TAK

こんにちは! たいへんご無沙汰しております。

特にファンではありませんでしたが、「73歳の死」はとてもお気の毒に思います。「人形の家」の印象が強すぎて、他の曲が思い出せません。幼い頃に色々と聴いていたはずなんですが…。

こちらのブログに何度も書かせていただいてますが、歌唱力のある歌手、耳に残る歌が少なくなりましたね…。


by TAK (2020-09-15 17:46) 

ぽぽんた

TAKさん…というか卓さん、こんばんは! お久しぶりです。
ここの記事も最近ほとんど更新していないのに、来て下さって感謝!です(^^)

そうですね、弘田三枝子さんは私にとってもやはり「人形の家」が最も印象深いです。
あの頃もらったビーズの指輪はどこに行ったのだろうか…。

卓さんに刺激されて近年の若い人の音楽も意識的に聴くようにはしているのですが、
なかなか入り込めなくて困ってます。 元ネタなどが根本的に、自分たちが馴染んた
音楽と違うからでしょうか(我々の時代はまず洋楽があり、歌謡曲などは
そこから影響を受けていたものですが、今は違うみたいです)…。

近いうち更新したいと思っていますので、その時はまたお読みになって下さいね!

by ぽぽんた (2020-09-18 23:41) 

widol

ぽぽんたさん、こんにちは。

弘田三枝子さんには「人形の家」がヒットした人、という印象しかなく、晩年は美容整形の影響なのか、時々テレビで見る姿は、顔に表情がなく気の毒という思いしかありませんでした。

が、最近、YouTubeで偶然、「悲しきハート」を歌う紅白歌合戦での映像を見て衝撃を受けて興味を持つようになって、特にアメリカンポップのカバーを歌っていた頃を中心に聴いています。

あの溌剌とした弾けるようなパンチのある歌声は、間違いなく世界に通用する歌手と言えると思います。少し前に朱里エイコさんにも同じような印象をもって、ベストアルバムなどを聴いて、すごい歌手だと思ったものです。
中尾ミエさんもアメリカン・ポップのカバーから出てきて、同じようにパンチのある歌手でしたが、彼女をして弘田三枝子には敵わないと言ったというのもうなずけます。

筒美さんが作った「渚のうわさ」も筒美さんのボックスセットなどにもよく入っていて、曲名だけは知っていたのですが、聴くことはほとんどなかったのですが、よく聴いてみるとものすごくいい曲じゃないですか。京平サウンドそのもので、ヘビロテして聴いています。その後の筒美さんの一連の曲も素晴らしいと思います。「可愛い嘘」などフレンチポップっぽい感じして、パンチは抑えられていますが、とてもいい歌唱ですね。「渚のうわさ」以外はあまりヒットしなかったということですが、どうしてどうして素晴らしいです。

「人形の家」以降は歌謡曲路線に変更して、容姿の変化とともに、「凄さ」が薄れていってしまった気がします。もちろん歌の上手さは変わらないのですが、「悲しきハート」や「恋のクンビア」のような弾けるポップの方が彼女には似合っていると個人的には思っています。

昨年の訃報に際しては、あまりメディアでは取り上げられず、山下達郎氏なども自身のラジオ番組で嘆いたということでしたが、デビュー当時からこんなにすごい歌手だとは私も知らず、今になってその実力に触れて驚いている次第です。

ぽぽんたさんも書いていらっしゃいますが、美容整形が彼女を変えてしまったということであれば、とても残念なことです。出る杭は打たれる、じゃないですが、「デブ」と言われたことがダイエットのきっかけらしいですが、そんなことを気にせずにそのままでいたら、もっと長く歌い続けられていた、のかもしれません。。
by widol (2021-10-18 18:48) 

ぽぽんた

widolさん、こんばんは! お返事がまたうんと遅くなり、申し訳ありません。

弘田三枝子さんがデビューしたのは私が生まれた1961年と言う事で、私も当然その頃の
記憶などなく(当たり前ですね(^^;))、その名を認識したのはwidolさんと同じく、
「人形の家」がヒットした頃でした。
ただ、物心つく前からCMソングや番組テーマ曲など、大人になってから改めて聴いてみたら
ちゃんと記憶に残っていたりした曲もあって、きっと声のパワーが凄かったのだろうな、
と思います。
特に覚えていたのが「レオのうた」(アニメ「ジャングル大帝」主題歌)かな。

いつか書いた事ですが、私はとにかく、ミコさんは声質が実に素晴らしいと思うんです。
そして、その声質は容姿が変化しても全く変わる事がなかったのも驚きです。
後の松田聖子さんにも言える事ですが、その声があるからどんな曲も自分のものに
できたと思うんですね。
どんなに声が良くても歌唱力がなければそれを活かす事はできませんが、ミコさんは
体全体で歌うような歌唱法をごく若い頃から身につけていたようですし、
米軍キャンプ回りなどで英語の歌もこなすようになった、本当の実力を持つ歌手
だったんですね。

「渚のうわさ」などは正直、私もwidolさんと同じでそれが入っているCDは持っている
のに聴いた事がない状態が続いていたのですが、数年前に改めて聴いてみたらなんて
キャッチーで雰囲気もある、そして歌唱も迫力があって素晴らしい!と驚いたものです。
なのでその後、弘田三枝子さんだけのベスト・アルバムを買って聴いてみたらもう、
本当に素晴らしくてすごくて、なぜこんな歌手を見過ごしていたのだろう、と反省
しきりでした。

美容整形については最近「そういう事か…」とふとわかった事がありまして。
何でも美容整形は、手術をしてそれで終わりと言う事ではなくて、あれこれとメンテが
必要らしいんですね。
ミコさんも、やや大掛かりな手術、それも1960年代後半と、今ほど技術が進んで
いなかった時代にやや大掛かりな施術をしたためにその後、そのメンテのために
やむなくまた手術を重ねたのであって、決して整形中毒というわけではなかったのでは、
と思うようになりました。

これもこの記事の本文に書いた事ですが、ミコさんはきっと今頃、あの世界ですっかり
元の容姿に戻って元気に歌っている、そんな気がしてならないんですよ(^^)

by ぽぽんた (2021-11-07 23:40) 

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