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或る日突然 / トワ・エ・モワ

「ある日」ではなく「或る日」であるところに歌詞の内容が凝縮されているような:

或る日突然ジャケ.jpg

1960~1970年代に隆盛を極め、2020年の現在では絶滅危惧種となってしまっているものの一つに
男女デュエット形態の歌手があります。

ヒデとロザンナ、Kとブルンネン、チェリッシュ、ダ・カーポ、ちょっと異種ですがヘドバとダビデ…
武田鉄矢&芦川よしみや畑中葉子&平尾昌晃のような臨時企画ものも含め、
かつては一日に一組は必ずテレビなどから歌が流れてきたものでした。

そういったデュエットの場合、声の音域が高い側、即ち女性がメインで歌う事が多く、
男性側が添え物のように見られてしまいがちだったのも確かで、
その象徴が、紅白歌合戦ではほぼ例外なく紅組に入れられていた事、ですね(^^;)

しかし本当に添え物だったか?と言われるとそんな事もなく、
特にヒデとロザンナやトワ・エ・モワは、男女それぞれソロのパートが確保された曲もあり、
今回ご紹介する「或る日突然」もそんな1曲です。


「或る日突然」はオリコンシングルチャート最高4位(同年7月14日~8月4日付、4週連続)まで上昇、
35.1万枚を売り上げを記録し、トワ・エ・モワ最大のヒットとなりました。
…何だか「4」がやたら多いですね(^^;)

作詞は昭和の名曲を数多く生み出した山上路夫氏、作曲はこちらも名曲の多い村井邦彦氏。
「或る日突然」は曲の良さはもとより、映画を観ているような気持ちにさせてくれるアレンジが
出色なのですが、それは小谷充氏が手掛けています。
小谷氏の素晴らしい仕事・作品については、Wikiに詳しく載っていますので参照して下さい。

それまでにも男女デュエットは先述のヒデとロザンナ、Kとブルンネンがデビューしていましたが、
フォークと呼ばれる分野での男女デュエット、そして成功を収めたのはトワ・エ・モワが初めてです。

男女デュオの場合、二人とも歌唱力抜群である事はあまりなくて(^^;)、
男性は女性をより目立たせる役割であるように感じられる場合も多かった気がします。
トワ・エ・モワの場合、二人とも歌唱力が優れているのですが、ややか細い声の女性(山室英美子)を
男性(芥川澄夫)がその太い声で力強くサポートしているように、私は感じていました。

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先程、トワ・エ・モワはフォーク…と書きましたが、確かにイメージはその通りだと思うのですが、
その楽曲の数々、特に「或る日突然」をよく聴いてみると、当時の洋楽やクラシックなど、
色々な分野の音楽の影響が感じられ、大衆がフォークと見なす音楽とは別物に思えます。

「或る日突然」は、リズムは終始オーソドックスな8ビート。
キーはCメジャーで、2コーラス目の後半で半音上がってD♭メジャーになります。

まずイントロですが、ジャーン…とG7でコードが鳴らされ、続いてコードがCの上を
ソラドファ・ファミレド ソラドファ・ファミレド、続けてG7でソレミソ・ソファミファレ~…と
12弦エレキギターとグロッケンシュピールのユニゾンで演奏されていますが、
そのメロディーは例えば同時期の「悲しくてやりきれない」(フォーク・クルセダース)
で使われている四七抜き音階のようなわかりやすいものではなく、
コードの構成音に含まれない音も構わずに使った美しい流れを持っており、
イントロだけでこの曲を好きになった人もきっと多いと思います。

続いてオーボエが加わって1小節後にコードがFに変わったところでドファソシ♭・シ♭ラドファ・
ファミレミレ・ドシラシド…と、バロック音楽でハープシコードが演奏しそうな
格調高いメロディーにつながり、歌に流れ込みます。

歌メロはコードに逆らうようなところがなく無難に進み…と言いたいところですが、
♪…私にはわかっていたの♪ ではコードがDmである上でファミミドド・ファファ・ド…と、
これまたコードのルート音をよけるような音使い。 結構、アバンギャルドです。
しかしそれが全く不自然に聞こえないのは、やはり流れが美しいからだと思いますし、
そのような音使いがフォークでは新鮮だったのが、シングル盤のジャケットに
「これがニュー・フォークだ!」とコピーをつけた一つの理由ではないでしょうか。


1コーラスあたりの構成は A→B→A→B' とシンプルで、サビと呼ばれる部分がありません。
2コーラス目の後半で半音上に転調しますが、それ以降が、歌詞の内容を含めサビ、
と言えるかも知れません。

***************************************

では、この曲で使われている楽器とその定位を調べてみましょう。

左: トライアングル フォークギター グロッケンシュピール

中央: ベース(ダブルベース) オーボエ フルート

右: 12弦エレキギター(メロディー) ドラムス クラシックギター トロンボーン エレキギター(コード)

左右:ストリングス(左から第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロ)

…と、多彩な顔ぶれです。

聴き始めてまず耳に残るのは、当時の東芝レコード(他社にもありましたが)の顔のような音色である、
右に定位する12弦エレキギターによるイントロのメロディーですね。
その反対チャンネルからユニゾンで演奏されているのがグロッケンシュピール(鉄琴)。
(もしかするとチェレスタ?とも思ったのですが、音のエッジが立っているので、多分違うでしょう。)
一緒にチ・チ・チーチ…と演奏されるトライアングルも印象的です。

ドラムスは、スネアを革打ちではなくリムショット(スネアドラムのふちを叩く)で演奏しています。

そして「なるほど、60年代」と思わせるのが中央のベースで、よく聴くと箱鳴りが感じられるので、
この音はダブルベース(ウッドベース)ですね。
同じ頃にビリー・バンバン等、いくつかのバンドで演奏されているのをよく見たものです。

アドリブのようなオブリガートで歌メロに彩りを与えているのがオーボエとフルートで、
間奏ではその2つがオクターブ差ユニゾンでメロディーを演奏していて、
その音はまるで電子オルガンかシンセサイザーのように聞こえます。

そしてやはり素晴らしいのが、全体の雰囲気と流れを主導的に表現し、
間奏ではピチカート奏法まで聴かせてくれるオーケストラ配置のストリングスです。
時には歌メロを華やかに飾り、時にはゴーッとまるで強い風が吹いているような臨場感まで醸し出し、
オーボエやグロッケンなどと時にユニゾンで演奏し、また違うカラーを感じさせる。
ただでさえドラマティックな歌詞の内容を極限まで盛り上げています。
極限まで行きながら過剰にはなっていないのが、また素晴らしいんですね。

時々歌メロに絡むようなオブリガートを右で演奏しているのがナイロン弦のクラシックギターで、
音色からするとレキントギターかも知れません。

最初から最後まで素直にコード演奏を続けるのは、左から聞こえるフォークギターだけ。
他の楽器はまるで思い思いに現れては消えるような演奏に聞こえるのですが、
きっとそこにも細かい計算があるのでしょう。

これほど多種の楽器が使われているのに、無くてもいい音が無い。
それはアレンジの、一つの理想形かも知れません。
先述のようにこの曲の歌メロには目立つ「サビ」がないので、
次々に楽器の分担や役割を変化させ、聴く人が飽きない流れを作り出しているんですね。

この曲では、男女デュオながら、ボーカルにはハーモニーはなく、
ユニゾンのパート、それぞれソロで歌うパートで構成されています。
いきなりハーモニーで聴かせないあたり、レコード会社としては
「今後、彼らはもっと音楽的に面白くなりますよ」と予告していたようにも思えます(^^)

尚、時代的にオケは2チャンネルステレオの同時録音と思われます。
ボーカルにはリバーブがついていますが、その音もボーカルと同じセンターから聞こえてくるのも、
どこかノスタルジックな雰囲気がありますね。

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男女デュオの場合、歌詞が全長で女性もの、あるいは男女の掛け合いものがありますが、
「或る日突然」はその前者です。
この曲には男女それぞれソロパートがあり、男性側も女性歌詞で歌うわけですが、
そこはどうしても不自然に聞こえてしまいますね。
芥川さんも「それは嫌だった」と語っていたのを何かで読んだ記憶があります。
楽曲の良さで大ヒットしたこの曲ですが、さしずめ今の時代だったら叩かれていたかも知れませんね。
そういう意味では、トワ・エ・モワの良さを最も感じるのは、そういった不自然さのない
「虹と雪のバラード」であるように、私には思えます(この曲の歌詞は男性もの、ですが)。

とは言え、世代を超えて多くのリスナーの共感を呼びそうな歌詞と美しい旋律を持つこの曲は、
今の時代でも、これからも折々で耳にしそうです。


「或る日突然」
作詞 : 山上路夫
作曲 : 村井邦彦
編曲 : 小谷充
レコード会社 : 東芝音楽工業(エクスプレスレーベル)
レコード番号 : EP-1147
初発売 : 1969年(昭和44年)5月14日

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苦悶式学

ぽぽんたさん,こんばんは!
『或る日突然』は大好きな曲なので,取り上げて頂いて嬉しいです。
当時,リアルタイムで聞いた覚えはなく,この曲をいつ知ったかは判りませんが(『誰もいない海』や『虹と雪のバラード』は知ってました),歌詞・曲共に抜群に美しい曲だと思ってました。
まあ,正直(この曲には)男性ヴォーカルは要らないかなとは思いますが(笑)
ジャケットに「これがニュー・フォークだ!」とありますけど,全然フォークっぽくなくて,なんかフレンチ・ポップス?みたいだなと思ってました。
それで今回,ぽぽんたさんが分析されたオケの構成を拝読すると,やっぱりフォークじゃないですよね。
当時の,吉田拓郎などの「フォークソング」とは対極にあるような華麗なアレンジじゃないかと思います。
そう言えば『トワ・エ・モア』というグループ名もオサレでしたよねー。
by 苦悶式学 (2020-02-24 01:43) 

widol

ぽぽんたさん、こんばんは。

最初に、「トワ・エ・モワ」が正しい表示かと思います。

さて、「或る日突然」このブログを読みながら改めて聴いてみましたが、これまで気付かずにさらっと聴いていたな思うことがたくさんありました。
ぽぽんたさんの「他の楽器はまるで思い思いに現れては消えるような演奏に聞こえる」は言い得て妙だと思いました。そしてこんなにたくさんの楽器が使われていたのですね。

ファルセットの美しさを持つ白鳥さんの声はもちろんですが、ぽぽんたさんのおっしゃるように、芥川さんの低音のサポートがあってこそのトワ・エ・モワの魅力だと思います。最近はあまり低音の魅力を持つ歌手がいませんが。
「虹と雪のバラード」では芥川さんが歌い出しを担当していますね。
2コーラス目のハーモニーで芥川さんが上のパートを歌うところは本当に気持ちいいですね。ハモリのお手本のような曲です。

「或る日突然」に戻りますが、ぽぽんたさんのおっしゃる「「ある日」ではなく「或る日」であるところに歌詞の内容が凝縮されている」こちらも激しく同意ですね。タイトルをよく間違えそうになりますが、或る日じゃないとだめなんですね。
by widol (2020-02-24 22:08) 

ぽぽんた

苦悶式学さん、こんばんは!

コメントをありがとうございます。 私にとっては、この曲は小学生低学年の頃に自然に耳に
入ってきて自然に覚えた1曲です(多分町中の有線か、銭湯で鳴っていたラジオから、かな)。
歌詞だけ見ると、確かに男性の声は要らない気がしますが、曲の雰囲気やカラーとか、
そして全体のインパクトを考えると、この芥川さんのボーカルはとても良い役割を果たしていると、
私は感じています。 英美子さんの声だけだと、ちょっと寂しいんじゃないかな。
確かに、例えばギター1本の弾き語りとか、数人で同じメロディーを歌うような、ある程度
イメージが固定してしまったフォークとは、この曲は全く違う気がしますね。
特に当時は時節柄、反戦歌や世相を揶揄するような曲が多かったので、
「或る日突然」のような歌詞とは全く違いますし、ロマンティックな音楽ですね。
仰るようにフレンチの匂いも感じられます。
もしかすると、先述のようなフォークが溢れすぎていたために、トワ・エ・モワは、その
アンチテーゼ的なものとして世に出されたのかも知れませんね。
今でもファンが多いのは、本当に素晴らしいと思います。

by ぽぽんた (2020-02-25 23:22) 

ぽぽんた

widolさん、こんばんは!

ご指摘、ありがとうございます! そうです、モワです。 トワの対だからモワだ、と
すぐ気づきそうなものなのに、ついいつもの発音でそのまま書いてしまいました。
早速修正させて頂きました。

本文にも書きましたが、この曲は歌詞やメロディーはさる事ながら、アレンジが実に
素晴らしいですよね。 当時の曲って、どうしてこのように独特の雰囲気を出すのが
得意だったのでしょうか。 使われている楽器、鍵盤楽器が全然なくて、数種のギターを
主体にホーンやら木管や鉄琴やら、その持ち味を活かす演奏が随所で感じられます。
この頃の音楽家は、クラシックやジャズ、民族音楽などから色々なインスピレーションを
ひらめかせて音楽を構築していたのだろうな、と思います。

そうなんですよ! 私が声を大にして言いたいのは、「男性らしいボーカルよ、出てこい!」
なんです。 もうかなり前からですが、いつの間にか男性もいかに高い声を出せるか、
そればかりが注目されるようになって、せっかくの低い音程、太い声質を生かそうとする
歌手や楽曲が全くと言っていいほどいないんです。
39年前に寺尾聰さんのアルバムが大ヒットしましたが、あのような、男性にしか出せない
音域を駆使した音楽も必ず需要があると思います。
そういう意味でも、トワ・エ・モワが活躍していた70年代前半は、そういった事も
大切にされていた時代だった気がします。

あ、私の記述に同意して頂けるととても嬉しいです! 思った事をそのまま書いたのですが、
音楽に対する気持ちも、いつも素直でいたいと思います(^^)
by ぽぽんた (2020-02-25 23:39) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんにちは。

「相方以上恋人未満」のトワ・エ・モワ(M-1に出た南海キャンディーズのキャッチコピーから拝借)。
私が二十歳ぐらいのとき、母がCDを聴きながら「アクちゃん(芥川さん)の歌が聴きたい」と言い続けていて、そしたら長野五輪を前に「思い出のメロディー」で再結成、母と一緒に喜びました。
芥川さんと白鳥(山室)さんがどちらも対等に歌うハーモニーが大好きです。ガチンコ勝負の味がする若いときも良いですが、再結成以降の穏やかにじっくり歌うハーモニーを聴くと(特に「友だちならば」はそうです)、ただただありがたいと心から思います。
独身のうちにコンサート行きたかった…。

確かに絶滅危惧種になってしまった男女デュオ。
今は強いて言えば、それとまたまた挙げてすみませんが、「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さんお姉さんが男女デュオの代表格だと思います。特に平成になってからは二人一緒に交代することが多く、「この人にはこの人!」とペアへの思い入れを持ってファンが聴き比べを楽しみ、スタッフは掛け合いやハモりを増やして既存の歌をアレンジしたり(サブちゃんマチャアキの「北風小僧の寒太郎」尾藤イサオさんの「赤鬼と青鬼のタンゴ」もそうです)毎月の新曲作りをしたりしているように見えます。
現職のペアは平成ヒトケタの空気感があって清潔感と喜怒哀楽の歌い分けが持ち味なので、トワ・エ・モワの歌は何でも向いてそう…聴いてみたくなりました。

で、今回の「或る日突然」ですが、「極限まで行きながら過剰にはなっていない」カラオケがすごく良いなぁと前から思います。この伴奏があるから、どこか緊張感があるお二人のハーモニーが爽やかになったんだろうなと。
女言葉の歌詞は、芥川さん歌うの嫌そうだなぁとずっと聴きながら思っていますが、そこが柔らかく穏やかな歌の世界を創り出しているように見えます。昭和ならではですね。
再結成されてからは、かなりハモるようになりました。チェリッシュで「多幸感」のお話がありましたが、若いときよりも再結成されてからの歌に多幸感がめいっぱい感じられるなぁと思います。特に「或る日突然」はそうです。

トワ・エ・モワはオリジナルキーで歌えなくなったら解散、それまで歌い続ける…と話しています。
いろいろご苦労あったでしょう。でも、再結成してそれが20年以上続いて本当に嬉しいです。
by もとまろ (2020-02-26 14:36) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは!

いつも楽しい投稿をありがとうございます(^^) 若い頃は若い時ならではのハーモニー、
歳を重ねてからはその歳でなければ出せない味… それが発揮できる事って貴重だと
思いますし、その代表がトワ・エ・モワなのですね。
私も改めて、トワ・エ・モワの色々な曲を聴き直したくなりました。

私はなかなか「おかあさんといっしょ」を観る機会はありませんが、そのような企画は
面白いですね。 本当に音楽そのものを楽しんでいるんだな、と思います。
「みんなのうた」では私も好きな曲が多く、そのように使われるのは素晴らしい事ですね。
私はかねてからカーペンターズの大ファンである事を公言(?)していますが、
ボーカルは男女が組み合わさると可能性がうんと広がると思うんですね。
普段はデュオで、たまにソロで歌を披露されるとそれはもう新鮮に感じますし、
コーラスも男性だけ、女性だけの組み合わせよりも幅が出てきますし。
今のタイミングで、ポップな男女デュオが出てきたら意外とウケるのではないでしょうか。
大先輩として、トワ・エ・モワの二人にもうひと頑張りして頂きたいものです。

そうですねぇ、今の時代、もし「或る日突然」のように男性が女性言葉で歌う事があると、
必ずやんやと言われそうですね。 昭和のあの頃は、例えばマヒナスターズのように
裏声は使うわ、女性ものの歌詞だわと、今からすると奇異に感じられそうな音楽が
ごく普通に受け入れられていたので(勿論好き嫌いは分かれたでしょうが)、
今思うとおおらかだったんだな、と思いますし、それに引き換え今の世の中って
何だか世知辛い…と感じてしまいます。
細かい事にこだわらず、何でも楽しめるようにならないと、本当に良いものも
見えなくなるよ…と、昭和30年代生まれの小生は言いたくなるのであります。

今後のトワ・エ・モワも楽しみですね(^^)

by ぽぽんた (2020-02-28 23:36) 

もとまろ

度々すみません。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20200118-00159419/

お返事はいりません。もしよろしかったら、皆様にお読みいただきたいです。最近のトワ・エ・モワのインタビュー記事です。
by もとまろ (2020-02-29 20:07) 

ゴロちゃん

ぽぽんたさん、もとまろさん、こんばんは!

もとまろさん、トワ・エ・モワのインタビュー記事を紹介してくださりありがとうございます。あんなに長いインタビューがあったんですね。「つまらないグループになって解散するのは嫌だから、いいねと言われているうちに解散しよう。」とか「僕たちの歌ではなくみんなの歌になっているから、心を込めて歌わなければ。」などというところを読んでいて、ますますトワ・エ・モワが好きになりました。昔、「トワ・エ・モワはむりやり組まされたデュオだから、二人は不仲である。」という噂を聞いたことがあります。再結成した後も、テレビで歌っている時などは顔を見合わせることはほとんどないので、やっぱりその噂は本当なのかなとちょっと残念だったのですが、このインタビュー記事を読んだり写真を見たりしていると、なんだかとってもいい感じでうれしくなりました。半年ほど前に、トワ・エ・モワのベスト盤をレンタルしました。ここのところ「或る日突然」「虹と雪のバラード」「初恋の人に似ている」ばかりを聴いているのですが、他にもいろいろ聴いてみたいと思います。
「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さんお姉さんのペアですが、私は平成5年~10年くらいまでよく見ていて、その時のペアは、坂田おさむさん&神崎ゆうこさんペア、そして速水けんたろうさん&茂森あゆみさんペアでした。幼児向けの番組なんだけれど、この二組のデュオが歌う歌は大人が聴いたり観たりしていても楽しくて大好きでした。「だんご3兄弟」なんて大ヒットも生まれましたしね。

ぽぽんたさん、改めましてこんばんは。
コメントを書きたいなと思いながらうまく書けないでいたのですが、いつもながらの稚拙な感想です。「或る日突然」の好きなところ、それは⓵出だしのジャーン・・のところ、②イントロのオーボエが登場するところです。この2つのところは前から好きだったのですが、ぽぽんたさんの記事を読んで改めてこの歌を聴いてみると、ほんとにいろいろな楽器が使われているのですね。どこをとっても聴いていて心地のよい素晴らしいアレンジだと思います。
二人の歌がハーモニーがなくユニゾンかソロだというのも、言われてみて初めて気がつきました。今まであんなに何回も聴いてきたのに・・私も芥川さんの太いしっかりした声が大好きです。二人の声のバランスがとてもいいですね。
「虹と雪のバラード」は、1番がソロとユニゾン、そして2番の後半から芥川さんが上のパートを歌い、素晴らしいハーモニーで盛り上がっていきますが、「或る日突然」のこの抑えた歌い方もまたいいですね。
4年生だった当時、テレビで観た記憶があるようなないような、ですが、白黒テレビの画面と故郷が思い出されて、ノスタルジックな気持ちになります。

全然関係のない話になりますが、「或る日突然」と聞いてすぐに思い出すことがあります。忘れもしない1984年8月3日。私の大好きなアルフィーが大ブレークしていた時です。この日の夜7時からTBS系で「アルフィーの『ある日ィ突然』」という番組がありました。その日に行われた横浜スタジアムでのライブの模様を入れながら、ドラマ仕立てでアルフィーの今までの歩みをやったものでした。私はとっても楽しみにして今か今かと始まるのを待っていたのですが・・・なんと!すごい雷が鳴って停電になってしまったのです。テレビは半分くらいしか見られず、もうがっくりでした。「或る日突然」と聞くと、36年前のその日のことがパッと思い出されるのです。つまらない話をして、しかも長々とすみませんでした。

by ゴロちゃん (2020-03-03 00:18) 

ゴロちゃん

今夜は目が冴えて、今、YouTubeを見ていたところ、「くにまるジャパン トワ・エ・モワ」というラジオ番組を見つけました。5日間、トワ・エ・モワがゲストで来ていて、いろいろな話を聞かせてくれるという番組でした。4年前に放送されたものだそうです。
この中で、芥川さんが「或る日突然」のことをこう話していました。
この歌は芥川さんにとってキーがとても低くて、レコーディング当日に声が出なかったそうです。それで、キーを4分の1上げたのだそうです。そのためテンポが少し速くなり(昔のテープなので。本当はテンポがもう気持ち遅かったのだそうです。)、グロッケンの音もキンキンしたが、それが結果的によかったのだというのです。
それから、今なら「ここ、少しハモりませんか。」というけれど、当時は言われるままだったのでハモリがなかったのだそうです。
英美子さんの旦那さんは、やはり「澄夫さん」といってトワ・エ・モワのバックをやっていらした人だそうです。それで、その旦那さんと芥川さんは、昔、中野で一緒に住んでいたとか、旦那さんは男5人兄弟の末っ子、芥川さんは男4人兄弟の末っ子で、だからもうおしまいということで「すみお」という名前なのだとか、いろいろ楽しいお話をされていました。いまだに二人は夫婦ではないかと言われることがあるそうです。おもしろいラジオ番組でした。
by ゴロちゃん (2020-03-03 01:38) 

もとまろ

ゴロちゃん、こんばんは。この度はありがとうございます。

私には70年代の歌手との思い出が再結成になるので、再結成のステージが良かったら「リアルタイムの時期に応援したかった」との無念が吹っ飛び、嬉しくありがたく思います。
トワ・エ・モワは、徹子の部屋で「(東京五輪と大阪万博を歌った三波春夫さんみたいに、だと思います)自分たちが国民的歌手になりそうで違和感があった」みたいなことを話しておられました。いろいろ乗り越え再結成して、以降「虹と雪のバラード」の歌碑完成を喜ばれ、卒業式の定番ソング「旅立ちの日に」、新井満さんが千の風の後に残した長寿祈願ソング「この街で」を歌われ、とても嬉しくてたまりません。
「くにまるジャパン」は、アップされているのを見つつ聴けずじまいでいるので、楽しいトークの様子を読ませていただけて良かったです。

「おかあさんといっしょ」のおさむお兄さん&ゆうこお姉さん、けんたろうお兄さん&あゆみお姉さんは、昨年秋の番組60周年コンサートに出演されました。安心感安定感いっぱいのハーモニーだと思います。当時は古今亭志ん輔師匠のミニコーナーもありましたね。
後継のお兄さんお姉さん達は、志ん輔師匠の担当だったミニコーナーをこなしたり、さいたまスーパーアリーナや大阪城ホールの大舞台に出たり、最近は映画もあったりで、だんだんやることが増えていっています。大変そうだなぁと思いながら見ています。

重ね重ねになりますが、ありがとうございました。

ぽぽんたさん、お邪魔しました。
by もとまろ (2020-03-06 23:14) 

ぽぽんた

ゴロちゃん、こんばんは! お返事が遅くなり申し訳ありません。

私ももとまろさんが紹介して下さったインタビュー記事を読みました。
もとまろさん、ありがとうございます!

それを読んでいた思った事…。 20年以上前になるかな、山室英美子さんが白鳥恵美子として
「アメージング・グレース」をヒットさせた時、しばらく経ってからその人が
元トワ・エ・モワの山室英美子さんとわかったんですね。 で、トワ・エ・モワの復活は
もうないのかな、とふと、何となく寂しく思ったんです。
しかしその数年後、再びトワ・エ・モワとして二人でテレビに登場した時には、
「芥川さん、老けたな」(失礼)と思ったと同時に、何だかとても嬉しくなったんです。
改めて調べると、チャート関係では意外なほどレコードの売り上げが多くなかった
グループなのに、存在感はとても大きなものだったんですね。
私は男女デュオではチェリッシュが最も好きでしたが、時代を感じさせると言う意味では
トワ・エ・モワが一番かな、と今でも思っているので、そういう意味でも
復活は嬉しいニュースでした。

「或る日突然」も、クラシックなどの音楽をよく知っている人が色々なアイディアを
盛り込んで作った曲と言う気がします。 60年代、70年代の歌謡曲は、そういった作りが
多いですよね。 なので、当時は歌謡曲、さらにフォークなどは音楽としては地位が低い
ものだったのに、どこか品の良さを持ち合わせていたりするんですね。
そしてやはり、声の良さかな。 特徴のある、いわゆるクセのある声って、
一時は売れてもわりと人気が落ちるのも早い傾向がありますが、
トワ・エ・モワの二人の声は正統派と言った感じで、タイムレスなんですね。
なのでいつの時代で聴いても、心にスッと入って来るのだろうと思います。

私はアルフィーで思い出すのは、何と言っても「ザ・ベストテン」です(^^;)。
例の、せっかく内緒でファンの人の自宅まで押しかけて生歌を聴かせようとしたのに
その本人が留守で、しかもその現場で電源の不備でオケの音のスピードが落ちて
滅茶苦茶になってしまったと言う… 私は笑えませんでした。 アルフィーのメンバーが
余りに気の毒で。 ゴロちゃんは観ていましたか?

それはともかく、トワ・エ・モワには今後も、地味でいいからずっと活動を続けて
もらいたいですね。

by ぽぽんた (2020-03-06 23:57) 

ゴロちゃん

おはようございます。
ぽぽんたさん、もとまろさん、お返事ありがとうございました。

ぽぽんたさん、1984年冬の「ザ・ベストテン」のアルフィーの「(愛知県)犬山事件」、もちろん鮮明に憶えています。犬にも吠えられていましたよね。私はあのハプニング、ご本人たちには悪いけどおもしろかったです。いまだに語り草になっています。

私も、トワ・エ・モワのお二人には地味でもいいから活動を続けてもらって、時々テレビで聴きたいなと思います。お返事はけっこうですからね。
by ゴロちゃん (2020-03-07 07:52) 

青大将

こんにちは。早速ここからコメントを。^^;

この記事が出る少し前でしたが、偶然にも2週間程の期間、このCDを通勤の車中で聴いてたんですよ。
レコードのシングル盤も既に20代前半で入手して所有してますが、去年だったか、中古店で百円で売られてたこのシングルCDを見つけてしまい、即買いしたんです。

と、言ってもオリジナルジャケットを復刻したものでもなくて、90年代半ば辺りにリリースされた縦長のシングルCDで、トワ・エ・モワの御二人の顔写真も無く、タイトルが大きく印刷されたあの時期特有のジャケットの商品。 しかし、意外というか、面白いのが普通この手のモノって、例えば「或る日突然」を出すんであれば、カップリングには、トワ・エ・モワの他のヒットナンバーである「空よ」とか「虹と雪のバラード」、「初恋の人に似ている」なんかを持って来て、安易に作製すると思うんだけど、このCDは、オリジナル・シングルのカップリングというかB面だった「恋人のなぎさ」を収録してる点でした。

しかも、2曲共に単にオリジナルの音源を使用せずに、音(カラオケ)は機械で造った90年代の音で、あのメロディを演奏してるものに、ボーカルだけ当時のオリジナル音源を被せてる仕様です。

そして、家に帰ってレコードの方にも針を落として聴くと、また違った趣があったりしました。

トワ・エ・モワは、このシングル2曲を収録したファースト・アルバムも持ってますけど、これは収録曲「見知らぬバス」を聴く為でした。84年の夏、昼のFMで二人の特集をしてたのを聴いてた時に初めて知った(聴いた)曲で、ゆったりした、バカラックの影響を受けた様な不思議な感じのメロディがツボで、ずっと記憶の中にこびり付いたナンバーでした。

「或る日突然」は個人的に、イントロから何処かノスタルジーを誘うメロディーで、それは79年の夏に放送された或るテレビ番組がキッカケだった様に思います。

懐しい番組を集めた、現在でもよく在るタイプのヤツの走りみたいな1時間ほどの番組だったんですが、此処に「或る日突然」を歌うトワ・エ・モワの映像も出て来ました。その時には随分久しぶりにこの曲を聴いて、すごく懐かしかったんです。 ただ、そのVTRを1967年だと勘違いしてて、それから長い期間1969年の曲だとは気付かずに居ました。

その前年の夏休みに親戚の家に遊びに行った時、ステレオで色んなレコード聴いてた中に、「虹と雪のバラード」の入ったLPも在って、この曲もこの時初めて聴いたぐらいの感動がありました。
音としてはこの時が初めてな印象だったんだけど、この曲の当時、つまり札幌五輪の時期に、この二人が雪が積もる場所でキャンプファイヤーを囲み、ギターを弾きながら歌う映像をテレビで観た記憶が強く残ってるんです。 卒園間近の保育園で、夕刻に親の迎えを待ってた時に先生や他数人の園児達と観てました。こちら(鹿児島)は、辺りは未だそんなに暗くないのに、テレビで歌うトワ・エ・モワの辺りはすっかり夜に包まれてたのが何か不思議な感じだったんですよ。

トワ・エ・モワが一端活動を終えた72年(73年?)の、シングルとしては最後の辺りの「雨が降る日」という曲は、中古でジャケットの感じに惹かれて何となく買ったレコードでしたが、B面の「雨が・・・」共々、雨の日に聴きたくなるナンバーで、これも気に入ってるシングル盤です。(^o^)
by 青大将 (2020-05-04 13:44) 

青大将

ジャケットについて書き忘れたので追記します。

この「或る日突然」のジャケットって、ずっと海外(ヨーロッパ辺り)の何処かの街で撮られたものだと思ってたんですけど、考えてみれば、デビュー仕立ての新人歌手があの時代に海外って・・・とかも過って、矢張り日本の何処か海外と紛らわしい場所で撮影されたのか?とも思えたり、どっちだと思います?^^;
by 青大将 (2020-05-04 13:53) 

ぽぽんた

青大将さん、こんにちは!

その「或る日突然」のシングルCDは面白いですね。 何か実験的な商品だったのかな?
新たにオケを作ってそれに昔のボーカルトラックの歌を乗せる作りはたまに見ますが、
90年代半ばだとその技術がまだ熟していなかったはずで(オリジナルのオケの音源は
コンピューターのクリックではなくて人間が指揮をして演奏しているのでテンポに
ゆらぎがあり、それにかぶせたボーカルも当然そのゆらぎに同期しているはずなので、
それに新しくオケを重ねるのって難しいんです)。
しかもカプリングがオリジナルシングルと同じとは、もしかしたらファン垂涎、
と言ったCDかも知れませんね。

70年代の初め頃はバカラックの影響が大きかったようですね。 筒美京平氏も
それを公言していますし…。 同じ意味でポール・モーリアやパーシー・フェイスも
そうですが、日本人は基本的にイージー・リスニングが好きなのだと思います。
イージー・リスニングと言うとレストランや喫茶店などで流れる聞き流し用の
音楽と思われがちですが、音楽的にはどれもクラシックに根ざしたものが多くて、
レベルの高い作りがされている曲が多いんですね。
トワ・エ・モワも、そんなさりげなくハイレベルな楽曲作りに浴した歌手
だったのかも知れませんね。

それにしても、41年も前のテレビ番組、本当に細部まで憶えておられますね。
きっと青大将さんって、見たり聴いたりものをそのまま記憶してしまうビデオのような
能力をお持ちなのだと思います。 それは本当に、うらやましい。
そしてそれらを上手に楽しんでおられる。 見習いたいです。

「或る日突然」のジャケ写ですか? 仰るように、1969年当時だと海外旅行は
今と違ってえらく費用が高かったので一般人にとっては「ほとんど夢」でしたが、
当時の芸能界や音楽界はかなり景気が良かったはずで、現にレコード会社関係の人、
作曲家・作詞家なども頻繁にあちこち行っていたようなので、
多分、期待の新人と言う事で現地に連れていったのでしょう(と思います)。

by ぽぽんた (2020-05-05 14:51) 

もっふん

青大将さん、ぽぽんたさんこんばんは。

ジャケ写について大きな画像で細部を見ようと思って画像検索していたら、こんなところに情報がありました。

 https://news.1242.com/article/139445

これによると撮影場所はデビュー前の二人が修業した日比谷のミュージック喫茶の裏の路地らしく、2015年に出されたアルバム「A TIME FOR US」のジャケットでは全く同じ場所同じ構図で年を召されたお二人を写したものが使われたようです。

予算の制約から近場で済ませたとは言え、お二人にとって大切な「特別な場所」で撮影されたと言うのは、もしかするとご本人達にとっては海外に連れて行かれるよりもよほど嬉しい事だったかも知れませんね。(^-^)
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by もっふん (2020-05-07 01:23) 

もっふん

ぽぽんたさん、長文失礼します。

ついでに、と言っては何ですが青大将さんが過去記事にコメントされるのに便乗して男女デュオについても書いておきたいと思いましたので。

基本的にデュエットソングと言うのはカラオケの場において非常に堅実な需要がありますので、記事に書かれている通りパーマネントなコンビは減っても「feat.~」と言う形の作品が今でもコンスタントにリリースされていますし、J-POPを聴く人であれば若い層にも広く受け入れられているようです。

このブログが主眼としている1970年代にはカラオケは8トラからカセットへの過渡期に過ぎず、酒肴を供する店などで言わば酔っ払いのオッサン相手と言う限定的な広まりしか無かったにも関わらず、私が何かにつけてカラオケを語るのは、たぶん私自身の方向性がコンポーザーではなくてソングライター的であって「歌はみんなに口ずさまれてナンボ」と言う意識がある事と同時に、現状ではカラオケの存在こそが和製大衆音楽の最後の砦になっていると言う認識でいることもありますので一つご容赦を頂きたく思います。

で、その後ですが、'80年代初頭にレーザーディスク(業務用が'82)に代表される映像付きカラオケやオートチェンジャー(CD用が'84)が登場した事により、歌えるお店や場所は大きく拡大し若い人の間にも広まって行きます。'85には屋外型のカラオケボックスも登場しました。

そしてインターネットの普及に伴って'92年に通信カラオケが生まれてからは皆さんの記憶にも新しい事かと思います。遅い通信速度を克服するためにオケの楽音データではなくて楽器の操作情報であるMIDIデータを送って店側の機械(ぶっちゃけシンセサイザーです)に演奏させる形式を取った事で、テンポを変えずにキーだけを変えられるようになった事も画期的な事でした。(ぽぽんたさんのように絶対音感を持っている方にとっては不幸の始まりでもあったわけですが・笑)

最近は高速ネット回線が整備された事もありハモリ音声や動画のデータをMIDIデータと別に送信するようになっていますが、昭和の頃には歌う人に合わせて異なるキーで伴奏を流すなどと言う事は夢物語だったのです。凄い時代になりましたねぇ(遠い目

話を戻しますが、スナックの女性従業員などは酔客相手のカラオケに付き合わされる事も多く、ぽぽんたさんが書かれた武田鉄矢&芦川よしみ「男と女のラブゲーム」(1987年11月11日)や畑中葉子&平尾昌晃「カナダからの手紙」(1978年1月10日)以外にもロス・インディオス&シルヴィア「別れても好きな人」(1979年9月21日)に代表されるムード歌謡、ヒロシ&キーボー 「3年目の浮気」(1982年8月21日)古い所ではさくらと一郎「昭和枯れすゝき」(1974年7月21日)などの演歌系などは、彼女たちにとって当時は勿論ともすれば現在も「必修科目」であるかも知れません。

こうした状況に明らかに違う流れを持ち込んだのは鈴木雅之の姉である鈴木聖美を擁したシャネルズ+1「もしかして I LOVE YOU」(1982年8月25日)ではないかと思います。記事でも書かれているような「男は女の添え物」と見られるわけでも無く、酒席のデュエットソングの大半がそうである「掛け合い」に終始するわけでもなく、それぞれがソロとして通用する歌唱力のぶつかり合うポップスが生まれ始めたのはこの頃ではないでしょうか。

シャネルズ+1は一曲だけ(シャネルズが解散したため)でしたが1987年にはお姉さんのソロデビューをサポートする形で鈴木聖美 with Rats&Starが「ロンリーチャップリン」(1987年7月1日)などを世に出しましたし、その後も鈴木雅之が菊池桃子とのペアで出した「渋谷で5時」(1994年1月21日)とともに今でもカラオケの定番ソングとなっています(ジジババだけかもですが・苦笑)。

つまり、カラオケが若者の間で市民権を得た1980年代に男女デュオの在り方は大きく変質したのではないかと思うわけです。

石川優子・チャゲ「ふたりの愛ランド」(1984年4月21日)は企業イメージソングと言う意味で企画モノではありますが、その後両者がソロとして活動して行く端緒とも言える丁々発止のハモリが聴けました。私が個人的に最もインパクトを受けたのはBARBEE BOYS(1984デビュー)で、恥ずかしながら「目を閉じておいでよ」(1989年1月1日)がヒットするまでは名前も知らなかったのですが、そもそも女性が歌うロックバンド自体が珍しかった時代に男女ツインボーカルでどちらがメインとも言えないと言うのは「アウト・オブ・常識」な存在でした。悲しいかな私には絶対音感がありませんので音域的にどのような擦り合わせが行われていたのか、当時も今も知る由もありませんが、タブン、どちらかが凄いのだと思います(ぉぃ

これが'90年代に入ると、えーと、B.B.クィーンズはデュオとは言えないですが(ばき)、中山美穂 & WANDS「世界中の誰よりきっと」(1992年10月28日)、ZARD & WANDS「果てしない夢を」(1993年6月9日)と、どちらも織田哲郎先生絡みのコラボ曲がヒットしました。織田さん繋がりで出したためにレコード会社が違っていたりしてクレジットや版権がエラく面倒な事になっていますが、逆に言うと従来の制作の考え方では生まれなかったコラボであるとも言えます。

その頃には、これは企画モノと言う事になるのでしょうが、藤谷美和子・大内義昭「愛が生まれた日」(1994年2月21日)などもヒットして、当時は男女混合でカラオケに行くと必ず一回は歌われるほどの状態でした。

日本のポップミュージックにについては「'60年代に生まれ'70年代に様々な試行錯誤がなされ'80年代に完成し'90年代を最後に終わった」(=欧米のロックの10年遅れ)と言う人もいます。しかし『カラオケ白書』(全国カラオケ事業者協会)によれば遅くとも'94年からは「国民の代表的な娯楽の一つ」としてカラオケの統計が取られるようになっており、年間6千万人が歌ったと言う初期に比べれば確かに2000年には5千万人を割り込んだものの、大不況の中でも4500万人を下回った年はありません(まあ、今年はご承知の通り壊滅必至ですしその後がどうなるかは分かりませんけれど)。

現時点の話としては米津玄師「Lomen」が歌われまくり連続一位の記録を塗り替えました。それまでのトップがAKB48「ヘビーローテーション」ですから(楽曲の品質については議論があるでしょうが)新しい物でも人々に歌われる素地は健在なのであると思います。

最後に、そのような中でカラオケで人気のデュエット曲ランキングを掲載したHPのリンクを貼っておきます。ランキングだけではなく寸評と当該曲の動画も置いてありますので昨今の「それぞれ実力のあるアーチストがワンタイムでコラボする」形のデュエットソングがどのようなものであるか、関心を持たれた方は是非ご覧になってみて下さい。

 https://karaoke.studiorag.com/duet-songs?disp=more

個人的には「そんなに音楽の将来を心配する必要は無いんじゃないかな」と言う感想を持ちましたが、皆さんはいかがでしょうか。
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by もっふん (2020-05-07 05:22) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは! またまたお返事が遅れて申し訳ありません。

あら!「或る日突然」のジャケ写については、私の大外れでしたね(^^;)
調べて下さってありがとうございます。

私はいわゆるカラオケボックスを利用し始めたのはかなり遅くて、確か1994年頃だったかな。
当時はまだ、レーザーディスクが普通でした。
選曲してから音が出るまで随分時間が掛かっていた記憶があります。
確かにその頃って、遊びでボックスに行く人も多かったですが、飲み屋で1曲100円で歌う
なんて事の方が盛んだったような気がしますし、
そういう場所柄、デュエット曲がもてはやされたのも尤もですね。

「ロンリー・チャップリン」や「愛が生まれた日」の頃になると、何だか素人でも
歌唱力勝負のような様相を呈してきたのが、私にはどうも馴染めない世界でした。
プロと素人の境目が薄くなってきたとも言えるのでしょうが…。
私が最も嫌いなのは「歌ってみた」なる言葉で、その次元でYouTubeなどに
オリジナルと一緒に素人の歌唱が出てくるのはどうにも、駄目です。
なぜ「歌いました」ではなく「歌ってみた」なのか。
「歌ってみた」なる言葉に欠けているのは、真摯さです。
ヘタだけど素人だから勘弁して~的で、真剣に向き合っている感じを受けない。
そんな歌、見知らぬ人間に一瞬でも聴かせるなよ!と思ってしまうワケです(^^;)

話題が逸れましたm(_ _)m デュエットの変遷とは特に関係ないかも知れませんが、
音楽は今後も続いていく、それは違いないと思います。
ただ聴く形態の個人化はもう変わりようがないと思いますし、世代を超えて親しまれる
曲が登場する確率が絶望的に低いのも確かだと思うんですね。
反面、現代の中高校生が我々がリアルタイムで親しんだ歌謡曲などに興味を持ったり
しているのを見聞きすると、日本人はDNA的にそのような音楽が好きなのでは、
とも思えますし、それを何らかの方法で多くの世代に広げる、
またそれに合う新しい音楽を作って国民的にヒットさせる事も絶対不可能ではない、
とも考えます。

がんばりましょ(^^)/

by ぽぽんた (2020-05-11 23:48) 

青大将

もっふんさん、ぽぽんたさん、こんばんは。

もっふんさん、前回の此方のコメントに対し、折角、結構早い段階で情報下さってたのに今頃そのコメントに気付きました。申し訳ございません。そして教えて下さり有難うございます。m(__)m

教えて頂いたURLを辿り、早速閲覧して来ました。

現在も、ほぼ当時と変わり無く撮影場所が存在して居た事に驚きです!
道が若干当時からすると狭く感じられますが、角度の微妙な匙加減でしょうか。

しかし、当時はたまたま背後に男性の歩行者が歩いて来ていたと思われるところ、わざわざ同じ位置に撮影スタッフらしき人物を配置したとこに面白さを感じました。

と、同時にトワ・エ・モワの御二人の現在のお顔に歳月を感じますが、それでも背景に変化が無い分、凄く良い写真にも思えました。

ワタクシは若い頃から平山三紀(みき)のファンでも有り、メイツの事も白鳥英美子と同期で在籍してた事も知ってましたが、クレイジーキャッツの映画に、その二人がメイツとしてバックダンサーで映し出されて居たとは初めて知り得ました。ありがとうございます。

しかし、白鳥英美子は(平山みきもだけど)本格シンガーのイメージが強すぎて踊りのイメージがなかなか掴め無いので、その映画は是非観てみたいです。(貴重シーンを確認してみたい)

男女デュエットの考察も素晴らしく、興味深く拝見させて頂きました。(^^)/
by 青大将 (2020-05-25 00:28) 

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