サオリとミヨコ
今回は曲解説とはちょっと違いますが…。
昨年秋に発刊され、このブログでも紹介した「内沼映二が語るレコーディング・エンジニア史」。
その内容で、ひときわ私の興味を惹いたのが「色づく街」(南沙織)、「赤い風船」(浅田美代子)
の音源作りについての記述でした。
1973年の作品ですので、私は16トラックのマルチで録音されているものと思い込んでいましたが、
実は全然違っていて、オケは8トラックで録音、それを2チャンネルステレオにトラックダウン。
ボーカルは、そのオケを4トラックレコーダーに入れて残った2トラックに録音されたそうです。
最後にオケとボーカルをミックスしてマスター完成、と言う事ですね。
南沙織さんの作品はそれまでの楽曲もほとんどそのやり方で作られていたそうで、
1974年版「ヒット全曲集」で「純潔」から「色づく街」までボーカルが再録音されていたのは、
ファンサービスと言うよりも、必要に迫られての事だったのだ、と理解しました。
このレコードはSQ4チャンネル仕様ですから、何よりもオケを4チャンネルにしなければならない。
それにはオケを大元の8トラックマルチから4チャンネルステレオにミックスし直し、
それにボーカルをかぶせればよいのですが、
当時の機材は勿論すべてアナログで、複数のテープマシンを同期させる装置もありませんから、
新しくミックスしたオケに既存のボーカル音源をかぶせようとしても、
両方をタイミング的にピッタリと、最初から最後まで合わせるのは至難の業、
と言うよりも不可能(プロ用のマシンでも、始めは良くてもやがてずれていくでしょう)。
なので、新しくボーカルを録り直すしかなかったのでしょう。
(ぽぽんた所蔵)
当時のオーディオ業界は粘り強く4チャンネルステレオを普及させたがっていましたから、
そういった作業は恐らく直系のオーディオ機器メーカー、ソニーから依頼された事なのでしょう。
ボーカルが新録音、と言うのは副産物ながら大きなセールスポイントにもなりますし(^^)。
尚、その「ヒット全曲集」ではデビュー曲の「17才」から3曲目の「ともだち」までは
「音源の都合上、SQ4チャンネルではありません」と但し書きされていますが、
それらの曲のオケはマルチトラック録音ではなく、2チャンネルの同時録音だったのでしょう。
「赤い風船」の場合はもっと凄いことに…。
16トラック以上だと、予めオケ用以外に4~6トラックほど確保し、そこにボーカルを録音していき、
ミックスの段階で出来の良い部分を切り替え作業して仕上げる事ができるのですが、
先述のような録音方法だとそれはできないので、推測ですが、次のような手順になると思います:
① 2チャンネルにミックスしたカラオケを4トラックテープにダビング(10回分くらい?)。
② 4トラックテープの残り2トラックにボーカルを録音(①でダビングした回数分?)。
③ ボーカルを試聴して、譜面に「使える」テイク番号(①②の何回目かわかるように)を記入。
④ ③に従ってテープを編集。
⑤ 編集した4トラックテープを2チャンネルステレオにミックスしてマスター完成。
…と、文に書くのは簡単ですが、例えば ♪あの娘はどこの娘…♪ が3番目の録音、
続く ♪こんな夕暮れ…♪ が10番目の録音、などと言う単位になり得るので、
切り出したテープをそれぞれ別のリールに分けて巻いたり、順序を間違えないようにつないだり、
などと大変な作業であった事は想像に難くありません(^^;)
内沼氏も「編集箇所がとても多くて大変だった」と書いています。
もしかするとボーカルを入れて2チャンネルステレオにしておいたものを編集したのかも知れませんが、
ボーカルにはリバーブが必要ですし、編集箇所でそのリバーブが不自然に切れて聞こえたりする
可能性があるので、4トラックの段階(1/2インチのテープ)でそのような編集を行い、
出来上がった4トラックテープのオケとボーカルをミックスする段階で、
ボーカルにはリバーブをかけたのだろうと思います
(オケにもリバーブは使われていますが、音量や音質など同じ条件でダビングされたテープ間であれば、
編集箇所は目立たないものと思われます)。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
時代が進めば様々な技術が進歩するのは当然ですし、
楽曲のレコーディングについてもかつてと変わってくるのは至極当然ですから、
昔と現代を比べてどちらが良い、と判断するべき事ではないのですね。
私もDAWで音楽を作ったりするのですが、作業していて「え!?こんな、昔だとすごく高価な
機材がないとできなかった事がこんなに簡単にできるの!?」と時々、とても感動します。
特にリバーブやディレイ関係など、昔は出したくても出せなかった効果を使えると、
もう心から「幸せだ…」と思います。 あまりに嬉しくて涙まで出そうになるんです。
でもあれですね、今の若い人達にとっては、それも別に新しい事でも何でもないわけです。
何の苦労もなく多重録音はできる、質の高いリバーブは得られる、出来上がりの音質もそれなりにいい。
そうなると、例えば昔だと単純な一人二重唱でも「凄い!」と感動させられたものが、
今は同時に一人で何十人分歌っていようが、一人で全部の楽器を演奏していようが
別に珍しくはないので、そういった事で人を感動させる事ができなくなっている。
そういう意味では、機材の進歩とそれに伴う音楽の変化などをつぶさに、
リアルタイムで体験し感動してきた自分達は、実は最も運のいい世代だったのかも…
と思う、アラ還のぽぽんたなのでした。
昨年秋に発刊され、このブログでも紹介した「内沼映二が語るレコーディング・エンジニア史」。
その内容で、ひときわ私の興味を惹いたのが「色づく街」(南沙織)、「赤い風船」(浅田美代子)
の音源作りについての記述でした。
1973年の作品ですので、私は16トラックのマルチで録音されているものと思い込んでいましたが、
実は全然違っていて、オケは8トラックで録音、それを2チャンネルステレオにトラックダウン。
ボーカルは、そのオケを4トラックレコーダーに入れて残った2トラックに録音されたそうです。
最後にオケとボーカルをミックスしてマスター完成、と言う事ですね。
南沙織さんの作品はそれまでの楽曲もほとんどそのやり方で作られていたそうで、
1974年版「ヒット全曲集」で「純潔」から「色づく街」までボーカルが再録音されていたのは、
ファンサービスと言うよりも、必要に迫られての事だったのだ、と理解しました。
このレコードはSQ4チャンネル仕様ですから、何よりもオケを4チャンネルにしなければならない。
それにはオケを大元の8トラックマルチから4チャンネルステレオにミックスし直し、
それにボーカルをかぶせればよいのですが、
当時の機材は勿論すべてアナログで、複数のテープマシンを同期させる装置もありませんから、
新しくミックスしたオケに既存のボーカル音源をかぶせようとしても、
両方をタイミング的にピッタリと、最初から最後まで合わせるのは至難の業、
と言うよりも不可能(プロ用のマシンでも、始めは良くてもやがてずれていくでしょう)。
なので、新しくボーカルを録り直すしかなかったのでしょう。
(ぽぽんた所蔵)
当時のオーディオ業界は粘り強く4チャンネルステレオを普及させたがっていましたから、
そういった作業は恐らく直系のオーディオ機器メーカー、ソニーから依頼された事なのでしょう。
ボーカルが新録音、と言うのは副産物ながら大きなセールスポイントにもなりますし(^^)。
尚、その「ヒット全曲集」ではデビュー曲の「17才」から3曲目の「ともだち」までは
「音源の都合上、SQ4チャンネルではありません」と但し書きされていますが、
それらの曲のオケはマルチトラック録音ではなく、2チャンネルの同時録音だったのでしょう。
「赤い風船」の場合はもっと凄いことに…。
16トラック以上だと、予めオケ用以外に4~6トラックほど確保し、そこにボーカルを録音していき、
ミックスの段階で出来の良い部分を切り替え作業して仕上げる事ができるのですが、
先述のような録音方法だとそれはできないので、推測ですが、次のような手順になると思います:
① 2チャンネルにミックスしたカラオケを4トラックテープにダビング(10回分くらい?)。
② 4トラックテープの残り2トラックにボーカルを録音(①でダビングした回数分?)。
③ ボーカルを試聴して、譜面に「使える」テイク番号(①②の何回目かわかるように)を記入。
④ ③に従ってテープを編集。
⑤ 編集した4トラックテープを2チャンネルステレオにミックスしてマスター完成。
…と、文に書くのは簡単ですが、例えば ♪あの娘はどこの娘…♪ が3番目の録音、
続く ♪こんな夕暮れ…♪ が10番目の録音、などと言う単位になり得るので、
切り出したテープをそれぞれ別のリールに分けて巻いたり、順序を間違えないようにつないだり、
などと大変な作業であった事は想像に難くありません(^^;)
内沼氏も「編集箇所がとても多くて大変だった」と書いています。
もしかするとボーカルを入れて2チャンネルステレオにしておいたものを編集したのかも知れませんが、
ボーカルにはリバーブが必要ですし、編集箇所でそのリバーブが不自然に切れて聞こえたりする
可能性があるので、4トラックの段階(1/2インチのテープ)でそのような編集を行い、
出来上がった4トラックテープのオケとボーカルをミックスする段階で、
ボーカルにはリバーブをかけたのだろうと思います
(オケにもリバーブは使われていますが、音量や音質など同じ条件でダビングされたテープ間であれば、
編集箇所は目立たないものと思われます)。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
時代が進めば様々な技術が進歩するのは当然ですし、
楽曲のレコーディングについてもかつてと変わってくるのは至極当然ですから、
昔と現代を比べてどちらが良い、と判断するべき事ではないのですね。
私もDAWで音楽を作ったりするのですが、作業していて「え!?こんな、昔だとすごく高価な
機材がないとできなかった事がこんなに簡単にできるの!?」と時々、とても感動します。
特にリバーブやディレイ関係など、昔は出したくても出せなかった効果を使えると、
もう心から「幸せだ…」と思います。 あまりに嬉しくて涙まで出そうになるんです。
でもあれですね、今の若い人達にとっては、それも別に新しい事でも何でもないわけです。
何の苦労もなく多重録音はできる、質の高いリバーブは得られる、出来上がりの音質もそれなりにいい。
そうなると、例えば昔だと単純な一人二重唱でも「凄い!」と感動させられたものが、
今は同時に一人で何十人分歌っていようが、一人で全部の楽器を演奏していようが
別に珍しくはないので、そういった事で人を感動させる事ができなくなっている。
そういう意味では、機材の進歩とそれに伴う音楽の変化などをつぶさに、
リアルタイムで体験し感動してきた自分達は、実は最も運のいい世代だったのかも…
と思う、アラ還のぽぽんたなのでした。
こんばんは!
「赤い風船」、今聴いてもとても素晴らしいカラオケ(歌入りも?)だと思います。今は機材だけ進歩してしまって、それに楽曲が付いていってない気がします。ここ最近の作品でも心に響くものは何曲かありますが・・・。
また、最近マルチトラックでデジタル録音した音源を、わざわざレコードにして発売するのも、不思議な感じがしますし・・・。
録音機材の進歩もですが、レコード(蓄音機も)、オープンテープ、カセットテープ、エルカセット(こちらは購入していません)、CD、MD、ダウンロード・・・、さすがに筒型のレコードは使ったことがありませんが、音楽媒体の変化も実際に経験することができて運のいい世代でした。
「テレビのチャンネルを回す」の意味が分からないように、「レコード針」って?の時代ですから。
話は変わりますが、YouTubeで、一部の地方で放送された「風の譜(かぜのうた)」福岡が生んだ伝説の編曲家・大村雅朗を拝見しました。昨年放送されたそうですが、この番組のために八神純子さんと当時実際レコーディングに携わったスタジオミュージシャン達が彼の譜面どおりにそれぞれ演奏して、その生演奏に合わせて「水色の雨」を披露されていました。1曲のためにたくさんの方々が力を合わせて楽曲を作る現場を拝見して、とても感激しました。(実際の音源はマルチトラックで別々にレコーディングされたと思いますが。)
by 卓 (2020-02-03 17:40)
卓さん、こんばんは!
そうですね、昔は「こういう音楽を作りたい! だから録音機材はこういうのが欲しい!」
と言う事が先にあって、それを満足させる形で様々な機器が登場していたものですが、
今や録音のための環境の方が先に行ってしまった感じなんですね。
しかし恐らくこれも過渡期で、近い将来また良い音楽があふれる世界に…なってほしいですね。
若い人にレコードやテープが人気があるようですが、それも恐らくごく一部で、
長続きはしないでしょう。 仰るように、現代の機器で作った音楽をビニールのレコード
にしたところで、結局何のメリットも無いですし。
なので、今後はこれまで以上に音楽そのものの良さが問われていく時代になると思います。
私も早速、Youtubeで観ました! 知らせて下さってありがとうございます!
こんな番組があったとは全く知りませんでした。 どこの地方でやったのかな? やはり九州
でしょうか。 とても味わい深い番組なので、また改めて観たいと思います。
「みずいろの雨」に集まったミュージシャン、まさに当時のメンバーそのものですね。
ぜひこちらの地方(いや、全国的でいいので)でもこのような番組、作って欲しいものです。
by ぽぽんた (2020-02-05 23:31)
ぽぽんたさん、こんばんは。
当方はさすがに8chマルチレコーダーでの録音はありませんが、実機(スカーリー社の1インチ8chマルチ。型番は?)は見たことがあります。(新橋のテイチク会館のスタジオにあった機体)
当方の実体験の録音は、アナログ24chマルチが当たり前の時代からなので8ch時代の工程は知らないのですが、内沼さんの本の内容のようにやっていたのでしょう。
4chのAMPEXのテレコは当方の仕事していた会社にもありましたが、2ch仕様に変更して使っていました。(ヘッドアンプが4chありましたが2ch使っていない状態)
4chのテープは1/2インチ幅なので、編集には適していない?(幅が広くて編集でch間のタイミングが違いすぎて差し替えが困難)と思うのですが・・・。
16chマルチ時代からは、ぽぽんたさんもよくご存じの通り1本のテープ中にオケと歌を録音してトラックダウン(ミックスダウン)したものが2chテレコに録音したという流れですね。
以降の流れを皆さまに理解してもらうように説明すると、
16ch時代はコンピューター連動のミックス(フェーダーの再現をコンピューターに記憶させる)をすべてしていた訳ではないので、タイムコード(SMPTEという規格の時間信号)を入れてないものがほとんどだと思います。(2台のマルチレコーダーをシンクロ(同期運転)しているものを除く)
そんな時代から同じ2インチテープを24chにしたものの時代が来て、それがアナログマルチの最終形となったのです。(16chの機体にヘッドアンプの増設とヘッドアッセンブリの交換で対応できる機種もあった。当方はそれを使っていました。)
このあたりからコンピューターを使ったミックスする調整卓が出てきて、タイムコードを24ch目に入れていた。(業界の全世界共通)
ですから、音の録音できるchは1~23chまでですが、マルチの機種によっては、隣のchとのセパレーションが良くないので、タイムコードchの隣(23ch)はクリックにしていました。実質、音の録音できるchは22chまでなので工夫して収まるようにしています。
さらに、その後デジタルマルチ(1/2インチ幅のテープ)で24chのソニー/スチューダー派と三菱/オタリ派の32chが出てきて、録音業界で採用するスタジオが分かれて行きました。
デジタルマルチはタイムコードを音とは別のトラックに記録していたので、24chタイプなら24ch全部音に使えました。
この頃はアナログマルチとデジタルマルチを併設しているスタジオだらけで、どこでもこの2台を同期運転(シンクロ)できるようになっていたので、大幅にchが拡大しました。
続けてソニーは同じ1/2インチテープで48ch録音するモデルを発表し、これがテープを使ったデジタルマルチの業界標準となり、ビット数をアップしたPCM-3348SRという機種がテープを使ったマルチレコーダーの本当の最終形になりました。
以降はコンピューター上で録音するソフト&ハード「ProTools」が現在まで使われていますが、仕事で使う個人の方などではそれ以外のDAWも多くなってきています。
長くなりましたが、歴史があったということを思わず書いてしまいました。
by nuko222 (2020-02-09 01:03)
nuko222さん、こんにちは!
アナログ24トラックが当たり前の時代と言う事はやはり、1980年前後でしょうか。
ピンク・レディーは1978年夏の「モンスター」から24トラックになったそうで、
それを頭に聴くと、1977年暮れの「UFO」などに較べると、何となく音が薄くなったかな?
と言う気もします(多分気のせいです)。
本文に書いた「1/2インチのテープを編集した…云々」のくだりは実は書いていて迷った部分で、
自分でもやや懐疑的だったのですが、以前テープマシンに取り付けられた、1/2インチ用の
スプライシングブロックを写真で見た事があったり、2インチの16トラックテープを切り貼り編集
して作った曲の記事を見た事があったりしたので(今でもさすがにそれは「ホントかよ!?」と
思いますが)、確信はないものの、推測として書かせて頂きました。
テープマシンの変遷について説明して下さってありがとうございます。
やはり現場におられた方からの説明は、編集者が勝手に編集した記事のような矛盾がなく、
読ませて頂いてとても納得できます。
アナログだとテープのトラック間のクロストークは無視できないので、その対処はきっと
大きな問題だった事は想像できます(アマチュアレベルのエピソードで恐縮ですが、
4トラック2チャンネルのテレコを使っていて一番気になったのは、再生時に反対方向に記録した
音がモゴモゴと洩れて来る事でした。 オープンリールの4トラック2チャンネルは、
往と復のトラックが互い違いに配列されているからです)。
コンピュミックスについて私が知っている最も古いエピソードは、1975年の夏に発売されて
ヒットしたカーペンターズの「ソリテアー」です。 アルバム「HORIZON」の制作過程で、
カーペンターズはこの曲で初めて、まだあまり知られていなかったコンピューターミックスを
採り入れてみたものの、実際に使ってみると細かい変更がしにくかったり、
思い通りにプログラミングしても仕上がりを聴くとどこか不自然だったりしたそうで、
結局通常の人力ミックスで最終ミックスを行ったそうです。
しかしカーペンターズを含め、アメリカでは1970年には16トラックが普通に使われていて、
1974年には24トラックも普及していたそうなので、その点では日本はかなり遅れていた
と言えるようです。
個人的な事ですが、近いうちに手持ちのオープンリールデッキなどの修理と調整を
始める計画です。 まだ設備が全然整ってないので、まずは仕事で使い慣れたテクトロの
デジオシをヤフオクで調達しよう、などと考えてます(^^)
by ぽぽんた (2020-02-09 14:59)
ぽぽんたさんこんばんは(=´ω`=)
ビートルズですら1969年のラストアルバムのレコーディングの時で8トラックでトラックダウンを繰り返してたくらいなので1973年の日本ではまだまだ8トラックレコーディングが現役だったかもですねん。
洋楽でもイーグルスとかレッド・ゼッペリンとかテープの切り貼りしてたようなので割とエンジニア的には切り貼りはよくある作業なのかもしれないです。
by がんた (2020-02-11 02:02)
がんたさん、こんばんは!
機材についてはレーベルによる違いもあるようで、私が持っている資料によると
1971年の段階でビクターには16トラックがあったそうです。
ただ当初はどうもそれを使用する事が歌謡曲は後回しにされていたようで、
恐らく「歌謡曲なんかにこんな豪華な設備はもったいない」とでも思われていたのしょう。
テープ編集は1970年代ではごく普通だったようですね。
ただマルチのテープは幅が広く、またテープは必ず斜めに切らなければならないので、
もし16トラック用の幅が1インチもあるテープだと斜めに切ればその幅の間で
時間差が出来る事になり、実際には難しかったのでは、と思います。
by ぽぽんた (2020-02-11 23:44)
またまた「今さら」なもっふんです。
録音機材の事はてんで分からないのであくまで素人考えですが、当時の音楽スタジオでは15ips(38cm/s)や30ips(76cm/s)のテープ走行速度で録音されていたと認識しています。15ipsで録音された1インチのテープを仮に斜め45°にカットするのだとすると両端のトラックには 1/15=66.7m秒の「切替タイミング差」が発生する事になります。あくまで切替のタイミングですから編集個所の前後でオケが完璧に同じであれば全く問題になりません。
問題は切り貼る部分で他のトラックの演奏内容が異なっていた場合ですが、楽曲のテンポを当時としては気持ち早めの ♪=120bpm であると仮定すると四分音符一個は500m秒となりますから、66.7÷500=7.5 と言う計算からおよそタイムラグの大きさは32分音符くらい(30ipsのテープであれば64分音符)であると思われます。
しかも、その「内容が違うトラック」の部分も斜めにカットされている訳ですから前半の情報量が減るに従って後半が立ち上がって来るようなクロスフェードを掛けたのと同じ状態になるはずです。
これはドラムさんが絶賛ロール中ででもない限りは聴感上の違和感を感じる事が難しいレベルではないかと想像します。
実はぽぽんたさんが思われているよりもマルチの切り貼りと言うのは日常茶飯事だったのではないかな、と思った次第です。
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by もっふん (2020-02-21 20:13)