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カメレオン・アーミー / ピンク・レディー

う~ん…「サウスポー」のジャケットに似てるなぁ…で、下の男はだれ??:

カメレオン・アーミー.jpg

シングル2曲目の「S.O.S」から続いてきたオリコン1位獲得も、
その9曲目となるこの曲が最後になりました。
1位獲得週数が6週(1978年12月18日~翌年1月22日付)、売上枚数が70.8万枚と、
普通では完全に大ヒットと言える数字なのですが、それまでのピンク・レディーの勢いからすると、
やはり人気の下降を示す数字でもあったのですね。

次の「ジパング」(1979年3月発売)は4位と、デビュー曲「ペッパー警部」と同じ最高位の成績で
終わったのですが、その時のオリコンでは、「ジパング」の上に
  3位:HERO(HEROになる時、それは今)…甲斐バンド
  2位:夢追い酒 …渥美二郎
  1位:YOUNG MAN(Y.M.C.A.)…西城秀樹
…と、当時凄まじい勢いでヒット中、そして現代ではスタンダードとなった曲が並んでいたわけで、
それらがなければ「ジパング」も1位を獲得し、記録の更新を続けた事でしょう。
ただ、その売上枚数は28.9万枚と「カメレオン…」のさらに半分以下まで落ち込んでしまったので、
年明けと共にピンク・レディーブームが終わってしまっていたのも間違いありませんでした。

やはり7作目の「サウスポー」あたりから顕著になってきた子供受け狙いは絶対に長続きしない、
しかも落ちる時のスピードは驚くほど早い事を世に示してしまった形と言えるでしょう。


さて、カメレオン・アーミー。

4作目シングル「渚のシンドバッド」のB面に「パパイヤ軍団」なる曲が収められていますが、
お色気で迫りまくるその曲とは違い(それにしてもそれ、凄い曲名ですね(^^;))、
私が欲しいならカメレオン軍団と戦ってもらうわよ、と「UFO」以上にSF的な内容で、
それほどの現実離れした表現も陳腐に感じられず、大らかに受け止められていたのが、
今思うと昭和という時代だったのでしょうか。

と言うより、ピンク・レディーの場合は何よりも振り付け、そしてサウンドが斬新であったために、
どんな歌詞でも総合的に一つの世界が成り立ってしまっていた、と言う事かな。

記述が遅れましたが、この曲もピンク・レディーのそれまでのシングル同様、
作詞:阿久悠、作・編曲:都倉俊一 のコンビで作られています。

メロディーとアレンジに関しては、都倉氏もチラッと語っていますが、
本当に楽しんで作る事ができていたのは5作目の「ウォンテッド(指名手配)」までで、
それ以降は企画に沿ってアイデアを絞り出しながら作っていたようです。

それも「透明人間」あたりでは行き詰まりが感じられ、当時高校2年だった私も
「あれ?今度の曲は何だか面白みがない」と思ったものです。


ここからは楽曲分析しますよ(^^)

都倉氏の作・編曲で一つの特徴は、自身が過去に作った曲でのアイデアを再利用、が多い事です。

ピンク・レディーのシングルA面曲にもそれが発揮(?)されていて、
例えば「渚のシンドバッド」のイントロ ♪アアア・ア…♪ の部分のコード進行は
「個人授業」(フィンガー5)のAメロと同じですし、それも遡ると
「もっといいことないの」(山本リンダ「狂わせたいの」B面)に行き着きます。

「UFO」は以前にも書いた通り、「白い羽根の勇士」(ザ・キャラクターズ)の焼き直し。
キー、リズム、アレンジがほぼ同じと言っていいほどです。

「カメレオン・アーミー」ではイントロで「ひと夏の経験」(山口百恵)のAメロを引用。

細かく聴くともっとあるのでしょうが、判りやすいのはその3曲でしょう。

さらに「カメレオン・アーミー」のアレンジは、「ウォンテッド」と「モンスター」が
合体したようなオケの構成とサウンドです。
具体的には「ウォンテッド」で使われていた左右から迫るギターサウンド、
「モンスター」でのストリングスの動きとベースのリフの使い方、怪物のような声。

例えば筒美京平氏も、自身が以前に作った曲のエッセンスを再利用する事はありましたが、
それは殆どの場合アルバム曲やB面曲について、であるのに対し、
都倉俊一氏の場合は堂々とシングルA面でやっている事が多い。
一部では「波乗りパイレーツ」は「渚のシンドバッド」に似ている、とも言われていますね。
私はそれは思いませんが。

私は個人的に都倉氏の作風、アレンジ、サウンドは大好きですし大ファンなのですが、
その実績に対しての評価が筒美氏ほど高くないのは、そういった事にも原因があるのでは…
だとすると、ファンとして残念です。

「カメレオン・アーミー」はリズムのタイプとしてはシンプルな8ビートロックが基本と思うのですが、
テーマを強調するようなアクセントをふんだんに入れ、インパクトの強いものにしています。

キーはAm(イ短調)。 ピンク・レディーのシングルはAmのキーが多く、
「カルメン'77」「UFO」「モンスター」「透明人間」(導入部だけですが)に続きます。
「UFO」のB面「レディーX」もそうですね。
そして、凝りに凝った「カルメン'77」「UFO」とは違い、シンプルな、しかし力強いコード進行です。
Aメロ ♪この私 射止めるのなら 油断は駄目よ♪ では Am→C→D→Am と進行しますが、
ここで Dm ではなくDを使うところに都倉氏らしさを感じたりします。

イントロではメロディーを演奏するシンセサイザーが耳に残りますね。
これはのこぎり波をLPF(*1)とレゾナンスで加工してややクセのある音を作り、
それを10数HzのLFO(*2)でトリガー信号をその周期で動作させ、トレモロのような効果を出しています。
アナログシンセを使った事があれば、似たような音はわりと簡単に作れます。

シンセサイザーは「UFO」の効果音と同じくミニモーグが使われていると思われます。
「カメレオン・アーミー」では、シンセサイザーはイントロだけではなく、
サビの ♪そろそろ来る カメレオン…♪♪そこまで来た カメレオン…♪ にも、
ボーカルにかぶさるように低い音程で歌メロが演奏され、おどろおどろしい雰囲気を作っています。

ストリングスは、左から右へ楽器が大きくなる通常のオーケストラ配置とはちょっと違って、
第1バイオリンと第2バイオリンを左右に分けてより広がりを出す配置(対面式)になっています。
欧米のポップスやロックでは、ストリングスが全部中央にあったり左右に寄ったりしている事は
珍しくないのですが、邦楽では律儀に従来からの配置をそのまま再現していることが多いんです。

また、この曲では低音域を強調するためにコントラバスも使われているそうなのですが
(通常は第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ、チェロの4パート)、
このテンポでコントラバスを演奏するのはきっと、凄く大変だと思います。
私にはよく聴き取り確認ができませんが…。

この曲のレコーディングでは基本的にドンカマ(*3)が使われているようですが、
ドラムスやストリングスの録音では都倉氏自身が指揮をしていたそうです。
譜面通りの演奏ではない、動的な要素を付加したいとの思いだったのでしょう。

それにしても都倉氏のアレンジでは、ストリングスの駆け上がりが多いですね(^^;)
この曲のストリングスで面白いのは歌に入る直前のフレーズです。
ミレドシ ドシラソ ラソミレ ミレドシ と来て、歌のアタマでサッと消える。
通常はミレドシラ~と演奏させ、ラ~を歌のアタマにかぶせるようにするパターンが多いんです。
細かい話ですみませんm(__)m

エレキギターは先述したように左右で同じような音色、演奏をしているものとは別に、
中央で小さな音でコード演奏をしている1本も確認できます。
このオケではキーボード関係が確認できないので「あれ?エレピかな?」とも思ったのですが、
やはりややディストーションのかかったギターのようです。
あまりに小さな音なので、オリジナルカラオケでないと聴き取れないかも、です。

都倉氏のアレンジはトリッキーかつ複雑で演奏者泣かせと言われますが(^^;)、
Bメロ~サビで右から聞こえてくるトライアングルの演奏も、このテンポでこの正確さは凄い。

ホーンセクションは、この曲では前面に出る事がなくサポートに徹しているようです。
エンディングでソ~…ソ#~…とトロンボーンらしき音(フレンチホルンかな?)が右から聞こえますが、
それまでは殆ど目立ったフレーズが聴かれません。


「カメレオン・アーミー」では、ミー・ケイの歌唱も迫力を増していますね(^^)
凄く残念なのが、Aメロで ♪あなたの後ろにいる もうあなたを狙っている…♪ の部分が、
レコードではしっかり3度でハモっているのに、
テレビ出演などではそのフレーズがいつもユニゾンだった事です。
下のパートはケイの担当ですが、フリが激しいために低い音程を安定して出せなかったからでは、
と思うんです。
そこがうまくキマっていたらもっとカッコ良かったのにな、と無責任にも思ってしまうわけで…。


「カメレオン・アーミー」も、「ザ・ベストテン」を含め、テレビ出演などで
フルコーラス歌われる事は殆ど無かった気がします。
大抵2コーラス目の、2回目のAメロが省略されていましたっけ。
その分、レコードを買ってその部分が聴けるのが楽しかったりするのも確かですが(^^;)

TBS「ザ・ベストテン」では、この曲を歌う時のピンク・レディーの、
衣装の色がタマムシのように変わるのが楽しかったですね。
前作「透明人間」でも ♪消えますよ…♪ で本当に消えてしまったり、
毎週楽しませてもらいました。


私にとってこの曲は、中3の終わりから高校時代にかけて人気上昇から下降までずっと、
テレビを通して見ていたピンク・レディーが最後に輝きを放った曲であると言った印象が強く、
今も聴いているとちょっと切なくなったりします。


「カメレオン・アーミー」
作詞 : 阿久悠
作曲 : 都倉俊一
編曲 : 都倉俊一
レーベル : ビクター
レコード番号 : SV-6530
初発売 : 1978年(昭和53年)12月5日

 (*1)LPF…Low Pass Filter 任意の周波数よりも低い周波数の信号を通すフィルター。
 (*2)LFO…Low Frequency Oscillator 約20Hzよりも低い周波数の発振器。
 (*3)ドンカマ…曲全体のテンポを保つために用いられたリズムマシン(現コルグ社製)。

*今回は都合により、予定を変更しましたm(__)m

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Marco Polo

明けましておめでとうございます
ちょっぴり遅いですが。

新春最初は「カメレオン・アーミー」ですね!ピンク・レディの一位獲得曲の中で一番好きです。この曲は本当に格好いい曲です。イントロが「ひと夏の経験」の一部というのもある面面白いです。

詩も「ウォンテッド」から「透明人間」までほどコンセプトを感じさせず、振り付けもダンスという雰囲気で、見ていても聴いていても気持ちがいいです。B面「ドラゴン」も複雑な曲ですね。

「カメレオン・アーミー」以降のシングルはすべて大好きです。代表曲となる曲ではなくなりますが、これ以降は佳曲だらけだと思います。「世界英雄史」なんてAUのCMに使って欲しいです。絶対受けると思います。

ピンク・レディに限らず、爆発的にヒットすればするほど、人気に翳りが出ると一気に萎んで、一曲毎に坂道を転げ落ちるようにヒットしなくなるのはなぜでしょうか。天地真理さんも同様です。でも本当は大ヒット曲以降にもいい曲がいっぱいあるので残念です。
by Marco Polo (2020-01-13 00:36) 

ゆうのすけ

1979年のミューミュージック勢の台頭はチャート的にも
大きな流行歌の変わり目を感じさせるとともに 華々しい
70年代の歌謡界の構図も変化が。演歌勢や洋楽(特にDISCO系)の
安定した強みの中 ポップス(アイドル系)の落ち込みは大きかったですね。
私はピンク・レディー(もちろんソロも!)は今でも追いかけていますが 「ミラクル伝説 ジパング」の落ち込みはショックでした。
「カメレオン~」あたりで どうも飽和感は感じましたがそれでも まだあんなの好きなの?!と揶揄されて悔しくて!^^;
今は あの葛藤時期(もう止められない転がるだけ転がり終焉を迎えようとしていた)の作品こそ 今見直されてもいいんじゃないかって思うんですよね。アメリカ進出も結局 紅白ボイコットとかマスコミのやっかみや叩き方が大きな痛手になって 作品の良し悪しなんか二の次みたいでしたものね。
「カメレオン~」は第一期の集大成のような気がします。あの頃までに振り真似で 裏とりのリズムを身体で覚えた世代(ピンク・レディー・チルドレン)が大勢いたからこそ J-POPも発展したしバブル期以降のクラブ系ヒットや90年代ポップスの成功(アーティストも聴き手も)にもつながったと思うんですね。「カメレオン~」にしても決して子供をターゲットにした内容ではないにかかわらず 作品レヴェルは上がるばかり。あの時子供たちが受け入れなかったらもっと下降ラインは早く訪れ 急激だったかも!そしてボディコン・ジュリセンお姉さまたちもいたかどうか?!(脱線しちゃった!^^;)ついでに あのジャケットのパラシュート降下している男の方!記憶が間違いなければ スタッフの方だったと…。^^
後期作品は私も甲乙つけがたいくらいどれも好き!♡
「KISS IN THE DARK」「マンデー・モナリザ・クラブ」「愛・GIRIGIRI」「うたかた」は今でもかなりヘビロテしてます。
高額ボックスじゃなくて 後期のオリカラも第二弾で出して・・・くれないだろうな。^^;
by ゆうのすけ (2020-01-13 05:27) 

卓

こんにちは!

私の記憶では、発表当時からテレビでフルコーラスを披露することは無かったと思います。彼女達の番組「走れ!ピンク・レディー」でもオリジナルカラオケで生歌でしたが、ワン・ハーフでエンディングも短く編集されていました。(こちらの以前のブログで、テレビ用の歌の尺はレコード会社決めていた?)初めてフルコーラスで聴いたのは、2005年のU.F.O.ツアーでした。(とても感激しました!それと、U.F.O.ツアーでは、ちゃんとハモっているようです。)

オリコンで「カメレオン・アーミー」は初週88位のスタートで、発売2週目で1位になったと記憶しています。当時放送していた「不二家歌謡ベストテン」で、1位・2位・3位を当てるクイズも、郵便の遅配などもあり、正解回答者が「ゼロ」の週がありました。翌週に遅配された正解回答者の葉書が届き、ロイ・ジェームスさんが番組で回答者をきちんと報告されていました。

この曲とジパングからのそこそこの売上の実績で、翌年度の「歌謡大賞」や「レコード大賞」にノミネートされなかったのは、アメリカ進出で日本のテレビ局・芸能界を敵に回したからなのでしょうか?

私が一番気に入っているは「ウォンテッド」、二番目がこの「カメレオン・アーミー」です。

追記:ゆうのすけ様
「KISS IN THE DARK」のオリジナルカラオケは、高額ボックスにも収録されていなくて、アルバム「WE ARE SEXY」に収録されている「KISS IN THE DARK」のカラオケが収録されています。マスターテープの管理って、こんなもの?って感じです。

by (2020-01-13 15:55) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんばんは。

昨年はランちゃんでしたが、一昨年とその前年の「日本レコード大賞」はピンク・レディーが生演奏をバックに元気に歌い踊って盛り上がり、若い人たちからの感嘆を集め、ハードスケジュールと生番組生演奏で鍛えられた70年代アイドルの底力をめいっぱい見せてくれました。
今は「妖怪ウォッチ」の映画の主題歌を歌っていますね。我が家の息子たちは興味がないので見に行きませんが、CMを初めて見たときはびっくりしました。
2003年からのコンサートを最後のつもりで全力で楽しませてもらったので「解散やめ宣言」のときは複雑だったけど、やっぱりまた二人で歌ってくれるのは嬉しいことです。

「カメレオン・アーミー」はスピード感があってすごく大好きな歌です。振り付けがきつくて難しいとされますが、ただステップを踏むだけでなく腰をよく動かすので、だから歌っていて大変なんだろうなと思います。
歌いだしの前とか、最初の「カメーレオーン、アーミー」の後などに聞こえる効果音「ピュッ ピュッ」が大好きです。

歌詞の「この私の親衛隊」はカメレオンたちのことですが、二人から「親衛隊」と歌われると、敵に向かう軍隊ではなく、ミィイーちゃああ〜ん、ケェーイちゃああ~ん…と大声で呼ぶ男性ファンを想像してしまいます。そこも好きなところです。

本当に、人気が急落していくのを目の当たりにしたファンの皆さんにはつらい時期だったかと思います。でもスタッフの皆様には大変な時期で、都倉先生は「ただ流れについていくだけ」の時期だったと仰っていました。やがてもうどうしようもできず、スタッフの皆様は二人が落ち着いた大人のシンガーになることを望むようになったのかなと思います。名曲「マンデー・モナリザ・クラブ」誕生がありました。

私には、ピンク・レディーの再結成はとても嬉しいことでした。リアルタイムが見られなくても、大好きで本当に良かったです。
人気の虚しさ、海外進出の難しさ、ソロ活動の厳しさ、いろいろ乗り越えまた二人で歌ってくれて、コンサートに行けて本当に良かったです。書かせていただきながら改めて思っています。

最後に。
昭和54年2月号明星「ヤンソン」には、ピンク・レディーの新曲として「ジパング」ではなく「ラブ・カウントダウン」が紹介されていました。
by もとまろ (2020-01-13 21:11) 

ぽぽんた

Marco Poloさん、こんばんは! そしてあけましておめでとうございます。

この曲は一般的にはピンク・レディーの首位獲得曲の中でも知名度が今ひとつ
だと思うのですが、よく聴くと実に手の込んだ作りで聴き応えがあるんですね。

人気が一段落してからは、恐らく制作陣も「何が何でも1位!」と言ったプレッシャーが
なくなって、色々な曲調に挑戦しやすくなった、のかも知れませんね。
私はピンク・レディー自身が嫌っているらしい「ラスト・プリテンダー」を
発売当時に買って聴いていたのですが、すごく斬新に感じたものです。

そうですね、人気凋落については私も時々考えるのですが、大衆って、
それまで大人気だった歌手などに一旦関心がなくなってしまうと、
今度は逆にそれまでの反動でその人を「嫌いになる」傾向がある気がするんですね。
天地真理さんのその時にも学校でそんな感じを受けていましたし、
恐らくピンク・レディーも…。 群集心理の一つかも知れませんが、
それって根深くもないから、また何年かすると「懐かしいね…」とまた聴き出したり…
人間って存外、勝手なものなのかも知れませんね(^^;)

by ぽぽんた (2020-01-13 23:46) 

ゆうのすけ

(ぽぽんたさ~ん コメント欄お借りしちゃってすみません。^^;)
卓さ~ん ありがとうございます。
そうなんですよね。「KISS IN THE DARK」のオリカラ!
『WE ARE SEXY』の日本語ヴァージョンのエンディング編集盤でしたね!『オリジナル・カラオケ・コレクション』を持っているんですが オリジナル(英語)のはどこにも収録されていないんですよね。
オリジナルマスター・・・この世に存在しないのでしょうかね?(果たして何チャンネル録りだったのか?そんなとこまで気になっちゃいます。)(ちょっと思いだした・・・新井薫子しかり。^^;)
by ゆうのすけ (2020-01-14 02:30) 

ぽぽんた

ゆうのすけさん、こんばんは! いえいえ、コメント欄はご自由にお使い下さい(^^)

もう、ピンク・レディー愛に溢れたコメントをありがとうございます(^^)
あのブームの頃、毎日テレビを点ければその顔をCMや歌番組で何度も見ましたし、
グッズはこれでもかと種類がありましたし、それほど毎日露出していれば
必ず飽きられて人気が落ちることはブーム真っ只中であってもわかっていましたが、
私の場合はつい「去年の今頃は…」などと考える癖があって、1979年はいつも
「去年の今頃はまだまだ人気を保っていたなぁ」とか、いつも思っていた気がします。
個人的には、「ジパング」の次のシングルがカバー曲、しかも「YOUNG MAN」の
余勢を利用しているとしか思えない選曲だったのが結構ショックで、
しかもその「ピンク・タイフーン」の中で I want you, you want Mie,
I want you, you want Kei …などと何だか「私達を見捨てないで」と言わんばかり
(と高3の私は感じていました)だったのが何とも悲しかったんですね。
なので、それ以後のシングルについては、当時はその良さがあまりわからず、
またテレビ出演も極端に減っていたので、たまにテレビで二人を見ると
寂しい気持ちが先に立っていました。

でも今はむしろ「Kiss In The Dark」「マンデー・モナリザ・クラブ」以後の曲の方を
好んで聴いてしまう自分が不思議です(^^;)

今思うと、ピンク・レディーって一つの文化でしたね。 良い時代を過ごしていた、
とつくづく思います。

by ぽぽんた (2020-01-14 23:32) 

ぽぽんた

卓さん、こんばんは! お返事が遅くなり、申し訳ありません。

やはりそうですよね。 当時、テレビでこの曲を歌っている場面はよく目にしましたが、
フルコーラス聴けた事は、私の記憶でも一度もありません。
しかし今思うと、あの振り付けでフルコーラス歌うともう、いくら若い頃であっても
ヘトヘトになってしまいそうですね(^^;)
そして2004年から2005年にかけてのツアーは、本当に良かったですね。
何度もこのブログに書きましたが、これまで観てきたライブの中で、2005年の千秋楽ライブは
今でも最高だったと感じています。

「カメレオン・アーミー」が初登場88位で翌週1位になったのは、オリコンとしても一つの
記録であるそうで、それは史上最も低い順位から翌週首位になった、と言うものだそうです。
そう言えばあの時代は今と違って、リクエストと言えばはがき、でしたね。

歌謡大賞・レコード大賞での選出は結構、疑問だらけなんですよね、いつも(^^;)
私が今も不思議なのは、1973年の歌謡大賞です。 天地真理さんがまだ大人気で、
「若葉のささやき」「恋する夏の日」と大ヒットを飛ばしたのに、「放送音楽賞」の
6人の中に選出されなかったんですね。 南沙織さんはノミネートもされなかったですし。

アメリカって、結構マルチテープやマスターテープが行方不明と言う話を聞きますね。
誰が持ち出すのかさえしっかりと管理されてないようです(勿論レーベルによるとは
思いますが)。 あ、日本でもそんな話があるようですが(^^;)
ただ欧米ではカラオケの音源を作る習慣自体がなかったようなので、カラオケと言うより
インストバージョンと言う意味合いで「作る場合もある」と言った感じなのでしょう。

by ぽぽんた (2020-01-15 23:36) 

White Autumn

ぽぽんたさん、半月過ぎましたが本年もどうぞよろしくお願いします。
ピンク・レディーについてはいろいろ思うところがあります。過去記事も拝見しました。熱心なファンの方もお見えのようで、顰蹙を買ってしまうお話になりかねませんが、いくつかコメントを差し上げてよろしいでしょうか。「カメレオン・アーミー」よりも既に取り上げられている曲中心になりますが、ご容赦ください。

(1)悩み深き“音楽来歴”

よく「あなたが最初に自分で買ったレコード(CD)は何ですか?」という質問がありますね。私の答え、実は加山雄三さんのミュージックテープと「渚のシンドバッド」なのです。厳しい家で、しかも「渚のシンドバッド」ヒット当時は高校受験準備で大変で、買ったのは翌年志望校に合格して落ち着いてからです。当時の一般的感覚ならば郷ひろみさんとか、西城秀樹さんとか、あるいは洋楽になるのでしょうが。好みは断然加山さんでした。

私は完璧な運動音痴で、流行っていた振り付けを覚えようとは全く思いませんでした。その時点では、阿久悠さんの詞もあまり気にしていなかったと記憶しています。ただ純粋に、都倉さんの曲や二人のコーラスにひかれたのでしょうね。その後「ペッパー警部」のアルバムも買い、ベイ・シティ・ローラーズのカバーや「乾杯お嬢さん」「ゆううつ日」が好きになりました。

しかしそれから半年もしないうちに、この来歴を恥じる気持ちが芽生えてきます。高校に進学して井上陽水さんとか吉田拓郎さんとか教えてもらい、はしだのりひこさんの曲や北山修さんの詞に強くひかれました。「夏色のおもいで」や加山さんの新作アルバム(加山雄三通り)を通じて松本隆さんを知りました。「君のひとみは10000ボルト」や「かもめが翔んだ日」などが流行ると、そちらのほうがずっと格好よく聞こえました。高校生になって歌詞の文学性を鑑賞する力が急速に伸びていったのでしょう。16歳はやはり最強です。すると都倉さんの曲は急に色あせ、阿久さんの詞はおもちゃのようにしか見えなくなってしまいました。「イン・ザ・ネイビー」のカバーは聴いていて恥ずかしくなるほどでした。同じヴィレッジ・ピープルの曲でも「YMCA(ヤングマン)」は爽やかなのに、この曲は“甘いお菓子をつい食べ過ぎてしまった時に感じる心地”に通じるものがあります。後年、光GENJIがそっくりな曲をリリースしたときは「飛鳥さん、気の毒に。」と思いました。

それでも「乾杯お嬢さん」の、ズーンという低音から、お湯が沸くように駆け上がっていくイントロのストリングスや、サビで二人が輪唱のようにコーラスをつけるフレーズはすごい、と思っていました。アルバムの「乾杯お嬢さん」→「ゆううつ日」→「S・O・S」という流れはある意味組曲のようで、曲順を意識するもとになりました。「サマー・ファイア’77」のライブ盤も買って、そこでオールディーズの曲をたくさん覚えました。

ダンス系・クラブ系音楽が苦手で、1980年代前半の松本隆・大滝詠一ワールドにどっぷり漬かった立場からすると「ルーツはピンク・レディー」とは口が裂けても言えません。長らく悩んできましたが、このブログでぽぽんたさんによる丁寧な解説や、ファンの方の愛情あふれたコメントを拝読して、ようやくアンビバレントな気持ちに決着をつけられた思いがしています。

(2)都倉さんの音づくり

数年前、穂口雄右さんがインタビューで「都倉さんはクラシックを勉強なされた方だから、ピンク・レディーの曲はクラシックがベースなのですよ。」と言う趣旨のお話をされていました。「キャンディーズについては、それとは違うアプローチを心掛けた。」という文脈でしたが、私にとっては目から鱗が落ちる思いでした。言われてみれば、都倉さん得意技の「駆け上がりストリングス」は交響曲的です。輪唱などのテクニックをさらりと織り込み、ハーモニーの美しさを際立たせるメロディーラインなどは案外音楽の基本に忠実なのかもしれません。そう考えていけば、長年くよくよと恥じることなど全くありませんでした。洋楽は敷居が高いしそもそも言葉がわからない、芸能人を恋人のように思う感覚とは距離を置きたい、フォークの高い文学性はまだよくわからないという段階ならば、都倉さんの曲が一番すんなりと気持ちに入り込めたのでしょう。

その一方でぽぽんたさんご指摘の通り、都倉さんがピンク・レディーに書いた曲には過去の自作品の翻案が多く含まれています。昨日「白い羽根の勇士」を聴いて笑いました。「UFO」というタイトルを制作サイドから提案されて、いくら何でもと困っていたら「UFO」→「ゆうし」とひらめいたとか。ダジャレから「UFO」が生まれたとすれば大変なことです。しかし「白い羽根の勇士」でそのまま「UFO」は歌えませんね。微妙にメロディーを変えています。

今回の記事では「個人授業」のAメロが「渚のシンドバッド」のイントロに使われていると指摘されていますが(山本リンダさんの曲は聴けませんでした)、私はCD選書の時代になってから買った南沙織さんのアルバムに収録されている「気になる女の子」(That’s the way a woman is)を聴いたとき、「これ、渚のシンドバッドみたい。」と感じました。コード進行などは多分異なるかと思いますが、演奏は似通ったものがあります。調べてみたところこの曲は1971年にできていて、南沙織さんのカバーは翌年。後にフィンガー5もカバーしたそうで、そのあたりから都倉さんに入っていき、「個人授業」→「渚のシンドバッド」と変化したと考えられます。

「渚のシンドバッド」については、都倉さんが井上順さんに書いた「幸福泥棒」(1972年)を使い回しているという専らの噂ですが、「幸福泥棒」は「ルイ・ルイ」にも応用したみたいですね。

「カメレオン・アーミー」のイントロは「ひと夏の経験」…これは気が付きませんでした。当時私の周囲では「およげ!たいやきくん」と言っていた覚えがあります。

(3)阿久悠さんのスタンス

阿久さんが亡くなってからピンク・レディーの二人、とりわけ増田さんは何かにつけて「阿久先生、阿久先生」と、父親をしのぶかのようにお話されています。阿久さんの未発表詞を新曲として歌ったとも聞きました。その一方で阿久さんは生前、ピンク・レディーについてはどこか突き放したようなコメントをよくしていました。「おもちゃ箱のような歌づくりは、自分本来の仕事ではない」という思いがあったのでしょうか。岩崎宏美さんは、自分のレコーディングに阿久さんが欠かさず来てくれたというエピソードを話すとき「ケイは『私の時には全然来てくれなかった』と言うのですよ。」と明かしています。詞の内容も「パパイヤ軍団」など当時のおじさん趣味丸出しですし(今の若い人にはネタとしてかえってウケるそうです)、「乾杯お嬢さん」にしても今の世の中ならばそのままでは出せなかったでしょう。増田さんが気の毒に思えてきます。

しかしファーストアルバムでは、結構阿久さんも丁寧に詞を書いています。「ゆううつ日」は太田裕美さんのアルバムに収録されている「グレー&ブルー」とよく似た情景が描かれていますが、これは偶然としても「手作りの人形が窓辺でゆれて、ビーズ玉のような涙をこぼしている」など、阿久さんにしてはかなり繊細な表現にはっとさせられます。「乾杯お嬢さん」の冒頭でアップテンポの曲でありながら「センチメンタル」の語を入れているのも、それこそ岩崎さんの「センチメンタル」を意識したとも考えられます。思わぬ人気の出方をしたため、阿久さんは二人の歌詞に対する感性を伸ばすよりも世間の期待に沿わせることを優先した節がうかがえます。

私見ですが、阿久悠さんの持つ文学性・抒情性は松本隆さんに、猥雑さを面白がる感性は桑田圭祐さんに受け継がれたように思えます。

(4)ポスト・ピンク・レディー

コメントで「ピンク・レディーの振り付けをまねした子供たちが90年代以降のJ-POPやクラブ系音楽を作った」というご意見を拝読して、「1980年代前半はよく『ポスト山口百恵』と言われていたが、『ポスト・ピンク・レディー』でもあった」と気づきました。ポップス系歌謡曲が定着した1960年代以降、踊れることを前提にしたリズム系が流行る時期と、じっくり聴かせるメロディー系が流行る時期が交互にあったと見なせられます。私はリズム系からメロディー・抒情系へ雪崩を打つように流行が変わっていった時代に最も多感な年齢に当たったため、音楽の好み、ひいては人生観にも大きく影響したと今では考えています。

ピンク・レディーの二人も阿久悠さんも、あの系統の音楽は本来表現したいものではなかったのでしょう。デビュー以前はフォークデュオで、ヤマハの地元出身でもありポプコンに出ることも考えていたといいますから、少し前の時代ならばシモンズのようなシンガーになり、そこそこの人気を集めたでしょう。後の時代ならばWinkのようなお姫様路線で行けたかもしれません。(Winkのような可愛い衣装を着たかったとお話していたという、過去記事のコメントも拝見しました。)ぽぽんたさんがおっしゃる通り、ピンク・レディーはあの時代が要請した文化のひとつだったように思えます。

by White Autumn (2020-01-16 14:09) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんにちは! お返事が遅くなり、申し訳ありません。

キャンディーズやピンク・レディーが活躍していたのは今から40年ほども前の事ですよね。
私が学生だった頃から40年ほど前となると、それこそ戦前・戦後の時代であり、
今の若い人とは感覚が全く違っていたのだろうな…と妙なことを考えたりします。
私の若い頃は、その時点での懐メロがカッコいいだとか今の曲よりもいい、などと
思ったことは、いくつかの例外を除き私自身は無かったのですが、
今の若い人からすると、特にピンク・レディーのようなパフォーマンスには、かえって
新しいものを感じるのかも知れません。
我々の世代にとっては、ピンク・レディーは一度廃れた存在。 なのに今でも
その名がしっかり生きているのは、そういった若い人たちのおかげなのかも知れませんね。

そのピュッピュッ…と言う効果音はシンセサイザーのようにも聴こえるのですが、
ギターの弦をピックでこすって出しているのでしょう。
ベンチャーズの「ダイアモンド・ヘッド」などでも、似たような音が聴けます。
そう言えば「カメレオン・アーミー」のサウンドもちょっとベンチャーズチックですし、
1980年にはベンチャーズも日本人の作家の作品で「カメレオン」なるタイトルのアルバムを
制作・発売しています。 …って、自分で書いておきながら意外なシーケンスだなぁ(^^)

人気が大きくなったものほど、その後が寂しくなるのは世の常ですね…。
しかしピンク・レディーの場合、ブーム後の一時期はその名を出すのも恥ずかしい
などと言う時期もあったのですが、
やはり日本人って本質的に質の高いものが好きですから、その時期を過ぎて
ピンク・レディーの質の高さが徐々に再評価されていったのではないでしょうか。
解散後、何度か再結成してその集大成があのコンサートツアーだったのも、
流れとして自然で良かったのかも知れません。

ただし、ミー・ケイのパフォーマンスの出来、質は、ブーム真っ只中の時よりも、
2004年からのツアーの時の方が遥かに上です。
若い頃の方が歌もダンスも良かった…となるのが通例であるものが、
ピンク・レディーの場合はブームの頃の自分たちを遥かに乗り越えてしまった。
その事も、ピンク・レディーがいつまでも価値を持ち続ける理由の一つですね、
きっと。

明星や平凡に掲載されていた「新曲」は結構フライングだった事も多くて、
実際発売されてみると違う曲だったり、楽譜とイントロが違っていたりする
事がたまにありました。 それも大きな魅力だったりします(^^)

by ぽぽんた (2020-01-18 14:13) 

Y

「ジパング以降もいい曲、たくさんあったのに~」という思いです( ;∀;)
あ、お正月クイズ、分かりませんでした(^o^)
 センター試験の英語の問題は、今年は難しかったようで、平均点が6割行かなかったようです。自分も4割を若干下回ってしまいました( ;∀;)
by Y (2020-01-24 09:54) 

ぽぽんた

Yさん、こんばんは!

そうですね、ピンク・レディーは1979年以降はメディアへの露出が減り、
新曲を出してもあまり浸透しないまま解散に至ってしまったのが残念でした。
センター試験…Yさんって思い切りお若い方だったのですか!?
私は「共通一次試験」の2年目を受験した世代です(^^;)

by ぽぽんた (2020-01-25 23:42) 

Y

センター試験って、自分が中学1年生の冬に始まりましたよ。(^o^)
 そのころには、もうベストテンも終わってしまっていて、寂しい感じがしていた気がします。
by Y (2020-01-26 13:35) 

もっふん

ぽぽんたさんこんばんは。

猛烈に今さらですしそもそも聴いている音源が違うのかも知れませんが、歌の最後の最後の「見えつ隠れつ変幻自在」の部分一小節のみピアノが入っているように聴こえます。他の部分では記事の通り全く存在を感じさせないので、もしここだけがピアノならば作り方としてはなんとも贅沢なものだと思います。

ベースはこれはエレキベースの音でして部分的に背後に白玉のコントラバスがいるのだと言われればそうかも知れない(否定は出来ない)程度にしか聴こえないのですが、このエレキベースがコントラバスと同じようにフレットレスのものが使われているので、奏法的には半音階に縛られないグリスアップやグリスダウンが各所に散りばめられていますね。

アマチュアレベルだと「ラーララミッソ」と言うベンチャーズっぽい16分を2フィンガーで弾き続けると指が攣るので、安定して弾くならピックを使いたい所なのですがフレットレスにピック弾きって言うのがスタイル的にアリなのかどうかはちと分からないです。

これまたアマチュアであればの話ですが、エレキギターがきっちり「ラーララミッソ」を弾いてくれるのであればベースはサボッて「ララミソ、ララミソ」と弾いても全体のサウンドは壊れないのでもし当時の自分が演るならそうしたかも知れません。

もとまろさんのコメントにあるピュッピュッ音は、エレキにしては粒が揃い過ぎてる感もあるので、もしかしたらですが、当時生まれたばかりの Hip-Hop の DJプレイで使われ始めていたレコードのスクラッチ音(ターンテーブルを手で回す)ではないかなと感じたりもしました。少なくとも音の作りとしてはかなり意識しているように思います。

以上、コメントの時期を大きく逸してしまいましたのでご返答は無用です。
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by もっふん (2020-02-21 19:10) 

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