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木枯らしの舗道 / 天地真理

今年はまだこの季節ではないですが…1974年の冬に発売された曲です:

木枯らしの舗道ジャケ.jpg

デビュー曲から11曲連続でオリコンシングルチャートでずっとベスト10内、
それも上位3位内まで上昇するのが普通だった天地真理さんの、初めてのベスト10圏外曲です
(最高14位、1975年1月6日付)。

前々作「恋と海とTシャツと」あたりですでに天地真理さんの人気の下落は明らかでしたが、
次に発売された「想い出のセレナーデ」がオリコンで4位、ラジオのランキング番組では1位を
獲得するほどのヒットとなったので、私は「これで人気が復活すればいいな!」と期待したものです。

今思うと、「想い出のセレナーデ」は純粋に楽曲自体が素晴らしかったヒット曲だったんですね。
だから今でも天地真理と言えばこの曲!と言った感じで「想い出の…」が語られますし、
僭越ながら私が9年ほど前にカラオケにピアノ演奏を乗せてYouTubeにアップした動画にも、
今でも時々好意的なコメントを頂けるのだと思います(^^)

すわ復活か!?と、私だけでなくそう期待した人も多かったようなので、「想い出の…」の次の曲は
それまでよりもより重責を担っていたはずなのですが、結果は残念なものになりました。
本当に本当に、残念です。


「水色の恋」「恋する夏の日」のような8ビート、「ふたりの日曜日」「恋人たちの港」など16ビート、
「ひとりじゃないの」「虹をわたって」のようにハネたシャッフルと、
4/4拍子で当時歌謡曲で使われていたリズムをほぼ使ってきた天地真理さんの制作陣が、
「木枯らしの舗道」に導入したのが3/4拍子のワルツでした。

キーは「若葉のささやき」と同じくB♭マイナー(変ロ短調)。
イントロから歌部分を経てコーダまで、そのキーの音階が頑なに貫かれ、
平行調であるD♭メジャーにもAメロで瞬間的に移行するだけです(♪木枯らし 吹き抜ける♪の部分)。

何らかのコンセプトがあってそのような作りにしたものと思いますが、
メロディーがどうも、起伏が大きい割には単調に感じられるんですね。
Aメロではゆったりめ、Bメロではやや詰め込み気味と変化をつけてはあるのですが、
コード進行が単純な事もあって「想い出のセレナーデ」のような心に引っ掛かるものがない。
私にはそう感じられます。

具体的に言うと、「想い出のセレナーデ」は全体的には暗めの雰囲気で進行するバラードですが、
サビで♪あなたのもとへ…訪ねたの あれはまるで♪ の部分で長調に一時的に移行していて、
あのような楽しい時代もあった…と回顧して微笑んでいるような、聴く側からしてもホッとする
ような流れになっていますよね。
それがサビ前後の寂しげな心情表現にはさまって際立っているのが、耳にも記憶にも残る…
と思えるんですね。

それが「木枯らしの舗道」では、最初から最後までひたすら寂しさだけで引っ張り通している。

作詞・作曲は従来通り山上路夫・森田公一コンビですが、
編曲に天地真理さんのシングルでは初めて穂口雄右氏が起用され、恐らくナベプロから
指示されたと思われる流麗なストリングスアレンジが施されています。
ピチカート奏法、ハーフ部(この曲の構成は2ハーフです)における唐突なフレーズを含む
ストリングスの派手なアレンジによって、全体が単調に感じられるのは回避されていますが、
反面、そのストリングスがややうるさく、しつこく感じられる
…そんな仕上がりになってしまっています。

もしサビの前に長調を基調にした歌メロが8小節くらい入っていたら、ただ寂しいだけでなく
全体にストーリー性が感じられる流れを構築できたのでは…とも思いますが、
きっと渡辺晋社長が「歌謡曲なのに1コーラスが長過ぎる」とダメ出ししたかな(^^;)

私はかねがね、特に歌謡曲を好むリスナーは、
悲しい曲には救いを、楽しい曲には憂いを求めるものなのでは、と思っているんです。
その比率や分配具合がうまくいくと、大きくヒットしたり記憶に残るような曲になるのでは、と。
無論、それだけではないとも思いますが(^^;)

ただ、天地真理さんのシングルのレパートリーにワルツが入ったのは大きい事で、
リズムを強調したノリ重視からの転換が図られているようにも思います。
もしかしたらスタッフはこの曲を制作する時点ですでに、
翌年の天地真理さん主演のミュージカル「君よ知るや南の国」を見据えていたのかも知れません。

余談ですが、その「君よ知るや南の国」の収録された「気が合う同志」では、
天地真理さんが初めて地声で、しかもまったくのノンビブラートで歌っていて、
その歌声を聴いていると「この声とファルセットを使い分けたら、それまで真理さんに無関心だった
音楽ファンも注目して違う展開になっていたのでは…」と、また「たら・れば」してしまいます。
…って前にも書いたかな(^^;)

ついでなのでもう一つ「たら・れば」を。
もし「木枯らしの舗道」の代わりに「レイン・ステイション」が発売されていたら、
「天地真理ってこんなしっとりした曲も歌えるんだ!」と、また新たなファンがついたのでは…。
この曲ならば、その時代に多かったフォークソングのファンからも支持が得られた気がします。
もしそうなったら天地真理さんにとっても願ったり叶ったりで、
「想い出のセレナーデ」で復活しかけた人気が本物となり、
その後も活躍を続け、今で言うと森山良子さんのような歌手になって…
すみません。 たら・ればに過ぎませんm(_ _)m

私は歌手・天地真理のファンです。


「木枯らしの舗道」
作詞 : 山上路夫
作曲 : 森田公一
編曲 : 穂口雄右
レコード会社 : CBSソニー
レコード番号 : SOLB-202
初発売 : 1974年(昭和49年)12月10日


お知らせ
ぽぽんたです。コメントへのお返事が遅くなりがちで大変申し訳ありません。
週末には落ち着いて書けると思いますので、よろしくお願い致します!

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Marco Polo

「想い出のセレナーデ」で復活したので、期待した「木枯らしの舗道」ですが失速してしまい残念でした。その次の「愛のアルバム」まで三部作のような雰囲気で個人的にはお気に入りなので、もう少しヒットして欲しかったです。もし「木枯らしの舗道」でなく「さよならこんにちわ」がもうできていて、次作として発表できていたらもう少し長く活躍できていたかも!と思っています。当時は「木枯らしの舗道」は「想い出のセレナーデ」と同じような曲なのに、ベストテン入りするほど何故ヒットしないのかな?と思っていましたが、今回のコラムで理由が分かった気がしました。ありがとうございます!
by Marco Polo (2019-10-27 20:42) 

widol

ぽぽんたさん、こんばんは。

「木枯らしの舗道」ですね。
ぽぽんたさんのおっしゃる通り、暗いだけで寂しげな感じで、個人的には好きではありません。天地真理さんの凋落を決定づけた曲でもあるということもあるかもしれません。前作の勢いだけでで12万枚程度はいきましたが楽曲ではなく真理さんの人気のよるものだったと思います。この曲で完全にアイドル歌手・天地真理は終わりをつげてしまいました。

「想い出のセレナーデ」は本当に曲が素晴らしく文句のつけようがありません。「愛のアルバム」も突っ込むところはありますが、サビに長調が少し入っていて、真理さんも「想い出のセレナーデ」と同じように、その部分を微笑むように歌っていました。その意味で、「木枯らしの舗道」ではなく「愛のアルバム」だったらまだ良かったかもしれません。

ぽぽんたさんがおっしゃる「レイン・ステイション」、Marco Poloさんのおっしゃる「さよならこんにちわ」は共に筒美先生の曲ですが、恐らく1974年秋の段階で筒美先生の起用は考えられていなかったように思います。75年前半の結果を見た上で、新しく加わった白川隆三さんが何とか人気を取り戻そうと筒美さんを起用したように思います。
あと半年、それが早かったら結果は違っていたかもしれませんが。

「木枯らしの舗道」はカップリングの「ブランコ」がとても素敵な曲です。思い出を語る、という歌詞は同じなのですが、やはり長調メロディーと竜崎孝路氏のアレンジの妙が醸し出す雰囲気が好きです。真理さんも気持ち良さそうに歌っています。こちらがA面だったら良かったのに、と思うのは私だけでしょうか。

ところで、『君よ知るや南の国』の「気が合う同志」の地声ですが、当時からこのアルバムは聴いていましたが、コミカルな歌だなと思っていても地声だと気付いたのは実はずっとずっとあとでした。ノンビブラートに気を取られていたのかもしれません。その時は衝撃でした。
確かに将来的に声が出なくなってくることを視野に、地声とファルセットの組み合わせも良かったかもしれません。

すべて、たら・れば、ではありますが、あれだけの歌手としての才能を早期に潰してしまったことは、本当に残念でなりません。
by widol (2019-10-27 22:14) 

卓

こんばんは!

皆さん、それぞれの思いがおありのようで、前の記事と一緒に興味深く読ませていただきました。

ピンク・レディーと同じように、そのブームは一過性のもので、でも心の中に深く記憶されている方だと思います。オリジナル曲がピンク・レディーよりたくさんあるのが、せめてもの救いでしょうか・・・。

私はこの曲のカラオケを、「サウンド・イン・ナウ」で聴き、ラジカセで録音したのを覚えています。♭レ(♯ド?)から1度ずつ下がっていくストリングス(4回繰返し)、次は♭ソ(♯ファ?)から2回の繰返しが、「木枯らし」を上手く表現していると思いました。テレビでも数回聴いたと思うのですが、テレビの生演奏が酷く下手に聴こえました。

私の天地真理さんのベスト3は、愛のアルバム、木枯らしの舗道、想い出のセレナーデでしょうか・・・。

今はiTuneで天地真理さんの曲(オリジナルカラオケも)を聴いていますが、その中に「君よ知るや南の国」のライブアルバムもあります。オリジナル発表時に聴いたことが無かったのですが、その歌唱力に大変驚きました。これは同じくハイファイセットのライブアルバムも同様で、山本潤子さんの歌唱力にも驚いたしだいです。これが本当の歌手だなと…。

先日WOWOWで松田聖子さんのシングル曲のみのコンサートを拝見しましたが、2~3度も音程を下げたその歌は、もはや彼女の曲ではなく、とてもガッカリしました。(浜崎あゆみさんより少しマシ、松任谷由実さんの歌唱力はエンタテインメント力で帳消し)

「運命」の一言で片付けるつもりはありませんが、「たら・れば」の話は、このへんでお開きということで…。

最後に、私は、「木枯らしの舗道」、本当に大好きです!

by (2019-10-30 22:36) 

ゴロちゃん

ぽぽんたさん、こんばんは!

11月に入り、いよいよ寒くなってきました。前もどこかで書きましたが、数年前から、毎年10月下旬から11月にかけては、真理さんの「想い出のセレナーデ」「木枯らしの舗道」、五郎さんの「甘い生活」「風の駅」が聴きたくなり、車の中でずっと聴いています。今年も聴いています。どれも悲恋の歌で、哀しくて寂しくて・・でも、ちょうど今頃の寒くなる季節に聴くといいんですよね、これが。

10月6日の「次回のテーマは『秋の天地真理』です」の記事を読んだとき、次回は「木枯らしの舗道」かな?と思っていました。なかなかこのブログに登場しなかったので。
この歌を初めて聴いた時、「きれいな曲だな。」と思いました。多分、TBS系の真理ちゃんシリーズ(「〇〇!真理ちゃん」)の中で、カラオケで歌っている映像を観たのだと思います。カラオケだったから、あのストリングスの美しい調べが心に残ったのだと思います。卓さんが言われているように、イントロのストリングスの部分は木枯らしがひゅるひゅると吹いている感じをよく表していると私も思います。ギターのメロディーも切なくて好きです。

歌詞でいいなと思うところがあります。1番の♪山登り 魚釣り いろんなことを教えてくれたあなた♪のところです。初めて聴いた時は、アイドル歌手の歌に「山登り」「魚釣り」という言葉はちょっと合わないなと思いました。でも、この歌の主人公の女性が、彼とつきあっていく中で、今まで自分が経験したことのなかった山登りや魚釣りの楽しさを知り、自分の世界を広げていったんだなということがよくわかる歌詞だと思います。うれしそうに微笑む女性(=真理ちゃん)の顔が浮かびます。
この歌に対し、暗いとか寂しいといった感じは受けたことはなく、「哀しいけれどきれいな歌」という思いで聴いています。私の心にはすうっと入ってくる大好きな歌です。
この歌がヒットせず、その後、真理さんの人気が落ちていったのは本当に残念でしたが、真理さんのたくさんのすばらしい歌をこれからもずっと聴いていきたいと思います。

それにしても、1974年の今頃は、「想い出のセレナーデ」「木枯らしの舗道」に始まり、「夜霧の街」「甘い生活」「傷だらけのローラ」「よろしく哀愁」「悲しみのシーズン」など、アイドル歌手の歌でもなにかこう、悲壮感のある歌が流行っていましたね。(「よろしく哀愁」はちがいますね。)
この年、私は中3でした。明日3日、中学の同窓会に参加します。真理さんたちが活躍していた時代にタイムスリップしてきます。懐かしいです。


by ゴロちゃん (2019-11-02 01:31) 

ぽぽんた

Marco Poloさん、こんにちは! お返事まで時間が掛かり申し訳ありません。

私は中2の夏休みに、扁桃腺の手術のために某有名大学病院に1週間ほど入院したのですが、
その時に持ち込んだラジオカセットで毎日聴いていたのが「愛のアルバム」でした。
理由はわからないのですが、その曲の中での真理さんの歌唱に何かを感じていたのは確かで、
手術後、喉に強い痛みを感じながらもその声を聴いて自分を落ち着かせていたんですね。
そういう意味でも、私にとっては「木枯らしの舗道」以後の真理さんもそれは大切な存在で、
せめてその「愛のアルバム」までは第一線でいてほしかった、と今も思っています。
もし私の記事で、そんな気持ちもお伝えできていたらとても嬉しいです。
こちらこそ、読んで下さってありがとうございます。

by ぽぽんた (2019-11-03 15:38) 

ぽぽんた

widolさん、こんにちは! お返事まで時間が掛かって申し訳ありません。

「木枯らしの舗道」は今も時々、ピアノの練習の題材にするほど曲としては好きな曲なのですが、
「想い出のセレナーデ」でせっかく真理さんが甦りそうなのだからもっと輝きのある曲を…
と、私は当時思っていた事を今も思ってしまうんですね。
でも今思うと、これがその2年前に「ふたりの日曜日」の代わりに出ていたら、
間違いなく大ヒットしたと思いますし(その代わり次の「若葉のささやき」は無かったかな)、
楽曲の出来よりももっと大きなものに支配されていたための悲劇、と言えるかも知れません。

「木枯らしの舗道」のジャケットではつつましく「ブランコ」と書いてあるだけなので、
それだけを見るとやはり「木枯らしの舗道」のように寂しい曲なのでは…と思ってしまった
のは私だけでしょうか(^^;) その実、「木枯らし」とは正反対の、屈託のない明るい曲
なんですね。 メロディーの起伏が大きくてちょっと歌いにくそうですが、
あの頃は真理さんにはそんな屈託の無さをファンはもう一度求めていた気もします。
そうは言っても「想い出のセレナーデ」のB面「わたしの場合」も素敵な曲だし…
勝手な事ばかり言ってすみません。

天地真理さんの人気が絶好調だった1973年の夏に日劇で開かれたワンマンショーで、
地声での歌唱をすでに披露しているそうなんですね。
私は月刊明星の記事で読んだだけなのですが、当時からその声がすごく聴きたかったのを、
今も憶えています。
思えば小柳ルミ子さんも、デビュー当時こそファルセットばかりだったのが、
次の年の「京のにわか雨」では地声の部分を多くして歌っていましたから、
天地真理さんもやがて、地声とファルセットを組み合わせて歌うようになっていたら、
曲のバリエーションも豊かになってきっと良かっただろうな…と、
今日もたら・ればの私でした(^^)

by ぽぽんた (2019-11-03 15:54) 

ぽぽんた

卓さん、こんにちは! お返事が遅くなり申し訳ありません。

本当に皆さん、天地真理さんには様々な思いをお持ちなんですね。
私は個人的には、ピンク・レディーの場合は全盛期の頃にすでに「これほどの大人気だと
必ずいつか急に落ちる日が来る」と刹那的なものを感じさせていた気がするのですが、
天地真理さんの場合、例えば「若葉のささやき」の頃には、まだまだいける!と、
そんな感じだった気がするんですね。

今思うと、ピンク・レディーにしても天地真理さんにしても、スタートは大人や若者狙い
だったのが、気づくと人気が子供の方にシフトしてしまい、それに合わせていって
しまったのが失速のきっかけになっていたわけで(私もその子供の一人でしたが)、
そうなるとスリルのようなものが失われて飽きられる…と、似たようなパターンを
続けてしまったように思います。
しかし子供もいつかは大人になるわけで、そのような失速劇もノスタルジーに
しっかりと書き込まれ、切なさと共に思い出されるものなのでしょう。

天地真理さんはライブでその力を最も発揮できるタイプの歌手…と、
大人になった今ではわかるのですが、当時はテレビで歌っている姿しか見る機会が
ありませんでしたから、残念だった気がします。
現代はCDなどよりもライブがウケる時代なので、天地真理さんはむしろ
現代に登場していた方が長く活躍できたかも知れませんね。

「木枯らしの舗道」が「サウンドインナウ」でオンエアされたのは私は全く
憶えていなかったので、番組スタッフだった河上氏に問い合わせてしまいました。
河上氏も、そのカラオケを放送したのを憶えておられました。
何だか私は記事で「木枯らしの舗道」をけなしてしまったように書いてしまい
心苦しいのですが、楽曲自体は私もとても好きなんです。
穂口雄右氏にとっても「アレンジに凝りすぎた」と、印象に強く残っている
楽曲であるようです。
もし私の記事の内容でご気分を害されてしまいましたら、申し訳ありません。

by ぽぽんた (2019-11-03 15:56) 

ぽぽんた

ゴロちゃん、こんにちは!

私も個人的に最も好きな季節が秋でして、でも天邪鬼な私は秋どっぷりの今の時期でなく、
まだ夏のうちに「秋からもそばにいて」など聴いたり弾いたりして、やがて来る季節を
思ったりするのが好きだったりします。
しかしそれは部屋の中での話で、もし車であちこち移動するような生活だと、外の風景を
眺めながら今の季節に合う曲を楽しむのだろうな…と考えたりします。

コメントを読ませて頂いてふと思ったのですが、「想い出のセレナーデ」や「木枯らしの舗道」
の歌詞の中で、主人公はファンタジーではなく具体的な行動を起こしているんですね。
前年の「恋する夏の日」では、彼が来るのを待っていたり彼がテニスをプレイしている表現は
あっても、主人公の女性が一緒にプレイしたりはしてませんし、
その次々曲「恋人たちの港」では彼があれがギリシャの船だよ!と指差しする事はあっても、
主人公の女性が何かアクションを起こすような事はしていない。
それが「想い出のセレナーデ」では季節の花を抱えて彼のもとに訪ねて行ったり、
「木枯らしの舗道」では仰るように山登りや魚釣りなど、スポーティーにもなってる。
そう思うと、真理さんの歌は少しずつ、確実に変化していったんですね。

私はそうですね、「木枯らしの舗道」は先入観もあってか、聴き始めると寒さを
感じます。 それも「ベルベット・イースター」のような曇天のもとではなくて、
空は晴れわたって木漏れ日の中にいるのに、風で顔からしんしんと冷えていく感じ、かな。
しかし同時に思い出すものがもう一つあって、実は記事に書こうと思いながらやめた
事なのですが、昔ダンス教師だった私の父が、モダンダンスでこの曲をかけている場面、
なんです。 勿論それは現実にはありませんでしたが、この曲の流れるような進行が
そんな事を思わせるんですよね。

そうですね、1974年は世相の暗さも手伝って、寂しさが際立つ楽曲が多く、また
ヒットしていたんですね。 前年がやたらと明るいイメージだった、その裏返しかな。

今日の同窓会は如何でしたか? きっと楽しい時間を過ごされた事と思います(^^)

by ぽぽんた (2019-11-03 15:56) 

もっふん

こんばんは、もっふんです。

皆様いろいろとお考えの中、私が思うのは天地真理さんの場合「(ソニーの)白雪姫」と言うコンセプトがもはやこの時期には手かせ足かせとなっていて、弱冠15歳の山口百恵が「女の子の一番大切なものをあげるわ」とまで歌っているご時世に、デビュー以来指切り以上のボディタッチが無いようなプラトニックな世界観の楽曲が余りにも綺麗事過ぎて、訴えかけて来る刺激が、特に彼女の実年齢を考えた時には「非常に物足りない」と受け止められたのではないかと言う事です。

一番苦労されたと思われるのはたぶん作詞の山上路夫先生で、くちづけはおろか手を繋いだり抱き締めたりと言った愛情表現を封印された中で、結局は泣く事でしか主人公の思いを表現出来ないと言う、毎度毎度のワンパターンにはご本人も大変歯痒い思いをされたのではないでしょうか。

アイドルが手の届かない所にいて美しい感情や情景を歌っていれば良かった時代から、アイドルもまた等身大の青年少年少女としてリスナーと同様か、それ以上に過激に恋し悩み苦しむと言う存在に変わって行った過渡期において、真理さんを担いでいたプロジェクトチームは、語弊を恐れずに言えば「舟に乗り損ねた」のだと思います。

「愛してる」とか「悲しい」と言うワンイシューで楽曲を成立させてしまう手法は、この時期には既にフォークや、台頭しつつあったニューミュージックの旗手達の手の元に移って行き、天地真理楽曲のような毒にも薬にもならないものを受け入れる層がどこにいたのかと考えると、実はいるはずと思っていたターゲットそのものが存在しなくなっていたと言うのが人気凋落の根本的な原因であるとも思えます。

ぽぽんたさんが時々言われる言葉をお借りすれば「親が子供に安心して聴かせることが出来る楽曲」ではありましたが、当時の歌謡シーンにおいてはそれはもはや「退屈」とほぼ同義となり、NHKの「みんなのうた」で「歌のお姉さん」が歌っていれば良いものとして受け止められた可能性は多分にあります。

ただ、歌手としての天地真理さんのあるべきキャリアを考えた場合、アイドルとしてシングルの売上ノルマを課されながら活動を続けるよりは、超一流の「歌のお姉さん」を目指す事が出来た方がご本人にとっては幸せだったのではないかなとも、今であれば思います。

誤解しないで頂きたいのは、私は真理さんにももっと「体を張った内容の詞」を歌わせるべきだったと言っているのではなく、多くの方が挙げられている「レインステーション」のようなニューミュージック色の強い分野に積極的に転進して行くべきだったと考えているのです。

演歌と違ってポップス系のアイドルの賞味期限はとても短く、年齢に合わせてコンスタントに新しいイメージを打ち出して行かないと潰れてしまうと言う事は今では常識ですが、もしかするとそれを歌謡界に示し教えたのが天地真理さんだったのかも知れません。
_
by もっふん (2019-11-04 22:56) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんにちは。

先の記事ではいろいろありがとうございました。
やっと「木枯らしの舗道」にお邪魔できます。

私が中高生だったときはNHKFM「ひるの歌謡曲」にお世話になりました。たくさん歌を録音させていただきました。
真理さんの歌は、中学生ぐらいの時期、真理さん特集でオリコンベスト10入りの歌と「夕陽のスケッチ」「愛の渚」はすぐに聴けましたが、「木枯らしの舗道」はなかなか聴けませんでした。二十歳近くなって民放AMでやっと出合えました。
だから、どうしても印象が薄く、今でも物足りなさを感じます。ワルツのリズムときれいなメロディーが印象的です。ただ、歌詞に具体的な思い出話があり、しかも女性が能動的に動いていたのは、こちらを読ませていただくまで気付きませんでした。
ぽぽんたさんが挙げられた、長調を基調にした歌メロの挿入。私もあったら良かったのにと、長いのが気になるならそれを交えて2コーラスでまとめても良かったのではと思います。

この時期の「こがらし」(あえてひらがなで書いてみました)の歌は、どちらかというと伊藤咲子さんの「木枯しの二人」じゃないかなと。咲子さんの歌の幅を広げて代表曲になった、あのドラマチックでハツラツとした歌のインパクトがすごくて、真理さんが弾かれたように見えます。

ようつべに「スター千一夜」録音がありますが、真理さんご自身は昭和50年2月ごろにフランス旅行に行かれたそうですね。1ヶ月間、この歌のプロモーションができなかったことになります。
その旅行が有意義なものであったと話しておられましたが、こんなことも話されていました。
「旅行の休暇は昨年秋に(「想い出のセレナーデ」の時期?)決まった。自分が幸せじゃない気がしてきて、会社に休暇を求めた」
「これからは自分をどんどん出していきたい。それを見て好きになってくれる人は好きになって欲しいし、嫌なら嫌で構わない」
みんなの白雪姫でい続けた真理さんがすごく疲れ果ててしまったんだなと、旅行を終えて一人の女性として頑張ろうとしていたんだなと思いました。
重ね重ねになりますが、ミュージカルの経験が生かされなかったように見えて残念です。細く長くでも歌い続けられるように、この年が土台づくりの年であって欲しかったです。

そういえば、宝塚出身のルミ子さんには、当時ミュージカルの話はなかったんでしょうか。たくさん習い事をしていたそうだし、若いときにスキルを生かしても良かったかなと思います。「冬の駅」「黄昏の街」でイメチェンして頑張ってましたよね。
by もとまろ (2019-11-07 16:59) 

ゴロちゃん

ぽぽんたさん、こんばんは!
同窓会、とっても楽しかったです。卒業以来45年ぶりにある人もいて、最初「誰だっけ?」という感じでしたが、話し始めるとあっという間に中学生当時に戻っていました。
幹事さんたちが当時はやっていた歌をBGMにして当時の写真をスクリーンに映してくれたのですが、やはり、真理ちゃんの「恋する夏の日」が流れました。他には「トップ・オブ・ザ・ワールド」とか、あとは・・・おしゃべりに夢中だったので、他にどんな歌が流れたかは忘れてしまいました。1972年度から1974年度、まさに真理さんが大活躍していた3年間のことです。
お返事はけっこうですからね。
by ゴロちゃん (2019-11-09 21:34) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは! ホントに、いつも遅レスですみませんm(__)m

天地真理さんは良い意味でも悪い意味でも、見本と言える存在になった初めてのアイドル歌手
なのかも知れませんね。
結果的にファンの間では当時の事は良い思い出であり、それを残せた天地真理さんの存在は
とても価値のあるものだったと思います。
山口百恵さんが「青い果実」で人気が急上昇したのと天地真理さんが「空いっぱいの幸せ」で
人気が下落していったのがほぼ同時期でしたから、今となるとそれが世代交代だったと言える
気がします。

山上路夫氏が天地真理さんの曲の歌詞づくりでナベプロからあれこれと制約を受けて苦労した
と言う事は、山上氏ご本人も語っていますね。
しかし、これも結果的にですが、そのおかげで天地真理さんのイメージが確固たるものになり、
今もファンであり続ける人が多いのも確かと思うので、それはそれで良かったのかも、です。
当時、天地真理さんにリアルな恋愛を歌って欲しいと願うファンは殆どいなかったと思いますし、
人気は下落気味であっても急に変わる必要はなかったと思うんですね。
そういう意味でも、また「たら・れば」ですが、「空いっぱいの幸せ」の代わりに
「もの想う季節」が発売されていれば、とても良いバランスで次に繋げれられたと思います。
でもそうですね、この頃は山口百恵さんが売れ出したとは言っても、レコード会社としては
まだ売れると確信していたわけではないと思うので、恐らく力を入れていたのはまだまだ
天地真理さんの方に、だったはずで、せっかく確立した無垢なイメージを保ちたかった、
と言うのもわかる気がします。
それをある事ない事書きたてて引きずりおろしたのが当時のマスコミで(そういう体質って
昭和の頃の方からひどかったですね)、曲に恵まれるとかそれ以前に、どうしても
天地真理さんが、そして天地真理さんのファンがその犠牲になってしまったような気が、
私はもう40年以上しているんです。

…と言いつつ、その後の事を考えると気持ちがコロコロと変わる私ですが(^^;)

by ぽぽんた (2019-11-10 18:57) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは! またまたお返事が遅れて申し訳ありません。

私も「ひるの歌謡曲」には本当にお世話になりました。 時々歌手本人がゲスト出演
したり、アルバム曲を中心に選曲してくれたりと、今思うとレコードにあてる小遣いに
限りがある学生には救世主のような番組でした。

私も正直なところ、「木枯らしの舗道」とタイトルを目にしてもその曲をなかなか
思い出せない時期が長く続いていました。
なのでCDで久しぶりにこの曲を聴いた時に「ああ、この曲だったのか!」と思ったのを
よく憶えています。
天地真理さんがこの曲でテレビ出演したのは、私は殆ど記憶にないんです。
多分、テレビ出演が急に少なくなった頃だろうと思います。

昭和49年について、天地真理さんは「色々な事があって、急に芸能界がつまらなくなった」
とも発言していますね。
多分精神的にいっぱいいっぱいだったのでしょう。 「ゴールデン☆ベスト」によると
失恋も経験したそうですし。
「君よ知るや南の国」が昭和50年でなく、まだ人気を保っていた49年の夏に公演されて
いたら、また違った展開があったかも知れませんね。
昭和50年に「初めての涙」が、その作曲をした宮川泰氏がDJをやっているFM東京の
「コーセー歌謡ベスト10」に登場した時、宮川先生がなぜが自虐的と言うか、
ネガティブな発言をしたんですね。
ちょうどそのミュージカルに取り組んでいた頃だったのですが、話の内容がどうも、
天地真理さんに何か問題があるような雰囲気だったのが妙に気になったんです。
恐らく、万全の状態で臨んだ公演ではなかったのでしょう。

小柳ルミ子さんも昭和49年は停滞気味でしたが、秋に出した「冬の駅」が見事、
オリコン1位となりましたね。
やはり天地真理さんがそれとは対照的に感じられて、少しやるせない気分になります。

by ぽぽんた (2019-11-10 19:13) 

さざん

はじめまして
私は昭和40年生まれでこの曲が発売されたときは9歳でした。
私の周りでは「木枯らしの舗道」を口ずさんでいる友達が結構いたので、結構ヒットしていたイメージがあったのですが、実際は人気に曇りが出始めていたのですね。
私はぽぽんたさんとは逆で、最初から最後まで寂しい感じが非常に美しい感じがして、非常にお気に入りの曲でした。
今回この記事を読んで、約30年ぶりに真理ちゃんの曲を聞き、46年ぶりに木枯らしの舗道を聞いてみました。
当時の記憶が蘇り、とても懐かしい気持ちで一杯になりました。
by さざん (2021-07-07 02:44) 

ぽぽんた

さざんさん、初めまして。 コメントをありがとうございます!

私は当時中1でしたが、この曲は天地真理さんが歌っている事、そして歌のメロディーは
頭に残っていたのですが、曲の題名と結びつくまでに随分時間が掛かった曲でした。
今思うと、天地真理さんの人気は本当に短いものでした。
私も大ファンだったので、残念な思いが今も心にあります。

天地真理さんのそれまでのシングル曲は、短調(マイナー)のメロディーでも
歌詞は明るい内容のものばかりだった(「若葉のささやき」「恋人たちの港」など)ので、
「想い出のセレナーデ」と「木枯らしの舗道」のように歌詞も暗い曲は新鮮だったものの、
やはり真理さんにはいつも笑顔でいてほしい、と思っていたものです。

長い時間が過ぎ去りましたが、天地真理さんの楽曲は当時過ごした人にとっては
美しい音楽ばかりだったと思います。
これからも大切に聴いていきたいものですね。

これからもよろしくお願い致します。

by ぽぽんた (2021-07-10 23:52) 

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