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パールカラーにゆれて / 山口百恵

私にとっては中3の時の文化祭とリンクしてる曲、なんです(^^)

パールカラーにゆれて.jpg

1976年(昭和51年)の山口百恵さんは大変な勢いでした。
前年は桜田淳子さんの活躍が目立ち、百恵さんはややその陰に隠れた感じでしたが、
その間に歌唱力が飛躍的に伸びていた事は、川瀬泰雄氏著の「プレイバック」に驚きをもって
書かれていますし、当時の「夜のヒットスタジオ」での歌唱シーンを観れば素人目にもわかります。

「横須賀ストーリー」が、「冬の色」から約1年半ぶりにオリコン1位を獲得し7週間キープした後、
あおい輝彦さんの「あなただけを」の6週連続1位をはさんで再び百恵さんを1位に押し上げたのが
「パールカラーにゆれて」でした(5週連続)。

シングルで初めて阿木燿子・宇崎竜童夫妻の楽曲で大ヒットしたのだから、次も同じコンビで…
となるのが通例の業界では珍しく、作詞・千家和也、作曲・佐瀬寿一と全く違う作家の作品が
選ばれたのは英断に近かったのではないでしょうか。
千家和也氏はそれまでも百恵さんの楽曲では常連でしたが、佐瀬寿一氏は全く初めて。
同年前半に超大ヒットとなった「およげ!たいやきくん」の作風が買われたのでしょうか。

全く個人的な見解なのですが、「横須賀ストーリー」の主人公って港のヨーコなのでは、
と思うんですね。
で、港のヨーコがアバズレをやめて心機一転、横浜で粛々と出直したのが「パールカラーにゆれて」
の主人公なのでは、と。
作家が違うのは承知しているのですが、「パールカラーにゆれて」は歌詞の内容といい
曲の構成といい、この曲が「横須賀ストーリー」の続編に思えて仕方ないのです。

******************************

曲の構成は「横須賀ストーリー」と同じく前サビで、続いてAメロ・Bメロと続いたものが
2コーラス分+Bメロもう一回と、これ以上ないほどシンプルでわかりやすいものです。

山口百恵さんの楽曲は、例えば ♪これっきりこれっきり…♪と印象的な部分と、
♪街の灯りが映し出す…♪と静かに歌われる部分との違いがハッキリしていて、
他にもシングルになっている楽曲でも「ここがキモだな」とサビが明確にわかるものが多い。
現代ではわかりませんが、サビが明確でわかりやすい事はヒットにつながる大きな要素では、
と思います。


キーはCマイナー(ハ短調)で、山口百恵さんのシングルではこの曲と「ちっぽけな感傷」、
「プレイバック Part2」「絶体絶命」の4曲がこのキーで作られています。

編曲は船山基紀氏。 船山氏は、山口百恵さんのアルバムでは数多く編曲を担当しているのですが、
シングルではなぜかこの1曲だけ。
船山氏の編曲では時代の流行サウンドが採り入れられる事が多く、その分キャッチーなのですが、
山口百恵のシングルは比較的タイムレスで、オーソドックスなサウンドで勝負したい、
その名手は萩田光雄氏だ…と判断されたのかも知れません。
そういう意味では、サウンド的に「パールカラーにゆれて」は変化球だった、と言えるかな。

コード進行については佐瀬寿一氏、船山基紀氏のどちらのアイデアかはわかりませんが、
カウンターラインやクリシェを多用してベースラインを滑らかに動かして流れるように進行するのが
大きな特徴です。

イントロからいきなり Cm7→Cm7/B♭→Cm7/A→Cm7/A♭…とベースを下降させるクリシェ。
続く ♪・ま・ち・は♪ では G7→D7/A→G7/B とベースが1音(全音)ずつ上がるカウンターライン、
Bメロ ♪・ふ・た・り♪ では G7/D→Cm/E♭→C7/E とベースが半音ずつ上がるカウンターライン。
あまり耳にしないパターンなので、一緒にキーボードを弾いていると一瞬戸惑います(^^;)

因みに川瀬泰雄氏によると、そのように1拍タメてま・ち・は…と歌に入る助走のような作りは、
佐瀬寿一氏の一つの特徴でもあるそうです。

サビの終わり ♪流れ星 人 影 愛はさざなみの夢♪ でのコード進行は Cm/G→G7→Fm7と来て
D7/G♭→G7→Cm と続きますが、そのベースラインの動きはクラシック音楽を思わせます。


このレコードに針を落とすと(CDをかけると・音楽ソフトで再生すると…何でもいいや)、
上記のコード進行に乗ってシンセサイザーが演奏するキャッチーなフレーズで始まりますね。
そのフレーズは4度の和音で作られています。
で、4度の和音は我々に何を想起させるかと言うと、それは中華、です。 
映画やテレビドラマ、CMなどでも、中華なシーンでは4度の和音を使った音楽がよく使われます。
「パールカラーにゆれて」って横浜の雰囲気だよな、何でだろう?と思った時、
その原因はその中華なフレーズのイントロによるところが大であることに気づきました。
ん、でもそうだとすると、横浜のイメージ≒中華街のイメージ?!
…どこか割り切れない思いもしますが、そんなものなのかも知れません(^^;)。


前年秋の「ささやかな欲望」あたりまで顕著だった高音域での鋭さが変声期を経て変化し、
ややマイルドな音色になったと同時に声量と安定感がグッと増した頃に登場したこの曲。
それまで山口百恵さんにあまり関心が無かった人を「横須賀ストーリー」で「え?」と振り向かせ、
ファンとして定着させる働きをしたのがこの「パールカラーにゆれて」ではないでしょうか。


「パールカラーにゆれて」
作詞 : 千家和也
作曲 : 佐瀬寿一
編曲 : 船山基紀
レコード会社 : CBSソニー
レコード番号 : 06SH62
初発売 : 1976年(昭和51年)9月21日

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とわのえ

今聴いたらとても良い曲ですね~。なるほどそういうコードだったのですか。
当時15歳だった私は、基本的なコード(Am Dm E7 とせいぜいA7類ぐらい)しか知らなかったので、この曲をその自分の知識の範囲内で弾こうとすると、実にしょうもない曲だったのです。
43年越しにこの曲の良さを再認識させていただいて、「しょうもない曲」の濡れ衣を晴らしていただいたぽぽんたさんに感謝です。

by とわのえ (2019-08-26 17:55) 

もっふん

ぽぽんたさん、まいどです。

★佐瀬寿一氏の起用について★

この頃のアルバムとシングルの制作状況を見てみると

1976.04.21 アルバム「17才のテーマ」
 この時点までアルバム曲の一部を除き作詞は全て千家和也氏、直近シングル2枚が三木たかし氏の手による以外は「ちっぽけな感傷」(馬飼野康二)を除き基本的に都倉俊一氏作曲。宇崎阿木作品が4曲(一説には百恵さんの指名による)提供された中で、はなはだ異例な事として「横須賀」が次のシングルとしてストックされ3曲が収録された。

1976.06.21 シングル「横須賀ストーリー」
 B面「Game is over」(宇崎阿木作品)の編曲を船山基紀氏が担当。

1976.08.01 アルバム「横須賀ストーリー」
 A面は全て宇崎阿木作品であるがB面は6曲中4曲が佐瀬寿一氏の作曲。佐瀬作品を含めて全12曲中7曲を船山基紀氏が編曲。

1976.09.21 シングル「パールカラーにゆれて」
 千家和也作詞、佐瀬寿一作曲、船山基紀編曲

・・・と言う事なので、制作サイドも既に都倉色からの脱却を考えていたものの、完全に宇崎阿木に舵を切るだけの判断が付かない中で、アルバム「横須賀ストーリー」制作時にコンペを勝ち抜いた実績が評価されて佐瀬氏が起用されたものと想像されますし、船山基紀氏についても同様の人選であったと思われます。

佐瀬氏のディスコグラフィを見る限りではコミカルな楽曲が多数を占める事から既存作品の作風を買われてと言う事ではないでしょう。いくらなんでも「次の百恵作品はたいやき君で」と言うオファーの在り方は想像し難いですよね(笑)。

ちなみに「パールカラー」に続くシングル「赤い衝撃」も千家佐瀬コンビの作ですが、この曲を収載したアルバム「パールカラーにゆれて」(1976.12.05)では千家佐瀬作品は収録曲の半分に留まり、「赤い衝撃」を最後に千家和也氏が離れて完全に宇崎阿木路線へと進んで行く事になります。

こうしてみると、変化球であったと言うよりは宇崎阿木作品に転じて行く「過渡期の一曲」と言う要素が強いかと思います。


★キーがCmである事★

絶対音感をお持ちだと新しい曲を聴くたびに異なるキーである事に注意が向いてしまうのかも知れませんが、私から見るとメロディの最高音を百恵さんの声域上限であるB♭に揃えただけのように思えます。「としごろ」からしてそうでしたよね。

「絶体絶命」だけは最高音がGと随分低めなのですが、これは百恵さんが本質的にローボイスシンガーであって声域上限付近を使う必要が無いとの判断がこの時点でなされたものなのか、前作「プレイバック Part2」とキーを揃える事に何らかの意味があったのか(メドレー化の構想とか)、ひょっとしてサビの「はっきりカタをつけてよ」の繰り返しで三度上に被って来るハモリ(B♭より半音高くなりますが)を本人に歌わせる事を視野に入れていたのか、本当のところは分かりませんが、通常のアイドルソングと違って高音を張り上げずに中低域で聴かせるスタイルが確立したと考えると一つのターニングポイントであったと言えるかも知れません。

★ベースラインの自由度★

この曲の特徴としてセカンダリドミナントコード(G7 に対する D7 や Fm7 に対する C7
など)が多用されているため、ナチュラルマイナースケールから外れた音を経過音として利用し易い作りであると言う事があると思います。詰まらない事ですが D7/G♭ の G♭は D7 と言うコードの 3rd であるがゆえに使っても良い音になっているので、調号的に♭系のハ短調ではあっても D7/F# と表記するのが理にかなっているでしょう。

★メロディのタメ★

頭一拍抜くのって特徴と言えるほどの特徴なんでしょうかねえ。

 ♪ ひみつ内緒にしてね~
 ♪ 曇りガラスの向こうは風の街~
 ♪ Stay with me ガラスの少年時代の~
 ♪ たとえば~たとえばたとえばたとえば~

少なくとも専売特許と言うほどのものでは無いんじゃないかと私は思います。ただ、作り方の癖としてまずコードをガーンと弾いてからメロディを考えるタイプだとそうなり易いかなとは思いますし、Wiki に拠れば佐瀬氏はスローなバラードを得意とされていたとの記述もありますので、歌の息としてタメ重視と言う事はあったのかも知れません。

★アレンジ雑感-1-★

イントロいきなりシンセのメロディと言うかリフの形が変わらないのにコード(根音)だけが動いて行くと言うのも相当にカッコイイのですが(凄くカッコイイのにそれきり出て来ないので「使い捨てかよっ!」と思い始めた頃に大コーダの前で再登場した時は凄く安心しました・笑)、それに続く

 シシッシ、ドドッドドッ、レレレレッドシ!

と言うリズムのキメが素晴らしいですね。四分音符で区切ると

 シシッシ|ドドッド|ドッレレ|レレッド|シ

ときっちり最後の「シ」を次の小節の頭に持って来ているのですが、三拍目でブレイクした上で四拍目を「レレッド」と持って来られると一瞬8分音符一つ多い変拍子になっていて

 シシッシ|ドドッド|ド + レレレレ|ッドシー|(ラー)

と来るんじゃないかと幻惑されそうになります。もうちとリズム感がまともな人でも「5/8+3/8」でノッた方が気持ち良いと感じるところかも知れません。

このキメに限らず、この曲のアレンジでは四分音符を16分音符で割った時に3つめの音を抜いた「タタンタ」と言うリズムが至る所に使われています。一番普通で素直な使われ方が間奏に入る前の

 ララッラ|ドドッド|レレッレ|ドーレー|ラッ(~Sax.solo)

の形で、フレーズの最後が裏打ちでは無い8分音符である事で終止感が明確になって聴いている人は落ち着いて間奏に入って行けるのです。逆にこの形が余りにもド安定であるからこそ、上に書いたように「変拍子にしてでもフレーズを8分音符で終えて欲しい」と聴いてしまう感覚に繋がります。

続くソプラノサックス(と思われる)のソロでは一小節8分音符8個を3+3+2に区切ってリズム的には延々と

 タタンタ|-ータタ|ンターー|タタンタ|

の繰り返しとなっています。しかも間奏としては結構長いと言うかクドイほどに続く中で、4拍目の「タタンタ」は2回に一回は8分音符にして「奏者サボる+リスナー落ち着く」としたくなりますし、一回りした4小節目は

 ヘラリ、ヘ|ラリ、ヘラ|リッ(ジャ|ーン)

みたいに一発キメたくなるところです。が、頑としてそれをせずキッチリ最後まで「タタンタ」を演奏した事で、「間奏終わりまーす」と言う4分音符フレーズ(前が前だけにスローダウンしたように聴こえます)1小節の後に再登場する先ほど誉め上げたリズムのキメが非常に効果的にリスナーを騙しに行ってくれます。

いやー、こんなカッコイイ曲だとは聞き直さなかったら知らないままだったかも。

★アレンジ雑感-2-★

これは人によって聴こえ方が違って来るところかと思いますが、私は全体としてオケが高音部分に偏っている印象を受けました。エレピのトーンも相当ハイを上げた感じですし、極端な事を言うと百恵さんのボーカルより下はベースしかいないんじゃないかと思えるほどで、それは「中低域で聴かせるボーカル」を邪魔しない、そんな配慮があったのではないかと感じましたが、実際はどうなんでしょうね。

深めのリバーブを掛けたミュートしたエレキの合いの手(ポコポコポコポッ)なんかは、ぽぽんたさんには美味しく感じられたのではないかしらん。

あと左chにいろんなパーカッションが入れ替わり立ち替わり登場するのも面白いところで、コンガ系の音は定番として、ギロと思われるスクラッチ音が聴こえたり、極めつけは上でも散々触れたキメの部分で飛んで来るビブラスラップですね。

つなき&みどりの「愛の挽歌」で鳴りまくっている事は前に書きましたが、ビブラスラップはパーカッションのくせに全然パーカッシブではなくて、一発鳴らすと4分音符3つ分くらいはその色に染まってしまうと言う、ある意味「劇薬」みたいな楽器です。

まあ、リスナーの注意の殆どが引き付けられるリズムのキメの裏で抑えめに使われてはいるのですが。

★中華な響き★

ぽぽんたさんは単純に4度と書かれましたが、全音2つに半音1つからなる、いわゆる完全4度下ですよね。これは完全5度の展開形でもあります。

中華サウンドはフレーズの一音一音がその音をルートとするコードであると見た時に、完全4度下でハモっていると和音の長短を決定する 3rd の音が無いためにフワッとした無調性の感じが連続する事で生まれると私は解釈しています。

使うフレーズは四七抜きのペンタトニックで作るのがよろしいようです。

Youtube の本曲のコメントにも「イントロが西遊記みたい」とありましたので、大抵の人はそう感じるみたいですが、欧米人からは中国に限らず日本も含めたアジアな感じ、もっと広く漠然と非西洋的なエスニックなサウンドとも受け止められるようです。

気付かれたかも知れませんが、メロディが 5th の音だと言う解釈をすれば完全5度下のハモりでもエスニックな感じにはなります。個人的にはこちらの方がやや和風寄りで雅な響きではないかと思います。

★俺のハナシを聞けぇっ!★

いや、それは別の横須賀ですが(ばき

百恵さんは一時期お父上を巡る私生活について週刊誌で騒がれた事もあって横須賀出身である事もかなり広く認知されていたと私は思っており、「横須賀ストーリー」の主人公は百恵さん自身を投影した人物であると疑っていなかったので、ヨーコ説、はたまた更生してパールカラーに揺れた説は予想外で新鮮でした。もしかすると阿木耀子さんの脳内ではそう言う関連付けがあるかも知れませんね。

本曲には港や見知らぬ異国への旅立ちと言った概念がメタファーとして使われてはいるものの、明確に港町であるとは書かれていません。しかし、横須賀を舞台とした楽曲の後で「恋人たち(つまり複数ないし多数)が日が暮れても漂える街灯りの綺麗な舞台」を想像しろと言われたら、やっぱりブルーライトなヨコハマを想起するのは自然な事だと思います。

そこに中華街サウンド(ぉぃ)でダメ押しまでする必要があったのか無かったのかは、それこそ船山先生にしか分からない事なのかも知れません。
_
by もっふん (2019-08-26 19:46) 

widol

ぽぽんたさん、こんちには。

「パールカラーにゆれて」ですね。
この曲は数ある百恵ものでも自分にとって上位にくる楽曲です。
ぽぽんたさんのおっしゃるように、「横須賀ストーリー」の続編といっていい作品ですね。「横須賀ストーリー」を引きずりながらも、いわゆる二匹目の何とかに陥らず、百恵の別の魅力を引き出した感じです。
海や港、街灯り、潮風という点で何となく横浜を想像しますが、中華の味付のアレンジがそれを助長していますね。

サウンド・イン・ナウの「歌ってみよう(カラオケコーナー)」のコーナーで、この曲が放送された際、すぎやまこういち氏は、
「百恵ちゃんの歌って、一作ごとにいろんなカラーがあって、こんどはどんなのが出るだろうってすごく楽しみなんだよね、僕自身もね。山口百恵のいいところは、何となく歌に味があるんだよね。ただ可愛いってだけじゃないしに、味みたいなものがある」
と言って、オリカラを流しましたが、これが強烈に印象に残っています。前の年の秋に出した「ささやかな欲望」あたりからの劇的に歌がうまくなり(表現力が上がり)、その頃から次の曲はどんなものだろうと思うようになり、味がある、確かにそう思います。

そのことは中森明菜が「難破船」で新境地を開いたあとで、「AL-MAUJ」を出した時に、工藤静香が「MUGO・ん…色っぽい」の大ヒット受けて出した「恋一夜」で感じことに似ています。自分にとって、ですが。

百恵さんは、このあと、「赤い衝撃」、一曲置いて「夢先案内人」「イミテーション・ゴールド」「秋桜」と一味違う作品を連発していきますが、デビューから引退するまで、「としごろ」「夢先案内人」「乙女座 宮」「しなやかに歌って」以外はマイナー調の影のある歌がほとんど。
ともすると暗くなりがちな感じを、彼女自身のキャラクターと多くの作り手の才能と技術で、飽きさせずにヒットを連発できたのかな、とも思います。

「横須賀ストーリー」のあとの曲だけに、ともすると一般的には影にかくれた曲ですが、間違いなく名曲であり、彼女をさらなるトップスターへと持ち上げた曲だと思います。
by widol (2019-08-27 15:41) 

ぽぽんた

とわのえさん、こんばんは!

私も小学生の頃ギターを買ってもらい、最初に憶えたコードがAm、E7、Dm、C、F、G7でした。
フォークソングだと、それにEmを加えれば大抵伴奏として弾けるんですよね(完全、では
ないですが)。 細かい事を気にしなければ、それくらいのコードが弾ければ、
「パールカラー…」も含め一応はどんな曲でも伴奏にはなると思います。
ただ、その細かい事にこだわって個性を出すのが商品、なんですね、きっと(^^)

by ぽぽんた (2019-08-28 18:16) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんばんは!

ん~どうしよう、何も反論&追加する事がないです(^^;)
またまた私の知識不足と考察不足を補って下さってありがとうございます。

佐瀬寿一氏の起用については川瀬泰雄氏の著書「プレイバック」に書かれていて、
それによると作詞家の石原信一がラジオ番組の放送作家として川瀬氏と仕事した時、石原氏が
「売れそうな曲だから番組で採り上げよう」と持ち込んだのが「およげ!たいやきくん」で、
その際に川瀬氏が石原氏から佐瀬寿一氏を紹介され、川瀬氏がまず違う歌手用に作曲を依頼し
その曲がとても良かったため、次に百恵さん用に、と依頼したそうです。
なので、間接的ではありますが「たいやき」が無関係だったわけではなさそうです。
疑問なのは、その当時(1976年)頃にコンペと言う形で楽曲が選ばれていたのかどうか、です。
私は詳しくないので推測でしか言えませんが、当時は今と違って、特に歌謡曲は職業作詞家、
職業作曲家が幅を利かせていたわけで、無名の作家を登用するよりはそういった作家諸氏に
制作サイドからオファーをするのが普通だったのではないかと思うんです。
勿論、それだけでは飽和状態になってしまいますし、新しい風も吹かなくなるので新人を
育てたり、抜擢する事も多々あったと思いますが、これも推測ですが、その場合は
コンペではなくオーディションではなかったのかな、という気がします。

船山氏については当時まだビッグネームではなかった(翌年からは凄かったですが)ですが、
沢田研二さんの楽曲のアレンジを初めて依頼された(とご本人が語っています)のがこの
「パールカラー…」とほぼ同時期と思われる(「コバルトの季節の中で」ですね)ので、
その前後で色々とあった事とは思いますが、現代で意味するところのコンペとはやはり
違っていたのでは、と思うんです。

4度の和音についてはちょっと言葉不足でした。 仰る通り完全4度下、ですね。
転回(展開ではないですよ(^^))すると完全5度であるのもその通りです。
中華風にするためには、経過音を含めメロディー全部の音について完全4度下のハーモニーを
つける必要があって、逆にそうすると中華風に聞こえるのが非常に面白いですね。

港のヨーコ説、同意して頂けますか! そういった想像も自由にできるのって、
歌謡曲って楽しいですね(^^)

by ぽぽんた (2019-08-28 18:20) 

ぽぽんた

widolさん、こんばんは!

私も、この曲は百恵さんの楽曲の中でベスト3に常に入っています。
中3の頃に初めて聴いた時、何だこの雰囲気は!?と、中華風と言うよりも無国籍な印象で
衝撃的だったのを憶えています。
少し後の曲でいうと、鹿取洋子さんの「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」につながる
ものがある気がします。

この曲も「サウンドインナウ!」で放送されたのですか! その回は聴いていませんでした。
すぎやま氏のそのコメントは素晴らしいですね。 制作者、作家、歌手にとって、
そのように感じてもらえるのは最高の喜びではないでしょうか。
百恵さんは都倉氏の作品を歌っていた頃には、都倉氏に「私って不器用だから、
どの曲も同じようにしか歌えなくて…」と申し訳無さそうに言っていたそうですが、
その都倉氏がシングルで百恵さんに最後に提供した「ささやかな欲望」がその次への
大きなステップになったと言えるのですから、都倉氏の貢献度も高かったと思います。

明菜さん、静香さんもそうですが、何曲も続けてヒットを出せるのは、いろいろな顔を
それぞれの曲に持たせる事ができる、大きな才能によるものなのでしょうね(^^)

百恵さんが現役の頃、私は新曲が出るたび「またマイナーかぁ」と思う事が多くて、
そんな中で「夢先案内人」が出た時にはとても新鮮だったのを憶えています。
ちょうど高校に入る頃でした。
次の年に「乙女座 宮」が出た時も何だか嬉しかったです(自分が獅子座生まれだから、
と言う事もありますが(^^;))。

「パールカラーにゆれて」は明るい・暗いでは語れない、不思議な雰囲気を持つ曲として、
百恵さんのシングルで最も異色と言えるかも知れませんね。

by ぽぽんた (2019-08-28 18:23) 

Massan

ぽぽんたさん、こんばんは。
ほお、港のヨーコさんが「横須賀ストーリー」のヒロインですか? そんなヨーコさんが横須賀での暮らしに見切りをつけて横浜へ戻り、心機一転出直す・・。いやあ、こうしたイマジネーション、好きです。思いつきませんでした。
確かに「パールカラーにゆれて」には、冒頭から数多くの港や海に関連する言葉がちりばめられています。そもそもパールカラーが波間のきらめきの色をイメージしているのでしょうか。これに中華的フレーズが加われば、もう舞台は横浜以外には考えられません。きっと「パールカラーにゆれて」の「あなた」は、ヨーコさんを探してさんざん横須賀の店を探しまわり、最後の店で「あんた、あの子に惚れてるね」と言われた男なのでしょう。
どうせなら、ヨーコさんが横須賀へ流れる前から横須賀での暮らしを経て、再び横浜へ戻って幸せになるまでを一本の映画にしてもらえれば、本家松竹映画「港のヨーコ ヨコハマ・ヨコスカ」よりも面白いストーリーになりそうです。山口百恵さんが不良少女役を演じたテレビドラマ「赤い絆」は昭和52年12月スタートですから「パールカラーにゆれて」の発売より1年以上あとのことですが、横浜の「あなた」が国広冨之さん、横須賀の「小さなあくび重ねる人」が夏夕介さん・・で、なんかピッタリな配役なような気がします。
それでは。次回を楽しみにしています。
by Massan (2019-08-29 21:28) 

White Autumn

ぽぽんたさん、皆さんごぶさたしております。
クリス松村さんの著書によれば、山口百恵さんのシングル1位獲得4曲のうちのひとつですね。

「パール」といえば、ポール・モーリアやビリー・ヴォーンの印象が強いせいかヨーロッパ系のサウンドをつい思い浮かべてしまいますが、記事やコメントにある通り中華サウンドのアレンジで、意外な印象を与える作品です。船山さんらしさが早くも発揮されています。1976年ごろはヤマハ音楽振興会出身のアレンジャーが頭角を現しはじめ、作曲家自らが編曲も手がける音づくりから専業の編曲家への外注へという流れが確立した時期ですね。大村雅朗さんの登場以前から、今度の曲はこんなイメージにしたいからこの人のアレンジで、という発注体制が既に明確になっていたでしょうか。

当時はもちろん知る由もありませんでしたが、今振り返ってみると「横須賀ストーリー」を出す時点の百恵さん制作チームは結構危機感を抱いていたのではないかと思わせる節があります。ぽぽんたさんは桜田淳子さんの名前をあげていますが、真の脅威は岩崎宏美さんと太田裕美さんではなかったかと思います。特に岩崎さんが「ロマンス」「センチメンタル」と正統派の歌唱で立て続けに大ヒットを飛ばしてスターの仲間入りをすると、本人どうしは仲良くしていても、百恵さんを売る側としては「このままでは置いていかれる」と感じたことでしょう。百恵さんは映画、ドラマと大活躍でしたが、歌に関しては有名な“性典路線”か、さもなければ「冬の色」「湖の決心」など古風すぎる価値観を描く世界で、本人のキャラクターをかなり無視した作り方をしていましたから。

1975年の後半は流行の潮目が変化した時期でした。73~74年ごろはやや退廃的な表現が流行っていて、百恵さんもその流れでスターの座をつかみましたが、75年半ばあたりから明朗な正統派が再びもてはやされるようになります。当時の大人世代は退廃的なものやエロスを直截的に表現するものに対する警戒心がとても強く、自分の子供、特に男の子が百恵さんファンだと少し心配だけれど、太田さんや岩崎さんを気に入るようならば安心できるというふんいきもありましたから、一度流れが正統派に変わると引き戻すのは容易でなくなると制作チームが考えていたとしても不思議ではありません。

この時期に百恵さんの歌唱力が飛躍的に向上したのも、その空気感の変化が一因でしょう。映画、ドラマ、CM、雑誌グラビアなどたくさんの仕事を抱えつつ、時間をしっかり割いてレッスンに取り組んでいた証ですね。百恵さんの努力は本当にすばらしいです。西城秀樹さんが亡くなってから、野口五郎さんが「秀樹は最初棒読みに近かったが、ある時期からどんどん歌えるようになっていった。」と述懐していますがそれも同じ頃で、アイドル系歌謡曲が音楽としてレベルアップした時期といえるでしょう。

岩崎さんの歌唱力がフィギュアスケートで言うならば総要素点(技術点)重視なのに対して、百恵さんの歌唱力は演技構成点(芸術点)重視だと思います。「横須賀ストーリー」も結構ドロドロした人間関係を描写していますが不思議なほどに爽やかさをイメージさせるサウンドで、♪これっきり、これっきり…が流行語になるまでヒットできたことから巻き返しに手ごたえを感じたとともに、次はまた違う曲調で多彩な表現力を見せたいと考えた作品が「パールカラーにゆれて」だと、私は解釈しています。百恵さん自身は「夢先案内人」のような歌をもっと歌いたかったかもしれませんね。岩崎さんの歌が内心うらやましかったかも、と想像しています。

「1拍タメを置く」楽曲の例としてもっふんさんがあげた曲のうち上3曲はいずれも松本隆作品ですね。松本さんは「作曲家は常に詞先に対応できるようにしなければいけない。」が持論で、安心して詞先で作れる作曲家は大滝さん、細野さん、京平さんの3人だけだと語っています。例示の3曲はいずれも松本さんがあげた3名の作曲ではありません。詞を見てメロディーをつけていったら、1拍抜かないとうまく合わせられなかったという事情ゆえのような気がします。すなわち佐瀬さんの1拍抜きテクニックとはやや意味合いが異なるかもしれません。いつも生意気申し上げてごめんなさい。
by White Autumn (2019-08-30 10:08) 

もとまろ

ぽぽんたさん、こんばんは。
福岡はたくさん雨が降りました。うちの町は被害はないですが、それより猛暑の日々が嘘みたいにお盆を過ぎて涼しく、高校野球が終わってさらに涼しくなりました。

ありがとうございます。
百恵ちゃんの歌で、「横須賀ストーリー」と甲乙つけ難い大好きな歌です。
ここ10年で「乙女座 宮」がよく番組や記事で取り上げられるようになったように感じますが、これももっと取り上げてもいい歌です。

確かに明るいとも暗いともいえない歌ですが、なんか幸せに向かっているような、楽しく聴ける歌だなぁと思います。中華風のイントロで横浜みたいとありますが、長崎にも合うなぁと思います。あ、「横須賀ストーリー」の1番の歌詞みたいに長崎も坂道がたくさんありますね。
特に好きなのは、2番の2回目♪流れ流れて♪。個人的意見ですが、ここのコブシがちょっと回ってなくて、心地良くしているところを「幸せ過ぎて困っちゃう〜」と嬉しい悲鳴に聴こえるところです。

佐瀬寿一先生の一拍ためるフレーズのお話から、他に何があるかいろいろ思い出しました。
♪あいはひととひとをむすぶ かぎ♪(赤い衝撃)
♪なぜか パラソルにつかまり♪(暑中お見舞い申し上げます)
♪うえでやかれて いやになっちゃうよ♪ ♪うみはひろいぜ こころがはずむ♪(およげ!たいやきくん)
♪くじ♪ ♪ママきれいだよ♪(パタパタママ)
特徴かどうかは分かりませんが、意外とありました。
先生はたいやきくんの前にずうとるびでヒットを出されましたが、代名詞みたいな「みかん色の恋」よりも「恋があぶない」の方が好きです。百恵ちゃんも、ずうとるびと楽しそうに明星の表紙に写っていましたね。
by もとまろ (2019-08-30 23:54) 

ぽぽんた

Massanさん、こんばんは! お返事が遅くなり申し訳ありません。

「港のヨーコ」説は根拠があってそう考えたわけではないのですが…リアルタイムでそれらの曲
を聴いていたからか、私の中ではごく自然にそんなつながりが出来てしまってました(^^;)
私はその映画は観た事がないのですが、仰るように「港のヨーコ…」「横須賀ストーリー」
そして「パールカラーにゆれて」がつながるストーリーにすると面白そうです
(「パールカラー…」はスピンオフ扱いにしてもいいかも、です)。
70年代は個性的な俳優が揃っていましたから、私もそういった配役など考えていると
故人を含め色々な顔が思い出されて取りとめがなくなります。
今からでもいいから、誰か映画化を企画してくれないかな。

次回は来週日曜の予定です。 またぜひおいで下さい!

by ぽぽんた (2019-09-01 18:17) 

ぽぽんた

White Autumnさん、こんばんは! お返事が遅くなり申し訳ありません。

凄い考察、分析ですね。 私は曲を聴く時に制作の背景などを考える方ではないので、
大変興味深く読ませて頂きました。

そうですね、山口百恵さんはまず「青い果実」、翌年に「ひと夏の経験」と、自身の年齢から
するときわどい歌詞で人気を博したので(「ひと夏の経験」のB面「太陽の友達」はもっと
リアルですよね)、当時学生だった人の親や学校の先生等からは悪い意味で一目置かれて
いたのは、私も感じていました。 その数年前に奥村チヨさんの恋シリーズや辺見マリさんの
「経験」など、やはり親や先生が目をむきそうな曲がヒットしていましたが、それらは
皆大人相手の曲だったので、単に子供には聴かせなければいい、とそれで済んでいたんですね。
しかし山口百恵さんは当時の学生と同じ世代でしたから、それまでとはやはり状況が違って
排除したがる動きがあったであろう事は理解できます。 現代はそういった事については
ゆるすぎるのが、私は気になりますが。

「夏ひらく青春」でそういった路線に一段落つけて、次の「ささやかな欲望」から
新たな路線に移ったわけですが、面白いのはその曲の、かなり芝居がかった歌い方を、
テレビでも同じようにしていた事です。 もしかしたら必死にイメージを変えようとしていた
のかな、と今になってそう思います。
「横須賀ストーリー」が、歌詞の内容ほど重さが感じられないのは、当時の百恵さんの
年齢も関係していると思います。 その曲の頃、ちょうど変声期が終わったようなのですが、
まだドスの利いた声ではなく、少しですが少女っぽい音色も感じられるので、それが
プラスに作用したようにも思います。

岩崎宏美さんも、例えば「ロマンス」や「ファンタジー」「未来」などは、当時の学生を
ドキドキさせるような歌詞ですよね。
そんな歌を、あの開放的な声であまり感情も込めずにあっけらかんと歌われると、
かえって歌詞の内容がストレートに耳に入ってくる、そんな効果もあるかも知れません。
声質があまりに清潔感にあふれているので、当時の大人からすると「歌詞は好ましくないけど、
責める気になれない」と言った感じだったのかな、と(^^)

松本隆さんはそのような持論があるのですか。 何だか上から目線だなぁ(^^;)
それは松本さん自身が元々ミュージシャンであり、字数などを含め作曲家からメロディーを
引き出すような歌詞が書けるからそう思うのではないかな、と思います。
私は阿久悠氏やなかにし礼氏のように、色々なパターンのメロディーに対応できる作詞家が、
個人的には好きです(勝手な意見ですみません)。

by ぽぽんた (2019-09-01 18:17) 

ぽぽんた

もとまろさん、こんばんは!

テレビで観ていました。 私は九州に知り合いが何人かいるので、とても心配でした。
もとまろさんが住んでおられる場所は大丈夫との事、本当に良かったです。
こちらは今日も、かなり暑かったですよ。

ありがちな事ですが、大ヒットした次の曲ってわりと忘れられがちなんですよね。
でも「パールカラーにゆれて」もオリコン1位を5週続ける大ヒットだったので、
もう少し知られていてもいいように思いますね。

この曲はアレンジの力か、まずそのサウンドに耳を奪われますね。
横浜風と長崎風、その作り方って昔からよく似ていて、例えば渚ゆう子さんの「長崎慕情」も、
サウンドだけ聴くと古き横浜としてもいいような感じなんですね(^^)
私は母が長崎出身なので、遠いのに身近に感じられる場所です。
歌詞ですが、どうなんだろう…私には不安を抱えた幸せ、に感じられるんですよ。
1コーラス目に「甘い風に誘われて 泣きながら歩きましょう」と言うフレーズが
あるから、かも知れませんが…。 「知らない港に着きたい」とのフレーズも、
それまでのしがらみを断ち切ってしまいたいから、とか…考えすぎかな(^^;)

佐瀬氏の1拍タメについて、凄い! 私はそれらの曲は全く頭にありませんでした。
仰る通りですね。
私は個人的に90年代のヒット曲に好きなものが多いのですが、
その中にも1拍おいて始まるメロディーの曲がとても多いんですよ。
佐瀬氏の作り(こだわりがあったか否かは不明ですが)はその先駆けかも知れませんね。

by ぽぽんた (2019-09-01 18:19) 

もっふん

ぽぽんたさん、まいどです。


遅くなってしまいましたがテクニカルな部分だけ補足しておきます。

★山口百恵楽曲にまつわる「またか」★

山口百恵と言うと何かにつけて長調のシングルが4枚しか無かった事が取り沙汰されるのですが、キャンディーズの新譜で「また長調か」と思った事は無かったですし、森進一が何曲短調の曲を続けても何も不思議に思わなかったのと同じく、百恵さんについても私はそれが彼女の芸風(もちろん周囲が決めたものでしょうが)なのだと受け止めてましたねえ。

同期の桜田淳子さんが太陽のオーラを持ったアイドルの絶対女王として君臨しており、中途半端な明るさを持った歌手ならば掃いて捨てるほどいる中で、心の中のドロドロを取り繕わない青い性路線やその反動として描かれた古典的に耐え忍ぶ薄幸イメージと言うのは、ある時期まで山口百恵を、淳子さんの太陽に対して月の女神としてオンリーワンの歌手とする役目を立派に果たしていたと思います。

ハードロックなんかジャンルまるごとマイナーの曲ばかり、と言ったら怒られるかも知れませんが。

むしろ私は、ある時期以降の楽曲でイントロや Aメロなどの終止部で出て来る「Ⅰm-Ⅳ(7)-Ⅰm」(Am-D-Am)と言うシーケンスに「またか」とかなり強く感じておりました。「パールカラー」では船山先生がその流れに半分乗りながら抵抗しておられる様子がとても興味深いです。


★1拍タメて歌に入る助走のような作り★

私なりに川瀬泰雄氏の言いたい事を解釈すると「弱起で書けるフレーズの音価を大きくしてその小節の頭にブレイクを入れるとそこで一度リズムの進行が止まるので、あとに続くメロディの疾走感が高まる。殊に続くメロディが16分でリズムを崩してあるような場合には非常に効果的である」と言う事なのだと思いますし、先のコメントではそういう楽曲を例示したつもりです。

「ポケット」と「ルビー」がシャッフルである事も意識してなるべく広い時代にまたがるように選んだつもりでしたが、うち3曲が松本隆作品であると言うのは指摘されるまで気づきませんでした。氏の活動期間や守備範囲の広さを物語っているのだと思います。Kinki の曲は氏が一旦ポップスの作詞業から距離を置かれた後の「復帰作」ですから時期も随分と離れており、よもや被りまくるとは思ってもいませんでした。

「ルビー」は胃潰瘍で役者の仕事を休まなければならなくなった寺尾聡さんが、その間の食い扶持として過去に作った楽曲を持って来たもので、松本氏ご自身が作詞のオファーを貰って嬉しかったと語っておられるように完全に曲先です。

「硝子」もプロデュースを任されたのは山下達郎で、最初はユーロビート風の曲で一旦ゴーサインを貰って作業していた所を翻意して「ジャニーズの原点」を改めて考え直した上で全部書き直したと言う経緯から考えると、これも詞先と言う事はまず無いでしょう。ちなみに山下達郎は「もし筒美京平だったらどんな曲を書くか」と考えながら作編曲したそうです。

これらは、曲先であっても詞先と見まがうクオリティの詞を書いた松本氏を誉めるべき所かと思います。まあ、それが出来ないのに一方的に作曲家に詞先で書けるようにと主張されるような方でもないのだとも思いますが。

広い意味の弱起としてメロディの頭が抜けてるだけの曲であれば「恋する夏の日」「旅の宿」「雨の物語」「花街の母」などなど枚挙に暇がありませんが、これらは全体の流れを止めるほどにタメている感じではないですよね。

「はじめての出来事」のサビの後(好きよ)は続くフレーズ(好きだから)と両方の頭が抜けてると言う点でちょっと変わっているかも知れません。

この節の冒頭に書いた「弱起で書ける」と言うのは、極端な話として歌詞が付いていないメロディだけならば、その部分を省略しても成立すると言うのが条件になると思います。

三連のロッカバラードによくある一拍抜き、例えば「雪が降る」「星屑のステージ」「You Are My Destiny」(と言う事は自動的に「夢よもういちど」も・ばき)などは歌としてはタメたっぷりに歌われるわけですが、これらは完全に Aメロの一部であって省略出来ず、続くフレーズに対する加速作用があるわけでもないので、佐瀬氏の一拍抜きとは区別されるべきでしょう。

このあたりの処理って実際にメロディを作る時には無意識にやっている事ではあるのですが、説明しようとすると難しい事をやっちゃってるんだなと思いました。
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by もっふん (2019-09-09 21:20) 

ぽぽんた

もっふんさん、こんにちは! 相変わらず遅レスで申し訳ありません。

山口百恵さんの楽曲って、シングルは短調が殆どなのに、アルバムでは意外なほど長調の曲が
多いですよね。 しかし本領を発揮していたのは初期から短調の曲だった気がします。
私は今も、夏が始まる季節には「お元気ですか」が頭に浮かびますし、「太陽の友達」で聴ける、
高校1年の女の子が歌っているのに何かドロドロしたものを感じさせる力は凄いと思います。
デビュー当時から、百恵さんは「明るくない桜田淳子」などと言われていて、歌う発声も
全身で歌っているような淳子さんに対して百恵さんは口先で歌っているような感じがして、
そういった点でも一般的な好感度は淳子さんの方が遥かに高かっただろうと思います。
ただ、日本人って基本的に暗めが好き、なんですよね。 暗い人が明るい歌を歌うと、どこか
「健気」に感じるのに対し、明るいイメージの人が暗い曲を歌っていると「わざとらしい」と
感じさせてしまう… その違いが、百恵さんと淳子さんのその後の人気にかなり影響を
及ぼしているように、私には思えます。

作詞についてはよくわからない事が多いのですが、作曲に関しては最後にもっふんさんが
仰っているように無意識に様々なテクニックを採り入れる、あるいは制作時点での需要が
そのようなテクニックを要求すると言う事が多々あるのだろう、と言う事はよく理解できます。
詞先ならば歌詞が特定の音使いを予め持っている、と言う事もあるのでしょう。
強起と弱起に関しても、研究し出すときりがないほど色々な見方ができるんですね。
強起は1種類だけですが、弱起はそれこそ頭に16分休符が入るだけでも、また16分音符が
前の小節の最後に引っかかっているだけでも弱起は弱起なので、そのあたりの使いこなしも
意外と重要なのかも知れません(^^)

毎回、詳しい解説をありがとうございます。 本当に勉強になります(^^)

by ぽぽんた (2019-09-16 11:08) 

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